41 リアルモンスターペアレント その壱
「なんかの冗談でしょ?」
担任の女教諭は、由紀子に渡された冊子を見て鼻で笑った。まだ、二十代なかばの若い女性である。国語担当で教え方も悪くないのだが。
「冗談でここまでしません」
体育祭が始まる前に、一度教室に集まることになっている。その際、担任とクラスメイトに内職で作った冊子を渡したのだ。
「だって、こんなことあるわけないじゃない? ええっと、山田くんのお父さんだっけ?」
「はい、山田くんのお父さんだからありなんです」
由紀子は、教室にいるクラスメイトを見る。女子は先生と同じ顔でどこか馬鹿にしていた表情、対して男子生徒は納得した表情、そしてかな美だけは、頭を抱え身体を縮め、がたがたと震えていた。
可哀そうに、彼女の能力は見たくもないスプラッタな未来を映し出したに違いない。
「先生、気をつけるだけ気をつけたほうがいいと思います」
と、挙手するのは牧羊人の織部だった。人外である彼は、かな美を通して話すようになり、山田とも仲が良い。
「不死王の噂はけっこう有名ですよ。身体測定のとき、山田がどうなったか聞いてませんか?」
男子生徒諸君が、納得の表情でうなづく。
半信半疑だった女子生徒も男子生徒の話を聞いているうちに不安になる。
先生もだんだん落ち着きのない顔にかわっていく。
「ええっと。ここに書いてあることは、本当なの?」
先生が山田に冊子を見せると、山田は筆記用具を持ってくる。
「これも付け加えたほうがいいと思うよ」
と、山田父行動パターンに追加事項を増やした。
実の息子が言うのだから間違いないだろう。
担任は、由紀子から冊子を受け取り他の教師に渡してくると言って、教室を出て行った。
由紀子は、時計を見、気持ち悪そうなかな美の背を擦ってやる。
「ねえ、例えこれが本当でも、なんで私たちが気を使わなくちゃいけないわけ?」
女子の一人が由紀子にたずねてくる。
もっともな意見である。
「別に強制というわけじゃないよ。ただ、少し気にかけてもらいたいだけ」
由紀子とて全面的な協力は頼めない。いわばボランティアだ。強いるのはボランティアにならない。
「いいえ。これは私たちのためでもあるわよ」
ようやく顔を上げることができたかな美が言った。まだ、顔が青白い。
「もし、今日なにか問題があるようなら、今年の夏、私たちが苦労することになるわ」
「それってどういうこと?」
由紀子は意味がわからず首を傾げる。他のクラスメイトもだ。
「今度、ようやくエアコンが全教室につけられる話になってるでしょ。それって、支援者の寄付金をもとに買うらしいのよ」
今まで三年生のクラスだけついていたエアコンだ。今年は猛暑と、テレビで何度も聞いている。
頭の回転の速い何人かは、なにが問題か気づいたらしい。
「つ、つまり、体育祭で支援者の反感を買うようなことがあれば」
「……そうね。まだ、学校側も見積もりの段階らしいし」
学校側が人外に寛容であっても、支援者がすべて人外に寛容であると言い切れない。
エアコンの購入は先延ばしになる可能性が高い。
現代っ子がそろうこの教室でそれは死活問題になる。
「なら、山田の親が今日来なければいいんじゃね?」
至極真っ当なことを一人が言った。
「うーん。なんか学校側に来てくれって言われたからくるみたいだよ。ビップってやつらしいよ」
それに答えるのは山田少年である。
そういえば、由紀子は山田姉がジュラルミンケースを持って入学手続きに来ていたことを思い出した。
おそらく今年一番の寄付金は、山田家が出しているのだろう。
クラスメイトが一同に静まり返る。
幾秒かの沈黙を破ったのは、ふわふわの髪に山羊のような角を見え隠れさせた織部だった。
「具体的にどうすればいいんだ?」
彼の言葉に、他のクラスメイトたちも由紀子の周りに集まる。
一つの目的のために、クラスが一致団結しようとしている。
見方によっては大変美しい光景かもしれない。
「ああ、それなら、冊子の五ページ目を開いて」
由紀子は、開会式が始まる前に山田家対策をクラスメイトに説明する。
元学級委員長は、こういうことの進行は上手かった。
山田もなぜか乗り気だったが、
「山田くんは絶対なにもしないで」
と、由紀子に言われてしゅんとなった。
体育祭で由紀子が出る種目は、開会式、閉会式、玉入れと全員参加の応援合戦くらいだ。それ以外の時間は、基本控えのテントにいるなり、うろうろするなり自由である。
開会式を終えてまず由紀子がやることと言えば、山田家、主に山田父を見つけることだ。
クラスメイトには、特に何もせず山田父を見つけた場合のみ、フラグになるものを全部片付けるように伝えた。案外、やる気になったのは女生徒だったりする。理由は、無駄に若々しく無駄に綺麗な山田父の写真を見せたためである。
あれが臓物丸見えになるところを見れば、やる気も失せるだろうが。
由紀子が控えのテントをはなれると山田少年もそれについてきた。
「山田くんはお留守番」
「えー、つまらないよ、それ」
由紀子としては、スプラッタ予備軍を連れて行くのに気が引ける。しかし、よく考えてみると。
「山田くんって、山田くんのお父さんのにおいってわかる?」
警察犬並の山田の嗅覚である。
これを利用する手はない。
「うーん。わからないこともないよ」
以前、自信満々にかな美の匂いを言い当てた時と比べるとずいぶん曖昧だ。まあ、そういうやつなので仕方ない。
「じゃあ、それで探しだしてくれる?」
「うーん」
山田は乗り気じゃない。かわりに、短パンのポケットから携帯電話を取り出す。
「そんなことしなくても、最近は誤差が少ないからこれで十分だよ」
と、携帯の迷子お探しサービスを見せてくる。
(登録してんだ)
由紀子は、がっくりとうなだれると山田のあとに続いた。
「あら? 由紀子ちゃん」
と、声をかけるのは山田姉だった。
後ろには山田父と恭太郎がいる。
場所は、校庭の校舎側、本部や来賓席があるあたりだ。
山田父はお茶とお菓子が振舞われていた。
恭太郎はその様子をじっと監視している。
(取り越し苦労だったかな?)
山田家とて、山田夫妻を野放しにするほど無責任ではないのだ。
「いえ、山田くんのお父さんが来ると聞いてたんで、ちょっと挨拶にでも」
由紀子は遠回しに言ったが、その真意は山田姉には読み取れたらしい。
「ごめんなさい。気を遣わせてしまって」
「いえ、そういう意味じゃないんですけど」
由紀子は心配ないかな、と山田父の方を見ると。
ごく当たり前に、山田父は隣の用具テントにあったはずの大玉転がしの大玉に潰されていた。
恭太郎は何をしているかといえば、よそ見をしていた。チューブトップのおねえさんの胸に釘づけになっている。
大玉に潰された山田父は先生たちに助け出されている。その中に、半信半疑だった担任も含まれていた。
(早速かよ!)
とりあえず外傷はないのでノーカウントとする。
外傷がなければノーカウント、外傷があっても生きていればノーカウント、死んでも人前でなければノーカウント、人前で死んでもスプラッタにならず目立たなければセーフだ。
「おねえさん、勝手なことをしたと思うんですけど、先生たちにはもう山田くんのお父さんについて説明しているんで」
「……ええ、どうりで先生たちの動きが早いと思ったわ」
山田姉は、先生の動きに感心している。
由紀子は、山田父とともに倒れた長テーブルとパイプ椅子をもとに戻す。
山田姉は、履いていたハイヒールを手に持つと、よそ見をしていた弟の頭に殴りつけた。そのまま折檻が始まるのだが、周りの目が気になるので由紀子は止めに入る。
山田家は基本バイオレンスなので、山田姉の行動もけっこう危ないかもしれない。
山田少年は、何もするな、と言われているので空の雲と飛んでいるスズメを観察している。平和な風景だ。
とりあえず、山田父にはいろんな用具や器具の多い来賓席は危険ということで、保護者席に戻ってもらうことになった。
隣の放送器具に触れれば感電するかもしれないし、ポットが近くにあれば熱湯を頭からかぶるかもしれない。隣の大道具、小道具には紐や球状のもの、長い竹筒といった凶器にあふれている。
むしろ大玉に潰されただけというのは、不幸中の幸いだろう。
山田父には山田姉と恭太郎、山田少年には由紀子がついたまま、山田母の待つ場所に戻る。
山田家の陣取っていた場所は、保護者テントから離れたところだった。日よけにテントを持参していた。
山田母と山田兄の他に、由紀子の祖父母と彩香もいる。多忙な母の代わりに、祖父母が保護者替わりをすることが日高家には多いのだ。彩香はなんとなく、「おもしろそうだから」が理由だろう。
「うふふ、二人の活躍はちゃんと撮るからね」
山田母が無駄に長いレンズのついた一眼レフを構える。なんとなく道具に使われているという言葉が浮かんだ。
「私もちゃんととるよ」
同じく一眼を構える彩香。
なんだか、山田母とは意気投合しているらしい。ごく自然に山田家、日高家に混じっている。
(恥ずかしいからやめて)
大体、玉入れに活躍も何もない。
むしろ、やる気なさげにお手玉を投げ入れるだけだ。
由紀子の訴える目線を無視して、二人の撮影者は盛り上がっている。
彩香を誘ったのも、実は山田家の監視を増やすためだったりするが、これは裏目にでてしまったかもしれない。
ただ、山田母のことは彩香に任せても問題ないだろう。
由紀子は気を取り直し、祖母の前に立つ。
「おばあちゃん、昨日いってたの持ってきた?」
「ああ、言われた通りたくさん作ったよ」
由紀子は、祖母から風呂敷包みを受け取る。三段重ねの重箱が三つ入っている。
「山田くんのお父さんが好きと聞いたもので」
由紀子は一段だけ自分用に取っておくと、残りのお重を山田父の前に置く。
山田父の目が輝く。
粒あん、こしあん、ずんだ、きなこのおはぎが並んでいる。
一段縦に五つ横に五つ、それが八段分、二百個のおはぎである。
祖母から山田父はおはぎをゆっくり味わって食べると聞いている。一個につき一分弱として、午前中は大人しくしてくれるだろう。
午後からは特に見るものがないといえば、帰ってくれるだろう。
山田母はおはぎを食べないと聞くし、山田姉たちは由紀子の真意を悟り、なるほどと納得していた。
問題は山田父がおはぎに飽きないか、という問題だったが、その心配はないだろう。
「由紀子ちゃん、ありがとう。おじさん、うれしいよ」
と、食べ始める。
食べる速度はたしかにゆっくりだ。
一安心と思っていた矢先、山田少年が山田父とともにおはぎを食べ始めていたので、由紀子は後頭部を叩く。最近、山田に対して手をあげるようになってしまったが、これも仕方ない。
「そっちはおじさんの。山田くんのはこれね」
と、由紀子は、一段だけ取っていた自分の重箱を渡す。
(また作ってもらえばいいから)
本当に疲れる父子である。
「由紀子ちゃん」
由紀子が疲れた顔であんこを口の周りにつけた山田とともに生徒席に戻ろうとすると、山田姉が声をかけてきた。
なぜか真摯なまなざしである。
「由紀子ちゃん、うちの子にならない? アヒムか恭太郎、好きなのあげるから」
山田姉の選択肢に、山田少年がいないのがポイントである。
(山田兄たちの意思は?)
そんな中、山田父は早速おはぎを喉に詰まらせたらしく、山田兄にペットボトルのお茶を口に突っ込まれていた。
日高家及び彩香は見慣れた光景なので冷静である。
とりあえずこれもノーカウントだ。
無事に一日が終わるといいが。