4 蛙の子は蛙
「いやです」
眉を下げる担任を前に由紀子は言った。
場所は職員室、昼休みに呼び出されてきた。一体何かと思えば。
「そんなこと言わずにさ。頼むよ、学級委員だろ」
先生は腹部をさすりながらお願いするが、知ったことではない。三十路男の胃に穴が空こうが関係ない。
「いやです」
この責任感のない担任は、一女生徒に問題児を押し付けようとしている。教育者としてあるまじきことだ。
かたくなな由紀子の態度に教師は溜息をつくと、
「しかたない」
机の引き出しから、真新しい参考書と手垢じみたノート、それに原稿用紙がある。
由紀子はごくりと喉を鳴らす。
「先生、それって」
青白い先生の顔が一瞬輝いた気がした。
「入試の過去問と傾向と対策、それに作文問題。先生の前の教え子は、兄弟揃って志望校に合格したよ」
じっと食い入るように見る由紀子に、担任はにやりと笑う。
「ほしいか?」
由紀子は唇を噛みしめた。
「大変だね」
彩香は、首を傾げながら参考書を開く。
「別にいいんじゃない、やらなくても」
「そうはいかないでしょ。頼まれたんだし」
由紀子は原稿用紙の作文に目を通しながら言った。
「違うよ。受験。わざわざ中学から私立にいかなくてもさ。一緒に公立行こうよ」
彩香は参考書を閉じる。おねだりするように、上目使いで由紀子を見る。
由紀子は首を振る。
「これも約束だから」
寂しそうに見る彩香を後目に、由紀子は視線をずらす。
「ふーん、それにしてもさ」
彩香は由紀子の視線の先を見る。見た目だけは美少年、そんな人物が映る。
「ほんと、よく食べるよね」
昼休みも終わろうとしているのに、山田少年はまだ食事を続けていた。どこから取り出すのかわからないが、巨大メロンパンを食べている。顔より大きいサイズだ。某子ども向け番組を思い出す。
担任の心配をよそに、問題児たる山田不死男はマイペースに生きている。
先日の生首ボールの件については、放課後、緊急職員会議があったらしい。監督不行について、担任はこってり絞られたそうだが、相手が相手だけに先生方もどうすればよいのか考えあぐねているようだ。
(私もお腹すいてきた)
さきほど、お弁当を食べたばかりだが、やはり量が足りない。こっそりおにぎりを五つ作って持ってきたのだが、一時間目の休み時間で食べきってしまった。
(燃費悪すぎ)
普段の四、五倍の食欲なのに、お年頃には気になる体重の変化はほとんどない。ただ、髪や爪の伸びが早くなった気がする。
(違う生き物になっていく)
あと、ぼんやりした感覚が消え、頭の回転が速くなった気がする。なんとなく、以前に比べ勉強がはかどるようになった。
これは由紀子にとって利点だ。
(今度、相談してみよ)
山田姉とアドレス交換しているので、連絡はいつでもとれる。また、身体が安定したら、検査を行ったほうがいいというのでそれに従う。
「由紀ちゃん、次、理科の実験、中庭だよ」
彩香に促され、由紀子は教科書と筆記用具を持つ。
マイペースな少年はようやくお腹が満ちたらしく、とろんとした目をしていた。
「由紀ちゃんってなんだかんだで、度胸あるよね」
彩香はふわふわの髪をゆらしながらうなずく。
そのままお昼寝モードに入りそうな山田少年を起こし、教科書と筆記用具を持たせた。
眠そうな少年は、ぼんやり眼のまま由紀子たちの後ろを歩いている。
人畜無害そのものだ。
彩香も含め、クラスメイトが怯える理由は、生のスプラッタ映像であり、山田少年そのものを怖がっているわけでない。
不死王の息子なる仰仰しい肩書を持つものの、本人はいたって平和な性格をしていると由紀子は思う。むしろ、皆本にからまれたように、いじめられっこの素養のほうが高いと思う。
「由紀ちゃん、全然怖がってないよね。山田くんのこと」
「そうでもないよ」
正直、怖い。
何しでかすのか予想がつかない。
しかも悪気がないときたものである。
一番かかわりたくないタイプである。
由紀子は、そわそわと後ろを振り返りながら歩く。
寝ぼけた少年はふらふらと千鳥足で歩いている。
「おわっ!」
由紀子は右足のつま先になにかが引っ掛かりこけそうになる。
バランスを保ち、足元を見ると尖った石が地面から突き出ていた。
「危ないよね、それ」
地中深くに大きな石が埋まっているらしく、取れないらしい。中庭の真ん中で迷惑なことだ。
由紀子は石をじっと見ると、
「ちょっと待ってて」
と、由紀子は彩香を置いて校舎に向かう。窓からのぞくと、消毒液のにおいがする。
「先生、枕貸してください」
「何に使うの?」
「保険のためです」
いぶかしむ保健医に枕を借りると、彩香のもとまで戻り、枕を突き出た石の上に置く。
首を傾げる彩香を引っ張る。
「なにがしたいの?」
彩香の問いかけの答えはすぐに出た。ぼすんという音が聞こえる。
振り返ると、枕にうつ伏せになった山田がいた。
何もないところでこけたようである。枕がなければ、額がぱっくり割れていただろう。
(まさかと思ったけど)
由紀子の想像通りに事を成してくれた山田。わざとやっているのではないかと勘繰ってしまう。フラグがあれば立ててしまう、そんな奴だ。
由紀子は、枕に顔を埋めたついでに寝息をたてようとする少年の頭を小突く。
「お昼寝はまた今度ね」
「……うん」
山田は、とろんと気だるげな顔で答える。
その様子をぽかんと彩香が見ている。
「よくわかったね」
「なんとなくね」
由紀子は枕を叩くと、保健医に返しに行った。
太陽の高度を調べるのが、今日の授業である。手作り感あふれる測定器で角度を見る。
さして面白くない授業なので、内容ははしょらせていただく。
途中、教師が時間の空いた生徒のために、虫めがねと黒い紙という幼稚な時間つぶしをさせようとしたが、
「リアル目玉焼きができそうなので」
ということで、山田少年に虫めがねを渡さぬように言った。先生はなるほどと手を打つと、代わりにアリの巣の観察をするように言った。
(さすがにそれはないだろう)
由紀子は思ったが、山田は楽しそうにやっていた。むしろ、彼にとって苦行たるものがあるのか、知りたいと思った。
なんだかんだで、今日はまだなにもおこっていない。
(効果的かも)
由紀子はフラグ潰しは悪くないと思う。
由紀子なりにできるだけ面倒をかけずに山田の扱い方を考えていたりする。
(報酬アップたのもうかな)
できれば、過去問は三年分だけじゃなく、十年分欲しかったのであとで担任にたかってみようと由紀子は思う。
チャイムがなり、教室に戻ろうとすると、向こうからスーツを着た青年が歩いてきた。規格の違う外国ブランドスーツを着こなす男は、白磁の肌に黒髪が際立つ美青年で、たいそう美味な肝臓の持ち主である。
見た目だけは、芸能人顔負けの美保護者は優雅に手を振っている。とても、家で食材扱いされていると思えない。
女生徒たちが目を輝かせる。
見た目が若いのだから仕方ない。
「父さん」
アリの観察を飽きずに続けていた山田が顔をあげた。
その言葉に、クラス全員の視線が集まり、凍りつく。
山田の父ということは、不死王ということである。数々の伝説と逸話を持ち、現在も生き続ける人外たる者。
時に人を食らい、時に神とあがめられたる者。
人間離れした美貌もまた、その存在感をあらわしている。
山田父は息子の存在に気が付くと、表情をややゆるめ、歩幅を少し大きくして近づいてくる。
クラスのほぼ全員が、固唾を飲んで不死王を見る。
そんな緊張の一瞬だった。
鈍い音が中庭に響いた。
品のいいスーツに土がついている。
美しい面はうつ伏せになって見えず、代わりに真っ赤な液体がどくどくと流れている。
(親子だ)
何もないところで山田父は転んだ。
偶然にもその先に、とがった石が地面からでていた。
額にクリーンヒット。
ぱっくり割れる。
手足がぴくぴくと痙攣している。
枕を置きっぱなしにしておけばよかったなあ、と由紀子は思ったが、さすがにそれは想像の斜め上にあった。
(内臓や脳髄がでないだけましか)
由紀子は、自分の感覚がどんどん麻痺していくのを感じた。
その後、何事もなく再生した山田父は、担任と三者面談を行って帰って行ったという。