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不死王の息子  作者: 日向夏
高校生編
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104 鬼心、神知らず その参


 掛け軸の奥には薄暗い階段があった。由紀子の足は足袋を履いており、下はなんとなく湿って気持ち悪そうだったので、脱いで歩いた。


 一段一段降りるごとに鼻につく匂いが濃くなる。それは由紀子だけでなく茨木も同様で不機嫌に鼻をならしていた。明かりもついておらず光もどんどん届かなくなっていくが、目がかわりに慣れていくので足元はしっかり見えた。


 階段の一番下まで来るとそこには分厚い鉄の扉が付いていた。一見古臭いつくりに見えたが、取り付けられた鍵は最新型のもので、茨木の網膜を読み取っていた。


 かちゃりと音がして、重々しい音がすると、腐臭は一気に濃くなる。思わず鼻をおさえてしまうほどに。


 そこには頑丈な檻があった。猛獣を囲うにふさわしいそこに入っていたのは、見たこともない異形の生物だった。


(なにアレ?)


 アレとしか形容できなかった。薄汚れた肌色のヒダのようなものがそこにあった。膨らませた風船をしぼませたような、クラゲを肌色にしたようなその気持ちの悪い塊がヒト型をしていることに気が付いたとき、由紀子は思わず口をおさえてしまった。


 見覚えのある乱杭歯。血走った眼球がヒダの間から見えた。


「無茶なダイエットは駄目よね。あんなふうになっちゃうから」


 ころころと笑う茨木。それは、チョウの羽をむしるような残酷な笑みだった。


「あれは……」

「ええ、知っているでしょ? 何度か会ったことあるはずだものね」


 それは食人鬼だった。ゆるみきった皮膚を引きずりながら、生ける屍のごとく由紀子たちに近づいてくる。

 茨木は顔に不快感をはりつけて壁に寄りかかった。美しい着物を着ているのに似合わないやさぐれた顔だった。


「前にいたところでは、ごはんいっぱい食べさせてもらってたみたいだけど、うちは躾が厳しいの。お行儀の悪い子は食事はなしなのよ。まあ、無理なダイエットになっちゃったのはごめんなさい」


 「ごめんなさい」という言葉に、罪の意識はない。残酷な鬼は由紀子のほうを見る。


「こいつはね、酒呑にひどいことをしたの。あの人が優しすぎることを利用して、自分のために食らい続けたのよ。それはもうひどい姿になるまで」

「……そうですね」


(もしかしてあれだったのかもしれない)


 以前、山田の夢に入り込んだ時、夢魔に止められて見なかった記憶。もしかして、あのときが、山田青年が少年になる切っ掛けだったのか。

 夢魔が止めたのも、由紀子には酷すぎる映像だったためなのだろう。山田父や山田母が狂うに十分なひどい仕打ちをされた姿なのだから。


 だからその仕返しと言わんばかりに、茨木は最後の一匹であるこの食人鬼にこのような仕打ちをしている。光も届かぬ地下牢に閉じ込め、十分な食事を与えず、汚物にまみれたまま放置している。


 それでも彼女の怒りは消えない、きっと切り裂き、すりつぶし、燃やし尽くしてしまわないと気が済まないのだろう。それをしないのは、彼女が愛するただ一人の人外のためだ。彼を元に戻すために彼女は、憎らしいただれた皮膚の塊を飼っているのだろう。


「……それで、私は何をすればいいんでしょうか」


 由紀子は、身体が震えるのを必死に抑えながら茨木に聞いた。正直、ここにはいたくなかった。汚くて臭くて怖くて泣きたくなる。でも、泣き出したところで、茨木は使い道のない小娘をどう扱うのかわからない。だから、由紀子はそのように聞いた。


「あらん、泣き出したりしないのね? ちょっと残念」


 やはり、気を張っていてよかった。茨木は下手な動きをすれば、いつ牙をむくかわからない獣のようだった。


「まあ、自分の立場をわかっているほうが、こちらとしても助かるからいいか。そうねえ、あなたに頼みたいことはすごく簡単よ。ただ、酒呑をここに連れてきてほしいだけよ」


 すごく簡単でしょ、とウインクをした。


 確かに簡単だ。意外なほど簡単なことだった。


(ここは大人しくしたがったふりをするのが賢い)


 由紀子はそんなことを思いながら、なぜか口では思いもよらぬことを言っていた。


「それは、直接、山田家のみなさんに伝えたほうがいいんじゃないですか?」


 何を言っている、と頭の中で自分をぽかぽか殴る由紀子がいた。

 案の定、茨木は苛立たしげに舌うちをした。


「あいつらとは相性が悪いのよ。わかる? きっとここに、残りの食人鬼がいるとわかったら、問答無用で隔離するわけよ。安全上の理由だなんだ、言い訳付けて。それだと、私が酒呑に会える機会が延びるじゃない? それに、早くあなたもヒトに戻りたいでしょ? 手遅れになる前に」


 山田姉たちならやりそうだ。今回も夜会がなければ、山田少年がこの屋敷に来ることもなかっただろう。


「わかりました」


 由紀子は背筋にじっとりと汗をかいたまま、うなずいた。それが賢明だと思った。


「では、すぐに呼んできます」


 由紀子はくるりと茨木に背を向ける。急ぎ足にならないように、できるだけゆっくり、冷静を装って階段を上り始める。

 「ヒトに戻れなくなる」、その言葉に由紀子は心臓をわしづかみにされるような気分になった。でも、それ以上に由紀子には気がかりになることがあった。


 一段、一段足をすすめていく。だが、それは三段目で止まった。

 

 肩に鉤爪でもひっかけられたような圧力を感じた。由紀子の心臓は大きくはねる。


「ねえ、知っているかしら」


 耳元で、猫をかぶったような茨木の声が聞こえた。


「鬼はヒトよりも嗅覚も聴覚も優れているの。あなたの心臓の音もよく聞こえるの」

「……そうですか」

「汗の匂いも嗅ぎ分けられるの」

「……すごいですね」

「今、嘘ついたでしょ?」


 どくん、と心臓がはねた。


 由紀子の身体はその瞬間、宙に浮いた。頭蓋を鷲掴みにされ、コンクリの壁にすりおろされる。


(髪型せっかくセットしたのに)


 由紀子は顔半分の皮膚を削られた。そのまま、茨木に檻の奥に投げ入れられた。汚れた床に由紀子の身体は滑っていく。


(山田母、ごめんなさい。クリーニングでも落ちそうにないです)


 腐敗しかかった汚物が振袖についた。それが妙に気になった。


「ちょっと留守番していて頂戴」


 仮にも不死者なら死にやしないでしょ、と茨木は錠前をかけて階段をあがっていった。


 削れた顔が再生する中で、目の前にいたのは、よだれを垂らした食人鬼だった。

 空腹の中で現れた生きの良い食材に、彼はありもしない神に感謝しているようだった。



〇●〇



「由紀子ちゃんがまだ帰っていない?」


 姪っ子の一姫が言ったのはそんな報告だった。


「最初は、迷ったのかと思ったが、遅すぎると思ってな」

「なんでまた、すぐ言いに来ないのよ」


 オリガは少し苛立たしげに言った。


「手水に出かけるのに少し遅いからと見に行くのは失礼だろ? 叔母君とて、細かく詮索されたくないものであろうに」

「それは、そうだけど」


 オリガは顎をつかみながら唸る。

 正直、不死男と話していれば問題ないと思っていた自分が甘かったのかもしれないと思った。由紀子はしっかりしているので、なにかどうしようもない理由がない限り、自分から危ない道に行くとは思えない。


 オリガと一姫がなにやら神妙な顔で話しているのに気が付いたのか、不死男が近づいてきた。


「姉さん、由紀ちゃんがどうかしたの?」


 ストレートに聞いてくる不死男にオリガは目をそらす。


「別になんでもないわよ」

「……なにがあったの?」

「……」


 黙ったオリガに代わり一姫が口を出す。


「由紀子嬢はしっかりしているのだろう? もう子どもじゃあるまいし、菓子や玩具につられて知らない者についていくことはあるまい」

「由紀ちゃん、物欲かなり強いよ」

『……』


 オリガも一姫も黙ってしまう。ああ、そうだ、それにつけこんでいろんな頼みごとをしているのは、オリガとアヒムである。でも、まさかこんな危ないとわかっている場所で物につられるほど愚かではなかろう。そう、オリガは言い聞かせる。


「まあ、それでもよほどのことがない限り、なにもなかろう。私も少し外を見てくるから」


 一姫がとりあえずと案を出すが、不死男は納得がいかないようだった。


「それって、つまりよほどのことがあれば、なにかあるってことでしょ」


 不死男はそのまま、続ける。


「ねえ、姉さん。由紀ちゃんってヒトに戻りたいかなあ?」

「……不死男、それって」


 オリガは不死男のその言葉にあることに気が付いた。もし物で釣られなくても、情報を差し出されたらどうだろうか。

 そういえば、と由紀子の夜会に行く理由を考えてみる。いやに素直に、オリガに都合のいい返事をしてくれた。でも、それに裏があったとしたら。


「姉さんたちがずっと由紀ちゃんに内緒にしていたこと、由紀ちゃんが気が付いたらどう思うかな」


 不死男の言葉が、浮かんできた疑惑を確信にかえようとする。


 オリガの表情を読み取ったのか、不死男は気が付けば消えていた。


「ちょっ、不死男!」


 襖を開けっ放しにして、会場の外に出る。


 オリガは慌ててしまい思わず、着物の裾を踏んで転びそうになった。数十年ぶりに着る着物は、洋服に完全に慣れたオリガにとって動き辛いものへとかわっていた。


「もう!」

 

 オリガは、弟のアヒムの方を見る。アヒムは催しとして人体切断マジックをやりたがる父を押さえこむので必死になっていた。


「使えないわね!」


 説明しておいて、と一姫に言い残しオリガもまた宴の会場をあとにした。


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