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不死王の息子  作者: 日向夏
中学生編 前半
52/141

47 馬鹿はほどほどにしなさい

こういう話ほど筆が進む自分が嫌である。

「ただいま」


 アヒムは、ネクタイをゆるめながら靴を脱ぐ。

 その姿はアヒムに珍しく、少々くたびれていた。スーツにしわがよっているのは、三日間同じものを着ていたためだ。


 アヒムは、製薬会社の化粧品部門に属している。新製品が売り出され、売れ行きが上々のため忙しい日が続いている。会社に泊りがけなので、着替えもない。身だしなみに気をつけるアヒムとしては、シャツ位用意すべきだったと反省した。


 ようやくひと段落し、帰ってきたのは昼過ぎである。


「兄貴、お帰り」


 恭太郎が居間でパソコンをしている。隣で、不死男が夏休みの宿題をしている。父は外のテラスで昼寝をしている。


「母さんは?」

「買い物。姉貴もだよ」

「……由紀ちゃんたちも一緒だよ」


 不死男が不服そうに言う。


 話によると、由紀子嬢が彩香嬢と買い物に行くというので、行き先が同じだったオリガが車に乗せていったと言うことである。

 別におかしいことはない。


「諦めろ、不死男。女の買い物に付き合うのは不毛だ。砂漠のように不毛なことだ」


 恭太郎は珍しく真摯な顔で不死男を見る。


「あれは、デートじゃない。デートじゃないということは、自分の立場は彼氏じゃない。露骨に買い物に誘う女は、男のことを財布か車としか思わないんだぞ」


 恭太郎は、おそらくバブルの頃を思い出しているらしい。弟は何度も、ボディコンの開いた胸に誘われて、アシとして使われていた。食事が終わってさようなら、があるたびにへこんで帰ってきた。


 現在は、それから少しは賢くなったようで、まったく変わっていない。今も、昼間からネットで不健全なページを開いている。よくウィルスチェックが入ると思ったら、あやつが原因だったようだ。


「僕も水着買いに行きたかった」


 不死男が、口を尖らせながら言った。

 たまに思う。自分もこの半分くらい積極的であれば、人生もっと楽しいのではないかと。


「やめとけ、やめとけ。けっこう居心地悪いぞ。大体は、下着売り場と隣接してるぞ」


 恭太郎が体験談を話す。

 それは確かに居心地が悪い。


「それにな。女の子ってやつは、そういうのは本番で見せたいもんだ、うん。いいよな、さんさんと輝く太陽の下、むき出しの手足、まとめられた髪、それからのぞく首筋、そして揺れるたわわな胸……」

「ただしシリコン入り」


 アヒムの言葉に、恭太郎がガツンとパソコンに頭を打ち付ける。キーボードがめり込み、四角い痕がついている。


「シリコンじゃねえ! 生理食塩水だ!」


 怒鳴るように言い返す恭太郎。

 

 アヒムは面食らった。


「……いや、パッドのことを言ってたんだが」


 いわゆる上げ底である。


「……」


 黙り込む恭太郎。

 どうやら、偽造でなく人工物に当たってしまったらしい。


「兄さん、パッドって?」


 不死男に言われて、アヒムは鞄をあさる。紙袋にいれられたあるものを渡す。


 袋から取り出すと、とてもリアルにできたシリコンパッドがでてきた。


「……なんで兄貴がこんなもの持ってるんだ?」


 冷めた目で恭太郎が見てくる。たしかに、一般男性が持ち歩いていたら変態である。


「会社の新製品だ。下着会社との共同開発だ」


 アヒムは毅然とした態度で言う。

 より自然で、たとえはみ出てもばれない、を目標に作られた品だ。その自然な質感と肌の色は、開発部がこだわり続けたものである。


 これだけリアルなパッドは、今までなら一つ数万円で売られていただろう。しかし、大台を切って売り出すことができたのは、開発部のたゆまぬ努力と、大量生産による生産コストの削減のおかげである。


 テレビでも今季一番のヒット商品と放送されている。


 けして、恥ずかしがるような商品ではない。


「すごいね、兄さん」

「ああ。AカップからFカップにまであげられるぞ」

「どんだけ盛る気だ」


 呆れた声で言いながらも、恭太郎はシリコンの感触を楽しんでいる。大変、手つきがいやらしい。


 不死男も面白そうに見ている。


「これ、由紀ちゃんにプレゼントしたら喜ぶかな?」

『やめとけ』


 不死男の言葉に、アヒムと恭太郎、二人の声が重なる。


 ふと恭太郎の手つきが止まる。じっとパッドを見て、何かを考えている。


「これ、実際つけたらどんな感じなんだ?」


 どんな感じ、と言われても。

 

「まったく見ていて違和感がなかったとしか、言いようがないな」


 おそらく、どんな平原につけてもばれることはないだろう。


「いや、そうじゃなくて」

「?」


 不死男は、恭太郎の意図を正しく読み取ったらしい。居間から出ると、ぱたぱたと廊下を走り、一回こけた音がして、しばらくして戻ってきた。


「はい」


 不死男が持ってきたのは、黒い女性もの下着だった。丁寧にレースがあしらわれている海外ブランドものだ。それは、デザインといい大きさといい姉のものに違いなかった。


「……」


 アヒムはぽかんと口を開ける。


「サンキュ」


 恭太郎が不死男から下着を受け取る。


「つけるのか?」


 思わずアヒムが突っ込む。

 まるで馬鹿な男子中学生でも見ている気分になる。実際、一人はリアル中学生であるが。


「まあ、だってわかんねえだろ。実際、気にならないか? 付け心地とか、モデルに聞いてみたか?」


 馬鹿だ、馬鹿がここにいる。


「やってみなくちゃわからない」


 顔をきりりとさせる不死男。

 馬鹿、もう一人追加である。


 しかし、不死男の言葉にも一理ある。


 たしかにモニターにもモデルにも評判は上々だったが、それはごく一部の声だ。


 それに、まったくの平原が付けてみて、違和感がないのか、実際見たことはない。そこで、試してなにか不具合があれば、今後の改良点として付け加えることができる。


 販売に携わる側として、好奇心はなきにしもあらず。


 アヒムが黙っているのを、了解と感じ取った恭太郎はシャツを脱ぎ始める。


「うわあ、これずり落ちないか?」

「ほれ」


 アヒムは紙袋から専用の接着剤を渡す。別になくても吸着するようにできているが、より安定させるために付属でついている。


「うおっ。つめて」


 パッドをつけて下着の肩紐に腕を通す。


「不死男、後ろ止め……」


 恭太郎の動きが止まる。

 なぜか、視線は外の方を向いている。


 どうしたのか、とアヒムも外を見ると。


 ウッドテラスで、ポチを撫でながら由紀子嬢がこちらを見ていた。

 その眼は困惑で彩られ、口はぎこちなく笑みの形を浮かべていた。なにかをごまかすような笑いである。


 彼女の視線はゆっくりと明後日の方向にずれながら、口はぱくぱくと動いている。おそらく「何も見ていませんから」と、言っているのだろう。


 アヒムが弁解しようと、手を伸ばしたが、由紀子嬢は寝ぼけ眼の父に挨拶すると去って行った。


 不死男が、ウッドテラスまで走って行ったが、もう遅い。

 

「なんか、やばくねえか。兄貴」

「ああ。特にお前がな」


 見る限りどうしようもない変質者の恭太郎と、その着替えを手伝うアヒムと不死男。


 白い目で見られるには十分な理由だ。


 そして、さらなる問題といえば。


「なーに、やってんのー」


 間延びした低い姉の声が聞こえる。


 そうだ、由紀子嬢が帰ってきているということは、オリガたちも帰ってきているということである。


 恐る恐る後ろを振り向くと、憤怒の表情で仁王立ちするオリガがいた。


 その後ろでは、「あらあら」とのん気な声をあげる母がいる。


 今日は、久しぶりに鉄の処女アイアンメイデンが役に立ちそうである。



〇●〇



「ここがお前の部屋だ」


 無骨なスキンヘッドに案内されて、ジューダは中に入る。独特な変な草の匂いは、敷かれているタタミから漂ってくる。ジャパニーズテイストの部屋は、それだけで異空間に思える。


「腹が減った。若い女、用意してくれねえか? できれば素人な」


 ジューダの青白い顔は空腹でさらに不健康になっている。ただでさえ、長旅で疲れているのに、この部屋は明るすぎる。半吸血鬼ダンピールたるジューダにとって、日光は好むものじゃない。


「ほざけ。居候が」


 スキンヘッドもとい禿げ頭が不機嫌をあらわにする。ジャパニーズにしては体格がよく、強面というやつであろうか。いかにも、ジャパニーズマフィアらしい顔つきである。ジャパニーズマフィアものはよく見た。日本語もある程度、使えるのは、暇つぶしに映画ばかり見ていたためだ。


 日光が嫌いなので、日中は家にこもりきりの生活だったから。

 それが数十年も続けば、言語くらい覚えてしまう。


 ジューダは伸びた犬歯を輝かせる。


「ああ。別にいいんだぜ。腹が減ってんだ。くっそまじい野郎の血でもいいんだぜ」


 腹が減っている。

 もう飲めればなんでもいい。


 そんなぎらついた目が、本気を言っているのだとわかったハゲ野郎は、半歩後ずさりする。

 匂いでわかる。こいつはヒトだと。


「輸血用のを用意する。それで我慢しろ」


 また、あれか、とジューダは思ったが、贅沢は言えない。


「じゃあ、暇つぶし用に映画も見たい。それも用意しておけよ」


 ハゲ野郎は、フスマを思い切り閉じると、どすどすと足音をたてながら去って行った。


 たしかに、目の前の野郎を餌にするのは簡単だ。だが、ここで下手にこの屋敷の主人を怒らせるのは、馬鹿のやることだ。

 ここの主人は、美味そうな女の姿をしているが、その正体はまさにデーモンなのだから。その気になれば、ジューダの首など素手でねじ切るだろう。


 その女のはからいで今、極東の島国にいる。


 牢獄から抜け出し、棺桶に詰め込まれ、何週間も船の荷として運ばれた。

 食料として輸血用血液を入れられていたが足りるはずもなく、船員を襲っては飢えをしのいだ。


 半端すぎる肉体だ。

 吸血鬼という化け物の血を半分持っているはずなのに、それを顕著に感じるのはすべて弱点によるものだ。

 日光が嫌いだ。

 流れる水が苦手だ。

 招かれぬ場所には入れない。

 ニンニクが嫌いだ。

 銀製品が恐ろしい。


 疲労が激しいのは、海を渡ったことも関係している。棺桶の中から一歩出ると、めまいと頭痛がおさまらなかった。食料調達には苦労した。


 半吸血鬼という半端な存在から抜け出したくて、不死者の血に目を付けた。

 そして、百年ほど前に不死者の女の血をすすった。


 今でも覚えている、あの血の味を。


 鉄臭く生ぬるい、のど越しはねっとりとしている。周りから聞けば、それはまずそうに聞こえることだろう。

 しかし、美味いのだ。それが吸血鬼の味覚と言うものである。

 今の腑抜けた奴らは、不衛生だの共存などのたまい、本来の血の飲み方を忘れてしまっている。


 不死者の血はすばらしい。

 まさに生命の水というのにふさわしい。


 肌を焼く忌まわしい日光が、ただ嫌いなだけのものとなった。

 胸に杭を打たれても、灰にならなかった。

 銀製品の傷がまたたく間に消えていく。

 肉体が強化され、今までの何倍もの力がつかえるようになった。

 

 半吸血鬼として、吸血鬼からもヒトからも半端者として扱われていた自分がそのどちらよりも優れたものになった瞬間だった。


 それから、好きなように生きた。

 吸血鬼としての弱点は多少残り、燃費は異常に悪くなったが、不死身の身体を考えれば十分おつりがきた。


 好きなようにヒトを食らい、時に同族さえ殺した。

 馬鹿にしていた吸血鬼を日光で弱らせ、子飼いにした食人鬼オーガに食わせたこともあった。


 食人鬼は使い勝手は悪いが、便利な面もある。

 血をすすりきった食料の後片付けをさせるのに便利だった。多少、飢えさせておけば骨まで食べるのだ。

 ちょうどいい残飯処理器である。


 去年の夏、夜会に連れて行ったのもその残飯処理器の一つだった。


 食人鬼は群れることはあっても、団結することはない。食べることにおいて利害がある場合はまとまり、でなければ解散するのだ。

 常に飢えている奴らは、脳みその根幹が食欲だけになっているため、他に考えるということを放棄している。


 ヒトは、ジューダのようなヒトを襲う吸血鬼も食人鬼のカテゴリーに加えているが、それは違うと考える。なぜ、元からヒトを食料としている生き物が、害獣のように扱われなくてはならないのか。ヒトは絶滅危惧種だったろうか、六十億もいるのに。


 生態系のトップとして思うがまま生きてきたジューダであったが、ここ十数年、身体に異常を感じていた。

 以前より、身体の調子が悪い気がする。傷の回復が遅く、力も思うように出せない。

 なぜだろうか。


 その疑問に答えたのは、この屋敷の主人である鬼だった。

 食料調達は好きなようにやっていたが、最低限の文化的生活を行うには金が必要である。あまり表向きにできない仕事を請け負っていた。女はその顧客の一人だった。


「不死者の力は有限なのよ」


 何度も傷つき、死ぬことで目減りしていく。

 身体の中にある不死王の血肉は限られているため、それが無くなることは死につながる。


 そんなことあってはたまらない。

 ジューダはまだまだ生き続けるつもりだ。まだ、死にたくない、死なないためにはどんなことでもする。


「なら、また不死者の血肉を食らえばいいわね」


 女の情報は、不死王及び不死者の集まる夜会の話だった。


「そこに子どもが二人くるの。それを仕留めればいいんじゃない?」


 子どもならばやりやすい。何かあったときのために、子飼いの食人鬼でも連れて行けばよい、と。


 なぜそこまでしてくれる、と聞けば、


「だって、あたし、女子どもは大嫌いなの。特に女はね」


 その眼になにかぎらつくものを感じて、ジューダはそれ以上何も言わなかった。


 そして、女の甘言にのせられて今に至る。


 ジューダはタタミの上でアグラをかくと、ぼんやりと天井を見る。


 腹がすいた。

 血が飲みたい。


 特に、あの女の血が。


「あれは美味かった」


 一世紀も前の記憶にごくりと唾を飲み込んだ。

 あれなら、吸血鬼の矜持にこだわることなく、肉までかじっておけばよかったのかもしれない。

 

 血を飲み干した女の身体は、食人鬼の住むという集落に捨てた。捨てるなり、村人が集まって、落ちてきた供物に感謝していた。あれでは、不死者といえど生きていないだろう。


 もったいないことをした。


「もう一度、飲みてえなあ」


 ジューダはあふれる唾液をもう一度飲み込むと、壁にもたれかかって目を瞑った。






「十二インチかよ」


 血液パックをくわえながら、ジューダは髪をかき上げる。


 映画が見たいと言えば、用意されたのはノートパソコンだった。一応、テレビも見れるらしい。


「いい屋敷住んでんだから、けちけちすんなよなー」


 ないよりはマシか、とタタミに座り、パソコンを立ち上げる。日本語表示で読みにくいが、わからなくもない。


 本体が小さく読み込み機能はついておらず、外付けもない。

 ネットがつながっているので、そこから見ろ、ということらしい。


「マジ、めんどくせぇ」


 しかし、他にすることもないので、とりあえずそれで時間をつぶすことにした。


「美味い血飲みてえな」


 ぼやきつつ、薬臭いまずい血液を嚥下した。


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