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不死王の息子  作者: 日向夏
高校生編
119/141

105 鬼心、神知らず その四


 気持ち悪い、汚い、近づくな、由紀子は目で相手に訴えかけるが無意味なことだった。削られ投げ飛ばされた身体は完全に修復しているが、狭い牢内に化け物と二人きりである。誰も助けには来ないし、奴も由紀子を諦める気などない。


 血走り濁った目が暗闇の中ぎらぎらと光る。だらしなく糸を引く唾液は、化け物の口からあふれ出ていた。

 化け物、おそらく彼にとって由紀子は、どんなごちそうよりもおいしそうに見えているに違いない。ゆっくりとのびる手を避けようとするが。


(近づくな、近づくな)


 相手はものすごく動きが遅い、その上、異常な痩せ方をしている。正直、半端者の不死者である食人鬼に由紀子が負けるわけがなかった。普通なら。

でも、先ほどなげとばされた際、頭を打ったようだ。くらくらする。視界がちかちかして、視野がすごく狭い。不死者といえど、弱点がある。傷はすぐに治ったとしても、脳に受けた衝撃は案外長く残ってしまう。


 近づいてくる手を振り払おうとしたが、身体がうまく動かない。ぴくぴく痙攣する身体がもどかしい。


 逃げるすべなく、由紀子の腕がつかまれた。食人鬼は枯れ枝のような指をしているのに、腕の周りにはゆるんだゴムのような皮膚がたれている。それを揺らしながら、由紀子を持ち上げる。

 振袖をめくり二の腕があらわになる。


(!?)


 生きながら食われるのは小学生以来だった。本当に嫌な経験である。慣れたくもないし、慣れるものでもない。

 皮膚に乱杭歯が食い込むとそのまま由紀子の腕を引きちぎった。むちゃむちゃっと汚い咀嚼音が聞こえる。むき出しになった骨が由紀子の目にうつった。


 傷はじゅくじゅくと音をたてて再生するのかに見えたが、そがれた部分の傷痕に薄皮がはるだけだった。奪われた血肉は自然に再生しない、たしかそうだった。


 由紀子は、遅れてやってくる腕の違和感に声を上げた。まだ痙攣がおさまらない身体を無理やり動かした。着物が着崩れるのも気にせず足を振り上げる。足の甲で何度も化け物の身体を蹴る。弱った化け物は、無理な体勢の蹴りでも十分きいたようでどしんと身体が倒れてしまった。めりっという感触がしたことから、あばらか何かを折ったのかもしれない。


 由紀子は、歪に千切れた自分の腕を見る。ふつふつと血液が沸騰した気がした。気が付けば、醜いただれた皮膚の塊をつかみ、壁に打ち付けていた。骨が砕け、さらにクラゲのようになっていく食人鬼、由紀子は抵抗ができなくなるまで打ち付けると、投げ捨てた。ぼろきれのような化け物は床を滑り、壁にぶつかって止まった。


 それは、生き残るために必要なことだった。自分を食らおうとする化け物に躊躇などしない。それは、前の半吸血鬼にもしたことだった。食われるくらいなら食ってやる、殺されるくらいなら殺してやる、と。

 でも、今回は少し事情が違った。


(……もしかして、死んだ?)


 由紀子はぞくりと背筋に悪寒が走った。やってはいけないことをやってしまったのではないか、と思った。壁にぶつかった化け物はぴくりとも動かない。


 もし、ここでこいつが死んだら、山田はどうなるのか。


 それが、頭に浮かんだ。化け物自体の生死より、それによる結果が恐ろしかった。


 気が付けば由紀子は、自分の痛めつけた化け物のそばに駆け寄っていた。

 どこにあるのかもわからない首の頸動脈を探った。ゆっくりとだが、それは動いていた。


(よかった)


 まだ、これなら、山田は山田少年のままだ、と思ったときだった。


 視界が真っ白になった。がつんと、再び頭を打ちつけられた。ぼんやりと化け物の禿げ上がった頭部が見えた。側頭部を枯れた指でつかまれていた。

 化け物の口からは、ひゅうひゅう、と息が漏れている。


(油断したな)


 食欲のみで動かされるヒトのなれの果てにも多少の知恵が残っていたらしい。由紀子の頭を何度も床に打ち付けると、頭蓋を押しつぶすような力で両手でつかんだ。


 口が大きく開かれ、汚れた乱杭歯がむき出しになる。


(丸かじりする気だ)


 由紀子は身体を動かそうとするが、揺らされた脳ではその司令がおくれない。ぴくぴくと指先と口を動かした。


(頭はアウトだろうな)


 頭を丸かじりされたら、他の部位のようにはいくまい。すぐさま再生するならともかく、脳を欠損したまま戻らないとなると。


(もう、あんな奴のこと心配しなきゃよかった)


 なんできてくれないのだ、こういうときくらい素早く来て普段の駄目なところを返上してもらいたい。

 由紀子は、そう思いながら、声なき声で奴の名前をよんだ。






 がちゃん、がちゃんと派手な音が聞こえてきた。由紀子はそれで失いかけた気を持ち直し、眼前まで迫っていた化け物の口に頭突きをくらわした。


 由紀子はどすんと、落とされた。由紀子の額には切り傷ができたが、食人鬼の前歯は折れていた。


 がちゃんという音は止まり、もっと大きな音が響いた。金属と金属のぶつかりあうような音だ。


(誰か助けにきてくれたの?)


 『誰か』と思ったが、誰が来たのか想像がついていた。いつも危機的状況になってからしかやってこない、ヒーローとしては三流のあいつである。


「由紀ちゃん!」

 

 金属製の重い扉を蹴り倒して入ってくるのは、山田少年だった。その手には、上の階にあったのだろうかぼろぼろの斧のようなものをもっている。


(私、発信器でもついてるのかな?)


 山田の由紀子探索率を考えると思わずにはいられない。それとも、警察犬のごとく匂いで探し出しているのだろうか。


 山田は檻の前に立ちそれをつかむと、食人鬼を睨み付けながら捻じ曲げた。広がった鉄棒の間から中に入り、化け物のもとに向かう。折れた歯をおさえる化け物の腕をつかみ、まるで昆虫の羽をむしるようにちぎって投げた。


 濁った低い声が地下に反響する。山田は顔面をひきつらせながら、残った化け物の腕を掴む。


「よくも由紀ちゃんを」


 あのときと一緒だ。由紀子が以前生贄のように串刺しにされたときと同じだ。


 掴まれた手首は、山田の容赦ない力によってみしみしと音をたてる。化け物の呻きが聞こえた。


 一方的な暴力、それがそこにあった。

 由紀子がやった正当防衛でなく、化け物の本能である捕食行動でもなく、ただ怒りにまかせて、山田少年が化け物を壊し続けていた。


 由紀子は床に這いつくばりながら、無事な方の腕を伸ばす。足はまだ動かなかった。匍匐前進をしながら山田少年に近づいた。


(似合わないって言ってるじゃない)


 由紀子は別にあの化け物がどうなろうが知ったことではない。

 

 でも、手間のかかるお隣さんが似合わないことをするのが許せなかった。


 前にした約束を守るため、彼を止めねばならなかった。


 山田の足をつかみ、由紀子は彼の顔を見上げる。


 山田少年は由紀子に気が付くと、その手に持っていたもう反撃をすることもできない化け物をおろした。


 山田の顔は深く傷ついた顔をしていた。


(なんでそんな顔してるの? 私のほうがしたいんだけど)


 由紀子の思いを知ってか知らずか山田は答える。


「……由紀ちゃん、ごめん。由紀ちゃん、ごめん」


 由紀子の身体を持ち上げて抱きしめた。さすがに食べられた腕は多少の痛みがあったのだが、おとなしくうさちゃんのぬいぐるみの代わりをしてあげた。


「僕が駄目だから……。由紀ちゃんをこんな目に遭わせたんだ」


 山田らしくない言葉だ。


(いや、前々からそうですから、今更ですよ)


 しがみつかれるような抱擁に由紀子は思った。

 山田少年がいると、自分がしっかりしなくては、と思ってしまう。今の姿はすごくボロボロだけど、先ほどまで一人で化け物と対峙していたときよりもずっと気持ちが強くなっていた。


「ごめんね、ごめん。もう、こんな目には絶対あわせないから」


 山田は謝罪の言葉とともに、決意を意思表示した。


(具体的にどうするっていうの?)


 死神に憑りつかれているとしか思えない死亡フラグの多さは、山田がしっかりする以前の問題のような気がする。冗談にしか聞こえないのが、本当に困る。


「ちょうど潮時だったんだ」


 目を伏せながら山田少年が言った。


 山田少年は由紀子の鼻に自分の鼻をくっつけた。そして、左頬を由紀子の頬に擦り付ける。まるで子猫が親猫に甘える仕草だと思った。


(汚いよ)


 由紀子の顔は自分でも嫌なくらい汚れていた。意思表示として、山田の頬を手のひらで軽く押さえるが、少年は気にせず子猫のようなしぐさを続ける。そんなことないよ、とむしろ強く擦り付けてきた。


「由紀ちゃん、お願いがあるんだ」


 「なに?」と口だけを動かした。由紀子はまだ発声ができなかった。全身もまだ重い。


「僕の事、なにがあっても忘れないでね」


 山田の左目には、涙があふれそうになっていた。

 山田はほおずりをやめると、由紀子をゆっくり壁にもたれさせた。


 山田は目を瞑った。たまった涙が一筋、頬を流れて由紀子へと落ちた。


 目を開けたとき、そこには二つの瞳孔の狭い琥珀色の目があった。誰よりも優しく残酷な双眸。

 それは、山田少年のものではなかった。


 由紀子は目を見開き、身体を必死で動かそうとする。でも動かない。さきほどまで、「自分がしっかりしなくちゃ」と思っていた心がどこかに消えてしまう。ああ、消えてしまうのだ、彼が。


(やめて、やめて)


 山田はゆっくりと化け物に近づくと、優しく手を伸ばした。

 前にも見た光景だった。吸血鬼の地下牢で見た、あの光景。


(やめて!)


 由紀子は声をあげようとしたが、その声帯は言語を発することなく虚しい風音だけを響かせた。



〇●〇



「あら? もう来たの?」


 茨木は、巻き髪の振袖女に言った。あの愛おしい人外の実の妹だというのに、その片鱗も似ていない。可愛くない義妹は、離れの床に土足で上がっていた。


「なにが『もう来たの?』なの! 馬鹿にしないで。あんたでしょ、由紀子ちゃんたぶらかしたのは」


 足癖の悪い女は、囲炉裏にかけられた鉄瓶を蹴る。まだ、熱の残った湯がこぼれ、鉄瓶は土間に落ちて転がり竈に当たって止まった。


「たぶらかしたなんて人聞きの悪い。それは、あんたたちでしょ? 人外に理解のある子が不死者になったもんだから、仲間に引き入れようとしちゃってまあ。ヒトはヒト、人外は人外で暮らしたほうが幸せなのに。かわいそうにあの子は、ヒトとして戻ることも知らずに完全に不死者になるところだったじゃない?」


 女、茨木にとっては小娘に等しいものは、目を血走らせる。


「私は、あの子のことを思って」

「思って? 言わなくていい都合のいい理由があったから、言わなかっただけでしょ? 私は、知る権利を与えただけよ」


 別に教えたところで、どうなるのかは考えていない。まあ、ごちゃごちゃになるならなってしまったほうが、茨木としては面白かった。


 その表情が読み取れたのか、小娘はじっと茨木をにらんでいる。別ににらめばいい、うらめばいい、鬼とはそういう役どころだ、今更気にすることはない。

 茨木にとって大切なのはたった一人であり、それ以外にどう思われようと関係なかった。


「あんたがそんなんだから……」


 苦虫を潰した顔で小娘が、反論しようとしたときだった。

 床の間の掛け軸が揺れた。小娘の驚きとともに出てきたのが、茨木のもっと大切な人外だった。


 琥珀色の目は優しさと憂いを浮かべていた。そう、茨木の良く知る彼の目だった。


「しゅて……」


 名前を呼ぼうとしたが、その腕には小娘とは別のもう一人の小娘がいた。血まみれで全身汚物を被った汚い小娘だ。


 食われなかったか、と茨木は舌打ちをする。腕は怪我をしているようだったが、再生しはじめていた。彼女自身は、眉間にしわをよせたまま気絶していた。


「オリガ、彼女を頼む」


 酒呑は小娘を自身の妹に預けた。

 茨木は斜めになりかけていたご機嫌を元に戻すと、最愛の夫に近づいていく。


 たくさんたくさん話したいことがある。いっぱいいっぱい一緒にいたい。ようやく元の姿に戻って、元の彼に戻ったのだから、いなかった五十年の間にあったことをたくさん喋らないといけない。いや、五十年どころじゃない。ずっとずっと長い間、離れていたのだ。千年間ずっと。


 今度の家族は酒呑も気に入ってくれる。茨木は思う。壊れた昔の村の生活をまた取り戻さないといけない。毎日楽しく宴をして、たくさん家族がいればきっと彼も戻ってきてくれる。本当は二人きりがいいのだけれど、贅沢は言わない。そのために、組を大きくしていったのだから。


 今度は絶対壊れない。それだけ強い家族を集めたのだ。


 茨木は酒呑の前に立つと、何百年ぶりかわからない本当の笑顔を見せた。小さな茨木がこの笑顔を見せると、酒呑は優しく頭を撫でてくれた。


 すごくがんばったのだから褒めてもらいたかった。


 だが、茨木の望みも虚しく、酒呑は茨木を素通りした。


 前と変わらず素通りしたのだ。何もないものとして扱うように、通り過ぎた。


 無視したわけではない。

 彼には茨木の姿は見えなかった。千年前のあのときからずっとだ。


 今度こそは、と茨木は思っていた。

 彼が元の姿に戻り、彼が望む家族を作って用意していれば、もしかしたらと思っていた。でも、それは悲しい幻想だったようだ。


 優しい酒呑は千年前の官軍に襲われたあと、茨木を責めなかった。責めることができないほど優しい人外だった。でも、それでは彼も耐えきれなかったのだろう。あのとき、幼い子どももまたすべてが殺された。


 だから、彼の意識は茨木の存在を否定した。


 千年前のあのときから、酒呑の潜在意識は茨木の存在を除外した。


 茨木は自分を見ることのない男の背中を眺めたまま、膝をついた。せっかく着た打掛が嗚咽の涙に濡らされみじめたらしく汚れた。



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