24 白亜の城と招かれざる客 その壱
由紀子たちの滞在場所は観光地だけに、見ごたえのあるところだった。
町並みは洗練されているし、教会や城といった歴史的建築物は圧巻だった。空がすっきりしているな、と思ったら、電線がまったくないことに気が付いた。ガイドブックを見ると、地中に埋めてあるらしい。
スーパーや百貨店で買ったほうがお得だということでチョコレートやバウムクーヘン等はそこで買った。ビールやワインを買ってこい、と母に言われていたが、それは免税店で買わないといけないらしい。
それにしても、トイレに入るのにもチップを払わなくてはいけないとは、面倒な国だ。それなのに、ウォシュレットもついていなかったので、なんだか詐欺にあった気分である。
多少、気にかかることもあったが、由紀子としてはかなり満足だった。なにより、本場のくまのぬいぐるみが買えたことがうれしかった。子どもっぽいと言われようが、今晩から添い寝できるように、他の土産物とは別に入れておいた。
こうして、三日間の観光はあっという間に終わった。
「二日間はここに泊まるから」
山田姉がそうして指さした場所に、由紀子は顎が外れそうになった。
車に揺られること二時間ほど、しばしのどかな風景が続いた場所だった。森の中の小高い丘の上にそれはあった。
それは大層立派なお城だった。
おとぎ話に出てくる、シンデレラやいばら姫とか、そんなお姫様が住んでいそうなお城だった。
山田姉の説明によると、とある物好きな人外が贅を尽くして作った趣味の城らしい。人外は長命のものが多いため、古くからのコネがあり、権力を持っている者が少なくないという。
城下町に入る際、車が止められた。
山田兄がなにかしら地元の人間と話しているようである。なかば呆れた顔で、戻ってくると、
「こっから先は、馬車で移動だそうです」
と、深く息を吐いた。
「相変わらず物好きねえ。あの好々爺は」
どうやら、城の主のようである。
「ええ。悪い吸血鬼ではないんですが」
それは大層ファンシーな吸血鬼だ。
(お城はいいとして、ちょっと乙女チックな外装すぎない?)
吸血鬼といえば、元は食人鬼と同じ扱いをされていた。現代では、不衛生で調達の面倒な生血ではなく、栄養価の優れた血液パックを利用しているため、不死人や狼人間と同じように社会的権利を持っている。それでも、未だに生血にこだわる古い考えの吸血鬼がいるため、畏怖の対象となる場合が多い。
そんな吸血鬼が主である城は、暗雲立ち込め雷鳴と深い霧が似合うべきであるのだが。
(森の動物さんとか、ファンファーレが似合うお城だな)
由紀子はそんな感想を持ちつつも、こういう外装にしてくれてありがとうと言いたくなった。由紀子の年相応の乙女心をきゅんきゅんさせるにふさわしいお城なのだから。
馬車も馬車で、カボチャの馬車が実際あったらこんな感じなんだろうな、という外装をしていた。御者はベストに帽子をかぶっていて、馬は言うまでもなく白馬だった。
由紀子はウキウキしながら、荷物を運び入れる。どうやら、それが顔にまで現れていたらしく、山田少年に、
「楽しそうだね」
と、にこにこした顔でのぞきこまれた。
由紀子は、ちょっと恥ずかしくなって、
「そんなんじゃないよ」
と、わざと不機嫌な態度をとってしまった。それなのに、まだにこにこしている、いや、にやにやしている山田が恨めしい。
馬車に乗ると、御者が馬を走らせた。車より揺れるが、思ったより乗り心地は悪くない。窓から外をのぞくと、広葉樹の深い緑が見える。
目に優しい風景がしばし続いたかと思ったら、高い城壁にたどり着いた。高いアーチを抜けると、荘厳なお城が目の前にあった。
身体が感動でふるふる震えるのを抑えつつ、降りて荷物を下ろそうとすると、ホテルのボーイに似た格好の男性がやってきた。何をしゃべっているのかわからないが、どうやら荷物を預かるということらしい。由紀子はスーツケースを渡す。
身軽なまま、重厚な門をくぐると、蝋燭が灯された赤い廊下があった。アーチ型の天井、柱には意匠が施されている。
「由紀子ちゃん、今日はお母様と同じ部屋だけどいい?」
「うふふ、由紀子ちゃん。ガールズトークに花を咲かせましょ」
山田母はここ数日、ずいぶん血色がよく、いつもよりさらに若々しく見える。
山田父と一緒の部屋じゃなくていいのか、と山田姉に聞くと、
「この城では、あんまり腑抜けになられると困るから」
と、言われた。なんだか、重い表情をしており、由紀子は少し不安になった。
案内された部屋は、ホテルに比べると手狭だが、重厚な装飾が圧巻だった。山田母と同部屋と言われたが、寝室は分かれており、居間のみ共同になっている。天蓋付のベッド、壁や柱にペイズリー柄とも何ともいえぬ模様が入っている。天井から壁にかけて、春の女神さまらしき絵が描かれている。
(吸血鬼なのに神話の絵って)
思ったところで口には出さなかった。ファンシーな吸血鬼なのでいいのだろう。さすがに十字架は飾られていない。
山田姉と一姫は隣の部屋で、男性陣は隣の棟の部屋だという。
あと二時間ほどで、宴も始まるとのことで、由紀子は余裕を持って着替えることにした。一日目は山田兄で、二日目は山田姉のドレスに決定していた。本当は二日目も、山田兄プロデュースにしたかったが、女性陣の目が怖かったので山田姉のものを選んだ。
なぜ、山田兄が女の子向けのドレスを用意していたかなどは、この際どうでもよかった。
由紀子が着替えようとすると、山田母が近づいて何かを渡す。
「なんですか? これ?」
紐のようなものを広げてみると、紐のような下着だった。布地の断面が普通のそれの半分以下である。
由紀子は口をぽかんとあけたまま、山田母を見る。
「うふふ。ドレスは下着のラインが出ちゃだめなの。常識よ」
(つまりつけろと)
由紀子としては、愛用の三枚千円ワゴンセールもので十分なのだが、山田母の砂糖菓子のような笑みがそれを許さないようだ。
「私の用意したドレスなら、チュチュつけるから問題なかったんだけどな」
天然とも計算ともとれない言葉を吐く山田母。
由紀子は、狭い布地に刺繍があしらわれたそれを握りしめ、全身から冷や汗を流した。
〇●〇
「待たせたわね」
アヒムは、姉のオリガと年上の姪である一姫が来たのを見ると、座っていたソファから身を起こした。棟と棟を結ぶ部屋は待合室となっている。アヒムは、使用人が用意した紅茶を空にする。
父や不死男は、恭太郎に任せている。ルームサービスを大量に頼んでおいたので、しばらく大人しくしているだろう。
「では行きましょうか」
アヒムたちは、城の主に会いに行った。
「久しいね。とはいえ、二十年ぶりほどかな」
人間としては長い年月だが、人外にとってそれほどではない年月である。夜会は昔に比べ、頻繁に行われるようになったが、人外には行動が制限される種族も多く、場所によっては参加できない場合が多い。
この城の主もその一例である。
ふくよかな肉体を燕尾服に包んだ城主は、おどけるようにアヒムたちに言った。名をノスフェラトウ、吸血鬼の総称をその名に持つ男である。
ぽっちゃりとした身体に、くるりと回った髭は、どちらかと言えばコメディアンのなりそこないに見えなくもないが、男なりに威厳を保とうとした髭だと弁明を入れておく。
アヒムがこの男に初めて会ったのは、百年ほど前の夜会である。そして、四十年前の夜会で父の代理を姉とともにすることになり、こうして今、挨拶を入れている。
本来なら、たかだか百五十年ほどしか生きていない個体が当主代理をするのはおこがましいのだが、兄が子どもの姿となり、父と母が狂ってしまった今、仕方ないことである。
「フジオは元気にしてるかい?」
吸血鬼に似合わず、温厚な性格のノスフェラトウは、まるで孫の成長を聞くような口調でたずねてくる。実際にはフジオのほうが年上だったりするが。
「今は、十二歳ほどの外見になりました。十年前に血肉の一部を取り戻しましたので」
「そうか。なかなか見つからないようだね」
「はい」
肥満の城主は、ワイングラスに口をつける。生血でないことは、薬品の混じった匂いでわかる。抗凝固剤を使用したそれは、飲みやすい口に調整されているらしい。味覚もそうであるが、感染症の疑いのない健康な血液でないと吸血鬼とて体調不良になるというのだからおかしなものだ。
吸血鬼は弱い生き物だ。たしかに、夜は無尽蔵の力を持つ生き物であるが、弱点が多すぎる。昼間は活動できない。日光に弱く、ニンニクに弱く、流水に弱く、十字架に弱い。そんな彼らが、増えすぎた人間を襲って生きるよりも、共存を選ぶのも無理はない。
不死王が己が肉体を実験体として使用する代わりに金銭を得ているように、吸血鬼もまた、ヒトにはない能力で金銭を得ている。魅了という能力は、いくらでも使い道がある。
「早く元に戻って、一緒に酒でも飲みたいなあ。きれいなおねえちゃん呼んでさ、ぱあっとさあ。そういえば、フジオはどんな子が好みだったっけ?」
アヒムは、隣の一姫がどんな顔をしているのか、気になりながらも口を開く。
「た、たしか、丈夫で長生きがいいと」
アヒムは、緊張しながら言葉をつむぐ。
一姫は何の感情も浮かべずぼんやりとノスフェラトウを見ている。
「そっか。なんだか、主婦みたいな言葉だね」
好々爺は面白そうに、くくくっと笑う。
今はその屈託ない笑みが恨めしいとアヒムは思う。
「そういえば、新しい不死者を入れたって聞いたけど」
「はい。イレギュラーですが」
「まだ小っちゃいって聞いたけど」
「まだ小学生の女の子です」
「うわー、やっちゃったねえ」
やっちゃいました、と素直にうなずくこともできない。オリガは、会話をアヒムに丸投げしているし、一姫はなんだか直接話をさせると怖い気がする。
「気を付けてね。うちの子たちは、手垢のついていない女の子には目がないから。別にそういう趣味はないと思うんだけど、日本語であれ、青田買いってやつ?」
その言葉に、アヒムだけでなくオリガも眉を歪ませる。
不死者の力は人外のパワーバランスを崩しかねないものである。監視が厳しい一方で、その血を己が種族に混ぜようという考えも少なくない。
現にヒトとの混血で弱体化した人魚ですら、不死者の血を混ぜることで祖先よりも強い生命力を持つ個体が生まれている。一姫のように。
不死王だけでなく、不死者の血肉にもまた少なからず不死身の効用がある。不死王に下るのではなく、不死者を伴侶にすることで恩恵を受けようとするものがいるのだ。
しかし、不死者の血肉は奪って手に入れるものではない。奪うはすなわち呪いを示す。与えられることにより祝福となる。
そんな思惑が跋扈する中、まだ人外の常識もわからない少女を入れたらどうなることだろうか。甘言を子どもに吹き込み、思うがまま操ろうとするのではなかろうか。
吸血鬼という種族は、血を吸うことにより相手を思うまま操る。一度、受け入れて血を与えようものならどうなるか。
そのことを考えると頭が痛い。
「僕も目を配るけど、こっちも一枚岩じゃないからね。ただ、食人鬼にまで堕ちた奴らは好き勝手していいから」
「ありがとうございます」
「ふふ、言質をとるために来たんでしょ?」
見透かされた言葉に、アヒムは冷や汗をかきながら、城主の部屋を退出した。




