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不死王の息子  作者: 日向夏
中学生編 前半
56/141

51 虫歯のある人はやってはいけません

「……由紀ちゃん」


 玄関は開けっ放しだったようだ。

 憂いと驚きと他になにかを含んだ山田少年が携帯電話を持って立っていた。

 メールに気が付いたらしい。


 由紀子は作業を続けながら、ぼんやりと山田少年を見る。

 半吸血鬼ダンピールの両手両足をへし折り、本来曲がる方向と反対向きに曲げて針金でぐるぐる巻きにする。再生しようとする手足を、針金の拘束が阻んで、みしみしと嫌な音を立てている。


 作業、そう作業だと言い聞かせることにしている。


 由紀子はまだ中学生で、世間的に言えば子どもである。

 子どもが大人、しかも人外の食人鬼オーガに襲われたら、それが怖いと思うのは普通だ。

 過剰防衛ともいえる今の作業は、その恐怖心が行わせている。脅迫概念に近い。


 いつ襲ってくるかわからない、だから非情ともいえる行為を作業として無機質に行っている。


 せめてもの救いは、半吸血鬼は痛みでとうに失神しており、悲鳴を上げることはしない。

 先ほどまでの悲鳴は外まで響いただろうが、ご近所は無関心らしい。


 なんとなく気づいたのだが、この部屋の本当の主はあまり素行のよろしくないヒトに思われる。先ほど、家探しした際に、カタギが持つべきでない品々をいくつか見つけたためだ。我関せずのご近所関係なのもうかがえる。


(怖い、まだ怖い)


 由紀子はその感情に従い、相手がどうにも身動きとれないように針金をまきつけていたのだ。ご丁寧に手足を折ってから。


 しかし、はたから見たら、恐ろしいのは由紀子のほうであろう。

 無表情で、顔を中心に血糊がべっとりくっついている。濡れた髪に、服は喉元をむき出しにして乱れていた。


「山田くん」


 山田は突っ立ったままだ。私服でなぜか足はスリッパを履いている。病院の名前が書かれていた。


「山田くん、スリッパで外を歩くのは変だよ」


 この場面でそんな質問をする由紀子も変である。


「……そうだね。間違えて靴置いてきちゃった」


 山田は、一瞬複雑な表情を見せたが、すぐにいつもの笑顔に変わっていた。

 ぱたぱたスリッパの音をさせながら由紀子に近づくと、足元の半吸血鬼を一瞥し、しゃがみこむ。


「せっかく祝福されていたのに」


小さな声でそんな言葉を漏らすと、いきなり着ていたシャツを脱ぎだした。


 生暖かいシャツはずぼっと由紀子の頭にかぶせられる。


「ごめんね。すごく怖かったでしょ。噛みつかれなかった?」


 山田少年は、由紀子の顔についた血糊をぬぐう。乾いた血糊はぱりぱりと粉になって落ちていく。


 由紀子は肯定も否定もしなかった。


 怖かったが、噛みつかれていない。

 そんな言葉が上手く声にだせなかった。

 

 山田少年はなぜか、ごめんね、ごめんね、と繰り返す。

 謝りながら笑顔なのは、とても奇妙で、山田少年もまた混乱しているようだ。


(なんで謝るの?)


 笑いながらも山田少年の眉は下がり気味だった。目はふるふると震えて、なにかを一生懸命こらえるようだった。


「顔洗わなきゃね」

「うん」


 由紀子はようやく針金をまきつける手を止めた。






「由紀子ちゃん!」


 山田姉が電話をして十分じゅっぷん足らずでやってきたのには驚いた。

 半吸血鬼もだが、殺された男の人のこともあったので、山田姉に連絡したのだった。


 山田少年は、なぜだか乗り気ではなさそうだったが、他に方法もなく山田少年の電話で呼んだのだ。


 由紀子は、顔を洗い、山田少年のシャツに袖を通していたが、それでも異様な風貌は隠しきれなかっただろう。

 心配する目が由紀子をうかがう。半吸血鬼の話をしていたので、由紀子も山田も首筋をじっくり観察された。噛まれていないかの確認だ。


 由紀子はとりあえず傍に置いていたビニール袋を渡すことにした。大きな黒いごみ袋だ。ずっしりした重みに耐えられるように何枚も重ねて入れた。


「これは何?」


 山田姉に言われたので中を見せる。

 何が入っているかと言えば。


「……」

「一応、空気穴はあけたんですけど」


 吸血鬼ヴァンパイアは、違う生き物に変身すると聞いたので、拘束を外してもすぐ逃げられないようにビニール袋に詰めておいた。他に詰められるものがなかったので仕方ない。


 生憎、半吸血鬼はいまだ失神から目が覚めない。


(殴り過ぎたかな?)


 やりすぎたとは思っていても、罪悪感はない。

 自分を餌としか認識していないものにかける憐れみはない。


「由紀子ちゃんがやったの?」

「……はい」


 なんだか改めて聞かれると少し恥ずかしい。

 喉笛を食いちぎった、と言ったらさらにどんな表情をされるのかと思い、黙っておくことにした。


「子どもだと思って甘く見られていたみたいです」


 確かに、いくら拘束しているにしても、見張りもなしに置いて行ったり、部屋の施錠をしなかったり、とうっかりさんなところが多い。単独犯であるのも助かった。


 帰るために山田姉の車に乗ろうとすると、山田少年と山田姉が神妙な面持ちで向かい合っていた。


(どうかしたのかな?)


 山田少年は、山田姉と喧嘩でもしたのだろうか。

 珍しくそっけない様子で山田姉と話している。

 山田姉が眉を下げていたところを見ると、非は山田姉にあるのだろう。


 兄弟げんかなど別に珍しくもない由紀子は、特に気にせずに車に乗り込んだ。






 山田家につくと由紀子はまずお風呂を借りた。


 時刻はすでに九時を過ぎていたが、日高家には連絡済なので問題ない。普通、年頃の女の子が外泊するのだから、もっと慎重に考えてもらいたいのだが、「ああ、山田さんのお宅ね。ちゃんとあいさつするのよ」で終了している。これはどうよ、と思う。


 猫脚のバスタブにつかり、湯に浮かんだ泡をすくっては吹く。シャボン玉がふわふわと浮かんではぱちんとはじける。


 浅いバスタブの端に足を引っ掛け、深く息を吐く。


(ミルク風呂でもありだな)


 泡風呂なんて海外ドラマのセレブが入るものだと思っていた。今、自分が入っているのは、少し変な感じである。


 泡風呂にミルク風呂、由紀子的女の子の憧れの三大お風呂である。ちなみにベストスリーのもう一つは、薔薇風呂だ。


 泡を指先で腕になすりつけ、そのまま肩、首とたどる。首筋で指が止まると、由紀子は指の腹でごしごしとぬぐう。


 噛まれはしなかったが、触れた舌先が気持ち悪かった。感触を消すため何度も削り取るようにこする。


(なんであいつが)


 日本まで来ているのだろう。

 処罰を受けていたのではないか。


(それに)


 身なりはまともだった。

 コンビニで買い物をするというなら金も持っていただろう。殺した男から奪ったのだろうか。


 落ち着いてから見えてくること、気づくこともある。


 日本語が喋れるにしてもどこか片言である。脱走し、わざわざ自国でない国までやってくる必要はあるのか。けっこう入国って大変じゃないのか。


 そうだとして、あんなに余裕でいられるものなのか。


 たしかに由紀子という食材に目がくらみ、子どもだと甘く見て短慮な誘拐を行ったのだが。

 それまではどうしていたかを考えると、誰かに匿われていたのではないか、と勘繰ってしまう。


(こんなに疑り深い性格だったかな?)


 ふと、この間理科の先生が言っていた言葉を思い出した。授業からよく脱線するが、話は面白い先生だ。


『生物は食べられることで進化する』


 由紀子は左手で首筋をひっかきながら、右手を掲げる。照明に手の甲を透かす。


(私は進化しているのだろうか)


 そして、不死王が、不死者が個体としてやたら強いのもそのせいかな、と考えてしまった。






 風呂から上がると、客間のベッドに由紀子の鞄が置いてあった。バス停に置いてあったのを持ってきてくれたらしい。


 制服は新しいものを一式用意され、それとは別に寝間着と服が置いてあった。


(今日のコーディネイトは山田母か)


 フリル過多のツーピースである。薄手の靴下にガーターリボンとヘッドドレス、幅広のチョーカーまで用意してある。


(見えないところまでこだわるなあ)


 ガーターリボンを引っぱる。フリルの施されたそれは、花婿さんが花嫁さんからとって投げるというイベントに使うくらいしか用途として知らない。何の役に立つのかわからない。つけなくても問題なかろう。  


 そっと、ヘッドドレス、チョーカーとともに避けておく。


 制服を着たかったが、そんなことをすると山田母がすねるのでツーピースとソックスだけ身に付ける。

 首筋をがりがりとひっかく。


 トントン、とノックの音が響いた。


 由紀子は靴下を膝上まであげてスリッパを履きなおすと部屋の扉を開ける。隙間からのぞきこむような小さな開け方だ。


 山田家で安心なのはわかっているが、どうしてもそんな行動をとってしまう。


「由紀ちゃん、もうすぐご飯だよ」


 相手が山田少年だと確認して、大きく開く。


「わかった」


 すぐ行くね、とドアを閉めようとしたら、山田少年が足を挟みいれる。


(セールスマンみたいだ)


 由紀子がドアをもう一度開くと、山田少年は中に入っていく。


「入っていい?」

「どうぞ」


 もう入っているけど。


 なんだか前にも山田少年が部屋にたずねてきたことがあったな、と思った。


 また、クマのぬいぐるみのかわりでもしてくれるのかな、と見ていると、山田少年は由紀子の左手をつかんだ。


 その爪の間には、赤黒い血が詰まっていた。

 それに気が付くと、由紀子は首がなんだかひりひりしていることを感じるのである。


(まだ、痛みは感じるはずなんだけど)


 それを忘れてひっかいていたらしい。思い出すと急に痛くなってきた。感覚って不思議なものである。


「由紀ちゃん、よく見せて」

「噛まれてないから大丈夫だよ」


 おねえさんも確認したし、と言っても聞かない。しかたなく、髪をよけて首を斜めにする。


「ここらへん?」


 噛まれていないが、舌先が触れた部分をさわったので、思わずうなづいてしまう。


 すると。


 ちゅう、という音が左耳から流れてきた。

 由紀子は、一瞬何が起こったのかわからず、フリーズしてしまった。


 目の前が真っ白になり、代わりに首に耳に顔に全身に熱が伝播して真っ赤になる。


 気が付けば山田少年に正拳突きを見舞っていた。拳がじぃんと痛い。


「何するの!」


 真っ赤な顔で抗議する由紀子。


「毒牙にかかれば吸い出すのは常識だよ」

「噛まれてないってば!」


 壁に打ち付けられている山田少年に怒鳴りつける。


 本当にもう、山田少年は山田少年である。


 由紀子は部屋から山田少年を蹴りだすと、ベッドに顔を埋めた。


(もう、何なの? あの生き物)


 だいぶわかっていたつもりだが、やっぱりよくわからない。未知の生物だ、ツチノコかなにかと同じだ。何をしでかすかわからない。


顔の熱が取れず、冷たいリネンが暖まっていく。


 このままじゃ熱がおさまらない、と思った由紀子は血で汚れた左手を洗うついでに顔も冷やすことにした。


 ふと、目の端に避けていたヘッドドレス等が目に入る。


(やっぱつけよう)


 由紀子はその中のチョーカーを手に取ると、洗面所へと向かった。



〇●〇



 まさかあんなガキに。


 ジューダは磔にされていた。口にはご丁寧に轡がはめられている。

 油断と焦りが生んだ結果だと思った。


 なぜ、痛みを急に感じるようになったのだろうと驚いた。


 拘束具は銀製らしく、身体を作り変えて逃げようにも逃げられない。

 スポットライトのような明かりがいくつもジューダを照らす。その熱で暑ささえ感じる。


「せっかく生かされていたのに」


 女の声が聞こえる。かつかつとヒールの音が響き、派手な巻き毛の女が近づいてきた。


 美味そうだが、初物じゃない、とジューダは思った。

 どうしても食欲が上回ってしまう。ジューダの肉体は食べそこなった不死身の血肉を欲していた。


「せっかく祝福されていたのに」


 祝福だと言われてもなんのことかわからない。

 不死者の血肉を食らうことだろうか。


「呆れた。愛されてることもわからずにもらうだけもらったのね」


 女は、一世紀前に聞いたきりの女の名前をつぶやいた。誰よりもうまい血を持った、不死者の女の名前だった。


「知らなかった? 彼女はあんたと同族なのよ。半吸血鬼ダンピールでなく半吸血鬼クルースニクだけどね」


 半吸血鬼でも二つに分かれる。吸血鬼として生きるものと、ヒトとして生きるもの。


 どちらにしても、半端者として生きることになっただろう。能力がつかえない分、後者のほうが肩身を狭くして生きているに違いない。


 女は語る。食らった不死者は吸血鬼の有力者の娘だと。吸血鬼の弱点を持ちながら、弱いヒトの身体を受け継いだ娘を助けるため不死王ノーライフキングに願い出たのだと。


「きっとあんたのことを八つ裂きにしても足りなかったのに、祝福を受けていたので殺せなかったのよ。娘の思いを優先したのね。父親としては歯がゆかったでしょうに」


 何のことだ、何を言っている。


 ジューダの頭に最後に見せた女の顔が浮かぶ。

 血液をすべて吸われながら、干からびた様相で、その双眸をジューダに向けていた。

 

 それを見ていると不愉快になって、そのままゴミのように捨てた。空から落とした身体は、地面で一回バウンドすると、何の動きも見せなかった。


 恨んでいると思っていた。


「恨まれたら知性のない食人鬼オーガのようになるでしょうね」


 あれは、不死者のなりそこない、と女は言う。


 どういうことだ。

 不死者の血肉を食らえば、その能力を受け渡されるのではないのか。


 ぐるぐると回る頭と並行して、血肉を食らいたいという欲望も湧き上がる。無駄だとわかっていても身体をねじり、なんとか拘束から抜け出そうとする。目の前の餌に牙を突き立てたくて仕方ない。


 女はそんなジューダを呆れたように見ながら、ジューダに何かを見せる。


「プリペイド携帯。誰に貰ったのかしらね?」


 鬼女に連絡用として渡されたものだ。


 そうだ、鬼女だ。あいつは何をしている。

 自分を助け出さなければ、洗いざらい話してしまうぞ。


 交渉の手段を見つけたと思ったが、それはすぐに打ち砕かれる。


「まあ、大体予想がついてるのよね」


 指で挟んだ携帯を落とす、がちゃんという音が聞こえる。


「さあてと。あとは他のに任せるから。がんばって頂戴」


 他のだと。

 何を言っている。


 女のヒールの音が遠ざかる代わりに、違う靴音が響いてくる。


 ジューダはその音の主が誰であるか気が付くと、全身から恐怖というものがあふれ出てきた。


 中肉中背のたれ目の男が、メスと薬らしき小瓶を持って近づいてきた。その表情は、恍惚が浮かんでいる。

 見たことのある男だった。


 ようやくジューダは、自分がどこにいるのか理解できた。


 仰向けにはり付けられた身体、スポットライトのような照明。


 そこは手術室だった。


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