26 白亜の城と招かれざる客 その参
(さて何をしよう?)
戻ってきたはいいが、九時で眠れるほど由紀子もお子様ではない。
先ほど、部屋の電話がかかってきた。でると山田母だった。どうやら、イベントは十時以降にあるらしく、それが終わるまで戻れないらしい。
「それまで容易にお部屋のドア開けちゃだめよ」
そんな注意をされた。
(なぜに?)
とりあえず、お風呂入ってから考えるか、と用意する。ようやく、違和感ありまくりな下着が脱げることでほっとした。
お風呂は猫脚のついたバスタブで、金髪のおねえさんが泡風呂にでも入っていそうな雰囲気だった。
鏡を見て、お化粧を落とすのがもったいない気がして、
「寝る前に落とせばいいか」
と、そのままにしておくことにした。髪型も同様である。
服装だけは、身軽なスウェットに着替えた。
(どうせなら、ネグリジェのほうがよかったな)
天蓋付ベッドのあるゴシックだかルネサンスだかのお部屋には、かなり不似合である。
寝室に向かうと、いつの間にか夜食が置いてあった。冷めてもおいしいご飯を置いてくれているのは、城主のはからいだろうか。
ドライフルーツの練り込まれた菓子パンを丸かじりしながら棚を開ける。現代的な電化製品やコンセントは、すべて棚の中に目隠しされていた。よく見ると、ネット環境も整っているようだが、肝心のパソコンはない。
由紀子は、テレビをつけると、比較的面白そうなバラエティ番組にかえた。残念なことに、言葉はわからないが、とりあえず笑い声が聞こえる番組である。それだけで十分だ。
その理由については。
(……不気味だ)
そう不気味なのだ。昼間見たときは素敵に見えたお城であるが、夜になるとその様相は変わってくる。電気系統を最小限に抑えたこの城では、まず薄暗い。夜目がきくようになったが、薄暗いものは薄暗いのである。次に、各所に描かれた壁画であるが、まるで誰かに見られている気がする。今現在、部屋に一人でいるのはけっこう勇気が必要だったりする。
(そりゃ、吸血鬼のお城だし)
すでにヒトでなくなった由紀子が怖がるのも変かもしれないが、シーツにくるまって意味の分からない番組を眺めるしかなかった。
(早くおばさん帰ってこないかな?)
飾り時計の針の音にすら緊張してしまう。未だ短針は十時を回らない。
時計の音を無視して、テレビの音にのみ集中していると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。
由紀子はびくっと身体を震わせ、つながった居間のドアの前に向かう。
(誰?)
由紀子は恐る恐るドアスコープをのぞく。間近で目玉がぎょろりと見え、びっくりしてのけぞってしまった。
「由紀ちゃーん、開けてー」
のん気な声がドア越しに聞こえてくる。
心臓が飛び出しそうになった原因は、山田少年であった。
(もう、紛らわしい)
由紀子は口を尖らせながら、ドアを開けると、山田はナイトキャップをつけて枕を抱えていた。
「なに?」
「ガールズトークしにきたよ」
うん、なにか前提がおかしい。
「山田くんとは、ガールズトークはできないよ」
「どうして?」
「山田くんが女の子になったらできるよ」
「んー、それは痛いからやだな」
おそらく物理的に女の子になる方法を想像したらしい。くっつくからと言って取っていいものではないらしい。
(山田くんも痛いなんて感覚残ってたのか)
とりあえず、由紀子は部屋の中に入ってもらうことにした。テレビの音よりも心強いだろう。
山田少年は嬉しそうに部屋の中に入ると、寝室に向かいそのままベッドにダイブした。
「ふかふかだあ」
「いや、山田くんの部屋も同じなんじゃ?」
「お隣の棟は、使用人棟なのです」
なるほど、この部屋よりもグレードは下らしい。さすが、山田家の男性陣はフェミニストである。
「せっかくなので」
山田は何を思ったのか、ベッドの上で偉そうに寝そべりながら足を組んで、顔をきりりとさせた。そして、由紀子のほうを見て隣の空いたスペースをぽんぽん叩いた。
「何の真似?」
「父さんの真似」
「ふーん」
由紀子が興味なさそうに返事すると、山田は、
「今夜は眠らせないぜ」
と、言いながらあくびをしていた。
(意味わかってるのかな?)
そういう由紀子も半分くらいしかわかっていない。赤ちゃんとは結婚して一緒に住んでいれば、自然にできると思っている。
由紀子もベッドに座り、もぐもぐとフルーツケーキを食べる。山田少年も、チョコの練り込まれたパウンドケーキを食べる。
おしゃべりしに来たという割には、食べるだけである。
別に、そのまま静かに黙々と食べ続けるのでもよかったが、由紀子は気になったことを聞いてみた。
「ねえ。さっき言ってた『どうぞ、お入りください』ってどういうい……」
「どういう意味なんだろうね?」と聞こうとしたとき、また、ドアをノックする音が聞こえた。
今度は誰だ、と思いつつ、由紀子はドアの方に向かうと、
「ルームサービスです。入っていいですか?」
と、男の声が聞こえた。
のぞいてみるとボーイ服を着た男が、ワゴンを持ってきていた。
(気が利くなあ)
部屋の食糧だけでは、少し物足りないところだった。
由紀子は、返事をしようと口を開くが、それを伝えることはできなかった。山田が由紀子の口をおさえていた。
(何すんの?)
山田に放して、と見るが山田少年は首を振る。
「ここはホテルじゃないし、ルームサービスも頼んでいない。何より、あんな流暢な日本語を話す使用人はここにはいない」
山田が、真面目な声で話す。いつもの腑抜けた声でないので、別人のように聞こえた。
「吸血鬼は、家人の了解なしに初めて入る場所には入れない」
(!)
由紀子は、山田の琥珀色の目が猫のようになっていることに気が付いた。これで見るのは三回目、先日の食人鬼騒ぎ以来だった。
由紀子の全身の毛穴が閉じた気がした。
「いるんでしょー。開けてください。お料理冷めますよ」
扉の向こうで、なにかガチャリという金属音が聞こえた。山田少年はそれに何かを感じ取ったらしく、由紀子を持つとそのまま放り投げた。
いきなりボールのように投げつけられた由紀子は受け身も取れず壁に背中を打ち付ける。
「いったー」
多少ならば、由紀子の痛覚は残っている。由紀子が痛いと思う程度の力で投げられたようだ。
感想を口にしたと同時にドン、という音が聞こえた。火薬のような匂いが立ち込めて、壊れたドアノブとうつ伏せになった山田が見えた。山田の身体には、えぐるような傷ができていた。
(海外は銃社会だって聞いたけど)
そんなレベルではない。
由紀子は、山田に近づく。彼の周りには金属の粒のようなものが落ちていた。
壊れた扉は、ボーイ姿の男に蹴破られた。面倒くさそうに帽子を脱いだ男は、病人のように青白い顔をしていた。目にくまがあり、頬がこけている。不健康を絵に描いたような男は、小刻みに身体を震わせ、その手には銃を持っていた。害獣退治に使う猟銃とよく似ていたが、その先には、変わった筒のようなものがついていた。
麻薬中毒者、由紀子は実際に見たことがないが、学校で勉強した限り、その様相に一番当てはまると思った。
山田の肉体は、再生をはじめていたが、男はためらわず二発目の照準を合わせる。由紀子は思わず山田に覆いかぶさった。
二度目の音とともに、背中に焼けつくような熱さを感じる。はみ出た内臓を見て、自分も撃たれたことに気づく。
(かなり気持ち悪い)
指が生えたときと同じく、感覚が麻痺してきたようだった。流れた血液や、散らばった肉片、骨片がゆっくりと由紀子の身体に戻っていく。細胞が活性化し、筋肉皮膚を再生するが、破れたスウェットはそのままだった。背中が三分の一ほどむき出しになっている。
麻薬中毒のような男は口笛を吹く。
「さっすがー。お子様でも、再生しっかりすんのね。おにいさん感動したよ。そのお肉はおいしいのかな?」
おどけたように言う男は、部屋にはまだ入っていない。かちゃんという音から薬きょうでも取り換えているようだ。
再生を終えた山田は由紀子をつかむと、隣の寝室に転がっていく。
男にとって死角になる場所にくると、壁に背を向け、男の様子をうかがう。
「あー、見えないよ、見えない。おにいさん、撃てないから困っちゃうよ。意地悪しないでよー。ちょっとかじらせてくれればいいんだよー」
(何が意地悪だ)
由紀子は背中に触れて、金属の玉が残っていないか確認する。理性的に物事を考える自分がいる。ぞくりと全身ににじんだ汗と震える身体が存在するが、その頭の中は驚くほどクリアだった。
吸血鬼は招かれないと入れない。
男が部屋に入ってこないのはそういうわけだろうか。
「山田くん……」
由紀子が確かめるように、山田少年を見ると、
「たぶん、半吸血鬼だと思う」
言わずとも知りたかった答えをくれた。
「ノスフェラトウのおじさんが、招くとは思えないし。純粋な吸血鬼なら、おじさん以外招けないだろう。半吸血鬼ならその縛りの抜け道が考えられるから……」
山田はそう言いながら、ベッドの脇にある電話を取った。アンティークなダイヤルを回したが、首を振って受話器を置く。
(やっぱり別人みたいだ)
由紀子は考え込む山田少年を揺さぶる。
「早くここから抜け出さないと」
「いや、ここで待っていたほうがいい。今のところ奴一人なら、ここにいる間は何もできない。問題は他に連れがいないかだけど」
そう言って周りを見る。寝室には窓はない。外から銃撃を受けることはないだろう。
山田はちらちと由紀子を見て、何やら考えているようだった。
(奴一人なら?)
逆をいえば、吸血鬼や半吸血鬼以外の仲間がいたら、危ないのではなかろうか。山田少年の先ほどの言葉は、とりあえず由紀子を安心させるための方便でなかろうか。
(もし、そうなら)
由紀子はそれがなんだか不吉なことを考えているような気がしてならなかった。
由紀子は、立ち上がると寝室の暖炉のそばに置いてある火かき棒を取る。
「由紀ちゃん」
「山田くんは暴力嫌いみたいだけど、私は嫌だから、無抵抗になぶられるの」
脳裏に廃屋で食人鬼に襲われたときを思い出した。四肢を切断され、心臓を潰されても無抵抗でいた人物を思い出す。あまつさえ、自分を食べろとまで言っていた。
正直、山田少年のことだ、自分をおとりにして由紀子を逃がそうとでも考えるだろう。
(それって気分悪い)
由紀子は怖くて逃げだしたい気持ちもあったが、その気分の悪さがやや上回っていた。より自分の安全を考えると、山田がしようとする行動が一番助かる可能性があるのかもしれないが、それは一方を犠牲にする方法である。
もし、双方の生存確率を上げるなら二人で攻撃したほうがよいにきまっている。
それが由紀子なりに考えた結果だった。
何回かなら死んでも問題ない、不死者なのだから。要は捕獲されて身動きとれなくなったり、もしくは捕食されたりした場合だ。
由紀子はじっと山田少年を睨み付ける。山田少年でない山田少年のようなものは、根負けしたように目をそらす。
山田は、獣のような目を細めて首を振った。仕方ない、と諦めるような表情だった。
何か決心のついた顔だった。
山田は寝室の本棚に向かうと、その側面に立ち本棚を押した。大きな装飾の多い本棚はすべての段に本が詰まっている、重さ数百キロはあるだろうが、ズズズと音をさせて横にずれていく。
ずれた壁の奥には、えぐられた壁とそれにめり込む棚があった。
「うん、前と場所が変わってなくてよかった」
山田がのん気なことを言いながら、棚を開帳するとその奥にはやたらごつくて物騒なものが並んでいた。
由紀子はあいた口が閉まらなかった。
銃火器の類はないものの、やたら大きな斧や、刃渡りが一メートルをこえる両刃剣、ごつい鉄球に槍、こん棒や重たそうな皮袋もあった。
「由紀ちゃん、どれにする?」
山田少年は、長柄武器を片手ににこりと笑う。
(過剰殺戮になるんじゃ)
山田少年の切り替えの早さに驚きながらも、由紀子は砂が詰まった皮袋を持った。