53 ナポリタンは苦労のお味
高等部からやってきたのは結局三人だけだった。
そのうち二人は、厄介事を押し付けられたという態度をあからさまに出していたので、ちゃんと仕事をやってくれるのは実質一人だけだといっていい。
そのえらく奇特な先輩は女の先輩で、よく言えば古風、悪く言えば地味なヒトだった。市松人形のように切りそろえた髪に切れ長の目、端正であるが現代的な派手さはまったくない。リップやマスカラどころか、ファンデーションも塗っていないだろう。
背筋がよく、身長も高い。女性なのに百七十近くあるのではないだろうか。化粧をしたらとても映えるだろうに、もったいない。
しかし、凛とした動きに無駄がなく、清楚でありながら能動的な雰囲気を持つ不思議なヒトであった。
『東雲先輩』と、織部は言っていた。
(進路決まったなら、優秀なヒトだろうな)
大学部に入るためには、二月に行われる試験に合格しなければならない。ならば、秋の時点で余裕があるなら、推薦で合格したか、それとも就職先決まったのかどちらかだろう。
てっきり由紀子としては、東雲は推薦か何かで決まっていたと思っていたのだが。
由紀子が先輩に予算について話に行ったとき、左手の薬指にきらりと光るそれを見てしまった。銀色のそれは、エンゲージというもので、もう唾が付けられていることを示している。
「永久就職とは、やるわね」
かな美が「相手はどんなロリコンだか」と、皮肉な笑いを浮かべている。
それでもって、
「やっぱアレは武器になるのね」
と、しげしげと東雲の胸部を眺めている。
そう、東雲は体型に不釣り合いなくらい胸部が肥大していた。体脂肪率がそこに無駄に集中している。どれだけ大きいかといえば、クラスの男子生徒の八割の視線が気が付けばそこを漂っているという始末である。
「かな美ちゃんは、そういうの憧れたりしないの?」
クラスの女子がかな美に聞く。
かな美は、
「あの指輪、シンプルだけどプラチナのブランド物よ。お値段からして、相手はいくつだと思ってるの?」
かな美は、そう言って大卒、高卒の初任給の平均を口に出す。
「平均年収から考えると三十歳以上よ、相手は」
その言葉に、周りの女子は『えーっ』と、声をあげる。女子中学生にとって三十歳はおじさん扱いであり、由紀子もまた同様である。
(三十歳はないなあ)
由紀子も年上がいいと思うが、せいぜい二、三才までが妥当である。そのうち、年齢が上がればその考えも変わってくるのだろうか。
(っていうか、私、相当長生きするし)
山田父の恩恵(?)によって、無駄に寿命が延びた由紀子にとっては、普通の結婚というものはかなり遠ざかったといえる。
ジューンブライドとか、ブーケトスとか少しだけ憧れていただけに、残念だったりする。
(私、結婚できるんだろうか)
どうしようもないことを考えてしまいちょっと落ち込んでしまう。一生、独り身でいる場合、どれくらい稼げばよいか、指を折ってみた。
由紀子がそんなことを考えているというのに、その元凶ときたら何も考えていないのか、それとも彼なりに考えているのか、眼尻を下げている織部少年と東雲先輩のもとへぽてぽてと足音をたてて近づいていく。なぜ、上履きを履いているのにそんな音がでるのか不思議である。
「先輩、質問です」
元気よく挙手する山田少年。
「なに?」
落ち着いた、女性にしては低い声で東雲は返す。
「誰と結婚するんですか?」
さすが、山田だ。直球である。
隣で打ち合わせしていた織部くんは、眼尻をゆるめながらも現実を直視しないように左手から視線をはずしていたというのに。
現実に引き戻すとは、酷い奴である。
「幼馴染だよ」
どこか呆れた顔で、東雲先輩は答える。
女子の間から、歓声が上がり、かな美は憎らしげに舌うちをする。いや、三十歳の相手であればよかったのか。
最初に山田が聞いたことで、それまで気になっていた女子生徒がわらわらと集まってくる。
相手はいくつか、いつ式をあげるのか、初デートの場所はどこだ、というような質問を投げかける。
話を聞くに、相手は五歳年上の幼馴染で婚約という形をとっているらしい。式や籍を入れるのは成人後の話で、随分とフライングで指輪をくれたのだという。
かな美は話を聞きながら、ささくれた態度で、
「はあ? なにそれ? 虫よけってこと? ずいぶんと独占欲が強いことで」
「かな美ちゃん……」
本当に彼女は過去にどんな男性関係があったのだろう。
うぶな由紀子にはまったく想像がつかない。
先輩は口数が少ないものの、人嫌いではないようで親切に答えてくれる。
そのうち、クラスメイトの一人が東雲にとあることを聞いた。
「もしかして、先輩の家って東雲グループの親戚か何かですか?」
東雲グループとは、この付近を地盤とする財閥のことである。由紀子の家もそれなりの地主だが、そんなものと比べればゾウとネズミくらい差がある。『東雲』という名前が珍しいため、聞いてみたようだが。
「……まあ、そうなる」
どこか歯に物が挟まった言い方で東雲が答える。
周りが一気にざわめく。
東雲は居心地悪そうにしている。お化け屋敷の配置決めをするはずが、まったく話が進まない。高等部の残り二人はとうに帰っていた。
(しょうがないなあ)
由紀子は、かな美と顔を見合わせると、鼻の下を伸ばしている織部のもとに向かった。
「織部くん、はやくしないと時間なくなっちゃうよ。遅くまで残る気ないんだから」
「そうよ、先輩も早く帰るにこしたことないですよね?」
東雲は正直助かったらしく、ほっと息を吐いていた。
由紀子は当たり前のように女の子のトークに混じっていた山田少年の首根っこを摑まえる。
山田は自分で場をしきるタイプではないが、気が付けば紛れ込んでいることが多い。困ったことにそれが日高家でも有効であることだ。
「山田くんも、あんまりずけずけと聞くのは失礼だよ」
「わかったよ」
その様子をじっと東雲が見ていた。
「あっ、なにか?」
しまった、と由紀子は思う。よくよく考えれば、まるで子猫のように同級生の男の子を首からぶら下げるのは非常識だった。つい感覚が麻痺してしまってこういうことをやってしまう。
「もしかして、一年の山田くんって、不死王一家の?」
東雲は切れ長の目を見開きながら言った。
「うん、そうだけど」
山田はにこにこと笑いながら答える。由紀子が持ったままなのでつま先立ちである。由紀子は慌てて山田少年を下ろすと、山田はちょっと物足りなさそうに由紀子を見た。どうやら楽しかったらしい。
(高等部まで知れ渡っているんだ)
そういえば、実体はどうであれ山田家の資産はかなりのものだろう。末端とはいえ東雲家の一員となれば気になることだろう。
(商売敵?)
と、いうわけじゃないとは思うが。
山田家のお財布事情はよくわからないが、山田父自体がそれだけで希少生物なので、パンダどころじゃない価値があるだろう。年間一億なんてものじゃないはずだ。
東雲先輩は少し考え込んでいたようだが、ミーティングにはしっかり参加してくれた。
おかげで、大まかなお化け屋敷のプランはその日のうちに決まった。
「うわ、あと五分だよ」
由紀子はバスの時刻表を見て言った。時刻はもう六時を回っている。下校時刻ギリギリだ。
「由紀ちゃん、待ってよ」
山田が、のっそりと上履きから靴に履き替えている。
「もう、おいてくよ。このバス逃したら、三十分待たなきゃならないよ」
「ゆっくり待つのもそれもまた一興」
「やだ」
山田の言葉に由紀子は即答する。
結局、由紀子は山田の手を引っ張りながら外に出る。強く引っ張るとたまに、関節が外れるが、まあ山田なので仕方ない。
しかし、学校を出るところで由紀子の足が止まる。
「どしたの、由紀ちゃん?」
山田が引っ張られて斜めになっていた姿勢を正す。
「東雲先輩」
「ちょっといいか?」
校門に背を預けていた東雲が、由紀子たちに向かっていった。
由紀子はバスの時間が気になったが、先輩の誘いを断ることもできない。東雲は、由紀子のその様子を読み取ったらしい。
「帰りは、車で送っていくから、少し時間をくれないか?」
凛とした男性のような口調で東雲が言うので、由紀子は山田と顔を見合わせると、首を縦に振った。
先輩が連れてきたのは、学校近くの古風な喫茶店だった。
(はじめてきた)
ちりんと鈴の音が鳴り、レコードの音が鳴る喫茶店はずいぶんと渋い趣味をしている。学校に近くとも、これでは来る客は学生ではなく、髭の似合うおじさまだろう。現にマスターは眼鏡に口髭の素敵な初老の男だった。
東雲先輩に促されてテーブル席に座る。先輩に、メニューを差し出される。
「好きなの頼んでいいよ」
(ほんとにいいのか?)
正直、由紀子と山田の満足いくまで食べさせられる財布は、高校生が持ち合わせているとは思えない。
とはいえ、ウインナーとピーマンの映えるナポリタンは大層おいしそうである。
マスターが「何人前でも作るぜ」と言わんばかりに暇そうにしている。これは、マスターのためにも頼んでやるべきか。
「おじさーん、ナポリタン五人前」
由紀子の葛藤を知ってか知らずか、山田は遠慮なしに頼む。
「飲み物はいらない?」
むしろ気にした様子でなく、飲み物まですすめてくれる東雲を見て、由紀子は葛藤の結果。
「ナポリタン三人前とレモンスカッシュ二杯お願いします」
山田より少なめに頼んだのは、由紀子のなけなしの遠慮である。
東雲はBLTサンドと紅茶を頼んだ。まあ、ごく普通の食欲であるが、それを見た山田が言う。
「おねえさんは、何を食べたら大きくなったんですか?」
「何を食べたらと言われても」
身長が現在伸び悩んでいる由紀子としても気になる話題である。さすがに百七十はいらないが、なんとなく悔しいのでもう一度山田少年の身長を抜き返したいところだ。
「遺伝としかいいようがない」
居心地の悪そうな顔で東雲が言う。「母も大きいからな」と付け加える。
「うーん、遺伝か」
山田が腕を組んで唸っている。
(そういえば)
山田少年の成長は一体どうなっているんだろう。
去年は夏休みにまるでタケノコのように伸びたのに、その後ぴたりと止まっている。
由紀子は山田少年に背をこされたことばかり考えていて、彼の身長が伸びないことは深く考えていなかった。まあ、不死人だしちょっとくらい成長過程が変わっていても問題ないのでは、と考えていた。
(案外、気にしている?)
そう考えると、由紀子はなんだか山田に悪いような気がした。由紀子はこのまま身長が止まっても、日本人平均を考えれば十分である。しかし、山田は一応男の子だしあと十センチ以上身長が欲しいだろう。
(おじさんたちも大きいし)
大きくなる素質はあるはずだ。
山田一家は山田母が小柄なのをのぞき、他はみんな大きい。伸び悩んでいる山田であるが、今の身長は一応平均以上なのである。
このまま止まったままだとすぐに周りから追い越されていくだろうが。
「おじさーん、豆乳ってありますか?」
由紀子はマスターにダメ元で聞いてみたら、バナナ豆乳を二つのグラスにそそいでくれた。
「山田くんも飲もう」
「うん」
由紀子たちが仲良くバナナ豆乳を飲み始めると、
「そろそろ本題をいっていいか?」
すっかりスポンサーもとい東雲先輩の存在を忘れていた。
由紀子と山田はバナナ豆乳を一気に飲み干した。
それを見て、東雲は肘をつき組んだ手に顎をのせた。
「山田くん、君におにいさんはいる?」
「いるよ。二人」
(二人?)
三人じゃないのかな、と由紀子は思いながら首を傾げる。ちょうど、ナポリタンが二人前できたので、山田と一皿ずついただく。
「じゃあ、シュテンという名前か?」
「違うよ、アヒムと恭太郎、悩み多き百五十歳と還暦だよ」
(うわ、百五十って)
見た目通りの年齢じゃないと思っていたが、やはりそうだった。
それにしても、もう一人はあんなので還暦なんて、どれだけ頼りない還暦なんだろうと思ってしまう。
それを聞いて、東雲はどこかほっとした顔で、持ってこられたサンドイッチを一口齧る。
「どうしたんですか? それが?」
由紀子はつい気になって口にしてしまった。部外者なので、ドリンクとナポリタン以外口を使うつもりはなかったのだが。
東雲はサンドイッチの一つ目を食べ終わると紅茶を飲んで流し込んだ。
「東雲家はその昔、平安の世には武門の一族だった。源頼光って知っているか?」
由紀子はその名に覚えがあった。日本史はまだ勉強していないし、古文でもその名前はなかった。一体、いつ聞いたのだろう。
「大江山の鬼退治」
山田少年が口の周りをケチャップで汚しながら言った。よく見ると彼のナポリタンには、ピーマンが見えず、由紀子の皿になぜかピーマンの塊ができていた。お約束なのでほっぺたを引っ張っておく。
(そっか)
由紀子が見たのは、あの図書館の本の話だ。たしか、そういう名前の武者がでてきた。
「実際、その話はかなりのフィクションを含んでいる。私の知る伝説では、大江山の鬼を倒したのは、私のご先祖さまとなっている」
どこまで本当かわからないが、と付け加える。
(それって)
由紀子は噛んだピーマンを異様に苦々しく感じながら飲み込む。
「そして、大江山の鬼、酒呑童子は首を斬られたあと何事もなかったかのように復活していると、不死王の血族の一人だと聞かされてきた。」
しばしの沈黙の中で、山田少年がもぐもぐ食べる音とレコードのクラシックだけが響く。
マスターが残り六人前のナポリタンとドリンク類をすべて並べる。最初の皿とグラスはすでに空なので片付けられる。
「私は別に、そんなもの興味ないが、親類の中では、未だ過去にこだわるものが多いのだ。倒しきれなかった鬼を倒すのだと」
現代においてばかばかしい話だ、と東雲はため息をつく。
そう、現代において人外を殺すことは殺人となる。それが、食人鬼でない限り。
「文化祭はうちの身内も見に来るはずなので、気を付けてほしい。さすがに、当人がいなければ問題はないと思うが」
なんだろう、この言い知れぬ不安は。
由紀子は、ナポリタンを三杯にしてよかったとおもった。
(なんでいつもこうなるのかな)
由紀子は遠い目をしながら、目の端に映ったピーマンをそっと由紀子の皿に移す山田の手を叩いた。