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不死王の息子  作者: 日向夏
高校生編
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109 鬼の見る夢、神の見る夢 後編


 ああ、しんじゃうのかな、と茨木は思った。


 ヒトってやつは本当に恐ろしい、ちょっと茨木たちの頭に角が生えていたから、寄ってたかってなぶり殺しにするのだ。たしかに、茨木たちの頭には角が生えている、寿命も身体もヒトよりずっと長いし丈夫だ。だけど、なにがいけないのだろうか、奴らが化け物扱いするから、ヒトとは関わらず山を開いて田畑を作って生きてきたというのに。


 奴らは弱い、茨木たちが拳を振り上げたらすぐ壊れてしまう。でも、数が多すぎる。あいつらは、茨木たちの村のものたちを十にしても百にしても足りない数がいる。

 あいつらは生まれる数が違う。茨木が村で五十年ぶりに生まれた子どもなのに対し、あいつらは一年ごとに子どもが生まれたりする。


 もし、茨木たちとヒトが戦をするとすれば、はじめは茨木たちが勝ち続けるだろう。だが、あいつらが何度も何度も仕掛けてくれば立場は逆転する。あいつらのほうが戦で死んだ数が圧倒的に多くとも、その数を補充するのに十数年あればいいのだ。


 だから、大人たちは避けていた。むやみな戦は種族を滅ぼすと、山の奥に隠れ里を作った。


 しかし、増えすぎたヒトは、その数を養うための食料を求める。そこで、たまたま見つけた隠れ里をどうするだろうか。

 誰にも見つかっていない土地は、貴族に税を払うこともごまかすことができる、垂涎の代物だった。


 鬼という存在を恐れるあいつらは、実に慎重に、狡猾に土地を奪う計画をするのだ。


 真っ向から攻めてくるのではなく、一人ずつ、一人ずつ、弱そうなものから攻めていく。何人、何十人でなぶり殺しにするのだ。死体はけして見つからないように遠くに捨てた。行方不明者を探しに来たものが見つけるのは、殺されたものの血で汚れた着物の切れ端とその木のそばに付けられたクマの爪痕だった。


 その真実を知ったのは、茨木自身が獲物になってからだった。今までで一番簡単な小さな標的に、遊戯と化した狩を楽しむヒトどもが口を滑らせた。

 茨木は、それを聞いたとき怒り狂い、近くにいた男の喉笛を食いちぎろうとした。


「やはり餓鬼は餓鬼でも、鬼だ」


 茨木は何度も何度も木の棒で殴りつけられ、最後には首を食いちぎり損ねた男によって、腹に杭を突き立てられた。


 こんなものだろうか、と男たちは茨木のぼろぼろの身体を捨てたのは川で、その下はすぐ滝になっている。子どもだと甘く見たあいつらは、いつもなら焼いて灰にしたものを地面に埋めるという行動を端折ったのだった。


 




 滝に落とされて何日が立っただろうか。それでも、茨木は死ななかった。半分水に浸かったまま体温を奪われながらも、腹に杭が刺さったままでも生きていた。

 子とはいえ鬼、そうそう死ぬ身体ではない。


 自分の周りに虫が集まってくる。このままでは地虫の餌になるだろうが、それをはらう力もない。

 いっそ獣たちに食いちぎられたほうがずっと簡単に楽になれるのに。だが、獣たちは本能的に鬼の恐ろしさを察知して近づこうとしない。茨木の喰われるなら食ってやろうという気持ちが見え隠れしていたせいだろうか。


 ああ、さすがに終わりかな、茨木は近づいてくる足音に気が付きそう思った。


 明らかに獣とは違う、草履の音。それが茨木に近づいてくる。


 ヒトならば食らいつこうと考えるがその力もない。ただ、止めを刺されることを待つのみだ。

 

 近づいてきた人影は、想像よりもかなり大きかった。そこいらの村の大人の背丈をずいぶん上回っていると、足の大きさだけでわかった。


「なぜ、こんなことに」


 だが、聞こえてくる声はずいぶん高いように感じられる。大人の男の声でない。だからといって女の声でもない。まだ元服になるかならないかの男だろうか。


 伸びてくる手を茨木は精いっぱい残りの力で振り払おうとする。だが、それは手のひらをぴくぴくと痙攣させることしかできなかった。

 

「生きているのか?」


 驚きの声が聞こえる。そっと、手が茨木の全身を包み込んだ。


「父上に怒られるかな」


 少年は自分の手を口元に持っていくと、その親指を茨木の口に突っ込んだ。奇妙な味が口の中に広がる。わけのわからないものの指を口にいきなり突っ込まれて茨木は吐き出そうとしたが、身体はそこから得られる何かを吸収しようと必死だった。赤子が乳を吸うように指をはなさなかった。


「すぐ元気にしてあげるから」


 このヒトは一体なんなのだ。

 腹に杭が刺さり、膿にまみれ、地虫がたかり、腐臭さえ発していた茨木の身体を嫌がることなく抱き上げる。これから、どこへ連れて行くのだろう。


 その質問をすることもできず、茨木はようやく少年の顔を見ることができた。慈母という言葉にふさわしい優しげな笑みの持ち主は、不思議な不思議な蜂蜜色の目をしていた。



〇●〇



(こんなの見たくない)


 由紀子は目をそらしたかったが、そらせずにいた。ここでそらしてしまったら、何のために山田が手を染めたのかがわからなかった。


 彼は、由紀子をすくうために手を染めた。

 由紀子を茨木の手から守るために。

 

 一方で、彼は、茨木をすくうために手を染めた。

 茨木が本当に望む形で、終わらせるために。


 右目と左目。瞳孔の大きさが違うその二つはどちらがどちらなのかわからない。ただ、片方は涙をとどめなくあふれさせ、もう片方は悲しみと怒りがまじりあっていた。


「ようやく会えた」


 茨木は己の身体に刃を突き立てたものを抱きしめた。その力は弱弱しく震えていた。


「千年間、探していた。悪いのは私のせいだったんだね」


 低い落ち着いた声が喋る。この声は山田青年のものだろうか。


 ふるふると小刻みに顔を振る茨木は、幼子のように唇を噛みしめていた。


「ちがう、……ちがう。私のせい。……シュテンは、わるくない」


 言葉がとぎれとぎれでどこか舌足らずなのは傷のせいだろうか。

 刃こぼれした刀はもう茨木の胴体から抜かれ地面に置かれている。だが、茨木の腹にできた傷は閉じる様子はなく、着物の帯を濡らし続けていた。


「もう喋るな」


 今の山田の目はごく普通の目になっており、声は青年だけだ。

 由紀子は居心地が悪くなり、そっと木の影に隠れる。


「しゃべら、せて。ずっと、あなたと、話がしたかった」


 弱弱しくも嬉しそうに茨木が言う。

 彼女は語りだす、千年間のことを。恐ろしい鬼であるはずの彼女が話すのは、たわいもない日常のことばかりで、それを山田青年は優しい目で見ている。

 それは親子のようで、兄妹のようで、恋人のようで、夫婦のようであった。


 茨木の言葉はどんどん途切れる回数が増えていく。


(何なんだよ)


 由紀子はいたたまれなくなる。先ほどまで執拗に由紀子を殺そうとしていた人物であるはずなのに。


(私の立場がないじゃない……)


 どうして被害者であるはずの由紀子がこんな隠れて肩身を狭い思いをしなくてはならないのだろうか。まるで、山田青年と茨木のためにある物語、その脇役として配置されているようだ。


(……もしかして)


 由紀子は、あまりにできすぎていると思った。


 なぜ、茨木は山田家付近で由紀子をさらい、こんな山奥につれてきたのだろうか。


 なぜ、茨木は由紀子が気絶している隙にさっさと皮を剥いでしまわなかったのか。


 なぜ、茨木は由紀子の携帯電話をあらかじめ処分しておかなかったのだろうか。


 なぜ、由紀子を殺すという薬を与えたあと、由紀子の身体が自由になったのだろうか。そして、由紀子が逃げやすいように一度、由紀子から目を離している。


 まるで、時間稼ぎのようにしか感じられない。そうだ、山田青年の目の前で由紀子を殺そうとする場面を作るため。自分を殺さずにはいられない環境をつくるために。


 考え過ぎということもある、茨木は狂っていた、だから、たまたまこんな風になったのかもしれない。

 でも、そうでないかもしれない。


「しゅ、て……ん。聞かせ…て。正直…、に。わ、たしが、にく…い?」


 茨木の言った言葉に山田青年がどのように反応したのかわからない。声にださず、ただ首を縦か横に振ったのだろう。背中を見せている由紀子には見ることができない。


「そう…よかった。あ、なたの、特別…になれた」


 茨木は儚い笑い声をたてると、そのまま何もしゃべらなくなった。


 由紀子がようやく山田青年のほうを振り向くと、そこには茨木はおらず、青年が汚れた着物に顔を埋め、嗚咽を漏らしていた。


 そこに神はなく、ただ一人の哀しい男がいた。


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