5 健全なる食事
「そうか、食欲についてか」
山田兄は、由紀子の質問に苦笑いをした。
自販機から紙コップを取り出す。
「山田くんも異常に食べてるから、不死者特有のものではないんですか?」
「まあ、ある意味そうともいえるかもしれないが」
山田兄は由紀子にコップを渡す。
由紀子は頭を下げて口をつける。炭酸の味が口に広がる。
由紀子は二度目の検診に来ていた。先日と同じコースを一通り終えて、待合にて山田兄に質問したところである。エリートサラリーマン風のこの男は、肩書として製薬会社の社員という。現在は、国と共同でお薬を作っているらしい。第三セクターという難しい言葉を言った。
由紀子の食欲は、食べ盛りの一言で説明できないレベルに達している。
(うちが農家でよかった)
米と野菜は豊富にあるので、エンゲル係数が極端に上がることはないが、家族に冷ややかな目でみられることがつらい。弁当箱も昨日から重箱三段重ねにグレードアップした。一緒にお昼を食べていた彩香が引いていた。
(好きでこんなわけじゃないのに)
あの天然家族のことを思い出すが、今更何を言っても仕方ない。
「抜けていたな。再生力を維持するために、不死者は常人の数倍のカロリーを蓄えなければならないんだ」
やはり、食事量は増えるらしい。申し訳ない、と山田兄が頭を下げる。
女王様風の姉に、鼻もちならないエリート風の兄だが、見た目によらず頭を簡単に下げる。おそらく他の家族に苦労させられているのだろう。少し不憫になってくる。
「まあ、それも含めてこれで誤魔かせるはずだ」
山田姉は、クリアファイルに挟んだ書類を置いた。なにやら、甲乙と難しい文面が広がっている。
由紀子が首を傾げるのを見て、山田兄がかみ砕いて説明する。
「これは、日高さんがとある特殊な病気にかかっていて、その症例が極端に少ないから、治療とともにデータを取らせてくれという内容だ」
その代償に支払われる金額を見ると、一家族の平均収入を上回っていた。月一、十年間払い続けられる。
さすがに多すぎるだろう、と由紀子が山田兄を見ると、
「慰謝料と思ってくれ」
と、遠い目をされた。
「一応、公的機関の判があるが、それでも怪しまれるようならご家族のもとに、専門医を派遣して説明するよ」
「……家族にそこまで隠す必要があるんですか?」
由紀子は首を傾げる。友達には不死者となったことを知られたくないが、家族となれば、話す必要があると思う。今後、弊害が起こりかねない。
山田兄は、黒縁の眼鏡をかけなおす。
「姉さんはそんなことも話してないのか」
呆れた顔で山田兄は、コーヒーを飲み、空になった紙コップをリサイクルボックスに入れる。
「『人魚事件』って知ってるかい?」
由紀子は首を振る。
「そうだね、世界大戦の頃の話だからね」
『人魚事件』
世界大戦中、一人息子のもとに赤紙が配られた母親が、息子の無事を祈り、不死の妙薬と言われる人魚の肉を求めて、人魚の子孫と噂される猟師町の娘を惨殺する事件が起きた。
母親は景気づけと息子にその肉を食べさせたが、息子が戦地から帰ってくることはなかった。
人魚の肉がデマだったのか、それとも娘はただのヒトだったのか、人魚が滅びた現代では知る由もないことである。
「ちなみに、娘は人魚の子だと、言いふらしていたのは、被害者の父だったそうだ」
(……聞かなきゃよかった)
つまり、由紀子が不死者だとばれると、いろいろ不都合が起こるらしい。不死王の血肉が不老不死の薬だと言われたら、違うと言い切れないのだから。
戦時中の混沌とした時代ではないものの、老けずに生き続けることを望む人間はいくらでもいるだろう。
しかし、それならば疑問が残るのは。
「なんで、山田くんは堂々と不死王の子と名乗っているんですか?」
由紀子よりも山田家族のほうが狙われやすいだろう。隠しておくべきはそちらのほうではないか。
「あの人たちが自分の正体を隠せるほど器用だと思いますか?」
(なるほど)
これ以上ない理由である。
「それに、下手な噂がまわるよりも、注目を一点に集めておいたほうがなにかと都合がいいんですよ」
一瞬、とても腹黒い顔が垣間見えた気がしたが、由紀子は見なかったことにする。
家に帰ると、玄関先で母が誰かと駄弁っていた。
綿菓子のようなふんわりした笑顔を持つ、二十前後にしか見えない女性がいた。
「あら、お帰り。あんたの友だちのお母さんが来てるわよ」
(友だちじゃないんだけど)
「こんにちは、由紀ちゃん」
ふわふわと毒気を抜かれる笑顔を振りまく山田母、まさに天然という言葉にふさわしい。
「こんにちは、山田くんのお母さん」
棒読みであいさつを返す。愛想を振るには体力がいる。
「山田さんのところから、お土産もらったわよ。遅くなったけど、引っ越しの挨拶ですって」
菓子折りが五つ積み重なっている。由紀子の好きなカスタード饅頭だ。
(家族五人分?)
もらい過ぎだろう、と言いたいが今の由紀子には微々たる量なので断る必要もない。
とりあえず、気が利かない母の代わりにお茶を用意する。
ふんわりとしたブラウスとスカートを身に付けた見た目幼な妻と、農作業途中の土で汚れた母親は、どうもちぐはぐな組み合わせだが、話は盛り上がっているらしい。
「あっ、ありがとう。しっかりしてるのね」
「ちょっと温くない?」
母の言い分を聞き流す。湯飲みには温めの茶を入れている。山田母対策だ。
母は、茶と一緒に持ってきた芋羊羹をつまみながら、話を続ける。
「やっぱり生産量だけ求めても、味が落ちるのよね。せっかく大きく育っても中にスが入っちゃって」
「わかります、それ。ごはん増やして太らせるだけじゃダメなんですよね。適度な運動させないと、すぐ味が落ちるんです。息子はそこのところ敏感で、すぐわかるんですよ」
普通に聞いていると、母と山田母は農作物と家畜について話しているようだ。
「食事に動物性たんぱくあげると、量は増えるんですけど、臭みが増すし。もうずいぶん前にやめたんですけど」
そういえば、誰かが菜食主義者だと聞いたことがあった気がした。誰だったかは、深く思い出そうとは思わない。
「ああ。肉骨粉ね。今は禁止されてるしね。あれは駄目だわ。カルシウムとるなら、貝殻のほうがいいわ」
「貝殻ですか? へえ、はじめて知りました」
「そお? 昔からあると思ってたんだけど」
母は、山田母の言っているものが鶏か何かだと思っているらしい。普通、そうである。
由紀子は芋羊羹を口に運ぶ。祖母手作りの和菓子は、甘みがおさえてあって美味しい。
「ホームセンターに売ってあるけど、アサリやカキを潰せば十分よ」
「そうか。じゃあ、今日はボンゴレにしようかしら」
夕飯が決まったところで、山田母はお暇することにしたようだ。
「ああ、ちょっと待ってて」
母が玄関からでると、箱一杯に野菜を詰め込んでくる。
ハウス栽培のホウレンソウとイチゴに、エンドウとアシタバとキャベツが入っている。
「口に合うかわかんないけど、よかったら使って。あまったら、貝殻と一緒に混ぜてあげてみるといいよ」
「あっ、ありがとうございます。ホウレンソウ、うちのひと、大好物なんですよ。貧血にならないように、毎日食べてるんです。早速、試してみます」
貧血の原因はなんとなくわかるが、由紀子は黙っておく。なにを試すのかはいわずもがな。
車で送ろうか、という母の言葉を断り、段ボールを軽々担いで山田母は帰って行った。
由紀子は、お茶を片付けて、お土産の箱を開ける。
「見た目によらないよね。鍛えてるのかな、あの箱、けっこう重かったのに」
母親の感心する声をよそに、由紀子はまんじゅうを頬張る。
おいしいなあ、と思いつつ、今日の山田父の晩御飯を哀れに思った。