54 イベントごとは前日の準備が一番楽しい
「ああ、東雲家ね」
山田姉に先日の先輩の話をすると、呆れた顔をしてため息をついた。お茶なのか、とかしバターなのか判別つきづらいバター茶をすする。
由紀子は、山田家の高級ソファの柔らかさを堪能する。膝の上には、まだやんちゃざかりの双頭犬のハチがじゃれていた。もう可愛らしくて仕方ない。
山田少年は、由紀子が配達で持ってきた野菜の中にピーマンを見つけると、珍しく眉間にしわを寄せていた。生産者を前に捨てたり、無駄にする行為をすれば、即しめる用意はできている。
「ここ最近は落ち着いてたのに。たしか、ツングースカ大爆発の年に斬りかかってきたのが最後だから」
よくわからないが、少なくとも由紀子が生まれるずっと前なのだろう。山田兄が百五十歳なら、山田姉は一体いくつか本当に気になるところである。
それはともかく因縁というものはしっかりあるらしい。困ったことである。
由紀子はついでに一つの疑問を山田姉に問いかけることにした。
「山田くんにもう一人おにいさんっているんですか?」
由紀子はピンク色の肉球をぷにぷにと押さえながら聞いた。
山田姉は、これまたなんとも言えない顔をする。
「ええっと、まあ私の上に兄が一人いるんだけど」
なんだか歯切れの悪い物言いである。
「昔、酒呑童子って名前だったんですか?」
由紀子の言葉に、山田姉は一瞬目を見開くとさらに居心地の悪い顔をした。
「……知っているのね」
「茨木さんが言っていたので。それに東雲先輩の言葉を合わせると、そうかなって」
どこか悲しげな顔をする山田姉。
「そう。どんな人外だったか知っている?」
山田姉の言葉に由紀子は正直に答える。
「鬼の名前ですよね。退治されたっていうお話から、あんまりよいことはしなかったと。でもなんだか、それが山田くんのおにいさんとは、まったくイメージが違うと思うんですけど」
女癖は悪そうだが、他人に危害を加えるタイプには思えなかった。会ったこともない人物をそう評するのは偏見としか言いようがないが。山田家の面々を見ると、かなりドメスティックバイオレンスは激しいが、それ以外に他人に危害を加えることはない。由紀子が知る限りでは、食人鬼に対してか、例外として一度山田少年に頭突きを食らった由紀子位である。
由紀子の言葉に、山田姉は少しだけほっとした顔をした。空になったカップを受け皿にのせる。
「実は、私もよく知らないの。私の生まれる前の出来事だったし。兄さんは、『それは本当だ』と言っていたけど、正直、到底そんな人だと思わないから、信じられないのよ。身内びいきかもしれないけど」
私に言えるのはそれだけ、と山田姉が微かな笑みを見せる。
由紀子は山田家にもいろんな事情があるんだと、改めて感じた。
空気の読める優等生な由紀子は、それ以上つっこまないことにした。かわりに、ハチのへそ天姿を携帯のカメラに激写する。
ハチはすっかりリラックスして二つの頭とも舌をちょこんとだして眠っていた。
ふむ、かわいすぎる。
困ったものだ、あまり乗り気でなかった配達の手伝いであるが、この魔性の毛玉は由紀子を山田家に長居させてしまうのだ。お持ち帰りしたいところだが、兄が反対するためそういうわけにはいかない。
山田少年は、山田母の「今日は肉詰めピーマンにしましょう」の言葉にショックを受けている。
由紀子としては、一体何の肉を使うのか、という疑問が最初に浮かんできたのが悲しい性となってしまった。
山田母はうろうろと居間の方に来てなにかを探していたようだが、そういえば、と台所に戻って行った。そして、普通に冷蔵庫から合いびき肉を取り出しているのを見て、由紀子はほっとしたのである。
いったい、何を探していたのかは言わないでおこう。
(そういえば)
由紀子は、食材、もとい山田父がいないことに気づいた。
「今日はおじさんがいないですね」
ポチはフローリングに寝そべっているので、散歩ではないようだ。ポチの散歩ではなく、ポチが山田父を散歩させるのである。
「ええ、今日はアヒムと一緒なの。新薬の最終調整に入っているから」
「すごいですね」
山田父は常識が欠如して、頭のねじも足りないが、その存在自体は有能である。
一体どんな薬ができるのか楽しみだ。
由紀子は時計の針がずいぶん進んでいるに気が付くと、断腸の思いで膝の上で気持ちよさそうに眠っているハチを下ろした。そして、『くぅーん』と二重奏でなく声に後ろ髪ひかれつつも帰宅するのだった。
(やっぱすごいお嬢様だった)
先日、車で送ると言ってくれた東雲だったが、乗せてくれた車は十円傷をつけただけでサラリーマンの平均月収がふっとぶものだった。
学園祭の準備で普段より遅くなるのだが、毎日迎えに来てくれるのはその車である。運転手は、いかついおじさんで護衛も含めているように見えた。
喫茶店では、支払にためらいもせず一万円札を出すだけのことはある。ちなみに、あの喫茶店ではカードは使えない。使えたら、ゴールドだろうがブラックだろうがふつうに出しそうである。
東雲先輩は、どこか浮世離れしているような気はするが、箱入りのお嬢様という感じとも少し違うようだ。育ちはいいが、温室育ちのバラというより、丁寧に育てられたキクのようである。
そんな彼女だが、不器用ながらもお化け屋敷の小道具作りに没頭している。いや、壊れたマネキンの手に血糊をつける作業にそんなに真剣にならなくてもよいが。
「楽しそうですね」
由紀子はそう言いながら、新聞紙の塊に包帯を巻きつけただけの即席ミイラを置いた。目の部分だけ光るように、豆電球を取り付けるのだ。
「楽しいよ。今年が最後だから」
卒業したら、花嫁修業が待っているという。一体、いつの時代のヒトだろう。家事手伝いという意味が本当に違う意味で使われていないヒトである。
よく考えてみると、毎日の送り迎えもそれだけ監視されていることを示している。寄り道もまともにできないだろう。この間、喫茶店に寄ったときも、帰りには迎えの車があった。もしかしたらずっと外で待っていたのかもしれない。
(息がつまる)
お金ってあればいいものではないのだな、と由紀子は思った。五つも年上の先輩を可哀そうだなんて思ったら、失礼にあたるのだろうか。
慣れているから気苦労はないように見えるが、それはそれだけ慣れさせられたからだろう。
由紀子は、豆電球をミイラの頭部に取り付けて、背中にもスイッチを取り付ける。子どもの工作みたいだが、上からプラスチックの眼球をかぶせるとけっこうリアルに見える。
ほんのり黄色がかった白目には血管が血走っている。
妙なこだわりは、実は山田少年だったりする。
さすが、こういうことではスペシャリストだ。
これで、リアルさの追求のために、内臓の構造を自分ので見せようとしなければもっといいのに、と思う。教室を惨状にしないでくれ。
彼の作った粘土細工の骸骨や、シリコン型の十二指腸は、鞄の中からはみ出て外にでたら、職務質問を受けてしまうレベルの出来である。
本当に無駄なところに精通している。
「最近の中学生ってすごいな」
東雲は、素直に山田の作品に感心している。
「いや、あんまり褒めると調子にのりますよ」
「そうかな? そうそうできるレベルの大腸じゃないと思う」
(いや、大腸なのが問題なのであって)
こんな気持ち悪いもの作るのがうまくても、どう考えても危ない人である。
由紀子がなんとなく、この先輩、世間知らずというより天然ではなかろうか、と考えていると、
「そういえば、食欲もすごいね」
私は小食だったんだな、と改めて東雲は感心する。
由紀子は苦笑いを浮かべてしまった。
(それも一般的じゃないんですけど)
その言葉は口に出さないままにしておく。
まあなんとなく予想はついていたが、案の定であった。
山田父は、文化祭にくるという。
理由は体育祭と同じだ。
もう、山田姉は黄金色の菓子をどれだけ学校に渡したのだろう。
そして、もう一ついえることは、山田家ほどではないものの、東雲家もまた学校側に招待されていることである。
地元の名家であり、娘が学校に通っているのを考えたらそういうことになるのだろう。末端と、東雲は濁して言っていたが、由紀子はなんとなく本家の娘さんじゃないかな、と思っている。
(どうなることやら)
由紀子は言い知れぬ不安のまま、明日使うこんにゃくをクーラーボックスの中に入れる。
あとは、大道具を設置して、残りは明日の朝するのだ。
そんなとき、小ホールに大きな荷物がどんどん運ばれてきた。二重三重に包まれたそれは、相当な重さのようであるが、持っているのは山田少年のため実に軽々しく見える。
「すげー。本物みたいだな」
(げっ!)
由紀子は、女の子にあるまじき言葉を、心の中で押しとどめた。
そこにあるのは、山田姉愛用の素敵な拷問及び処刑器具の数々だった。
もちろん、本物なのは血みどろの山田少年を何度も見ているのでわかる。
山田少年は、ギロチンに鉄の処女、椅子にとげのはえたようなものを運んでくる。
由紀子は山田少年の襟首をつかみ、ホールの隅っこに連れていく。ちょうど、暗幕の影になっている。
「由紀ちゃん、暗いところに連れてきて何する気?」
山田少年が目をきらきらさせる。実に楽しそうである。
「いや、こっちが言いたいよ」
あれ、どうする気なの、と問い詰める。
山田少年曰く、織部がスペース余るけど、予算が足りないとぼやいていたので、ちょうどいいものがあると言ったという。
いや確かに、雰囲気はでるだろうが。
「すっげーな、本物の血みたいだぞ」
男子生徒たちは、こびりついた赤さびを見ている。山田父か、それとも山田少年のものか。
(いやいや、本物ですから)
由紀子は全身から脂汗が噴き出してくる。
それにしても、どうやって学校まで持ってきたのだろう。
まさか、謎の多い山田鞄でもそこまで高性能ではないだろう。
由紀子がそれをたずねる。
「うん、由紀ちゃんちのおじいちゃんが乗せてくれるって言ったから、昨日のうちにのせておいたんだ」
何してくれる、祖父。
由紀子はしばらく口きいてあげない、と思いながらギロチンに近づく男子生徒を追い払う。
「なんだよ、邪魔すんな。日高」
「早くやらないと終わんないよ。運ぶからあっち行って」
怪我でもしたら大変である。怪我どころか、下手すれば首がちょん切れるものである。
「危ないじゃない」
由紀子が目を細めながら処刑器具を眺める。
「危なくないように、ちゃんと刃びきした刃を選んできたよ。半分しか切れないよ」
「いや、半分切れれば普通死ぬから」
さて、どうしようか、と由紀子は再びため息をついた。