43 リアルモンスターペアレント その参
「おじいちゃん、もう午後は見る競技はないから帰っても大丈夫だよ。お兄ちゃん、ずっと留守番させてたら悪いよ」
「そうか? 一緒に帰らなくていいか?」
「うん。山田くんとちゃんと帰ってくるから大丈夫」
と、由紀子は山田姉たちをちらりと見る。
山田姉は、了解、とうなづいてみせる。
「お父さま、日高さんちが帰るようでしたら、うちも帰りません? ポチが寂しがってますよ。今日は朝のお散歩してなかったはずですし」
「ふーん。それもそうだね」
と、まあ、食後にこんなやりとりをしていた由紀子たちであったが。
もちろん、甘かったというのは言うまでもない。
「おい、日高」
控えテントにて、クラスメイトの男子が由紀子に話しかけてくる。
何事かと思いきや、彼の指さす方向を見る。
あるまじき光景が由紀子の目にうつる。
「……次の競技なに?」
「父兄参加の障害物競争だ」
入場門でやたら張り切っているハチマキをつけた山田父がいた。
一体どういうことだ。
しかもよりによって障害物競走とは。
死ね、と言っているようなものだろう。
山田家は一体どうしたんだ。
由紀子は入場門に向かう。すると、近くで電話の応対に明け暮れている山田姉を見つける。そういえば、有給休暇をとっていると聞いていた。できるキャリアウーマンは休日でも忙しい。
山田兄は、近くで人外の保護者たちにつかまっていた。抜け出そうにも抜け出せないらしい。見た目は異国風の顔立ちなのに、中身はイエスノーはっきり言えない日本人気質である。
恭太郎とくれば、はるか向こうで女の子を口説いていた。問題外だ。
(使えねえ!)
由紀子は、体育委員と先生に理由を説明する。教師の間でも、山田父については深く浸透していないようだ。
「困ったわねえ。そうなると、人数足りなくなるのよ。代わりがすぐ見つかれば問題ないけど」
と、言われても由紀子は周りを見渡す。そう簡単に、障害物競走に出てくれる保護者がいるだろうか。
そんなとき。
「ほおほお、おじい様はまだまだ若いの」
老成した女の声が聞こえた。
声の先を見ると、顔見知りの人魚とその孫がいた。一姫と新之助である。
「フジオの活躍を見ようと思えば、終わっているとは。まあ、かわりにおじい様のはっちゃけぶりでも見学しよう」
(はっちゃけって)
おそらくはっちゃけるのは内臓である。パンクロリの似合うこのおねえさんは、他人事のように面白がっている。
その孫は、なんだか蛙を見る蛇のような目で山田父を見ている。その視線は、たまに由紀子のほうにも泳ぐ気がするが、気のせいだろう、気のせいにしたい、気のせいにしよう。
なんで、中学校の体育祭に来ているなんて、理由も聞きたくない。
(そうだ!)
由紀子は、新之助に山田父にかわって競技にでてくれないか、頼むことにした。
ちょっと怖いが仕方がない。
すると。
「俺、インドア派だから」
即、断られた。
由紀子の絶望した顔を見て、一姫が助け舟をだす。
「お前には、思いやりというものが足りんな。こうして、頭を下げているいたいけな女の子を無下にするのか?」
「だって、でたくねえし。俺の得することないだろ」
確かにそれはもっともだ。
体育委員が心配そうに由紀子を見ている。
先生は、新之助が以前学校に来たことのある校医であると気付くと頭を下げて挨拶する。その目線は心なしか色目を使っているようだった。たしか、彼女は独身である。
もう、前の競技は終盤にさしかかっている。
時間がない。
人前ではらわたをぶちまけさせるわけにいかない。
(これだけは、使いたくなかったけど)
由紀子は、新之助の前に立つ。
「では、あの書類にサインするので、と言ったらどうしますか?」
あの書類とは、先日の身体測定の際になぜか靴箱に入っていたアレである。
もちろん、それを入れるのは新之助しかいないだろう。
新之助のやる気のない顔に、なんだか生気がみなぎってきた。
「それは、本当か?」
「ええ。ただ、私はまだ未成年なので、成人まで待っていただきたいのですけど」
新之助はその言葉に不機嫌になることもなく。
「ああ、いくらでも待ってやる。俺が生きてるうちなら待ってやる」
まるであどけない少年のような笑みである。普段は平凡でさえない印象だが、こういう風に笑われるとぐっとくるギャップというものがあるのではないだろうか。
もちろん、由紀子はそんな顔をする理由がなんであるかわかっているため、間違っても乙女心は刺激されない。違う感情で、心臓はばくばくしているが。
その内情は違えど、微妙な表情をして二人して向き合っていることになる。
(要は、この人よりも先に死ななきゃいいことだ)
献体と言ったら、死んでからになるはずだし、今日は山田父肉をたくさん食べたのでしばらくはなかなか死なない自信がある。
人魚の寿命はどのくらいか知らないが、不死者ほど長くないだろう。
新之助もそのことはわかっているはずだし、騙したわけじゃない。
ただ、不安なのは。
「すみません。後ろから切りつけられるようなことはないですよね?」
一姫にたずねると、
「安心しろ。ぎりぎり殺人はやってない」
「ぎりぎりですか?」
「ああ、ぎりぎりだ。頭の中で切り身を想像されることはあろうがな」
どうにも安心できない言葉である。
新之助は、さきほどまでの気だるさはどこへ行ったのか、やる気に満ち溢れている。うきうきしていた山田父からハチマキを奪う。
山田父は、競技に出られないとわかると、山田少年そっくりのいじけぶりを見せた。
それをようやく他の人外から解放された山田兄がつかまえる。
その最中、テントが強風で飛ばされ、山田父と兄を潰す。
なんだろう、この偶然は。風などさっきまでふいてなかったのに。
流血していないのでこれもノーカウントである。
山田姉は、その頃、使えないほうの弟を折檻していた。自業自得だが、やり過ぎる前に止めなくてはいけない。
(つ、疲れる)
由紀子がだるそうに入場門に寄りかかると、肩をぽんと叩かれた。
誰かと思えば、真面目な顔をした先生である。
「日高さん。お医者さんの口説き方、今度教えて」
「はあ?」
まったく意味がわからなかった。
その後も、山田父警報は続いた。
まあ、途中、こけて頭を割ることが二回ほどあったがノーカウントである。有志達による機転のため事なきをえた。
通行人の注目をそらすために、男子で五段ピラミッドを作ったのだ。即席で織部が指示し、機転のはやい皆がそれに従った。
ただ、問題だったのは、出席番号順にピラミッドを作ったことだ。ラストはヤ行の『山田』だった。本来、一番軽いものが一番上にくるべきだが、彼の体重は見かけによらず八十キロオーバーである。
山田少年が登っていく最中に踏みつぶされる男子生徒の苦悶の表情を由紀子は忘れたりしない。
目的のために、耐え忍ぶ彼らはまさに漢の姿であった。
まあ、言うまでもなく二回目、山田は外されたが。
てっぺんに味をしめた彼はかなり不服な顔をしたが、仕方ない。山田母が写真をしきりにとっていたので、それで我慢しろ、と諭した。
さすがにクラスメイトも先生も山田父が特殊な生き物であるということがわかり、反応も素早くなっていた。
山田父が午後も帰らずにいるのは、体育祭のあとにこの学校の理事長と用事ができたかららしい。迷惑な理事長である。
ならば、車の中で待ってくれていたらいい、と由紀子は言ったが。
「そばにガソリンがあるのは危険では」
と、山田兄の言葉によって却下されている。
山田父はニワトリ並のおつむか知らないが、じっとしていることができない。これなら、転んだりしないぶん、ニワトリの山口さんのほうがマシである。
「これなら、棺桶持って来ればよかったわ」
と、言う山田姉が怖い。
監視が三人もいるのに、目が離れてしまうのは、山田父がうろうろしようとしたときに、電話がかかってきたり、よその人外につかまったり、かわいくて胸の大きなおねえさんが通りかかったりするためである。
そんな偶然が常に同じときにおこるのだ。確率も狂わせるとは、さすが不死王である。
「あとは、対抗リレーと組体操と閉会式だけ」
由紀子は控えのテントでげんなりする。
「おつかれさま」
かな美が冷えたお茶を差し出してくるのでありがたくいただく。
「そちらこそおつかれ」
かな美はかな美で大変だったようだ。彼女は今日だけで何回、血まみれの未来視を再生されたのだろうか。スプラッタは見れど、場所の特定ができず役に立たなかったが。
顔色もまだよくない。
「ねえ、いつもこんな感じなわけ?」
「いや、さすがに異常だと思う」
なんだか頻度としては、初期の山田少年以上である。
なんなのだ、あの生き物は。
わざとやっているのではなかろうか。
そんな中、その息子は、すねている。いつもの膝を抱えてもじもじしているあれだ。別にすねるのはかまわないが、由紀子の背中に寄りかかってすねている。微妙に邪魔である。
何にいじけているのかと言えば、おそらくクラスのみんなで取り組むイベントごとに自分は混ぜてもらえないからだろう。ピラミッドも二回目は外されたし。
正直、被害を拡大させたくないので、それは当然のことである。
まあ、いじけるだけで邪魔をしないだけありがたいので、由紀子はご機嫌とりをすることにした。
「山田くん。サクランボがなりはじめたんだけど食べにくる?」
「食べる!」
食べ物でつる。これが一番簡単だ。
背中合わせに寄りかかっていた山田は、身体をひるがえすといつものように背中にのしかかって抱きついてきた。
「はいはい、動けないからどいてね」
由紀子が慣れた様子で、山田のあしらうのに対し、かな美はなぜか真剣な顔をしている。
「山田くん。早くどきなさい。そんなことするなんて非常識よ」
「えー」
(やっぱり非常識か)
慣れって本当に怖いものだ。気をつけなくてはいけない。
由紀子が、山田の手をぽんぽん叩くと、山田はしぶしぶ離れていく。
これでかな美も文句はないかな、と見てみる。すると、彼女は目を見開いたまま、動きを止めていた。
「どうしたの?」
山田がかな美にたずねる。
かな美は、ゆっくり額をおさえると、
「旧校舎。立ち入り禁止のところ」
と、真っ青な顔で言った。
「朝からずっと見えてたの、ようやく場所がわかったわ」
かな美の言葉に、由紀子は頭を抱えた。
「旧校舎なんてあったの?」
由紀子は首を傾げる、学校案内ではそんな場所紹介されなかった。
「ええ。高等部との境目にあるのよ。それに、老朽化でもうすぐ取り壊されるの。持ち上がり組は知っているし、あえて説明しなかったのは手抜きよね」
「うわあ」
フラグの塊である。
場所からして、見学客が来るような場所ではないが、由紀子と山田、それにかな美と織部に他数名がついてきている。
何かあったときのための保険だ。
山田姉にはもう連絡済である。
先生にも伝えようと思ったが、先生は先生で忙しそうだった。
見学客の子どもが迷子になったらしく、その対応で手いっぱいだった。そばにいたクラスメイトに伝言を頼んで後にする。
かな美に案内されてついた場所は、たしかに古くて今にも壊れそうな建物である。それほど離れた場所にあるわけじゃないが、部室棟の影に隠れて大変見つけづらい。由紀子も、下手すれば取り壊されるまで気が付かなかったかもしれない。
「ま、間に合った」
山田父はちょうど旧校舎に入るところだった。由紀子は山田父の手を掴む。
「おじさん、何やってるんですか?」
「由紀子ちゃん、ちょっと中に用があってね」
山田父はのほほんと言ってのける。
由紀子は目をいからせて、
「もう、危ないって見てわからないですか? いくら不死身でも、毎回毎回死なないでください」
大の大人に言う言葉ではないかもしれないが、由紀子は自然に口走っていた。
山田父はそんな失礼な由紀子の言葉に、気を悪くすることもなく、
「ごめんね。それでもおじさん、あの中に用があるんだよ」
どこか焦っているような山田父。
由紀子は、それでも手を放さない。
「由紀ちゃん」
山田少年が、由紀子と山田父の間に入るようにやってきた。
「由紀ちゃんには聞こえない?」
「何言って……」
(あれ?)
由紀子は誰もいないはずの旧校舎を見る。
そして、つかんでいた山田父の手を放した。
「ありがとう」
「父さん、僕が行ったほうがいいんじゃない?」
「いや、パパのほうがいいと思うよ。不死男は小さいから、何かあったとき、かばいきれないかもしれない」
山田父はそう言って旧校舎に入っていく。
不思議と、山田父に任せておいた方がいいと思った。
それがなぜだかわからない。
普段なら、気が狂った選択だと思うだろうに。
由紀子が止めに入らなければ、他に山田父を止めるものはいない。
かな美が不思議そうに由紀子を見る。
「一体、どうしたのよ? 止めなくていいの?」
「すぐにわかると思う」
山田父が校舎に入り、数分もしないうちに中から轟音が聞こえてきた。
由紀子は生唾を飲み込んで、埃舞う旧校舎をじっと見る。
他の生徒も同じように見ている。
そして、いつのまに山田姉や先生たちも来ていた。
埃が風に流され薄れると同時に、人影が見えてくる。
山田父が猫背になって旧校舎からでてきた。
その背中には、まるでハリネズミのように無数の木片が突き刺さっている。ヒトであれば即死か出血死になるであろうその傷で、彼は由紀子たちの元に近づいてくる。
かな美が「これだわ」と、つぶやく。
「父さん、大丈夫?」
山田少年が山田父にたずねる。
山田父の安否を聞くのは無駄な行為であるが、山田少年が聞いているのはそれではない。
「ちょっとびっくりしてるかな?」
山田父が猫背をまっすぐにする。彼の内側に隠れていたそれが見える。
小さな男の子、まだ幼稚園にも入っていないだろうか。
そんな子どもが、頬に涙の痕を残しながら気を失って山田父の腕の中にいた。
膝小僧に怪我をしているようだが、命に別状はない。
由紀子が先ほど聞いたのは、この子どもの泣き声だった。
山田父の背中に怪我が集中しているのも、彼がこの少年をかばっていたからだろう。
「床が抜け落ちてでられなくなってたよ。可哀そうに、ずっと泣いてたんだね。おじさん、もっと早く気づいてあげればよかったよ」
「そうだね。怖かったんだよね」
山田少年も山田父も、二人ともよく似た優しい笑顔を子どもに向けている。
伝説に名を残す不死者の王とその息子とは思えない、とても慈愛に満ちた笑みだった。
(やっぱ、そっくりだなあ)
山田家で見たアルバムにのっていた山田家の長男に。
不思議と、山田父が長男に似ていると思うのだ。長男が山田父に似ていると思わずに。
こんな毒気のない笑顔をされると心底困る。おバカばかりやっている山田親子をどこか憎めないのはこういうところだ。
先生たちの後ろにいた、子どもの母親に山田父は子どもを渡す。さっき、先生と一緒に迷子を捜していた女性だった。
母親は、子どもの安否でいっぱいで、山田父の背中には目もくれなかったが、一緒に来た教師たちは目をくらくらさせていた。
現在進行形で、山田父の背中から血が流れていたのだから。
山田少年と山田姉で背中の木片を抜き取り、あとから到着した山田兄が山田父に着替えを渡しているうちに、もうすべての種目は終わっていた。
あとは、閉会式のみだった。
閉会式、校長、理事長と長話が続き、さっさと終われ、と生徒の八割以上が念力を送っているときにそれは起きた。
ようやく理事長の話が終わろうとしたときだった。
『最後に、今度、エアコンを寄贈してくれるかたを紹介します』
耳が痛くなるマイク音が鳴ったと同時に、即席のステージに上がってきたのは見たことのある人外だった。
『山田さんのおかげで、今年からより快適に勉強ができるようになります。みんなで、感謝の言葉を述べましょう』
クラスメイトの視線が、一点に集中する。
『やーまーだー』
皆の声がそろう。
「あれ? 言ってなかったっけ?」
山田は首を傾げながら簡単に言ってのけた。
(……言ってないよ)
由紀子はため息をつきながら、空気の読めていない山田少年を見る。
本日最後の一致団結は、山田少年を体育館裏に呼び出すことで決定だろう。
まあ、それもまたあんまり効果がないように思えるが。