31 桜咲くころ
中学生編スタート
桜咲くころ、由紀子は糊のきいたブレザーを着て並木道を歩いていた。紺色のブレザーには、胸にワッペンがついており、それは由紀子のずっと目指していた学校のものだった。
そうだ、由紀子は中学受験に合格し、こうして入学式をむかえることとなった。
由紀子以外にも、着慣れぬ制服にそわそわしているものがたくさんいる。誰もが、どこか誇らしげなのは、約十倍の倍率に勝ち残ったものたちだからだろうか。
母は珍しく、着物を着ている。祖母にすすめられせっかくだからと着た和服は、いつもの作業服のおばさんとは別人に見えた。
薄桃色の花びらが散る校門に、足を踏み入れる。父が小中高と通った名門校は、時代とともに作り変えられてきたが、その面影は残っている。古いフイルム写真に校門の前で緊張した様子の父の姿を思い出す。
母に言われ、はにかみながら校門の前に立つ。
「いい? 撮るよ」
デジカメを構える母に、由紀子ははにかんだ顔で視線をよこす。
そんなときだった。
「由紀ちゃーん」
聞きなれた声が近づいてくる。
由紀子は嫌な予感を十二分に感じながら、視線をゆっくりと声のする方向にずらす。
そこには、元気よく手を振りながら近づいてくる山田少年がいた。悪夢と思いたいことに、由紀子と同じく名門校のワッペンのついたブレザーを着ている。走る末っ子に驚いて、後ろから山田の兄である恭太郎があわてた様子で追いかける。
山田少年と由紀子の間には大きな道路がはさんでおり、その歩行者信号は赤を示していた。
由紀子は両手を振り、「来るな」と合図するが、山田少年は手をさらに大きく振りかえす。
(いや、違うんだってば!)
死亡フラグ乱立少年が、横断歩道の白いラインに踏み出そうとしたとき、山田少年の体の動きが止まった。
息を切らした恭太郎が山田少年の手をしっかりつかんでいる。
「おい、勝手に走るな」
「わかってるよ、兄さん」
由紀子はほっと息を吐いたが、それだけでは終わらないのが山田一家である。
末っ子の身柄を確保したところで、危険な生き物はもう一体いた。
「由紀子ちゃん、似合ってるねえ」
堂々と信号無視をするのは、千年紀二回分以上生きた大の大の大人であった。不死王の名を持つ、ご近所さんはたいそう見目麗しき顔で近づいてくるが、それがぐしゃぐしゃにつぶれるのはその数秒後だった。
由紀子は入学早々、見慣れたスプラッタ光景を目にし、新入生はもとより在校生にいたるまでトラウマを植え付ける羽目になった。
これで、山田一家の名は学校中に知れ渡ることになるであろう。
なんてことない、いつもの光景である。
山田少年は頭がよかった。そう、倍率十倍なんて問題でない程度に。
由紀子は疲れた顔でパイプ椅子に座る。その隣には、山田少年が座っている。にこにこと笑いながら話しかける山田少年を由紀子は面倒くさそうに相槌を打つ。
出席番号は、由紀子は『日高』でハ行、山田はヤ行なので、その間にマ行の生徒がいないというところがポイントだ。
(担任め、内申書になにか書きやがったな)
すれた言葉を心の中で吐きながら、由紀子は胃の粘膜の弱い小学校教諭を思い出す。
夏休みのあと、由紀子は新学期の係決めで『山田係』なる大変名誉な係に推薦された。もちろん、山田少年の世話をする係である。もう生物係と同じレベル、いやそれ以下ではないだろうか。
こんなんで教育委員会とか文句言ってこないのか不思議である。
全国の山田さんに失礼な係だ。全国のふつうの山田さんは、訴えていいと思う。
山田少年はザリガニやメダカレベルの扱いをされたというのに、なぜか誇らしげに胸を張っていた。
それどころか、
「山田なので山田係に立候補します」
と、斜め上のことを言い、結果、山田係は由紀子と山田少年となった。クラスに反対する生徒はいなかった。つまり、山田には何もするなということらしい。
由紀子は、前学期に引き続き、学級委員をやりたいとい言ったが、彩香に、
「たとえなっても、学級委員の仕事が増えるだけだよ」
と、言われて肩を落とした。
まあ、山田係と言ってもやることは今までと変わりなかったし、急激に成長した山田少年はいくらか以前よりもしっかりしていたので、前ほど頻繁に問題は起こさなかった。それでも、由紀子の気苦労は絶えなかったが。
二学期をほぼ無事故で終えた山田係は、三学期から由紀子以外の生徒がやることになったが、結局、三日目で由紀子に代わることとなった。どうやれば、校庭の真ん中で某ホラー小説のごとく逆さまになって上半身が地面に埋まるのかわからない。
たしか、マラソンの練習をしていただけのはずなのに。
別に山田が嫌いとかそういうわけではないが、あまりに頻繁に問題を起こすため、由紀子も疲れてしまうのだ。なので、ご近所関係くらいはあっても学校くらい静かにさせてもらいたかったのに。
こうして、入学式を一緒に受けている。
困ったものだと思いながらも、
(まあ、仕方ないか)
と、あきらめている自分に気づく。
おそらく山田少年の扱い方に至っては、誰よりも上手い自信があった。
恭太郎や山田姉、兄よりも長けているだろう。山田不死男取扱い資格があれば、一級を取れることだろう。
(山田のスペシャリスト)
ものすごくいやだなあ、と思いながら、由紀子はあくびをこらえながら、長い長い校長の挨拶を聞いていた。
(まあ、なんとなく予想がついたけど)
入学式のあとのクラスの顔合わせは、あまり心地のよいものではなかった。
もともと、クラスメイトの半分近くが小学校から上がってきた連中である。ある程度、グループができている中で、由紀子たち新参者は、同じく中学から入った中からグループを作るか、もしくは小学校からのグループにうまく混ぜてもらうかどちらかである。
由紀子としてはうまく前者に紛れ込みたかったが。
(入り込みにくい)
新参者グループは同じ小学校出身者が集まっていたらしい。楽しそうにおしゃべりするクラスメイトを見て、由紀子は乗り遅れたことに気が付く。
正直、思春期の多感な時期にぼっちになるのはものすごくつらい、つらすぎる、泣きたくなる。
由紀子はしっかりした性格であるが、自分から相手に話しかけるのは得意ではない。小学校時代は、彩香がいつもいたので、特に気にならなかったが、友だちもそれほど多くない。
そんな性格なわけで、委員長キャラとして定着していたのだが、中学生活ではどうだろう。
由紀子が内心、焦りに焦りまくっている中で、後ろの席に座った山田少年がしきりに話しかけてくる。
(一応、ぼっちではないけど)
実は、こちらのほうが問題だったようで、おそらく小学校からの持ち上がり組であろう女生徒たちが由紀子を見る。正確には、由紀子に話しかけている山田少年を見ている。
そう、山田少年は見た目がよい、見た目だけはよいのだ。
急激に伸びた身長はあれから変化はないようだが、それでも平均身長より高く、かつ少し大人びた顔立ちはより異性を引き付けるものとなっている。
ゆえに、そんな少年のそばにいる由紀子はきっと目障りな存在なのだろう。
時々、憎々しげな表情を向けられている気がする。
(視線が痛い)
小学校では、山田がどういう生き物なのかみんなわかっていたので、由紀子に対して嫉妬などという愚かな行為をするものなどいなかった。
これなら、入学式の真っ最中に内臓でなわとびをするくらいのはっちゃけたスプラッタ行為をしてくれればよかったのに、と不謹慎なことを考えてしまう。
(せっかく頑張って入ったのに)
由紀子の入学初日は、こうして山田以外の誰とも話さないまま終わってしまう。
「どうしよう。最初から失敗だよ」
由紀子はベッドの縁に座り、クマのぬいぐるみを抱っこしながら、電話をしていた。相手は、彩香だ。
『別に気にすることないよ。そのうち、できるからさ』
「そうかな?」
たとえ気休めでも言ってくれるだけありがたい。日高家は基本放任主義なので、こういう話をしてもふつうに流されてしまうのだ。
由紀子の少しほっとした気分を感じ取ったのか、彩香は少し話題を変えてくる。
『由紀ちゃんさあ。山田くんのことなんだけど』
なんとなく、心配そうなそれでいてわくわくしていそうな口調である。
「山田くんがどうしたの?」
由紀子は聞き返す。
『うんとさ、小学校のときと態度変わんない?』
「うん。まったく変わらなくて困ってる。女子の目が痛い。あれはかなりはぶられる原因だわ」
由紀子はため息をつきながら言った。
『……それだけ?』
「それだけだけど?」
彩香はどこか呆れたような声である。
『つまり、山田くんは前と変わらず由紀ちゃんに抱き着いたりしてるわけね』
「そうなるね」
山田少年はスキンシップが好きらしく、よく由紀子の背中にのしかかってきたりする。最初は、嫌がっていた由紀子だがだんだん面倒になってきて、そのうち抵抗らしい抵抗もしなくなった。山田的無抵抗主義がうつってきたのかもしれない。
『由紀ちゃん、山田くんも男の子だってこと忘れないでね』
「忘れないけど」
と、言いつつ、山田は山田という生き物だと自然に区分けていた。
彩香の言いたいことはわかるが、なんとなく由紀子は山田はそういう生き物じゃないと認識してしまっている。でなければ、一年前まで同級生の男の子と一緒にお出かけすることにすら抵抗があった由紀子が、人前で抱き着かれて平気であるはずがない。
『由紀ちゃんはほんと、由紀ちゃんだよね』
携帯電話の向こうで呆れ顔でやれやれと首を振る彩香が目に浮かぶ。
『今度の休み、由紀ちゃんの家に行っていい? ちょっとお勉強が必要だと思うからさ』
「彩香ちゃんが勉強なんて珍しいね」
そのままの意味でとらえる由紀子、電話から彩香の苦笑が聞こえてくる。
『うん、いっぱい参考書持ってくるから』
「わかった」
そういって、電話を切ると由紀子はそのままベッドに横になった。
(珍しいこともあるなあ)
由紀子はそのまま目を瞑り、リモコンで電気を消した。
後日、勉強会と称して彩香が持ってきたのは、紙袋いっぱいの少女マンガだった。
少女趣味だが、基本少女マンガを読むことがない由紀子は彩香に言われた通りページを開く。読んだことがあるのは、兄の少年マンガか、伝記物の学習漫画くらいだ。
ぺらぺらとページを進めていくが、あるページを境に顔色が真っ赤に変わっていった。思わず本を閉じようとするが、にやりと笑う彩香に止められた。
「これもお勉強だから、最後までちゃんと読んでね」
「……まじで?」
「まじです」
由紀子の知らない世界は、到底少女と冠するにふさわしくないものであった。なぜ、ぬめった擬音がそこかしこにかかれているのかわからない。
そんな、過激な内容だった。
「いつか教えなきゃいけないと思ってたの。赤ちゃんはキャベツ畑から生まれてこないって」
そう言う彩香の顔は、どこか楽しげであった。
由紀子は頭に上る血と全身ににじんでくる汗と激しい動悸で、目の前がくらくらになっていたが、それで見逃してくれる彩香ではなかった。
こうして参考書をすべて読み終わるまで、由紀子は部屋の外にだしてもらえなかった。