56 学園祭と婚約者 その弐
「おつり六百円になります」
由紀子は、日本語として正しくない言葉を使いながら、五百円玉と百円玉を渡す。スーパーの店員が言っていたらもやっとくる、と祖母が言っていたが、いちいち中学生の接客に細かく言う奴などいないからと、そのように返す。
また一組、腕を組んで入っていく男女。
(かな美ちゃんが見たら、どんな顔をするだろう)
中で包丁を振り回しながら引き裂きにかかっていないか、心配になる。
「けっこう、みんな怖がってるね」
山田がにこにこしながら言った。
由紀子としては、学園祭のお化け屋敷など子どもが作った子どもだましとしか思っていなかったのだが、ホールから響いてくる叫び声を聞けば思ったよりできがよかったことがわかる。
「中に気づかれない程度に傾斜をつけて、いきなりぶにぶにした床になるようにしたんだ」
なんやかんやで一番作るのを楽しんでいたのは山田少年であり、グロテスクな小道具の他にそんな仕掛けも作っていたようだ。妙なところでこだわりがあるのは、山田母に似てると思う。
人並みに怖がりな由紀子としては思いつかない仕掛けである。
なのでちょっと午後から憂鬱だったりする。
仮装はしないものの、中で脅かす側に入るのだ。誰かがきたら、暗幕を揺らしたり、音楽を鳴らしたりしなければならない。
たかだかホールの一画だとわかっているが、真っ暗な中にずっといるのも気が滅入る。
それに、問題がもう一つ。
隣の山田少年は、何も起こさずにじっとしていられるだろうか。
一応、由紀子の隣の区画で脅かすようになっているが、素敵なほど彼はフラグを立ててくれる。
最近では大人しくなったと思いきや、昨日は久しぶりに派手に流血してくれたし。
みんなが来る前に、こぼれた血をぬぐい、赤く汚れたジャージは「ペンキこぼしちゃった」とごまかし、鉄串に刺され穴だらけになった山田少年の服を暗幕の中で着替えさせた。
(また、見ちゃったよ)
もう泣きたくなってくる。
小学校時代にも見たことがあったが、今回の場合なんというか。間近であったのと、以前よりも成長し少し大人になったのであった、まあなんというか、なんというかなのである。深くは追及しないでほしい。
昨日は、隠すことで精いっぱいで深く考えていなかったが、今日あらためて見るとなんだか山田少年と顔を合わせづらい。
ただでさえ、最近山田少年がくっついてくるのを身構えてしまうのに。
普段、子どもっぽいのにたまに大人なことを知っていたり、やってくれたりで困ってしまう。
見た目がハーフっぽいせいだろうか、そちらの方面では少しませている気がする。スキンシップがやたら好きだったりするし。
ちょっとずつであるが、由紀子もまた、彩香やかな美の忠告の意味がわかってきた。
だからとて、全面的にはねのけられないのが、由紀子のどこかお人よしなところである。
こうして由紀子を悩ませている元凶と言えば、通りすがりのおねえさんたちに声をかけて、お化け屋敷に誘っていた。行動としては、問題ないのだが、少しだけほっぺをつねりたくなる気持ちになるのは不思議なものである。
由紀子は、三人組のおねえさんたちから千円札を受け取ると、百円玉を四枚おつりとして渡した。
ノートに客数をメモしていると、中等部側の廊下からがらがらという音が聞こえてきた。
なんだろうと見てみると。
(秘策ってこれだったのか)
そういえば、体育祭のとき山田姉が「棺桶を持って来ればよかった」と言っていたのを思い出したが、まさか実行するとは。
そこには白木の棺を紐で括り付け引く恭太郎と山田兄がいた。このさい、山田父を見かけないのはつっこまないでおこう。
がらがら音がするのは、底にキャスターがついているからだ。
「順調のようですね」
弟に棺桶を引きずらせ、自分は涼しい顔でやってくる山田兄。
「兄さん、棺桶はドラキュラみたいなのなかったの?」
「それがな。通販で見つからなかったんだ」
(通販かよ)
由紀子は、つっこみたいのを我慢する。
山田兄もまた、見た目はクールなエリート風なのにところどころ突っ込みどころがあるのが困る。
「でも、液だれもしないし、キャスター付きなんだ。最近のは実に高性能だよ」
まるで弁当箱や収納ケース扱いである。なんとなく、今ならさらにもう一つ、という言葉に弱そうだ。
それでもって、改めて液だれする具材扱いされる山田父。
「これからお帰りですか?」
由紀子は数々のツッコミを喉の奥で押さえこみながら聞いた。
「ええ、今日は挨拶だけで終わります。安心してください」
山田兄は申し訳なさそうな顔をして言った。
由紀子がほっと息を吐く仕草が見えてしまったのだろう。
ともかく、何事も起こらないならそれにこしたことはない。
「あっ、兄さん帰るならちょっと待って」
山田少年が、机からマジックと紙を取り出すと、なにか書き書きしている。
書き終えるとそれを持って恭太郎の後ろに立ち、ペタリとはり付けた。何気に持っているのは、瞬間接着剤だったりする。
「うおっ! 何すんだ!」
そりゃそうだ、『小ホールにてお化け屋敷』と書かれた紙を張り付けられたら誰だってそういうだろう。しかも、接着剤で。
「せっかく棺桶持っているんだから、ちょっと宣伝してよ」
「そうだな。それくらいやってやれ、可愛い弟のためだ」
山田兄は、そう言いながら携帯で写真をパシャパシャ撮っている。心なしか楽しそうである。ある意味、この人外は弟が大好きすぎるのかもしれない。愛情の形はかなり間違い過ぎているが。
「俺は可愛い弟じゃないのか?」
山田家カーストの下位にいる恭太郎は諦めたような目で山田兄を見る。
由紀子は、恭太郎にフォローを入れようかと考えたが、恭太郎自身どこか自業自得なところがあるので無視することにした。よその家の家庭事情に口をだすのは良くないのである。
「そういえば」
山田兄が思い出したかのように、由紀子を見た。
「学園祭の間、北東側の裏門には行かないようにしていただけませんか?」
(なんだろう、そのフラグは)
北東側は高等部の部室棟になるので、由紀子が向かうことはないのだが。
いっそ、何も言わなければいいのに、と思いながら、
「わかりました」
と、由紀子は伝えた。
ああ、嫌な予感がする。
困ったものだ。
「思ったより入ったね」
由紀子は午前中のお金と客数をメモした紙を照らし合わせながら言った。
恭太郎の広告塔効果が効いたのか、午前中はけっこう忙しかった。
今現在の場所は教室である。由紀子と山田少年の膨大なお弁当は、人前で食べるとそれだけでイベントごとになってしまう。
みんなほとんど、高等部の屋台やらで買い食いをしているため、お弁当を食べている生徒は少ない。
由紀子たちは、それだけで足りるほど謙虚な腹をしていないのでいつも通りのご飯である。
「午後は少し暇になるんじゃないかしら。体育館で出し物があるし」
かな美が学園祭のしおりを開きながら言った。
学園祭で芸能人を呼ぶと言うのも珍しくない。それでも、そちらに集客されてしまうだろう。
由紀子はあまり興味がないので、脅かす側に残ったのだ。客もあまりこないのを見越して、最低限の人数だけ残し、他はゲストのライブだのトークショーだの見に行くのだろう。
由紀子は間食の時間が取れなかった分、普段の二倍のお弁当を広げている。山田少年も同様である。
かな美だけ、サンドイッチが一つ、お昼の前に買い食いでもしたのだろう。
「由紀ちゃんたちは、本当にいかなくていいの?」
「別に、今日は誰か来るわけでもないし。明日、丸一日もらっているから問題ないよ」
山田父が一番の心配だったが、それも杞憂に終わったのだし。
ただ、気になるのは、山田兄の不吉な言葉と、東雲先輩たちのことだ。
(北東の門って)
由紀子が思いついたのは鬼門である。北枕はやめろ、家の敷居を踏むな、だの古臭い迷信を教えられている由紀子には聞き覚えのある言葉だった。
鬼の入る門と言われて縁起がよくない。
山田兄が縁起をかつぐ人外だとは思えない。
なにかしら意味があるに違いないが。
考えれば考えるほど、ろくな方向に話が進まない気がする由紀子は思考を止めた。
鶏ごぼうご飯のおにぎりにかぶりつく。今回の尊き命は、烏骨鶏の大塚さんである。感謝しながら、おいしく由紀子の血肉になってもらう。
サッカーボール大のおにぎりを平らげると、時計は一時を回ろうとしていた。
「山田くん、そろそろ交代の時間だから」
お茶をゆっくり飲んでいる山田を急かし、由紀子は小ホールに向かうことにした。
(まあ、予想はしていたけどね)
由紀子は、誰も来ないホールの中、体操座りをする。
そばには、山田家の拷問器具がある。
客は誰も来ず、それどころかホール内は本来いるはずの人員すらいない。由紀子のように別に芸能人に興味のない生徒ばかりではないのだ。客が来ないことをいいことに、こっそり抜け出してライブでも見に行ったのだろう。
かすかに薄明りに照らされた拷問器具、見慣れたとはいえ不気味である。
消臭剤をかけごまかしたが、由紀子の優れた嗅覚は錆の匂いを感知する。
(まだ終わりまで二時間もあるよ)
それまでじっとしておくのか、と泣きたくなる。
脅かされはしないものの、段差がついてぐにぐにする床を踏んだり、壁に手をついたら張りぼてのミイラが睨んでいたりと、何度も叫びそうになった。
怖いものは怖い、それは仕方ないのだ。
(いっそ寝ちゃおうかな)
と、天井を向いたら、骸骨と内臓が天井からぶら下がっていた。薄暗いとさらにリアルに見える。
ちょうどそのとき、暗幕の向こうから白い影が見えたため、由紀子はびっくりしてのけぞってしまった。
「何してるの? 由紀ちゃん?」
白いシーツを被った山田少年が顔を出す。
(脅かさないでよ!)
由紀子は、ばくばくする心臓を必死に落ち着ける。
「……持ち場はどうしたの?」
「だって誰も来ないもん」
さっさと持ち場に戻りなさい、と言いたいところだが、まあお客が来なければ仕方ない。うん、仕方ないのだ。
「由紀ちゃん、怖かったの?」
「怖くないよ」
山田少年がにこにこ笑いながら言うものだから、由紀子は強がってそのように返す。
それなのに、山田少年は大きく手を広げる。
「何のつもり?」
「怖かったら、飛び込んでおいで」
「いや、飛び込まないし」
山田はつまらなそうに、手を閉じる。
由紀子は呆れた顔で、膝の上に顎をのせる。
「山田くんって、ほんと抱きつくの好きだよね?」
「うん。由紀ちゃんは嫌いなの?」
山田は照れもせず言ってのけると、由紀子の隣に座った。少し近い気がするので、由紀子は少しだけ身体をずらす。
「嫌いというか、居心地が悪くない? くすぐったいし」
小っちゃいころは平気だったけど、段々そういうのはやらなくなるものだ。小っちゃい子がするものだと思う。
正直にそれを伝えると、山田はやれやれと首を振った。どこがむかつく仕草である。
「何が言いたいの?」
「反対だよ。由紀ちゃんが子どもだからくすぐったいんだよ」
由紀子はさらにむっとなる。
「なにそれ」
「抱擁は気持ちいいものなんだよ。ふわふわでぎゅーとなってあったかくてひんやりしててそこに自分がいるって思うんだよ」
山田の言葉は実に抽象的でわかりにくいが、「そこに自分がいる」という言葉に引っかかった。
まるで、自分の存在がおばけのような言い方である。
「やっぱ意味わかんない」
由紀子が言うと、山田は丁寧に説明を始める。
「群れで生活する動物はね、大きくなると群れから追い出されるんだよ。それが自然の摂理だから。小っちゃいころは抱っこが平気でも、段々くっつかなくなってそのうちあんまり喋らなくなるのも同じなんだよ」
ずっといるのが当たり前であるヒトのほうが不思議なことなんだ、と。
「だけど、群れからでて一人立ちしても、いつかは新しい群れをつくらなきゃいけないんだよ。そのために抱擁が必要なんだよ」
山田少年はたまにとても大人なことを言う。なんとなく意味はわかるような、わからないような気がしないでもないが、そこで素直に「はい」とは言えない。
でも、このままでは、由紀子は山田少年の口車になんとなくのせられそうな気がするので話題をかえることにした。
「山田くん、酒呑童子のお話ってくわしい?」
お話自体は知っているだろうからこのように聞いた。
山田少年は膝を伸ばし、天井を仰ぎ見る姿勢になった。
「寂しがり屋の鬼の話だよ」
山田少年の言葉は、由紀子の聞いてきたどのお話とも違っていた。
「新しい群れを欲しがったどうしようもない鬼の話だよ」
山田少年はそれだけを言うと、そのまま仰向けに倒れ、目を瞑って眠ってしまった。
由紀子はもしかして聞いてはいけないことを聞いてしまったのでは、と考えたが、山田少年のお喋りがなくなったことで、また急に怖くなってしまった。
(もう寝ないでよ)
だからといって起こすこともできないので、由紀子は苦渋の選択として、山田少年の手を持った。手をつなぐと少しひんやりとしていて、暗幕に囲まれた生ぬるい中では気持ちよかった。
山田少年の身体をずらし、お客が来ても邪魔にならない場所に移動した。
由紀子はなんとなくひんやりした手をはなさないまま、お客が来るのを待った。