33 運命の女神は語る 前編
さて、どうしよう。
由紀子は、かな美の言葉をどうするべきか考えていた。
自分の死期が近いこと、それも病気ではなく突発的な事故で死ぬということ。それが、かな美の見たすべてだという。血液が流れ出て、意識が遠くなる。ぼんやりとした視界は、なにもうつさなかったらしい。見えるのは血に染まった自分の手だと。
事故といったが、本当に事故なのかもわからない。
もしかしたら、通り魔に刺されたかもしれない、どこぞのやくざの抗争の流れ弾に当たったかもしれない。
ただ、現代日本では通り魔に会う可能性よりも、交通事故や高所からの転落のほうがまだありえるということでそのように言ったに過ぎない。
北欧神話にでてくる戦乙女は神様の使いで、英雄の魂を集めるものだ。しかし、現実にいる戦乙女とは、人の死を予測できる能力を神話の登場人物に例えて与えられた存在にすぎない。なので嘆き女や死神ともいわれるが、当人たちは一番戦乙女という名を気に入って使っている。
人外というより、少し変わった能力を持ったヒトというべきだろうか。
(ただのヒト)
由紀子は、その能力についてかな美に聞いた。間違いや予見が外れることはあるのか、と。
すると、
「場所や時刻がはっきりしている場合、回避できることもある。それがはっきりとわからないと外れたことはない」
だそうだ。
かな美も自分が死ぬ光景を感じたのは初めてだったので、最初はなにかわからなかったという。ただ、自分が今まさに死のうとしていることがわかったと。
何が原因で死ぬのかもわからない、ただ、自分の手は真っ赤に染まっていたという。
「どうして一週間以内ってわかるわけ?」
由紀子の問いには、
「私はこの学園の制服を着ていたの。血にぬれた袖に桜の花びらがついていた」
なるほど、桜が完全に散るまであと一週間はかからないだろう。かな美なりに自分の予知を分析していたようだ。
「じゃあ、桜以外の場所が特定できるものなんかは?」
その問いには首を振る。
倒れた自分の視界はひどくぼやけていて場所を特定できるものは見えなかったらしい。
「桜のない場所にいけば?」
「ひいおばあちゃんもそれをやったんだ」
戦乙女だったかな美の曾祖母は、自分の死を予期したとき富士山を見たという。当時、海外に移住していた曾祖母は、日本に帰らなければいいと楽観視していたが甘かった。祖母が最後に見たテレビ番組は日本特集で、その視聴中に強盗に入られたという。ちょうど、富士山を映し出されたときだったらしい。
「制服着なければいいんじゃ……」
「私服で死んだ映像も見えた」
そのように回避できるかと考えたのちに、服装だけ変わって死んでいる姿を見たらしい。おそらく、確実な死亡原因か、その場所を特定しなければ回避は不可能なようである。
詰みだ。
なのでかな美は不死者になりたいと考えたのだろう。
困ったことにわからなくもない。望んで死にたいと考えるヒトは圧倒的に少ないのだから。
由紀子は頭をかきむしる。
(どうすればいい?)
ここで簡単にうなづいていいものではない。由紀子が不死者となったときの山田姉たちのあわてようから、そうそう不死者は増やすものではないと理解している。
不死者になるということは、ヒトの何倍の寿命を生きることになる。それに責任が持てないといけない。たとえ、現法で人権が与えられているとはいえ、ヒトよりも住みにくいのが人外の常識だ。
(それに)
山田父はほいほい血肉を与えてくれるだろうか。いや、喜んで屠殺されそうだが。
(本当に不死者になる?)
由紀子は当たり前のように山田父の肉を食らえば不死者になると考えていたが、
『奪えば呪いとなる』
あの恐ろしい食人鬼を思い出した。
(与えられた祝福により不死者となり、奪ったことで呪いとなり食人鬼となるのなら)
与えるというのはおそらく血肉のことだろうか。
もし、由紀子が頼んだとして、山田父が乗り気でなかったら。
もし、不死者でなく食人鬼となったら。
常に飢えに苛まれる哀れな醜い鬼になったら。
由紀子は頭を振る。
(そんなのだめだ)
由紀子は善人ではない、悪人でもない。ただの小市民だ。
ゆえにこんな決断を下す。
「ごめん、私には無理。頼めないよ」
由紀子はかな美にそう伝えた。
「そっか、しょうがないね」
意外にあっさりとしたかな美の声だった。はじめからダメ元だったのだろう。
それでも由紀子の心臓はちくちくとした。
口の中がなんだか苦かった。
「由紀ちゃんどうしたの?」
山田が由紀子の顔を覗き込む。
バス停のベンチに座り、帰りのバスを待つ。
「なんでもないよ」
由紀子は作り笑いをするが、どうにも元気はでない。
自分の決断は間違っていないけど、正解でもない。とても居心地が悪い。
自分で好んで不死者となったわけではないけど、それをうらやましがるものは多い。食人鬼もそうだし、普通のヒトだってもらえるのならほしいかもしれない。
ぼんやりと、そんなことを考えながらバスに乗る。最後尾の窓際に座り、外を眺める。
山田も珍しく空気を読んでか話しかけない。と、思ったら寝息をたてていた。こくんこくんと、首を揺らし、そのまま由紀子の肩を枕にする。
由紀子は居心地の悪さを感じたが、あまりに気持ちよさそうに寝ているので起こすこともできずにそのままにしておいた。
(私は正しかったのだろうか?)
死ぬという人間をそのまま見捨てるような真似をして。
やはり、山田姉に相談をすべきかと思ったができずにいる。おそらく山田姉はその申し出を断るだろう。期待を持たせる真似をするくらいなら、最初からやらないほうがいい。
由紀子は自分がそんなドライな考えをする生き物になったのだと改めて思った。不死者らしい効率のよい考え方だ。
一方で、まだ精神が未熟な義務教育七年目の子どもでもある。もやもやしたものが体に固まっていて、気持ち悪くて仕方ない。
吐き出したい気持ちが凝り固まる中で、由紀子の視界にあるものが映った。
下校中のかな美だった。
由紀子は思わず目で追い、気が付けば降車ボタンを押していた。
(なんで気が付かなかったのだろう)
かな美は一週間以内に死ぬと言った。つまり、一週間後かもしれないし、今すぐかもしれない。
由紀子のやろうとしているのは偽善だ。力になれなかった罪悪感だ。
かな美の死亡原因を由紀子が回避してあげられないものかと考えた。
そんなくだらない、ささいなことであるが、やると決めた以上、早くかな美を追いかけなければならない。
「山田くん、私、ちょっと用事が……」
隣で気持ちよさそうに寝ている山田に目を向けると、そこには由紀子の制服にべったりとよだれを垂らした少年がいた。
由紀子は仏心を出すんじゃなかったと後悔した。
「別についてこなくていいよ」
由紀子は、寝ぼけ眼でついてくる山田少年に言った。
「なんで?」
「なんでと言われても」
逆になんでついてくるか知りたい。
まあ、鳥のひなを刷り込んだようなもので仕方ないとあきらめるしかない。
たしか、かな美は大通りを右に曲がっていた。商店街から少し外れた場所に向かう。
(携帯番号聞いてればよかった)
どちらに向かったのだろう、とあたりを見回す。
かな美とは今日初めて喋ったのでどんなところに住んでいるのかまったく見当がつかない。
(どうしよう)
途方にくれる由紀子の袖を山田少年が引っ張る。
「あっち」
山田少年が路地を指す。
「緒方さん探してるんじゃないの?」
「なんでわかるの?」
由紀子がかな美を探していることはもとより、なぜ、かな美がいる方がわかるのか、と。
すると、山田はにっこりと笑いながら答える。
「由紀ちゃんに緒方さんのにおいがついてたからね。一回会った女の子の名前と匂いは忘れないよ」
「……そう」
由紀子はものすごくダメなことを聞いてしまった気がしたが、とりあえず置いておくことにした。
最近、山田少年の笑顔がたまに胡散臭いものに見えてきたが気のせいだろうか。