36 不死男のねじれていく日常
むしゃむしゃされる描写があります。
何度も切りつけられた。
いくつにも切り分けられた。
切られ、えぐられ、つぶされた。
一体、どうしてこうなったのだろう。
そこから聞こえるのは、いくつもの咀嚼音。
不死の妙薬を求める、哀れな哀れなヒトだったものたち。
何が間違いだったのだろう。
たった一度、死の淵にいた子どもを救った。己の命をほんの少しだけ分け与えた。
皆、奇跡と呼んだ。
助からないと思われた子どもは救われた。
親からは涙ながらに感謝された。
別に、何かを受け取ろうとは思わなかった。ただ、一晩だけ宿を借りたのだ。
それがいけなかった。
気が付けば、そこは屠殺場だった。床は血にまみれ、家畜の首を落とす斧が落ちている。
黒づくめのヒトたちが、屠った肉をむさぼるように食べていた。むしろ食べている側が家畜になったような、そんな品のない光景だった。
何の肉を食べている。
肉を口に含み、くちゃくちゃと汚い音をたてる。血がしたたり、ぴちょんと床に落ちる。
食べるという生物として当たり前の行為、それが異常に見えた。醜くおぞましく汚らわしい行為に見えた。
なぜそう思うのだろう。
たしか、以前にも似たような食事風景を見たことがあった気がした。
あれはいつだっただろうか。
そうだ、そう。飢饉の年だ。
米がとれず、木の皮、壁のわらまで食べつくしていた時代。
ヒトがヒトを食らうのを見た。
その光景と同じだった。
ああ、なるほど。
だからなのか。
自分の体が重く動かない。
いや、動かすべき部位がなくなっていた。
彼らが食らっていたのは、自分の血肉であった。
おそらくこの時点で逃げ出そうと思えば、逃げ出せただろう。
でも逃げ出さなかった。
彼らの多くは、体が欠損していた。おそらく先の戦争で失った部位なのだろう。
自分の血肉を与えて満足してくれればそれでよいと思った。元の体に戻ったら、満足してくれるだろうと。
しかし、彼らは満足しなかった。
欠損した肉体が修復しても、自分を解放したりしなかった。肉を食らい続けた。
食事どころか水も与えられず、ただ捕食されるだけの時間がどれくらい続いただろうか。
このまま骨の一片も残らないまま食らいつくされることを覚悟していた。長い時間を生きた、そういう終わり方もあるだろうと。
お人よしのレベルでは済まない、と言われるだろうか。それもまた自分らしいといえば自分らしい。
己の体を削られ、餓えと渇きを感じながら、自分が天に召されるのを待っていた。
しかし、新たに不死の妙薬の噂を聞きつけた者たちによって、それはかなわなかった。
目の前で起こるのは、ヒト同士の殺し合い。
限られた不死の妙薬を奪い合うあさましい光景。
ぼんやりとはりつけにされたまま、それを見る。
不死の妙薬として、殺し合いの戦利品として。
なぜ、争うのだろう。
自分一人が犠牲になれば、皆幸せになれるのではないのか。
うつろな目を向けて観察したそれは、言うまでもなく人間の業というものだった。
今まで幾度となく見てきたはずのそれを、より凝縮した形で目の当りにした。
何のために、餓えと渇きに苦しみ、ただむさぼられてきたのだろう。
これでは、何の意味もないではないか。
死にたくないから食らうのに。
そのために殺し合いをする。
ふと、頭の中に考えてはいけないものが浮かんできた。
決して思ってはいけないそれは、気が付けば乾ききった唇にのせられていた。
ただ一言。
『呪ってやる』
と。
まぶたを開くと見慣れた天井があった。
なんだか、とっても気分が悪い、どうしてだろう。
フジオは体をねじりながら伸ばすと、ベッドを降りる。
なんだかふわふわする。
体がどうにも安定しない。とりあえず、枕を抱っこしてみる。少しだけ所在なさが薄れた気がする。
枕を抱っこしたまま、リビングへと向かう。
珍しいことに、今日はオリガもアヒムもいて、恭太郎もいた。家族が勢ぞろいだった。
「不死男、なんなの? その枕?」
オリガがバター茶を飲むのを中断して聞いてくる。
「おはよう、姉さん」
『おはよう、オリガ』
頭の中で、副音声になって聞こえる。今の自分より少し低い男の声だ。
「何って言われても枕だけど」
『枕だよ』
前からたまに聞こえていたけど、去年の夏からさらに声が大きくなった気がする。ほとんど言っていることは同じだけど、たまに違ったりするので変な気分だ。
たまに、自分が喋っているのではなく、もう一つの声が話しているのではないかと思ってしまう。
「そお。枕は邪魔だから置きなさい。ごはんに邪魔でしょ」
フジオは眉をしかめる。しぶしぶソファの上に置く。
やっぱり、体がふわふわする。自分の本質がだぶついていて、それを固定したくて仕方がなかった。なにか、自分の存在を感じるなにかがほしかった。
「姉さん」
「なに?」
フジオは両手を広げる。
「抱擁していい?」
弟の言葉に、オリガは半眼になって見る。
「あんた、もしかしてそんなことどこでも誰にでも言ってんじゃないでしょうね?」
オリガは少し怖い顔を近づけてくる。
「ううん。言ってないよ」
『たしかに言ってない』
誰にでもでなく由紀子にしか言っていないし、最近は何も言わずに抱きついているので嘘じゃない。
「そう、ならいいけど」
少し疑い深い目を向けてくる姉をあきらめて、母のほうへと向かう。
「母さん、抱擁していい?」
「あらあら不死くん。甘えん坊さんねえ。お母さん、忙しいからあとでね」
と、母はあつあつのシチューが入った鍋を持ってくる。クリームのまろやかなにおいが香る。
母は、テーブルの脚につまづいて、中身をぶちまける。鍋は放物線を描き父の頭にかぶさる。まるで狙ったかのような動きだった。
「朝から何やってんだよ!」
恭太郎が父が被った鍋をとる。アヒムがすばやくタオルを用意する。
母があわてて父の顔を拭くが、どう見てもそれは雑巾だった。
フジオは仕方なくソファに座ると、再び枕を抱っこする。朝ごはんはもう少し先になるだろう。
「もう、子どもみたいなことして」
オリガはあきれた声をだす。中学生にもなって、この行動は少し恥ずかしいのかもしれない。
「そんなに抱っこしたいなら、この中から選びなさい」
と、姉が並べるのは、父と兄二人だった。
男性陣は意味がわからず首をかしげる。
「好きなだけ抱っこしていいわよ」
オリガの言葉に、山田家男子四人は顔を見合わせ、
『絶対いや』
と、声をそろえた。
「男の子は堅いからパス」
と、父。
「そちらの趣味はありませんので」
なぜか心外だ、と言わんばかりのアヒム。
「Gカップ以上に生まれ直したら考えてやる」
と、恭太郎。
フジオとて同じである。
何が楽しゅうて男同士で抱き合わなければならないのだ。
山田家の男子は似ていないようで根本はとても似ている。まあ、異性は嫌いじゃないという点だ。
しかし、その好みの傾向は個体差がある。
「G以上が条件とは厳しいんじゃないか? 何より、大きすぎるのはむしろ不恰好だ」
アヒムが恭太郎に言う。
「はあ? でかくてなんぼだろ。大は小を兼ねるっていうだろ」
「でもなあ」
日本人平均がいくつか、知っているのか、と問うアヒム。
「俺は兄貴とは違って貧乳好きじゃねえんだ」
「その言い方は語弊があるぞ。中世欧州では、小さいほうが美徳とされていたぞ」
きりりと眼鏡を上げる。その割に、なぜか声が小さい。恭太郎の声も音量を抑えてある。
いつのまにか、男四人、円陣を組んで座り込んでいた。
「パパは標準がいいと思うぞ。なにごとも中庸が大切だぞ。まあ、少しくらい大きくても悪くないと思うけど」
と、ちらちらと母をうかがう。ちなみに母は標準である。
母は、新しく朝食を作り直している。オリガはその手伝いをしている。こちらの会話には気づいていない。気づかれては困る。
男には男同士しかできない話題というものがある。
「いや、それってつまりは大きいほうがいいってことだろ?」
「いや、大きすぎるのは、地球の引力に逆らえなくなる可能性が高い。あと、何より人工物の可能性も考えられる」
「いや、大きく育てたことについて、努力を評価すべきだ」
アヒムと恭太郎が衝突し、父はどっちつかずな態度をとる。
『つまり、育てるのが一番だと思う』
あれ、とフジオは首をかしげる。心の声が、どうやら口に出ていたらしい。
三人がこちらを見ている。
「おまえ、けっこう高度なこと言うな」
あきれたような、それでいて驚いた表情を恭太郎が向ける。
「パパ、その発想はなかったよ」
父は素直にうなづく。
「……おまえ、まさか実行してるんじゃないよな」
どこか不安な顔をするアヒム。
フジオはよくわからないまま、とりあえずにこにこと笑っておくことにした。
「今日、由紀ちゃんいるかな?」
フジオは地獄の番犬のポチを抱っこしたまま、母に聞いた。枕はオリガにとられてしまった。ポチはふつうの犬よりずっと丈夫だけど、気を付けないと〆てしまう。触れるような抱き方しかできない。
「由紀子ちゃんち、たしかおじいちゃんたち旅行でいなかったわね」
「うん。昨日、パパ、お店に行ったら閉まってたぞ。由紀子ちゃんが開けに来たけど、お手伝いで忙しそうだったな」
「迷惑になるから今日は遊びに行くなよ」
アヒムの言葉にフジオは肩を落とす。
仕方なく、テレビをつける。特撮ものが放映されていたが、最近はなんだかあんまりおもしろくない。でもほかに見るものがないので、とりあえずつけておく。
ポチは最初はしっぽを振っていたが、ずっと抱っこされるのにも飽きたらしく三つの鼻づらをフジオにつけてきた。フジオは仕方なくはなしてあげる。
また、身体がふわふわしてきた。
フジオはラグの上で体操座りをすると、両ひざを両手で抱え込み身を縮ませた。
自分の存在があいまいすぎて、なにかに吸い込まれていく気がしてならない。それが、正しいのだと思うのと同時に、気持ち悪さを感じてしまう。
自分なのに自分でなくなる気持ち悪さ。
フジオは危機に陥れられるヒーローを見る。別に内臓も血も流れていないのに、彼らはピンチになる。でも、すぐに味方が助けに来てくれる。
無事、危機を脱し、エンディングテーマを聞きながら、
「早く月曜にならないかな」
と、つぶやいた。