25 白亜の城と招かれざる客 その弐
由紀子はドレスに着替えた後、髪型をアップにしてもらった。ドレスの青に合わせた空色のコサージュをお団子の隣につける。
なぜだろう、ヘアアレンジは山田兄がやってくれた。ファンデーションは必要なかったが、眉毛をそろえ、グロスを塗られた。
「うちの新製品です」
なるほど、アパレル関係に詳しいわけだ。製薬会社勤務といっても、化粧品部門もあるらしい。山田父の関係上、製薬部門に顔を出すことが多いが、元はそちらの部門という。
由紀子は、筆で絵具のように塗られるグロスにくすぐったさを感じながら、
(それでも、なんか変だよな)
と、思った。
まつげをカールさせる奴でまつげに癖をつけ、マスカラものせてもらった。鏡を見ると、なんだが自分じゃないようで、由紀子はまたまた浮ついた気分になった。
以前に比べて、ニキビがなくなり歯並びもきれいになったので、それなりに見える容姿になったのではないか、と調子に乗った感想が浮かんだ。
くるりと鏡の前でポーズを決めたくなったが、以前の二の舞を踏まないためにも自粛する。
「由紀子ちゃん」
山田姉が、頭に付けたものと同じコサージュを持ってくる。それから、小さな香水の瓶のようなものを由紀子に渡す。
「なんですか、これ?」
「ニンニクエキスよ」
由紀子は首を傾げて山田姉を見る。山田姉は、コサージュの安全ピン部分を見せる。
「これは、針先が銀製になっているから、なんか変なことされそうになったら迷わず刺してね」
と、コサージュを胸に付けてくれる。腕にも銀製のブレスレットをはめてくれた。
(にんにくに銀といったら)
吸血鬼しか思い浮かばない。
「……あの、もしかして、吸血鬼って、その……ロリコンが多いんですか?」
由紀子は自分なりに解釈して聞いてみた。
「……人外にとって十年二十年は、大した時間じゃないの。それに銀は狼人間や一部の不死生物にも効くから」
由紀子は急に鳥肌が立ってきた。
今まで服や城に舞い上がっていたが、今宵あるのは人外の宴である。今まで、温厚な人外が多かったが、先日の食人鬼のようなものも人外に含まれるのだと気が付いた。
さすがにそんな者は招待されないだろうが、人外にもいろんな種族や考えがあるのだと理解しておいたほうがよさそうだ。
十二歳の思考なりに、浮かれてはいけないのだと自分を戒めた。
由紀子の不安を読み取ったかのように、山田姉が由紀子の頭をなでる。
「悪いけど、宴の間は、アヒムと不死男と一緒にいて頂戴。私は、お父様の補佐をするから」
「わかりました」
由紀子は、山田姉の言葉に従うのが一番だろうと思いうなづいた。
「由紀ちゃん、可愛いよ」
「山田くんほどじゃないよ」
屈託のない笑顔で、山田少年が話しかけてきた。彼もまたスーツを着込んで正装している。元がよいので映えて見える。普段より賢そうだ。
今は由紀子より少し小さいのだが、そのうち大きくなれば父親に似た男前に育つだろう。もっとも、もてるかどうかは、そのスプラッタぶりを直さない限り皆無だろうが。
山田はうずうずとした顔で近づくと、由紀子のドレスの裾をつかんだ。おそらく、猫が猫じゃらしにじゃれつくように、ひらひらとした裾の部分が気になっただけで、特に他意はないのだろうが、今回はタイミングが悪かった。
(うぉっ!)
由紀子は、条件反射で山田少年の鳩尾にえぐるようなパンチを叩きこんでいた。ボクシングで言えば、身体をくの字に曲げてマウスピースを吐き出してしまう悪魔のノックダウンである。
あまりに見事で、弟が理不尽な暴力を受けているにも関わらず、山田兄弟は拍手をしていた。
「……ごめん。スカートには触らないでくれる」
今の由紀子は歩くと少しもじもじしてしまう。理由はまあ、あれである。
「うふふ、やっぱラインが出ちゃ台無しだもの」
由紀子は山田母に逆らえなかった。
山田少年は、床に這いつくばったまま、「わかった」と両手で大きな丸を作った。
ファンシーな城主は、夜会もまた素敵なものを用意してくれた。
大きな扉を抜けると、そこには目がちかちかするようなパーティ会場が広がっていた。
大きなシャンデリアがいくつも天井からぶら下がっており、絵物語を語る壁が広がっている。夜会を盛りあげるBGMは、楽団の生演奏だ。
燕尾服を着た男性が、トレイにグラスをのせて配っている。赤い液体にAとかBとか血液型が書かれてあったのは無視しておく。
明かりは電気といった無粋なものは使わずシャンデリアと燭台の蝋燭で、オレンジ色の優しい光が薄暗くなった広間を照らしていた。
広間の外は中庭につながっており薔薇園が見え、ロフト部分からはバルコニーに出られるようになっている。広間につながる続きの間は、玉座があり、おとぎ話に出てくる王様が杖を持って座っていそうだ。
山田一家が一番乗りらしく、まだ他の客人は来ていない。由紀子は、たどたどしい日本語でボーイから「うぇるかむどりんくです」と、ジュースを渡される。
(あれは、きっと山田一家のためにあるんだろうな)
由紀子は、広間の一画に置かれたテーブルを見る。オードブルやフルーツなど簡単なものとは別に、やたらがっつりした料理が並んでいる。見た目はカナッペ風だが、切ったパンの上にパテと野菜とサーモンと海老とキャビアが乗っているのを見て、いっそサンドイッチにしたほうが早いのではないかと思った。
「由紀ちゃん。フォアグラ好き?」
「フォアグラ?」
「うん、いっぱいあるよ」
聞いたことあるが食べたことはない。世界三大珍味というのだから、おいしいのだろう。じゅるりとよだれが垂れてきた。
「興味はあるけど」
正直に答えると、肩をぽんと後ろから叩かれた。振り返ると、これまた正装した山田父が立っていた。端正な顔をきりりとさせている。
「おじさん、がんばるから」
「おばさんもお手伝いがんばっちゃうわ」
何かしらの決意を目に宿して、山田夫婦は広間の奥へと進んでいった。
由紀子は、眉間にしわを寄せて、
「ねえ、フォアグラって何なの?」
「鳥さんの内臓だよ」
なんとなくどの内臓かは聞こうと思わなかった。
(とても嫌な予感がする)
由紀子は、帰国後が不安になったが、とりあえず今のことだけを考えようと、グラスに口をつけた。
日が完全に沈むなり、客人はどんどん増えていった。
狼人間、吸血鬼、森妖精に、鬼人や東洋吸血鬼も現れた。他に腕が翼になっている女の人や、二足歩行をする猫もいた。人型が多いが、獣型の人外も皆無ではない。
由紀子は、お洒落に長靴を履きこなしている猫をさわりたくなったが、知能は人並みにあるようでそれは叶いそうにない。
山田少年がうろうろするので、腕をがっちり組み逃げないように捕獲しておく。すると、山田は嬉しそうに「エスコートだね」と言ってきた。正直、同年代の異性に対して年齢相応の気恥ずかしさを持つ由紀子であるが、山田少年は山田少年という生き物なので論外となってきた。「はいはい、そうだね」と軽く受け流す。
言いつけどおり、山田兄から離れないようについていく。山田兄は人気者のようで、ただ立っているだけで人外が集まってくる。どの言語を話しているのかもわからないが、どれも流暢そうに返していた。
山田少年も、話の意味がわかるらしくこくこくとうなづいている。
客人たちは、由紀子にも話しかけようとしているが、山田兄でシャットダウンしているようだ。どちらにしろ、言語が理解できないので意味はなかったのだが。
由紀子は、巨大カナッペを食べる。
ビュッフェ形式のパーティは、あんまりもしゃもしゃ食べるものではないらしいが、燃費の悪い不死者の身体であれば仕方ない。山田少年も、ドリンクを飲みつつ大きなお肉を、山田兄は一見上品そうにシャンパングラスに入れられたエクストラバージンオリーブオイルを飲んでいた。
由紀子や山田一家の他にも、一姫や他数人が同じようなものを食べていた。よく見ると、チャーター機に一緒に乗っていたひとたちである。
(同じ不死者だったんだ)
それもそうだよな、と納得する。落ちるか落ちないかがフィフティフィフティの飛行機に乗る命知らずなど、人外でもそうそういないはずである。そう考えると、由紀子は何で乗ったんだろう、と当たり前のことを考えてしまう。本能的に危険を察知して、墜落フラグを壊すことばかりしていたが。
(あの人も騙されたっぽそうだな)
由紀子は、一姫の後ろを面倒くさそうに歩いている新之助を見た。一姫は半分不死者だから、かなり丈夫な人外だろうがその孫となるとずいぶん血が薄まっているのではないだろうか。
(そもそも何の種族なんだろう?)
そんな疑問に答えるかのように、一姫が由紀子たちに気づき近づいてくる。黒を基調としたドレスで、由紀子に着せようとしたものほどロリータではないが、アクセントに鎖や革が使われていた。ブーツの踵が高いため、由紀子より目線が高い。
場所にそぐうかそぐわないかと言えば、少しジャンルが違う気がするが、服装自体はとても良く似合っていた。
(あれ?)
肩からむき出しになった腕に妙な模様が入っている。よく見るとそれは魚のうろこのようだった。
「一姫、良く似合ってるよ」
山田は屈託なく言ってのける。
「とてもきれいです」
由紀子も正直な感想を述べる。場所にそぐわないと言わないだけで、本心である。
一姫は釣りがちの目を細め、
「世辞でもうれしいよ。こいつにも見習ってもらいたいくらいだ」
と、新之助のネクタイを引っ張る。
「うるせえ。俺はそのために来たんじゃないんだよ」
「そうだったな」
一姫はネクタイをはなすと、
「せっかくのレアな人魚のオスなんだ。飾り立てるのはお前のほうだったな。気のきかないババアですまんな」
(人魚かあ)
なるほど、腕のうろこはそういうわけか、と納得する。一瞬、タトゥーか何かかと思ってしまった。
(人魚といえば)
以前、山田兄に聞かせてもらった『人魚事件』という話を思い出したが、考えると今食べてる料理がおいしくなくなるのでやめておく。
そんなことを考えている由紀子に、一姫は笑いかける。
「良く似合ってるし、大人っぽく見えるな。まあ、できれば私のドレスを着ればもっとよかったんだが」
「今後、機会があれば」
と、無難に返す。
「馬子にも衣装ってとこね」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきた。振り返ると、マイクロミニのワンピを着た茨木が立っていた。背後には同族らしき男性を二人連れている。
(うわあ、いたよ、このひと)
由紀子は、たぶん夜会で一番会いたくないひとに会ってしまったようだ。それは、山田少年も同じで、由紀子の後ろに隠れている。
「酒呑、おひさしぶり。どう? この恰好」
チャームポイントの八重歯を見せながら、くるりと回る。自慢の美脚を余すところなく魅せる恰好だが、由紀子の感想としては、
(あれが、バブルの生き残りというやつか)
で、あった。
まあ、マイクロミニのワンピースと言えば、その昔、羽根つきの扇を振り回してお立ち台で踊るときの正装のようなものであるが、そんな時代に由紀子は生まれていないので、まるで社会の教科書を眺めている気分になった。
(似合っているんだけど)
どうにもこうにも、場所にそぐわない恰好である。私服はセンスがよかっただけに残念である。
人外とは、こういう自己主張の強いひとが多いのかな、と思う。
茨木は、じろじろ見ている由紀子に視線をよこしたのは一瞬のことだった。理由は、由紀子と山田少年の他の人物に目がいったためである。
「久しぶりよのお。相も変わらず、未練がましくて、可哀そうになってくるわ」
一姫が明らかに挑発する言葉をかけている。茨木は、せっかくの美人さんが台無しな、歪んだ表情を見せる。
「はあ? あいかわらず生意気な女ね。誰に似たのかしら?」
「そりゃあ、父か母であろうな」
ころころと笑いながら、茨木を見る一姫。その後ろで、新之助はあくびをしていた。山田一家における恭太郎と同じ位置にいると思えた一姫の孫だったが、そうでもないらしい。
「後妻の娘が」
吐き捨てるように、茨木が言うと、
「それがどうした? 愛想尽かされて、旦那に逃げられて未だ復縁迫る元嫁に比べたらましだろう? 平安生まれなのに情熱的なことで」
「うるさいわね! この幕末生まれが」
(それって、悪口に入るのかな?)
両者、目から火花が散っている。しかし、口の悪さでは、一姫に軍配が上がっているようだ。
由紀子はそんな二人の間に立ち、なおかつ後ろに山田少年にすがり付かれていた。
(何なんだろう? この状況)
ごく普通の小学六年生女子としては、女の修羅場というものは少し早いというものである。できれば、一生お目にかかりたくなかった。
それにしても、山田一家のまだ見ぬ兄というのは、鬼っ娘の元嫁に、人魚の娘を持つかなり罪深い男なのだと思った。
大変迷惑である。
(顔が見てみたいよ)
今日の夜会には来ていないのかな、と、あとで山田兄にでも聞いてみようと思った。
その山田兄だが、ようやく客人の話から解放されたのかやってくる。
「茨木、一姫。ここは宴の席ですよ。口論ならおやめください」
由紀子は山田兄の背中に回され、ほっとする。
このままいけば、女性二人はキャットファイトでもはじめそうな勢いだった。新之助はもとより、茨木の連れたちも止める様子はなかったので、安心する。
一姫はあいかわらず、挑発するような笑みで、茨木は鬼人にふさわしい形相をしていたが、山田兄を見ると、面倒くさそうな顔をする。
「ああ、もうあんたって、いつも邪魔しかしないのね」
そう言うと、白けたといわんばかりに背を向ける。
「じゃあね。酒呑。また、今度ね」
と、山田少年に向けて投げキスを送って、去って行った。
(今度?)
由紀子は、首を傾げた。宴は明日もあるというのに、明日は出席しないのだろうか、と。そうであれば、由紀子にも山田一家にも朗報である。
山田は怯えたまま、ずっと由紀子の後ろに隠れたままだった。こやつも災難だ。女癖の悪い身内のせいで、ずいぶん年上の女性に言い寄られているようだから。
「申し訳ありません。話が長引いてしまって」
「いえ。大丈夫です」
二度とごめんだけど、社交辞令として言っておく。小学生なりの配慮である。
山田少年は、茨木が会場から見えなくなるのを見てようやく由紀子にすがり付くのをやめると、ボーイからドリンクを貰っていた。緊張して喉が渇いたらしい。
時計を見ると、まだ時間があるようだった。
(これ以上、何もないといいな)
由紀子はため息をついた。
(やっと九時になる)
宴は零時まで行われるそうだが、由紀子たちは子どもなので九時で退出するようにしていた。
さすがに由紀子も料理を飲んだり食べたりして、わからない言語を聞くのも飽きてきた。たまに、山田少年に訳してもらったり、日本語をしゃべる客人もいたが、大して面白い話でもなかった。
(それにしても)
由紀子のことを聞かれること以上に、山田少年の話題がのぼることが多かった気がする。会話の端々に『フジオ』という単語が聞き取れた。
(まあ、関係ないよね)
パーティ自体は由紀子の楽しめることでなかったが、素敵なお城なことには変わりないし、明日は宴が始まるまでゆっくり散策しようと思っていた。客人のほとんどは、城下町のホテルに泊まるらしいので、昼の間はけっこう自由にできると山田姉から言われていた。
頭の中でファンシーな散策コースを思い浮かべていると、
「由紀ちゃん、由紀ちゃん」
と、山田少年が袖を引っ張ってきた。今回は学習したらしく、スカートを引っ張る真似はしなかった。
「どうしたの?」
「トイレ行きたいんだけどさ」
なるほど、先ほどからドリンクばかり飲んでいたので、もじもじしていた。
山田兄は喋っている最中だし、九時まであと十分ある。
「もう少し我慢できる?」
なんだか、幼稚園の先生にでもなった気分である。何が楽しゅうて、同年代男子のトイレの面倒を見なければいけないのだろうか。
「我慢できるけど……」
山田は、顎に手を当て考え込む。
「膀胱爆発するかもしれない」
「……」
由紀子は、山田少年を俵担ぎにすると、
「すみません、トイレ行ってそのまま部屋に戻ります!」
と、山田兄に伝えて会場を出た。
山田少年に限って、それは比喩表現などという軽いものではないと、由紀子は重々承知していた。
(どんだけ我慢してんのよ)
由紀子は、トイレの前で壁に寄りかかった。電気を極力使わないなど、古い時代の雰囲気を残した城であるが、トイレは最新式でよかった。農家育ちとはいえ、現代っ子の由紀子は、当時のままのトイレだったら用が足せるとは思えなかったからだ。
鼻歌を歌いながらすっきりした顔で、山田少年が出てくる。濡れた手のままぶらぶらさせるので、由紀子はハンカチを渡してやる。
「もう、このまま部屋に戻るから」
「うん」
由紀子はぐしゃぐしゃになったハンカチをたたみ直しながら、歩いていると、急に山田少年から廊下の壁際に引っ張られた。
「なにす……」
「しー」
指を立てて、山田少年が廊下の向こう側を見る。曲がり角の向こうを由紀子も見ると、そこには茨木がいた。部屋の扉を開けて、廊下で電話をかけている。
距離としては、離れていたが不死者としての由紀子の耳は、それを聞き取ることができた。
(何語?)
先ほど由紀子たちの前では日本語しか話していなかったが、今の彼女はそれ以外の言語を話している。かろうじて英語じゃないだろうな、ということくらいしかわからない。
「どうぞ、お入りください」
山田が、訳してくれた。
(一体、どういう意味?)
由紀子にはさっぱり理解できなかった。