小話 ババアと孫
拍手に入れていた小話です。
見なくても本編に支障はありません。
「お客様、お手を触れないでいただけますか?」
一姫は自分の手首をつかむ客に丁寧に言った。
客は、良くも悪くも最近の若者で、ついファミレスで店員をからかうタイプの悪ノリ客だ。
別にこの手の客は珍しくないし、何より一姫の恰好からして、客の一部は馬鹿にしきった顔で接客を頼むことが少なくない。
レースをあしらった黒いワンピースに白いふりふりエプロン、それに合わせたヘッドドレスにニーソックス、黒いエナメルの靴。
ヒトはそれをメイドと呼ぶ。
御年百六十歳で孫までいるリアルババアの一姫だが、見た目だけはまだ女子高生でもいけるのだ。
せっかく若々しい容姿なら、それにしかできない職業をやるべきだし、なにより時給がよい。仕事を覚えたら能力給も上がるし、土日は時給百円アップ、指名のベストスリーに入れば、時給二百円アップである。
お店の女の子は総勢二十名ほど。その中でベストスリーとなると簡単なようで難しい。
元々の器量もあるが、指名されるようになるとなれば、属性も重要である。一姫は元々の性格と、他のメイドの属性の偏りを見て、クーデレを選んでいる。まあ、選ぶようなものではないが、そういう風に仕分けられている。
一姫はお客様に十回に一回ほど、甘い顔をするようにしているが、どうにもこの客人たちは愛想を振る気になれない。
彼らのいう言葉は、どうやら一姫をくどいているようだったが一姫としては死んだ旦那に操を立てており、今後も死んだ一人娘以外に子を持つつもりはない。
古い考えのようだが、一姫にとって『付き合う』とは『結婚』を意味している。幕末生まれを軽く見ないでいただきたい。
まあ、そんな考えを持ちながら、こんな接客業のバイトをしているのはおかしいのかもしれないが、仕方ないのである。
年金で生活できるほど、世の中甘くないし、何より一姫には養う相手がいたのだから。
まあ、噂をすれば影である。
ちりん、と入口の鈴の音が鳴り、やる気のなさそうなたれ目の男が入ってくる。
そういえば、今日は給料日でかわいい孫にごちそうする約束をしていたのだ。
孫は、心優しき祖母のもとに近づいてくる。
「すみません、なんかあったんですか? こいつ、なんかしたんですか?」
体格は普通、顔も並み、これといって威圧感のない男にいきなり問われた若者は不機嫌な顔をする。
「なんだ。おまえ、このメイドの彼氏か? よーく言っとけ、接客がなっちゃいねえぞ」
彼氏持ちとなると途端興味をなくしたらしい。喧嘩してまでくどくほどの相手ではないという、失敬な。
捨て台詞を吐いて、男たちは店を出ようとする。
堂々と無銭飲食を働く気だ。
店長が勇敢にも立ちはだかっているが、ぺしりと跳ね除けられて壁になっていない。
「おい。あれ良いのか?」
「良いわけない」
「そうか」
と、言うと新之助は無銭飲食者たちを追いかけて行った。
心配である。
「だ、大丈夫なの? 彼」
バイト仲間が新之助を心配する。
「むしろ心配なのは、相手方のほうだよ」
「えっ?」
一姫の呟きに、首を傾げるバイト仲間。
「時間だから上がっていいか? あいつのことも見に行かなくちゃならんでな」
「わ、わかったけど。何かあったらすぐひとを呼んでね」
「了解」
呼ぶとすれば、孫が犯罪者になっているときだろうが。
一姫はエプロンを外しながら控室に戻った。
カフェの入っている雑居ビルの裏側で奇妙な鳴き声が聞こえていた。
まるでホラー映画の悪霊の唸りのような声は、先ほどいきがっていた若造たちの声だった。
「おい。一体何をした?」
一姫は、つまらないという顔をした孫を見る。その手には、折り癖のついた千円札が十数枚挟まっていた。
「これで足りるか?」
十分すぎる額だ。
「一体何をした?」
一姫は孫にもう一度聞く。
「何もやってない。ただ、金がねえっていうから、金を作る方法を教えてやっただけだ」
そして、内臓の相場を一つ一つ丁寧に教えてやったらしい。また、どこの病院ならやってくれるか、比較的良心的な仲介屋はどこかなど。まあ、その過程で、新之助の上着の裏に隠されたメスがちらりと見えた可能性は高いが。
正直、相手が小心者たちで助かった。どうやら、新之助をヤのつく職業とでも間違えたのだろう。
でなければ、薄皮一枚くらいはぎとらえていたかもしれない。
「あいつらヤニ吸ってるから肺は駄目だな。酒はどうだかわかんねえけど、無難に肝臓か腎臓がいいって教えてやったのに」
残念そうに語る新之助。
気が付けば、財布の中身を全部くれていたらしい。
まあ、学生だろうか、財布の中身は可愛いものであったが。
「せっかく徴収してやったんだ。いいもの食わせろ」
「早く稼げるようになれ、貧乏研修医。そして、ババアに楽させろ」
「老後は見ねえが、死後は見てやる。早くくたばれババア」
一姫は徴収した金を店長に渡すと、腹ペコの孫とともにファミレスに向かう。
まあファミレスでも一姫にとっては贅沢だったりする。ヒトの三倍は食べる彼女の胃袋はそれだけで家計を切迫させているのだから。
無論、孫から文句を言われるのは言うまでもない。