6 土下座を極めし者
「なにしてるの?」
聞くだけ無駄かな、と思いつつ、由紀子は山田少年にたずねた。
山田は、山田家の庭園にて土に埋まっていた。遅咲きのチューリップに混ざって、首だけ地面から生えていた。
驚いて由紀子は、リアクション芸人のようなポーズをとってしまった。
「兄さんに大人しくしてろって埋められたんだ」
「……そうなんだ」
生首というわけじゃなく、ちゃんと地面の下に胴体がくっついているようでよかった。でも、山田のすぐそばになぜか鋸が置いてある。由紀子は首を傾げる。
山田はにっこりと笑いながら説明する。
「昔の人はね、道を通るために首をのこぎりで引かなきゃならなかったんだって。大変だよね」
「うん、知りたくないまめ知識ありがとう」
どうやら昔の処刑法らしい。真新しい鋸の刃が、なんだか錆臭く感じる。
方向性はずれているが、山田は案外博識で、よく気持ち悪い雑学を語ってくれる。
由紀子はランドセルからプリントを取り出す。山田家に来たのは、これを渡すためだ。殺しても死なないような山田であるが、ご家庭の事情とやらで今日はお休みであった。
山田の家から一番近いのが、由紀子の家だったりする。距離はそこそこあるが、由紀子の家は敷地が広いので、それを踏まえるとお隣さんに当たるのだ。
(これじゃあ、渡せないな)
山田兄がいるということで、そちらに渡してしまおうと玄関に向かう。ステンドグラスの張られた扉の前に立つと、怒鳴り散らす男の声が聞こえた。
「なんで、俺ばっかなんだよ! たまには息抜きさせろよ」
「仕方ないだろ。僕も姉さんも仕事があるんだから」
落ち着いた声の主は、山田兄である。
「だから、私たちが非番の時は、自由にしていいって言ってるでしょ」
山田姉の声が聞こえる。
「別に、父さんたちの面倒見るのが嫌ならそれでもいいんだけど」
艶めかしい声が勿体つけるように言う。
「あんたが私たちの代わりに働いたらね。恭太郎」
サディスティックな声で山田姉が攻め入る。恭太郎と呼ばれた男が、口ごもっているのが見えなくともわかる。
「働きもせずに、女の子のおしりばっかり追いかけて。この甲斐性無しが! おかげで、また被害者が増えちゃったじゃない!」
(なるほど、監視役と言っていたのは、この人のことだったのか)
恭太郎という男もまた、山田のもうひとりの兄なのだろう。雰囲気からして、下の兄だろうか。
それにしても、山田兄その弐を責める山田姉の声はとても生き生きしている気がする。
「う、うるさい。俺は、愛に生きるんだ」
大変恥ずかしい捨て台詞を置いて、山田兄その弐は扉を開けた。
「こんにちは」
由紀子は、目の前に立つ若者に挨拶をした。
デバガメになってしまい、居心地が悪い。
「……こんちわ」
山田兄その弐、以下、恭太郎が返す。
パーカーにカーゴパンツといった格好の若者は、鋭い目つきで由紀子を見る。顔は山田ファミリーにもれなく美形であるが、なんだか怖かった。
「恭太郎、その子が由紀子ちゃん」
山田姉の言葉に、恭太郎の顔が強張る。
恭太郎は何を思ったのか、後ろに下がると助走をつけた。そのまま滑り込むように正座をすると、額と脚を擦りながら由紀子の前で止まった。
(スライディング土下座……)
由紀子は初めて見たと感心し、恭太郎の謝罪の言葉など頭に入らなかった。
山田家に持っていったプリントと同じものを母親に渡す。
「授業参観ねえ。連休明けなんて忘れそうだわ」
冷蔵庫にマグネットで貼り付ける母。
「先生にもいろいろ、説明しときたいことがあるからちょうどいいのかしら」
山田兄に渡された由紀子の病気のことを言っているのだろう。母は、いぶかしみながらも「娘のためなら」と、契約書に判を押してくれた。けして、毎月の一定収入に目がくらんだわけでないはずだ。そう思いたい。
由紀子は、炊飯器を持っていき、茶碗にごはんをよそう。祖父、祖母、母、兄とつぎ、自分にはどんぶり一杯よそう。炊飯器は二台目を購入した。
不死者になって三週間が経とうとしている。
食事は五人前をぺろりと完食し、爪や髪の伸びが早くなった。にきびがなくなったのはうれしいが、それよりも治療痕の残る歯が抜け、新しい歯が生えてきたのは驚いた。朝起きたらパジャマが血まみれだったので、家族にばれないように急いで着替えた。
おそらく、由紀子もまた山田少年のような再生能力を持っているのだろうが、残念ながら試す機会がない。普通、生命の危機に陥ることなどそうそうないのだから。
(ふつうはそうだよね)
むしろ、普通に生命の危機にさらされている山田一家が不思議でならない。まあ、半分は姉兄たちの折檻が原因とも思えなくもないが。
(それにしても見事な土下座だった)
不死者というのは、やたら死ぬか、謝罪がうまくなるかどちらかなのだろうか。
どっちにせよ、由紀子はお断りであるが。
ご飯を頬張りながら、壁掛けのカレンダーを見る。
(明日は塾で勉強するか)
大型連休に入るというのに、由紀子の考えは現実的だった。
〇●〇
「なあ、兄貴。あの女の子、どうなんだ?」
恭太郎は、黒縁眼鏡をあげる兄を見た。
「どうって、なにがだ?」
曖昧な質問に、兄ことアヒムは聞き返す。山田アヒム、変な名前だが、生まれたのが、父が欧州にいたころなので仕方ない。
「どうって言われても、まあ、礼儀正しい子だと思ったよ」
日高由紀子という少女は、典型的な優等生タイプに見えた。
「しっかりしていて、子どもっぽさは少ないかな。不死化した影響もあるのだが、生来の性格だろう。まだ、不老不死がどんなものか理解していない感じはするな」
「ふーん。今のところ、まともなほうじゃないのか、それ」
恭太郎はソファに胡坐をかく。
過去、二回恭太郎は、不死人となったばかりの人間を見た。
あるものは喜び、あるものは絶望した。
喜んだものは後に、自分を選ばれたものと勘違いし、結果、不死人でありながら死を迎えることとなった。
不死人という名を持つが、不死に近いだけで不死でない。再生能力は、最低限細胞が生き残っていることが条件である。また、再生回数も個体によって異なる。不死男が定期的に、父たる不死王の血肉を食らうのはその点にある。
残虐な所業が無数に語られる不死王は、一方で慈愛の王である。
時刻は零時を回り、天然トリオはすでに就寝している。眠っている間は、何も起こらないから平和だ。
「なーに話してんのよ」
弟二人の会話に姉ことオリガが入ってくる。名前については、以下同文だ。
ソファに三人掛けだと狭いので、アヒムが隣の一人掛けソファに移動する。
「由紀子嬢についてだが」
「ああ。由紀ちゃんか」
乾かしたばかりの柔らかい髪がくすぐったく揺れるので、恭太郎も身体をずらす。
長姉は偉そうに足を組む。
「面倒見いいみたいよ。先生の話だと、不死男のスプラッタ率が五分の一に下がったらしいわ」
「そりゃ、すげーわ」
恭太郎は素直に感心すると、真剣な顔を姉に向けた。
「なあ、不死男のことなんだけど、その子に任せてみるって駄目か?」
恭太郎の言葉に、オリガとアヒムは目を見開く。
「なにそれ。ひどくない?」
「ぼけた祖父母を介護してもらうために、介護資格を持つ女性を嫁にする最低の夫みたいだぞ」
「兄貴。たとえがリアルすぎるぞ」
恭太郎は大きく息を吐くと、胡坐を崩した。
「だって俺たちだって、いつああなるか、わかんないだろ。そんとき、誰もまともなのが周りにいなかったらどうなる」
恭太郎は知っている。父と母が昔はあのような性格でなかったことを。長い長い年月を生きることによって蓄積された負の感情に押しつぶされないために、脳が彼らをあのようにしてしまったことを。
そして、彼らをあのようにした最後の要因は。
「ずっと小さいままの不死男は、富士雄兄貴は一体どうするんだ?」
アヒムもオリガも黙ったままだった。
それが答えだと、恭太郎は思った。