57 学園祭と婚約者 その参
「準備はできておるか?」
「はい」
総一郎は、指紋認証型のジュラルミンケースを開く。そこには、濡れたような刀身を持ったひと振りの刀があった。
古くから、鬼を退治してきた東雲の一族である。その後継者である遊子の婚約者ともあろうものなら、花嫁修業ならぬ花婿修行をせねばならない。鬼をまともに倒せないようでは、東雲の当主は務まらないのである。たとえ婿であろうとも、同じことを強いられる。
それは、現代においても同じである。社会において確固たる地位を持つ今でも、鬼退治は東雲家の家業なのだ。
場所はヒトの多い校舎から離れた空き地。丑寅の方向にあるそこは、以前は旧校舎があった場所だ。
学校という場所は、数多くの人が訪れる分、いろんな念が生まれやすい。そして、その場所自体にもなにかしらの因縁がある場合も多い。
空き地の一画にはとうに枯れた曼珠沙華の群生があった。根茎に毒を持つそれは、昔からネズミが墓場を荒らさないように周りに植えられたものである。秋には美しいような、毒々しいような花を咲かせる。
たまにあることだ。校舎の解体作業のついでに、慰霊碑を壊してしまったなどということは。
今は、仮に社を建てられているが、その効用は低い。形だけ整えればいいというものではないのだ。
おかげでずいぶんこの周りの空気は澱んでいる。空気が澱むということは、よくないものがいるということである。
鬼、その言葉は、現代において鬼人のみを示しているわけではない。
形無き、見えない不穏なもの、それを総一郎は鬼、もしくは迷ひ神と呼んでいる。それらが集まり、人として形を成したものが鬼人のおこりと言われている。
なので、たとえヒトと同等の権利を与えられている鬼人でも、総一郎はもとより東雲家もまた鬼人を快くは思わない。だが、だからとていきなり斬りつける真似はできず、当たらず触らずの関係をとるようにしている。
今日の不死王一家がそうであるように。
不死王が鬼人でないことはわかっている。だが、伝承の中で鬼として見られるものの中に、不死王の血脈らしきものが混ざっていることも事実である。
大江山の鬼がそうであるように。
物語では、大江山の鬼は武人により首を斬られ退治されている。
しかし、東雲家の伝承ではそれには続きがあった。
首を斬られても、鬼、酒呑童子は生き続けていた。そして、腹心の茨木童子によって、その首は奪われ、帝に見せることはなかったと。
そこで、首を奪われた東雲の祖先は、帝に顔を合わすことができず、違う鬼人の首を代わりに持ち帰った別の武人が帝に献上したのだと。
こうして東雲家は、大江山の鬼退治に登場することはなく、また、その武人も時代の流れの中で名を忘れ去られ、源頼光が物語の主役として扱われるようになった。
伝承とは常に、相手に都合がいいように捻じ曲げられていくものである。
そして、東雲家に伝わる大江山の鬼の伝説にはもう一つ、他の物語とは違う点があった。
「動きが鈍いぞ」
「はい」
東雲の前当主の言葉に、総一郎は刀を振るう速度を上げる。
特別に清められた刀は、見えざるものを斬ることができる。
総一郎は、見えざるものが見え、それゆえに滅すことができる。遊子の婚約者という立場にいるのも、その力があるからといってよい。だからといって、胡坐をかくわけにはいかず、「代わりなどいくらでもいる」というのが、大お館様の口癖なのだ。
おそらく、一般人から見れば、総一郎のやっているのは、何もない空間を真剣で素振りをしているという、危ない行為である。通報されれば、確実に連行されるだろう。
学園側は、そのことも踏まえ、学校の丑寅の方向を閉鎖している。澱みを散らすのは、学園側からの依頼である。
人の出入りが激しいまつりごとの日には、それだけ鬼があふれ出てくる。
斬っても斬ってもわいてでてくる。虫のような、ひとのような、獣のような異形のものたち。
それらは、ごく普通に生活しているヒトには感知することができない。それは、異形のものにも同様で、例え存在していても干渉することはない。
だが、それらが増えすぎると話は別である。
一つが二つ、二つが三つと増えていくごとに、鬼の力は強くなっていく。そして、一般人に感知できるレベルまで至るとき、それらは、化け物、あるいは呪いと呼ばれる。形無き存在は、形のある存在に憑りつき、化け物にしてしまうのだ。
身体ではなく、心をヒトでなくしてしまう、それが鬼の恐ろしいところだ。
鬼人とは別に鬼と呼ばれる存在、食人鬼がそれである。
すべての食人鬼がそれとは言い切れないが、後天的にヒトを食らうようになった存在の多くは呪いを受けているものが多い。
何かしら食らうことにのみ意識を奪われ苦しみ続け、理性を失う呪いである。
別に食べるのは人でなくてもよい、食べられるものならなんでもいい。
ただ、ヒトが増えすぎた結果、食人鬼が一番目につく食材がヒトになったにすぎない。
哀れな話である。だが、同情してはいけない。
東雲家の鬼退治の中に、食人鬼退治も含まれている。
ただ一方的に斬りつけるだけの行為を繰り返し、鬼をどんどん減らし続ける。それが、学園祭中の総一郎の仕事である。
単純作業ともいえる仕事を総一郎は、東雲家前当主の前でひたすら何時間も続けるのだった。
〇●〇
「先輩、その恰好は」
文化祭二日目、由紀子は東雲を指さし、その姿である理由をたずねた。
東雲は、黒髪を乱れさせ、真っ白なワンピースを着ていた。
「ああ、今日は脅かす役なんだ」
それはわかる、わかるのだが。
由紀子が言いたいのは、そうではない。着ているワンピースのデザインである。長袖で丈も長いワンピースであるが、なぜか首元が開放的なのだ。どれくらい開放的かといえば、豊かな東雲の胸の谷間が見える程度である。
幽霊役にしては、扇情的すぎやしないだろうか。
「デザインがこれしかなかったらしい。仕方ないが、それより、うまく脅かせるかな?」
大変やる気である。他の高等部のクラスメイトがやる気がないぶん、がんばろうという意気込みはわかる。
しかも、脅かし方は、テレビ画面から四つん這いになってでてくるというものである。
まあ、いわれなくとも、どんな役なのかは想像ができよう。
「先輩、カツラはかぶらないのですか?」
その役と言えば、一番髪型がトレードマークである。しかし、東雲の頭は黒髪のストレートだが、長さは足りない。
「カツラ? いや、そんなものは貰ってないよ」
由紀子はそれを聞いて、周りの男子生徒を見回した。明らかに目をそらし、わざとらしい態度をとった二人組に詰め寄った。
胸元のあいたワンピースを着て、四つん這いになって出てくれば、どこに視線が集中するかわかるものである。その上、トレードマークの長い黒髪がなければ、気になる部位が隠れることもない。
思春期男子の考えそうなことである。
(これだから野郎どもは)
残念そうな男子から、本来かぶるべき長髪のカツラをうばいとる。ワンピースはかわりがないというのであきらめる。
「先輩、これつけてください」
「おお、なんかよりそれっぽいな」
とても楽しそうに言ってくれる。なんということだろうか、相手の意図にはまったく気がついていない。
(先輩、もしかして婚約者とやらにも騙されているのでは)
大層不安になってくるが、それをつっこむ勇気はない。
それでもってカツラを被ることを知らないということは、これがどういうおばけなのか知らないのだろうか。
「先輩って、テレビとか映画とか見ます?」
「いや、あんまり、というかまったく見ないね。体動かしているほうが好きだし」
どっか世間知らずなわけである。
それにしても、あの体型で運動が好きとは。
(邪魔だろうな)
けしてうらやましくないぞ、と由紀子は言い聞かせながら、でも半分くらいあってもいいかもしれない、と思うのが悲しい。
まあ、由紀子の場合、まだ成長過程であるし、少しずつであるが成長しているとだけ言っておく。嬉しいような、恥ずかしいような微妙な気持ちだ。
なにが成長するのかは、聞くだけ野暮である。
由紀子が、東雲先輩にカツラをかぶせていると、織部がやってきた。
「どうしたの?」
由紀子がたずねると。
「いや、なんかさっき山田が急にホールを飛び出していったからさ。別にそういう義務はないんだけど、一応つたえとこうと思って」
生真面目な少年である。
「別に、子どもでもないんだから、それほど気にする必要はないだろう?」
東雲の言葉に、由紀子は素直にうなずけなかった。
山田少年の巻き起こす騒動は、子どものそれのほうが何倍もマシなのである。
由紀子は携帯電話を取り出すと、山田少年にかける。
数回の呼び出し音のあと、聞き覚えのある声が聞こえた。
「山田くん、どこにいるの? もうすぐ始まっちゃうよ」
二日目も前日と同じ時間に始まる。
一応、始まる前にクラス全員が集まって出席をとることになっているのだが。
『ちょっと、いけない』
なんだ、それは。
「だめだよ。早く戻ってきなよ。どこにいるの?」
由紀子はそう言ったが、山田少年からは素直な返事はこなかった。
『呼んでるから。痛がってるから、いけないよ』
着信が切れる音が響く。
(なんなの?)
由紀子は、携帯電話からネットにつなぐ。お気に入りから『迷子お探しサービス』に入る。
山田父だけでなく、山田少年も探索対象として入っている。体育祭のあと、山田少年本人が教えてくれた。
(まさか使うことになろうとは)
赤いマークのついた地図は学校内を示している。それを最大まで拡大していく。
(うわー)
なんでこうなるのだろう。
まあ、なんとなく予想はついていたのだけれど。
そこは、以前旧校舎があった方向、今は空き地となっている場所。
そして、学校の北東を示していた。