20 サクランボと山口さん
「うん、わかった。じゃあ」
由紀子は、電話を切ると深くため息をついた。
「どうだったの?」
「やっぱ、いるってさ」
たずねる彩香に、そう答える。
あの後、父の母たちは、また日高家に来て、現在進行形でいるという。なぜ、兄ではなく、由紀子の元に来るのかわからないが、顔を合わせたくなかった。
時間は、もう五時を回ろうとしている。さすがに、そろそろ学校から出ないといけない。彩香に付き合ってもらうのも悪い。
彩香は、心配そうな顔をしている。由紀子は、彩香には、あの関わりたくない父の身内のことを話していた。
「由紀ちゃん、帰るなら」
彩香は、そっと教室の後ろ側をさす。
「送ってもらったらいいよ」
そこには、熱帯魚の水槽を飽きもせず眺める少年がいた。
「由紀ちゃん、帰るの?」
のんびりした口調で、にこにこと近づいてくる山田少年。今日、『てけてけ』という別名を貰い、学校の八番目の不思議に加えられたのだと、彩香から聞いた。つまり、そのようにして、あの父方の親類を追い返したらしい。
「あれは、私でもびびったわ。下級生は帰っててよかったわ」
遠い目をする彩香。だいぶ、スプラッタに見慣れてきた彩香が言うのだから、やはりそうなのだろう。廊下には、上半身を引きずった跡が、何十メートルもあったらしい。
そんなことを言いながら、彩香が学校裏サイトに八番目の不思議に関する投稿をしていたのを、由紀子は見ていたりする。
(掃除当番は気の毒に)
由紀子は、柄にもなく十字を切る。不死者がそんな真似をするのはおかしいが、合掌するのもなんか変だ。
「帰るよ。彩香ちゃん、付き合わせてごめんね」
山田も、由紀子を待っていたようだが、勝手に待っていただけなので礼は言わない。
山田少年はランドセルを背負い、「早く帰ろう」と目で訴えかけている。どうやら、待っている間に、お腹がすいてきたらしい。『てけてけ』をやったせいで、カロリー消費が半端ないのだろう。
「由紀ちゃん、山田くんが一緒なら安心なんじゃない?」
彩香の言葉に、由紀子はなるほど、とうなづく。『てけてけ』を連れて帰れば、あの婆どもも、さっさと帰るだろう。
「山田くん、今日、うちに来ない? さくらんぼ、いっぱい生ってるから持って帰りなよ」
「さくらんぼ!」
山田の目が輝く。
「胃袋をつかむなんてやるわね、由紀ちゃん」
「いや、あんたが言ったんでしょ」
由紀子は、彩香をぺしりと叩くと、ランドセルを背負った。
「はい、赤いやつだけとってね」
「うん」
山田は、由紀子から大きな籐籠を受け取ると、大きなサクランボの木の下で実を摘みはじめた。
サクランボの木は三本、自家消費用で育てている。間引きをしないため実は小さいが味は悪くない。毎年、腐るほど生るので、ご近所に配ったり、ジャムにしたり忙しいのだ。今年は、由紀子がいるので、消費量は半端ないが、そろそろ飽きがきていたころだった。
家に帰ると、まだ、あの邪魔な外車が家の前にあったので、由紀子はランドセルを置いて、そのまま畑に来たのだった。
会わなくていいならそれでいいのだから。
山田はサクランボを摘みながら、口に入れるのでなかなか籠に実がたまらない。
(洗ってから食べてほしいんだけど)
まあ、無農薬だし、なにより山田少年なので問題ないか、と由紀子もサクランボを摘みはじめる。彼だけにやらせていたら、日が完全に沈んでしまう。五時を過ぎ、空はだいぶオレンジ色に染まっていた。
脚立を持って、上に生っているサクランボを摘んでいると、
「由紀ちゃん」
山田が呼んだ。
どうしたのか、と降りてみると、山田は真っ白な鳥を不思議そうに眺めている。鳥は、赤黒い不気味な鶏冠を持ち、ふわふわとした羽毛で包まれている。
「これ何?」
「あー、小屋に戻ってなかったんだ。烏骨鶏っていう鶏の仲間だよ。放し飼いにしてるの」
(これは山口さんだな)
どうでもいい話だが、日高家では家畜に名前をつけている。母の趣味だ。三十羽近くいる鶏全部にそれぞれ名前がある。
(もうちょっと違う名前にしてもらいたい)
すべて人名であり、実は『山田さん』という名の鶏もいたりする。
ちなみに、変な名前の鶏の話を彩香に愚痴ったら、「見分けがつく由紀ちゃんも絶対変だよ」と、言われた。そんなもんだろうか。
「にわとり?」
山田は初めて見るらしく、目をきらきらさせている。
「うん。羽をむしると肌が黒くて気持ち悪いけど、高級食材なんだって。こんなんでも」
卵一個で何百円もするらしい。これも、日高家で自家消費用に飼っている。食材に関しては、日高家はかなりリッチだと、由紀子は思っている。
「……食材」
山田が、口の端からよだれを垂らしているのを見て、
「食べちゃだめだから」
と、念を押した。
山口さんは、心なしか鶏冠を震わせている気がする。
腹ペコの山田少年は、サクランボだけでは物足りないらしい。由紀子も、かなりお腹がすいてきた。
由紀子は、自分が摘んだサクランボを山田の籠に入れると、
「そろそろ戻ろうか」
と、山口さんを後ろからつかむ。
「うん」
まだ、名残惜しそうに山口さんを見る山田。
由紀子は、
「卵ならあるけどいる?」
「うん。高級食材!」
山田は、頭にサクランボの籠をのせて踊るように歩く。
由紀子は、鶏を小屋に戻そうとすると、向こうからすごい勢いで近づいてくる影があった。部活帰りのジャージ姿の兄、颯太だった。
「由紀! それ貸せ!」
「どうしたの? お兄ちゃん」
颯太は、鼻息を荒くして、由紀子から持っていた山口さんを奪う。
「あの婆どもにぶつけてやる」
「ちょっと、やめてよ」
たしかに、あの二人には有効だが山口さんが可哀そうである。
由紀子が兄を止める。力の強くなった由紀子に腕をつかまれて動けなくなる兄。
山田少年も、踊るのをやめて由紀子の真似をして、颯太のジャージをつかむ。
「食べ物を粗末にしちゃダメだよ」
「まだ、食べ物じゃないから、生き物だから!」
由紀子が訂正を入れる。『まだ』がつくのは、歳を取って卵が産めなくなったら、食卓にのぼるからだ。そのたびに「今日は佐々木さんのカレーです」とか言われるので、かなり嫌だ。
山田の目には、手に持ったそれがすでにから揚げかタンドリーチキンに見えるらしい。烏骨鶏のタンドリーは多分気持ち悪いと由紀子は思う。
小学生二人に止められて、まったく動けない兄は、振り返るとようやく妹以外に誰かいるのに気が付いたらしい。
「お前、誰だ?」
「山田不死男です。お隣さんです。四月に引っ越してきました」
山田が丁寧にお辞儀をすると、兄は少しのけぞった。
「隣って、あれか? あのゾンビ一家のことか?」
山田は『ゾンビ』と言われたことを気にするわけでもなく、にこにことしている。
(これが普通の反応だよな)
由紀子は、兄から山口さんを奪い、小屋に入れる。山口さんは心なしか、ほっと落ち着いているようで、すぐ藁を敷いた寝床に入った。
颯太は、山田少年をじろじろと見るが、特に普通のヒトと変わらないと思うと、一息をつく。
山田は大人しくしていれば、本当に普通の、やや見目麗しい少年である。せっかく採ったサクランボをまた食べ始めている。
「お兄ちゃん、あの人たちなんかやらかしたの?」
由紀子は兄にたずねると、
「ああ。おまえのこと、養女にしたいそうだ」
「はあ?」
それは、ずいぶんいきなりな話だ。
「なんでまた?」
「知るかよ。『病気持ちの娘がいたら、大変だろうから引き取ってやる』だそうだ」
ひどく憎々しげに兄は吐き捨てる。
「病気……」
(それって)
由紀子には思い当る節があった。
(山田兄が提示した慰謝料)
由紀子は、先ほど、あの婆どもを少しでも良い方に解釈しようとしたのを間違いだと思った。本当にどうしようもない奴らだ。
母が、時折呼び出されては、何を渡していたのか薄々気が付いていた。しっかり者の父方の祖父が死んでから、あの人たちは好き勝手に生きてきたのだろう。収入が減っても、生活レベルを落とす真似はしなかったのだろう。
いちいち、母に頼んでお金を渡してもらうのが面倒になったのかもしれない。それとも、母が渡す額が十分でないと思っているのかもしれない。
そこに由紀子という金づるが見えたら。
(どこで知ったの?)
母は、その点しっかりしているので、誰かに喋ることはないだろう。兄どころか、祖父母にも言うな、と由紀子に言う徹底ぶりだ。
そうなると考えられるのは、それ以外の線だった。
由紀子が眉間にしわを寄せていると、
「由紀ちゃーん」
のんきな声が聞こえてきて、空になった籠を振っていた。せっかく採ったサクランボを食べつくしたようだ。
「今日はもう暗いから。代わりに野菜と卵持って帰って」
山田は一瞬、鶏小屋のほうを見たが、気を取り直したらしく、
「うん」
と、由紀子のほうに近づいてきた。何を食べたかったのかは、言及しないでおこう。
「ほんとに、こいつゾンビなのか?」
颯太が首を傾げて、山田を見る。
「証拠見る? 首なし騎士ごっこなら得意だよ」
と、近くに置いてあった草刈り鎌を見る山田少年に、
「流血禁止」
と、由紀子は言った。
兄は意味がわからない、と顔に疑問符を浮かべていた。