28 帰るまでが遠足です
(ものすごく疲れた)
昨晩の事件のせいでまったく眠れなかった。
せっかく楽しみにしていたお城の探索もなんだか微妙だ。護衛とばかりに、恭太郎が張り付いている。
山田少年もまたついてきている。
あの後、山田一家が帰ってきて、食人鬼二人はどこかへ連れて行かれた。
山田姉がぼろぼろの由紀子を抱きしめて、安否を気遣ってくれたが、ちょっと微妙な顔をしていた。理由はたぶん、振りかけたニンニクエキスだろう。
新之助は、名残惜しそうに連れて行かれる半吸血鬼を見ていた。ぶつぶつと、「解体させろ」と言っていたのを、由紀子は聞かなかったことにする。
由紀子と山田母の部屋は、血糊で汚れたうえ、銃痕でぼろぼろのため、隣の山田姉と一姫の部屋に泊まることになった。
城主は違う部屋も用意してくれたが、まとまったほうが安全だと四人部屋にした。
山田少年は、ガールズトークに未練があるらしく、一緒の部屋で寝ようとしたが、恭太郎にお持ち帰りされた。
ちなみに眠るときは、ベッド一つに由紀子を真ん中にして山田母と姉が両脇に眠る形となった。元々ダブルサイズのベッドのため広さには問題なかったが、
(なんという山田ハーレム)
よくよく考えてみると、見た目だけを重視すれば、由紀子が山田一家とともにいるのは、第三者から見ると大変羨ましい光景なのかもしれない。
そんなこんなで、眠れるわけなく朝をむかえたのである。
みずみずしい薔薇園に温室をめぐり、田園風景が一望できる塔に上ったり、城壁を一巡したり、大きな図書館に入って蔵書の量に驚いたり、乙女心だけでなく知的好奇心も刺激される歴史のあるお城だった。
ただ、見かけによらず博識な山田少年が、城にまつわるブラックな歴史や、その時代の拷問方法など詳しく話してくれなければ、もっと楽しめただろうが。
まあ、途中、山田少年が階段から落ちたり、立てかけていた鎧がバランスを崩し、持っていた槍が刺さったりしたがいつものことである。
十分満足したところで昼食となった。そろそろ日本が恋しくなった頃だろうと、和食を用意してくれたのはうれしかった。材料は少し変わっていたが、外国人の作る変な和食ではなく、十分美味しい代物だった。
午後はのんびり部屋で過ごすと恭太郎に伝えると、「わかった」と部屋まで見送られた。
部屋に入って、窓辺に座り図書館で借りた絵本をめくる。言葉はわからないが、絵柄でどういう内容かわかる。
外国語の本を見ているだけで賢くなった気分でいるのは、調子がいいだろうか。
ぱらぱらとページをめくり、ほとんど絵だけに目を通し終わると、絵本を閉じる。二冊目を手に取ろうとしたとき、目の端に何かが映った。
「山田くん?」
隣の棟を歩いている山田を見かける。山田はそのまま階段を下りて行った。
(なにするのかな?)
正直、山田が一人で城内を歩いていれば、何が起こるかわからない。
由紀子は絵本を置くと、部屋をでた。
「なにしてるの?」
山田を再発見したのは、一階の渡り廊下だった。何か起こる前にと、少々急いで探したので息が荒い。残念なことに、由紀子の山田に対する世話焼きは習性になりつつある。
「なんでもないよ」
にこにこと笑う少年の顔が胡散臭い。
由紀子がじっと睨むと、なんだか笑顔が強張っていく気がする。とても怪しい。
「そう、ついて行ってもいい?」
「やめといたほうがいいよ」
普段と反対の立場に立つ山田をおかしく思いながら、
「それでもついていくから」
と、伝えると、山田は困った顔をして、頬をぽりぽりとかいた。
「……誰にも言わない?」
「言わない」
「何があっても静かにできる?」
「状況によるけど、努力する」
山田は、眉間にしわを寄せて仕方なさそうにうなずいた。
(よりによってこういうとこですか)
山田少年が連れてきた場所は、お城の地下室だった。
地下室といえば、ワインセラーとか食糧庫とかそういうものが一般的だろうが、ここにあるのは昔のお城としては一般的なものだった。
拷問部屋と牢屋である。
山田はどこから手に入れたのか、その部屋の鍵を持っていた。不幸中の幸いは、拷問部屋らしき部屋でなく、牢屋のほうの鍵だったところか。いや、それでも嫌だけど。
湿った冷たい空気が充満する中で、山田は真ん中の牢の前に立つ。
(!)
由紀子は、声が出そうになる口をおさえた。
そこには、両手両足を縛られ、転がされた醜い男がいた。
昨日、由紀子たちを襲った食人鬼だ。
(何考えてるの?)
問いただしたい気分を押さえつける。一応、山田にも考えがあるのだろうし、何より先ほど言った言葉を早速撤回するのに気が引けた。由紀子は自分の律義さにため息がでる。
もう一人の半吸血鬼はいない。吸血鬼なら、肉体を変えることができるので、牢など意味がないだろう。違う場所にとらわれているのだと、由紀子は理解した。
山田はしゃがみこむと、瞑った男の目を見る。
男は、訪問者に気が付き、目をゆっくりとあける。そして、その訪問者が山田だと気が付くと、急に身体を震わせた。
濁った眼球を見開き、口を開く。
『だずげでぐえ』
そこにあるのは、恐ろしい食人鬼ではなく、助けを求める哀れな叫びだった。
男の懇願に、山田は目を細める。
「返してくれる?」
『あ、ああ』
低いかすれたうめき声で返事ともいえない言葉を発する。よだれがたれ、冷たい石畳に水たまりを作っていた。
山田少年は、鉄格子の中に手をやる。
「山田くん!」
つい由紀子は声を上げるが、山田は大丈夫、と言わんばかりに首を振る。
少年の指先が男に触れたと同時に、何かが男の中から流れていくように見えた。薄い熱とも光ともいえないそれは、山田少年の中に吸い込まれていく。
ただ貪るためにだけ生えているような乱ぐい歯が抜けていく。ぼさぼさの頭は、次第に色が薄れ、黄色がかった灰色になり、前頭部の頭皮がむき出しになっていく。鋭い爪を持った節くれだった手は、枯れ枝のようにかわる。身体の大きさが二回りも小さくなって見えた。
(何が起こったの?)
由紀子は鉄格子の向こうに横たわる男を見る。そこには、醜く飢えた食人鬼はおらず、ただ貧相な老人がいた。深く刻まれたしわが形作る表情はなぜだか安堵しているように見えなくもない。
それを眺める山田の表情はどこかしら大人びて見えた。
「ごめんね」
少年の言葉に、老人は首を振る。濁った眼には涙があふれていた。
山田少年は振り返る。かつかつ、と地下牢に足音が響く。
「由紀ちゃん、行こうか」
柔らかい笑顔を向けた少年は、由紀子の手を引っ張った。
『遠足は帰るまでが遠足ですよ』
低学年のときに、そう言った先生がいた。
今まさに、そうだと由紀子は思った。
二日目の夜会は無事終わり、その夜は何も起こらなかった。
翌日、免税店にてみやげものを購入し、帰路につくのだったが。
皆、疲れていた。
だから、気を抜いていた。
誰もフラグをへし折るものがいなかった。
(結局、救命器具の取り付け方は役に立たなかったな)
由紀子は微かに笑うと、何十キロもあるリュックを背負う。
飛行機は不時着ではなく、墜落するらしい。
乗客乗員、機内でシェイクになりながらも特別に用意されたパラシュートを掴んでは装着し、皆が用意できたところで、非常口を開ける。手慣れたものだ。
気圧の違う外に皆が流される中、機長だけは親指を立てて「グッドラック」と言った。最後まで職務を放棄しない、男の中の男である。
まあ、機長もまた不死者であるそうだが。
気圧差による気持ち悪さを我慢しつつ、目を開けると広大な空と大陸が見える。自然の雄大さに感動しつつも、リュックについている丸い玉のついた紐を引っ張る。何かに引っ張られる感じがして、それから身体が落下する速度が下がる。
由紀子の隣では、なぜそうなるのかわからないが、へたくそなマリオネットのようになった二つの影が、ものすごいスピードで落ちて行った。
誰と誰であるかは、言わずもがな。
そういうわけで、由紀子が無事帰国するのは、夏休みがほとんど終わったころとなる。
〇●〇
「あら? なんのこと? 知らないわ」
茨木は、携帯電話を片手にうつ伏せになっている。その姿は、裸にタオルをかけただけのあられもない姿である。その肌は、オイルを塗りたくられ輝いており、それを無言で女性がマッサージをしている。
筋肉をほぐすように撫でる指先を気持ちよく感じながら、茨木は通話を続ける。
「なにそれ? 私を疑うの。まあ、いいけど、それでも。別に困るわけでもないし」
マッサージは終わり、タオルをはがれ、ガウンをかけられる。ガウンの前を合わせると、茨木は窓際へと向かう。
全面ガラスのそこから見えるのは、ありふれた言葉でいうと百万ドルの夜景というもので、人類にとって夜とは恐れるものでなくなった証拠である。
「ふーん。大変だったわけね。そう、わかったから切るわ。またね」
対応にも面倒くさくなって半ば無理やり通話を終わらせる。相手は、吸血鬼の長ともいうべき男であるが、茨木のほうが何百年も長く生きている。そのおかげで鬼の長という地位についているが、それはある人物のおかげである。
いくら鬼とはいえ、せいぜい長く生きて数百年、茨木のように千年も生きる個体はいない。
茨木を生かすために血を与えてくれたものを、いまだ茨木は忘れずにいる。彼のために何かしようと躍起になり、喜ばせるためになんでもした。
彼は、いつも柔らかく微笑んで喜んでくれた。そう、茨木がそれらを手に入れるためにした所業を知るまでは。
彼は優しかった。茨木だけでなく、誰にでも。
だから今でも許してくれない。
今の彼は、茨木の知っている彼ではない。茨木と出会う前の、幼い少年の心に巻き戻った姿だった。
許してくれとは言わない。でも、忘れないで欲しい。
そんなわがままが茨木を行動へと駆り立てる。
ノスフェラトウの言葉からは、何があったのか詳しくのべられなかった。あくまで、容疑者の一人として茨木を扱っていた。
しかし、それで十分だ。おそらく茨木の思惑通りことは成し遂げたことだろう。
茨木は、エステティシャンの持ってくるハーブティを受け取ると、一口すする。清涼感あふれる香が鼻腔をくすぐる。
「早く大きくなってね、酒呑」
茨木は、もう一口だけ飲むと、カップをテーブルの上に置いた。