12 人魚姫の訪問
しばし、シリアスめに話が進みます。
「約三百年かあ」
由紀子はベッドの上でつぶやいた。大きなクマのぬいぐるみを抱え、時計を見る。時間は十一時をまわっていたが、眠気はまったくおきない。
三百年。
今日、山田兄に告げられた言葉だ。
今日の放課後、いつもどおり定期検査を受けてきた。これまでの検査結果を踏まえて、由紀子に詳細を説明してくれた。
「大体三百年は生きるでしょう」
平均より、五十年ほど長いです、と褒められたのかよくわからない言葉をくれた。
不老不死に近い身体と言われているのに、案外短い気がする。
思ったことを口にすると、山田兄は、
「そうでしょうか?」
と、遠い目をした。
「少なくとも、貴方の周りにいるヒトは、誰もいないでしょう。残るとすれば、僕ら不死王の血族くらいでしょう。他の人外に知り合いがいなければ」
当たり前のことを至極丁寧に山田兄は言った。
(そっか)
由紀子は、取り残されるのだと思った。
そして、周りの皆が死んでしまう前に、由紀子は姿を消す必要があると言った。周りが老けゆく中で、若いまま生きていくのだから。
(いつか消える)
それが、十年後か二十年後かわからない。肉体年齢が止まってから、五年から十年。それまでに、姿を消す必要がある。
「まだ時間はたくさんありますが心に留めておいてください」
その山田兄の言葉が引っ掛かる。
(考えてもしょうがない)
思っていても頭から消えない。
クマのぬいぐるみをギュッとつぶすと、そのまま横になった。
そして、懐かしい父の夢を見た。
「なんで早く起こしてくれないの!」
「あんたが遅くまで起きてるのが悪いのよ」
由紀子は、朝ご飯をまとめておにぎりにすると、手提げに突っ込む。間食用と昼食のお弁当も入っているので、ランドセルより重かったりする。
「送ってってよ」
「無理、今日は講義があるから」
母は週に一度、一コマだけ授業をやっている。県内の農大だ。
「じいちゃんが送ってやろうか?」
「……遠慮しとく」
祖父はトラクターくらいしか乗らない。せめて軽トラなら妥協したのだが。
由紀子は、携帯の時計をにらみながら、学校へと向かった。
(ま、間に合った)
由紀子は、靴箱の前で上履きに履き替えながら息を整える。予鈴が鳴っている。あと、五分もあれば、教室まで余裕だ。
(ご飯食べる時間はないか)
一時間目が終わるまでの時間が長いと思うだろう。
てくてくと廊下を歩く。
(あれ?)
由紀子の他に廊下を歩いている者がいる。小学生にしては大きくて、教師にしては若すぎる。
見た目は、まだ高校生くらいの女のひとだ。栗色の髪を肩口まで伸ばし、丈の短いスカートをはいて、ニーソックスをガーダーで止めている。
由紀子はいぶかしみながら、横を通り過ぎる。なんというか、平日の小学校にいるには場違いな人間だ。
(卒業生かなにか?)
「そこの君」
急に声をかけられてびっくりする。じろじろ見ていたのに気付かれたのだろうか。見た目によらず低い声で、よく言えばハスキー、悪く言えばおばさんっぽい声だった。
「なんですか?」
猫のような目をこちらに向けて、
「六年三組はどこにある?」
と、言った。
「それなら、私のクラスなので一緒に行きますか?」
「いや、いい。どの校舎の何階かだけ教えてくれ」
まったく女性らしさを感じない喋りである。見た目は可愛いのに損をしていると由紀子は思う。
「この校舎の三階、この階段を上って左です」
「ありがとう、助かった」
女のひとはそう言うと、職員室のほうへと向かっていく。ふわりとひるがえったスカートの奥から、包帯に巻かれた太腿がのぞいた。
動体視力があがっていなければ、気づかなかっただろう。
(卒業生じゃなかったのかな?)
ここ何年も、教室の位置はかわってないはずだ。卒業生なら知っていると思ったのだけど。
そんなことを考えているうちに、今度は本鈴が鳴り始めた。由紀子は慌てて階段を駆け上がった。
〇●〇
せっかく今日は、姉も兄も非番だっていうのに。
恭太郎は、親父たちのお守りはしなくていいと、でかけようとしたところだった。
「今日はお客さん来るから、うちにいてね」
姉のオリガが、すこぶるいい笑顔で言ってくれた。
「はあ? なにいってんだよ。俺、もう約束してんだよ、無理だって」
「お断りしなさい」
口は笑っているが目は笑っていない。ついでに、踵で足の甲をぐりぐり踏まれている。
「悪いが恭太郎、断ってくれ」
兄のアヒムまで言ってくる。
「もしかして、非番揃えたのって、客が来るためか? それなら、なんで前もって言ってくれないんだよ」
話を聞いていたら、デートの約束なんて取り付けなかったはずだ。膝をつき、オーバーリアクションに落ち込む。正直、涙目だ。
アヒムは眼鏡をくいっと、かけなおしながら、
「ああ、それはあまりにおまえがうれしそうな顔をしていたから」
「ええ、とても楽しそうだったから」
オリガとアヒムは声を揃えて、
『あんた(おまえ)の絶望する顔が見たくなって』
と、血も涙もないことを言ってくれた。
外面は良いが、この二人、身内には滅法サドである。
「ほら、早く断りの電話かけないと、彼女おでかけしちゃうわよ」
にやにや笑うオリガを恨めしげに睨みながら、半泣きで電話をかける。いくつか言い訳を言ったが、無駄だったようで、一方的に切られてしまった。
「ふられた?」
「まあ、長く持ったほうじゃないのか? 前のはたしか半月で切れたはずだから」
甘い蜜でも舐めるかのように、にやにやと笑う姉と兄。
他人事のように言ってくれる身内に、殺意がわいたところで、父が起きてきた。
「おはよう」
首があらぬ方向、おそらく頸椎が百八十度ねじれた状態でやってきた。
「おはようございます、父さん。それにしても、どうやったらそんな首になるんですか?」
「うん、寝違えちゃって」
と、首をごきっと元の位置に戻すつもりが、勢い余って千切れてしまった。血しぶきが飛ぶ。
「父さん、何やってるの」
オリガが取れた首を上手く元の位置につける。きらきらと輝きながら、傷口がふさがっていくのは無駄にファンタジーだ。この能力を地球温暖化とかエネルギー問題とか、そういうのに利用できたらと思う。
呆れながら、恭太郎はどさくさに紛れて外に出ようとしたが、襟首をアヒムにしっかりつかまれていた。
「客人っておまえかよ」
恭太郎は、疲れた顔を目の前の少女に見せた。セミロングの十七、八の少女に見える、百六十歳の婆に。
「私では不満か?」
ふふん、と愛らしい顔を皮肉たっぷりに歪めている。容姿は好みなのに、実体が残念すぎて仕方ない。
残念すぎる女の子こと、一姫は紅茶をすする。お茶請けには、母特製のクッキーが置いてある。
広間のテーブルには、一姫と恭太郎の他に、オリガとアヒム、そして不死王こと父が座っている。母だけは、台所でお茶請けの追加を準備していた。
「あなたが直接、ここに来るなんて珍しいわね」
「直接、言わなくてはならないと思ってね。まあ、メールで大体のことは想像がついていると思うけどな」
と、一姫はクリアファイルを取り出す。新聞の切り抜きのコピーが三枚入っている。
最近あった三つの殺人事件の記事だった。どれも、別の犯人がやったとみられているが、その手口は似ており模倣犯でないかと言われている。
「うちの一族のものがやられたよ」
三枚のうち一枚を前に出す。
遺体はバラバラにされ、それぞれ別の場所に捨てられていたとのこと。一般的に、人道から外れた行いだ。
オリガもアヒムも黙って記事を見る。普段なら、落ち着きのない父が珍しく黙っていた。その琥珀色の目は、獣のような瞳孔になっていた。
本気だ、と恭太郎は思った。
ぴりぴりと身体中の毛穴が閉じる感覚が広がる。
テーブルの上の紅茶が波紋を描き、家鳴りがする。
戸棚が揺れ、中の食器がかたかたと音をたてる。
昔の、不死王の名にふさわしい風格が漂ってくる。見るものを圧倒する、不死なる王。
「食われていたんだな」
父のいつもより低い声が聞こえた。ぞくりと、生ぬるい汗が流れる。
一姫は、首を縦に振る。
新聞記事には、詳細は書かれていなかった。警察か関係者しか知らされていない事実だろう。
「哀れな食人鬼どもめ」
『哀れ』という単語を使うが、そこに憐れみは浮かんでいなかった。見つけたら、肉片残らず消し炭にしてやる、という恐ろしい気迫がこもっていた。
オリガとアヒムは、正気に戻った父をただ恐ろしげに見ていた。
一姫は、不死者の王の動向を、固唾を飲んで探っていた。
緊張した空気の会談が終わり、父が部屋から出て行ったのを確認すると、恭太郎は力なくテーブルに顔を突っ伏した。
「十年ぶりだな」
父のあの顔を見たのは。
今の穏やかで天然の入った父は、本来の父ではない。怒りと悲しみで何もかも破壊してしまう、そんな感情を押さえこむために作った人格だった。昔、食人鬼どもの行った所業をすべて清算しない限り、父は元に戻らない。
そう、富士雄兄貴が元に戻らない限り。
気持ち悪い汗でべたべたなのは、恭太郎だけでなかった。
同じく顔色を悪くした一姫が恭太郎を見る。
「シャワーを貸してくれないか?」
と、一姫は袖をまくる。腕には包帯が巻きつけられている。それをほどき始める。
包帯の下にあるのは、すべらかな若い肌ではなく、硬く割れた鱗だった。
おかまいもせず、スカートもめくり、太腿に巻きつけらえた包帯もほどく。
「フジオは元気そうだったな」
「ああ、無駄に死んでるけどな」
いつのまに会っていたのか、と恭太郎は思う。
一姫こと『人魚姫』は、了解も確認せず、シャワールームへと向かっていった。
絶滅したと言われた人魚は、ヒトに隠れ細々と生きていた。