45 結婚は食生活に左右されるとのこと
「音楽と家庭科は捨てた」
「私は、技術ね」
期末テスト最終日、最後の科目が終わった三時間目の休み時間に由紀子とかな美は言った。
主要の五教科の他に、音楽、家庭科、美術、技術が加わる。範囲だけは無駄に広い。
由紀子もかな美も、五教科をがんばってその他を捨てることにした。別に、ほかの教科をないがしろにするつもりはないが、そのようになってしまうのは仕方ないことである。高等部への進級テストには、主要五科目しかでないのだ。
隣の山田少年は、テストの出来など関係なく、もぐもぐと巨大ベーグルサンドを食べている。サーモンと玉ねぎが挟まっていて美味しそうだ。
由紀子も、サブバッグからおにぎりを取り出す。今日は焼きおにぎりのため、普通サイズのおにぎりが十数個ある。
いつもなら、二時間目の休み時間に食べるのだが、今日はテストの追い込みで食いはぐれたのだ。
「かな美ちゃんもどう?」
「あっ、一個ちょうだい。ありがとう」
適度に焦げ目のついた焼きおにぎりは、これまた祖母のお手製である。毎回、食べるたびに良いおばあちゃんを持ったな、と由紀子はつくづく思う。
このあと、ホームルームとそうじがあり、そのまま帰宅となる。部活は、今日の午後から始まるが、由紀子は入っていないので関係ない。
「あー、期末終わったら夏休みよね」
かな美が言った。
「そうだね。でも、赤点だと補習なんでしょ?」
「ああ、大丈夫。五教科のみだから。部活でもなければ、学校に来る必要ないわよ」
なるほど、と由紀子はうなづく。
「じゃあ、図書館って夏休み開いてる?」
「あそこに用があるの? 家妖精は年中無休だから、頼めば日曜でも開けてくれるわよ」
「それは便利だ」
基本、由紀子の家では家族みんなで旅行といったイベントごととは無縁である。祖父母や母は、単独で旅行に行ったり、出張に出かけたりするが、家族全員で家を空けることはない。
今年も、まったり畑の手伝いをして、友だちと遊びに出かけて、だらだらと夏休みを過ごすことになろう。
(さすがに海外旅行はもういいや)
とても楽しかったが、それ以上にマイナス要素の大きかった去年の旅行を思い出す。散弾銃で撃たれたり、森でサバイバルしたり。
今年は、あの図書館の蔵書を借りてゆっくり読もうと思っている。長期休暇前だと、たしか五冊まで借りられたはずだ。
「かな美ちゃんは夏休み、どこかでかけるの?」
夏休み前の会話なんて、誰と話そうと似たようなものである。去年は、同じようなことを彩香と話していた気がする。
「私は出かけるとしたら……」
かな美の目が一瞬、山田のほうを向いた気がしたが、すぐに視線を戻す。
「特に何もないかな。家でごろごろ。暇だったら、どこか誘ってよ」
「うん。夏物バーゲンのリベンジしたい」
「いいわね。水着新しいの欲しいし」
「ああ、水着かあ」
(水着って、スクール水着じゃないんだ)
由紀子は、カルチャーショックを受けながら、そうだね、と返事をする。
そういえば、この学校では水泳は選択授業だった。泳げない由紀子としては助かっているが、そうなると、もし学校の友だちとプールや海に行く際、スクール水着を着用する子はいないのではなかろうか。
(やばい、これはやばい)
ここで素直に、「私、水着ってスクール水着しか持ってないんだ」と、言えたらどんなに楽だろうか。しかし、由紀子の中のなにかがそれを許さず、かな美と調子を合わせるように答えてしまう。
(一体、どんな水着を買えばいいんだ?)
そんなことを考えていると、
「由紀ちゃん」
ベーグルを食べ終わった山田が、頬にパンくずをつけたままじっと見つめていた。なんだか、真面目な顔である。
「ワンピースは露出低いけど、それだけスタイルにごまかしが効かないからやめておいたほうがいいよ。セパレートがお勧めだけど、個人的にタンキニは水着じゃないからやめてね」
ふん、と鼻息を荒くして言ってくれる山田。妙に詳しく、さりげに失礼で、かつ自分の好みを押し付けてくる。タンキニとは、たしかタンクトップビキニの事だったと思う。
由紀子とかな美は、無言で顔を見合わせる。にっこり微笑みあい、アイコンタクトで相槌を打つ。
「いひゃい、いひゃい」
楽しそうに、二人の女子から頬をつねられる山田。最近、これはご褒美になっているのではないかと思ってしまう。
「なんか、山田と山田の父ちゃん見ていると、男って顔だけじゃない、って言葉の意味がよーくわかるわ」
ちょうど通りかかった織部がしみじみと言った。山田や山田父の言動は、どちらかと言えば三枚目の彼に、希望を与えているのかもしれない。
大多数の女性は、スプラッタな美形よりも、面倒見のいい三枚目を選ぶことだろう。
「由紀ちゃん、今日は検査だよね」
放課後、山田が由紀子の席までたずねてくる。
「うん、山田くんはどうする?」
「僕も今日は一緒に検査だよ。アヒム兄さんが、校門で待ってろ、てさ」
三か月ごとになった定期健診である。
(たしか、携帯もってこいって言ってたかな?)
由紀子は、自分の携帯電話と別に多機能携帯を取り出す。それには、万歩計機能がついており、それに連動したアプリがダウンロードされてある。
どこにでもあるようなアプリケーションだが、こんなものがなにかしら研究の役になっているらしい。
山田もポケットから携帯を取り出している。メールが来ているようだ。
それにしても、落とさないように紐がついているのは、大変山田少年である。
「由紀ちゃん。兄さんが今から来るってさ」
「わかった」
由紀子は、鞄に教科書を詰め込んで、校門に向かうことにした。
「すみませんが、しばらくあの携帯を貸していただけますか」
山田兄は、研究施設についてから、由紀子にそう言った。
「どうぞ」
「あとで、返しますので」
由紀子は、山田兄に携帯電話を渡すと、更衣室に向かう。
「由紀ちゃん、またあとでね」
山田がのん気な声をあげて、由紀子とは違う棟へと向かう。
山田と由紀子のやっている健診は、ところどころ違う。同じ不死者でも、由紀子はにわかであり、山田は不死王の血縁ということで差があるのだろう。
ふと、不死王とは、一体何なのだろうという疑問が浮かんだ。
(山田父って何なんだろうな)
時折、思ってしまう。
人類の夢の集大成ともいえる存在だ。それなのに、なぜにあそこまで残念な性格をしているのかが不思議でたまらない。
「そういえば、昔、円盤に乗ったことあったような気がする」
以前聞いた山田父の発言である。山田父は、どこか宇宙人だが、もしかしたら本当に宇宙人かもしれないという疑惑が生まれてくる。
まあ、そういうことは、謎のままにしておいたほうが浪漫なのかもしれない。
由紀子は更衣室のロッカーを開けると、梱包された検査衣のビニールを破いた。
検査を終えると、いつもの待合室で山田兄が待っていた。
「不死男はまだなので、アイスでも食べませんか?」
「はい、いただきます」
「バニラでいいですか?」
「はい、大好きです」
さすがは山田兄である。エリートで気が利く男だ。見た目もいいし、高収入である。つとめている会社では、女子社員たちに良い物件として見られているに違いない。
むしろ、なんで結婚していないのか不思議である。引く手あまただろうに。
(やっぱ、山田父が原因かな?)
あのスプラッタに耐えられる嫁を探すのは大変そうだ。
それに、山田家の一員になることは、山田父肉を食して不死者になるということではなかろうか。
(あのお肉の正体を知っていて食べるとなるときつい)
中東で豚肉を、欧米でタコを食べるよりもきついと思う。味ではなく、倫理観の問題だ。
由紀子は、椅子に座ると携帯電話をいじる。彩香からメールが来ていた。いつもの他愛もない内容に、由紀子は頬をゆるめ、返信を打つ。
(そうだ)
夏休みの小遣い稼ぎがしたかった。
なにかちょうどいいチャレンジメニューが出てないか、聞いてみる。
返信して三分もしないうちに、返事が返ってくる。
絵文字のやたら多いデコったメールには、そういう店を探しておくことと、自分もついていくから誘えとあった。彩香らしい。
由紀子が携帯を閉じると、山田兄が某メーカーの業務用アイスクリームとグラスにスプーン、それにアイスをすくうやつを持ってきた。
それだけならよかったが。
どん、とテーブルに置かれるのは毎度おなじみエクストラバージンオリーブオイルと可愛らしいピンク色の岩塩の入った瓶だった。
なぜか、オリーブオイルの瓶は三本もある。
由紀子は、ぽかんと開いた口のまま、視線をオリーブオイルから山田兄に移動させる。
にこにこと素敵な笑顔を彼は浮かべていた。
「アイスの食べ方の一つに、オリーブオイルと岩塩をかけるというものがあります。どのくらいかけますか?」
(……ぷ、プレーンでお願いします)
由紀子は、山田兄が結婚していない理由は、絶対食生活に関係していると思った。そうに違いない。絶対、そうだ。
目の前でグラスに盛りつけられたアイスに、オリーブオイルが注がれそうになったとき、元気よく近づいてくる足音とともに、何かが崩れ落ちる音が聞こえてきた。
「……なんですかね?」
(なんとなくわかるけど)
「ちょっと、見てきます」
山田兄が待合室のドアから顔を出す。
「……ちょっと廊下が散らかったみたいなので、片付けてきますね」
「どの程度のはじけ具合ですか?」
「上下分断程度なので大したことありません。最近はめっきり減っていたので油断しました。気にせず、食べていてください」
と、オリーブオイルをひと瓶持っていく。山田を回復させるためらしい。
(やっぱり)
由紀子はほっと息を吐き、
「山田グッジョブ」
と、親指を立ててつぶやいた。
そして、オリーブオイルをかける前のアイスを片付けることにした。アイスはそのままで十分おいしいのである。
〇●〇
「ねえ、アヒム兄さん」
不死男がアヒムに話しかけてくる。
由紀子嬢を家に送り届けて、家についたところだった。
「由紀ちゃんと今度お出かけしてもいい?」
そういえば、帰りの車内で食べ放題だ、チャレンジメニューだ、と話していた。
「由紀子さんとなら、別にかまわないよ。去年みたいに、変なところに行かなければな」
廃屋を探検しに行って、食人鬼と遭遇するなんてやめてもらいたい。
「わかってるよ」
以前よりもしっかりしてきたが、それでもどこか危なっかしい。
変なものを引き寄せる体質は、父に似たのであろうか、なにかしら厄介を起こしかねないので心配である。
不死男はぱたぱたと、リビングに走っていった。
アヒムは階段を上り、自分の部屋に入る。
パソコンの電源を入れると、鞄から小さなケースをとりだした。小さなメモリーが入っている。
「最悪の大人だな」
自嘲気味に言うと、立ち上がったパソコンにメモリーを読み込ませる。
それには、ここ最近の日付とそれに対応する画像が入っている。画像の一つを開くと、地図とともにそれをたどる足跡のラインが入っている。携帯電話から、五分毎に送られてくる位置情報をつないだものだ。
GPS機能を利用したものであるが、一般的な携帯電話サービスではここまで事細かにやってくれないだろう。
悪趣味もいいところだ。
由紀子に渡した携帯電話には、その機能が入っている。
研究の一環だとでたらめを言って、本当はこちらが目的である。
やっていることはストーカーと変わらない。
本人に知られたら、どのように反応されるだろうか。
相手は思春期の女の子である、汚物を見るような目で見られるかもしれない。
罪悪感以上にばれたくないという保守心が上回るのだから、どうにも身勝手なものである。
しかしながら、そうしなければならないという理由もある。ただ、その理由を口にするのは、悪戯に不安をあおることにもつながる。
去年の夜会で、つかまった食人鬼は二匹。
一匹は半吸血鬼、もう一匹は元人間。いや、あの時点では人間に戻っていたのかもしれない。
あの後、半吸血鬼はノスフェラトウ率いる吸血鬼側が引き取り、もう一匹は山田家が引き取ることになっていた。
だが、あの食人鬼は地下牢の中で老いた姿にかわっており、その後、数日で息を引き取った。
死因は老衰だった。
理由は明確である。
その後、フジオの止まっていた成長が急激に進み始めたのだから。
優しすぎるフジオなら、相手が死ぬまで拷問され続けることよりも、過去の行いを赦し、呪いを解くことを選ぶ。そして、相手にとっても無くならない飢えと痛みから解放されるなら、年老いて死ぬことを選ぶだろう。
あの事件は、結局、誰が招いたのかわからないままとなった。吸血鬼は家主に招かれなければ、その家に入ることはできない。それは、内部犯がいることを示していた。
言うまでもなくそのことについてノスフェラトウに問い詰めたが、好々爺に珍しく曖昧な答えしか返ってこなかった。
理由は、あの白亜の城が完全なるノスフェラトウ個人のものでないためだからだ。城の一部区画は、年契約によって貸し出しており、それによって城の維持費を作っているらしい。
吸血鬼にとっても世知辛い時代である。
古い時代の吸血鬼ならともかく、まだ比較的若い半吸血鬼なら、その点の隙間をついて城に侵入できたと考えられる。
では、その貸し出した相手を教えろ、と言っても契約を理由に断られた。
ただ、一言だけ、
「君が僕に強く言えないように、僕だって年上には頭が上がらないものさ」
と、言った。それが彼なりの最大限の譲歩だったのだろう。
吸血鬼の長である彼よりも年長のものとなれば、限られた数となる。
不死者側と吸血鬼側も線引きがある。
引き下がるときは引き下がらねばならない。
だから、あの半吸血鬼を渡したのだが。
それを逃がしたとは、どういう了見だろうか。
とうに始末したものと思っていたのに。
アヒムとオリガで話し合って、由紀子の足取りを細かく追跡することにしたのはこういうわけである。
彼女の居場所が逐一わかれば、何かあったときに駆けつけやすく、かつ行動範囲がわかれば不審者が現れたとき注意を促しやすい。
言うまでもなくフジオにも同じものを持たせている。
まさか、日本まで来ると思えないが、念のためだ。あの半吸血鬼が知る不死者はそれほど多くない。山田一家か由紀子か、それとも夜会に来た数人ならわかるくらいだろう。
できれば、何も起こらないまま捕まってもらいたい。
確かに、フジオを食らった食人鬼を捕まえるために、山田一家は比較的オープンに暮らしているが、全然違う魚が来ても面倒なのだ。
アヒムは深くため息をつく。
フジオのことといい、胃が痛くなることばかりで困る。まあ、不死者なので胃が貫通してもすぐ回復してしまうのだが。
メモリーをパソコンから取り外し、鍵のついた引き出しに入れる。
大きく両手を伸ばし、背筋を伸ばした。
「悩んでいても仕方ないですね」
独り言をこぼすと、パソコンデスクの隣に置いてある木箱に手を出す。ラテン文字の印字されたそれには、直輸入のオリーブオイルが詰まっている。
部屋の反対側に置いてある棚からグラスを取り出すと、オイルを注ぎ、テイスティングをする。旬ものではないが、それでも出来が良い。
「こんなにおいしいのに」
なんでわからないのでしょうか、と首を傾げた。
生まれて一世紀と半分、いまだアヒムの味覚を理解してくれる女性はいない。