60 布地が少ないほど高くなるもの
「ものすごく助かる」
心底、感謝の目を向けるのは、恭太郎だった。
それなら、手伝えと言いたいところだが手伝おうとしない。前時代の大黒柱のように、ソファの上にふんぞり返っている。
由紀子はシチューの入った寸胴鍋を温めながら、洗い物をする。
「いえ、祖母が好きでやっていることなので」
(御代は別に貰ってるし)
こういうところは祖母もまたしっかりしている。さすがに、一度に数十人分になるとそれなりにおあしをいただかないと相手側も気を使うのだし。
恭太郎の話によると、出前を頼んでいたのだが、一度に頼む量が多すぎて一度に運べる量だけしか注文できなかったらしい。ピザも頼んだのだが、いたずら電話と間違えられて切られたらしい。
少量なら頼めるのだが、山田家の消費量は半端がないので頼めるところがないという。
外食は山田父がいるし、なにより山田母も山田少年も置いていくわけにはいかないので却下とのこと。
食事は優先的に山田母に食べさせたため、足りない分は山田姉が作っていたというが。
(メシマズだったわけだと)
捨てられないまま異臭を放っていたごみ袋には、なんともぎとぎとした元食材たちが入っていた。レトルトのパッケージも入っていたのだが、恭太郎曰く、
「姉貴は駄目だ。温めるだけでうまいもんを、なぜかアレンジしちまう」
冷蔵庫を見ると、業務用バターで敷き詰められている。どんなものができたのかしらないが、とりあえず胃がもたれそうだ。
山田兄にやらせても、ものは違えど同じようなものができそうである。生憎、先日言っていた新薬の発売が近いので、残業や泊まり込みが多いためあまり帰っていないらしい。
恭太郎はまだマシなほうだという。山田父はベジタリアンなため、まったく出前に手をつけなかったので、毎日生野菜にバターをぶっかけただけのものを食べさせられていたそうだ。
それはかなりつらい。
よくテレビで、「生で食べてもうまいんです」などと言って、ダイコンやらニンジンやらネギやらを生で食べている描写があるが、農家の娘の由紀子としては、食べられないこともないけど、自分的にアウトだと思っている。素材の甘みなどというが、結局は調理したほうがうまいのだから、調理すべきなのだ。
そういえば、最近はジャガイモやネギを多めに山田家に持っていっていた。
じゃがバターはたしかにうまいが、それはよく火を通したものに限る。
涙を流しながら、芋の煮っ転がしを食べていた理由がわかった。
由紀子は、なみなみについだシチューを山田父と恭太郎の前に置く。山田母は山田少年のいる二階からほとんど降りてくることはなく、食事は二階まで運ぶらしい。
さすがにそれくらいは恭太郎がやってくれるという。
由紀子が恭太郎に、食事以外の家事はやらないのか、と聞くと。
「働いたら、負……」
「あっ、言わないでください」
心底、役に立たない男である。
ちなみにやる気満々で家事の手伝いをしようとした山田父のおかげで初日に洗濯機と乾燥機が壊れたという。
お手伝いは役に立つどころか迷惑である。
山田姉は片付けができず、山田兄は家に帰らず、恭太郎と山田父は問題外。
ハウスキーパーも雇ったが、初日で山田父の流血を目にして気絶して終わった。家はどんどん荒れていくばかりだ。
山田家の支払いはさぞやよいだろうが、耐性がなければ務まらないだろう。
そんな話をしたせいだろうか、じっと恭太郎が由紀子のほうを見ている。
なにが言いたいのか、そんなときだけよく勘が冴えわたる。
正直、せっかくの素敵なお部屋がゴミだらけになっていくのは耐え難いが、由紀子がそこまでする義理はないのだ。
だが、恭太郎はじっと見つめ、ポケットから封筒を取り出した。
「これ、姉貴から……」
どこか名残惜しそうな、未練たらしい顔で差し出す。
由紀子は封筒を手に取る。なぜか、封筒には一度封をしてもう一度しめなおしたあとがあった。
由紀子は、封筒の中身を確認すると、ちょっぴり口角があがりそうになったが、無理やり押しとどめる。
さすが山田姉である。ひとの使い方が上手いというか、なんとやらだ。そこには、中学生のお小遣いにしてはかなり色がついた額が入っていた。
「いつもお世話になってるから、だそうだ」
今度は目をそらしている恭太郎。なにか後ろめたそうである。
(もしかして)
由紀子は、そっと封筒をテーブルの上にのせる。恭太郎の動きがどうにも怪しかったからだ。
「そうですか」
由紀子が恭太郎をじっと見ると、恭太郎は挙動不審な様子で食後のお茶を飲む。山田父はお腹いっぱいになったところで、船をこぎ始めている。
由紀子はもう一度、封筒を手にするとほがらかに笑う。
「じゃあせっかくですのでもらっときますね。こどものおこづかいとして」
『おこづかい』の部分を強調して言うと、恭太郎は表情を一瞬かたまらせた。
そして、ポケットからくしゃくしゃになったお札を由紀子に差し出す。
(ねこばばよくない)
基本、善良な山田家の血が通っている恭太郎は、嘘は突きとおせなかった。
由紀子は懐がお正月以上にほくほくしたところで、たまったごみ袋を片付け始めた。
バイトと割り切れば、お掃除など苦でもないのだ。
(山田母ってすごいんだな)
由紀子はごみ袋を外のごみ置き場に置きながら思う。由紀子の住んでいる地域では、ごみは深夜に回収されるので、便利なのだ。
(たぶん、知らなかったんだろうな)
さすがにごみ捨て位ならできるはずなのに、ずっとたまっていたのだから。
それだけ、山田母になにもかも家事をまかせていたということだ。
由紀子の祖母も、有償とはいえ、山田家のご飯を作りながら、
「あそこの奥さんはすごいねえ」
と、感心していた。
山田父、山田母、山田少年は少なくとも毎日いるのだ。これだけで、二、三十人前食事を作らねばならないのに、それに他の三兄弟がいる日にはどれだけの食事が必要であろうか。
それに、どじっ子の山田父を考えると、お洗濯の量も半端じゃない気がする。毎日、血糊をこぼしているので掃除も大変だろうし。まあ、山田父の家庭内流血については、原因のほとんどは誰にあるかわかっているのでなんともいえないのだが。
ごみを捨てて戻ると、今度は洗濯である。洗濯機は壊れているので、明日休みなのを利用してコインランドリーにでも行こう。
仕分けだけでもしなければ、と山になった籠を見る。
よそのおうちの洗濯物をクリーニングものとランドリーものにわけていく。
(シルクだよね、これ)
手触りのよいブラウスのタグを見て、別の籠に入れる。
もうバイトと割り切っているので、殿方の下着であろうと無我の境地で乗り切ろうと思うのだが、なぜかやたら天狗柄のパンツが多いという事態に由紀子は首を傾げるしかなかった。一体、誰の趣味だろう。
(なんだか、どんどん擦れていく気がする)
ぽんぽんとランドリーに持っていくため、籠に入れていくと、ふと由紀子の手が止まった。
「なにこれ?」
いぶかしみながら、奇妙なレースを見る。一見、リボンのようであるが、奇妙な形につながっていて、ところどころ薄い布がついている。
由紀子が首を傾げていると、恭太郎がやってきた。
「それ、姉貴の下着」
「!」
由紀子は思わずのけぞった。
「……ええっと、どちらのですか?」
「それは上だな」
下はこっち、とわっかになった紐にパールが連なってつながっているものを指す。こちらには布地すらない。
(どっちもまったく隠れないよ!)
由紀子は、ランドリーものにもクリーニングものにも加えず、別の小さな籠に入れておくことにした。
大人って、ああいうのつけるのか、と由紀子は遠い目をしながら作業を続けることにした。
「あら、由紀子ちゃん来ていたの?」
由紀子が帰ろうとすると、二階から声が聞こえてきた。
山田母だ。
いつもふんわりしているはずの笑顔は、今日はしぼんで見える。
(なんだか見たことある気がする)
由紀子は落ち着いた山田母を見ていた。先日、会ったときもそうであるが、その前にも。
(あのときの写真)
山田母の昔の写真を思い出した。
山田少年はおらず、代わりに山田長男がいた。
山田父も山田母も今とはまったく違う、そのときの表情に似ていた。
由紀子は、山田少年のことを聞いても大丈夫かと思いながら、思いとどまり、かわりに山田母に祖母の作った食事を温めなおしてあげた。
キッチンに勝手によその家のものが入るのは嫌がられる場合もあるが、今の山田母を見ると、栄養のあるものを食べさせたほうがいいとおもったためだ。
山田母はシチューを三杯おかわりしてくれた。普通のヒトなら十分食べた量だが、不死者にしては少なすぎる量だ。
「ありがとうね」
温めたミルクを飲みながら、山田母が息を吐く。
「あの子がこうなったのも、前にもあったのよ。十年くらい前に」
そのときは、数日で目を覚ましたのだけど。
「さすがに寝坊助さんがすぎるから、そろそろ専門家を呼ばないといけないかな」
由紀子は、山田母のカップが空になったので、温めたミルクを継ぎ足す。
「専門家ですか?」
「ええ、専門家よ」
山田母はミルクを飲み干し、はかなげな笑みを浮かべて言った。
夢魔って知っているかしら、と。