103 鬼心、神知らず その弐
宴の内容としては、あまり以前と夜会とかわりなかった。客人が好きなように駄弁る一方で、会場では同時進行で催しが行われる。
上座のほうにある舞台では、現代風のアレンジされた雅楽が演奏され踊り子が舞いを踊っている。歌舞伎役者もあとに控えているようだが、その衣装は派手で古典的なものでなく前衛的なものがあるようだ。
由紀子はいつもどおり食事に没頭することにした。隣では、一姫も同じように食事に夢中になっている。山田母は、時折やってくる人外の知り合いと会話をし、新之助はあきらかにヒトと内臓構造が異なるであろう種族をなめまわすように見ては一姫に小突かれていた。
由紀子側はこうして平和な雰囲気なのだが、山田少年側は大変そうである。山田父がお料理に目をやりながらもやってくる客人の相手をしなくてはいけないらしく、悲しそうに眉を下げていた。両脇には山田姉、兄がいて、山田少年の様子は恭太郎が見ているようだが、たまに露出の激しい人外や舞妓のほうに視線がとぶので不安である。それをフォローするように周りにいるのは、前の夜会にもいた不死者のかたがただ。あの男前のパイロットのおじさんもいる。
(やっぱり着物はきついなあ)
由紀子は五枚目のお造りを平らげ、三つ目のハモの煮凝りを女中から受け取る。由紀子と一姫の間では、大きなお櫃が置かれ、女中の一人がしゃもじを持って待機していた。わんこそばのようにご飯をよそわなければならない彼女は、一種の使命感に燃えているようだった。
山田少年と離れたら由紀子の仕事はないものだと思っていたが、意外なほど声をかけられた。
(そういえば、前のときも声をかけられたな)
子どもだったのであまり意味がわからず、山田兄がすべて引き受けてくれたのだが、今回はいない。話しかけられて由紀子はしどろもどろになる。
(ここは日本なんだから、日本語で話そうよ!)
由紀子の英語レベルは所詮、高校生のそれである。しかも、相手は欧州圏の人外だが、喋っているそれは英語ですらない。「あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」すらきかない。
隣にいる一姫もよくわからないようで、新之助は少し耳をぴくぴくさせたが由紀子の助けにでるような真似はしなかった。
「Sie ist die Braut meines Sohnes」
助けを出してくれたのは山田母だった。ほんわかふんわりおっとりした彼女であるが、見た目によらず語学は堪能である。
山田母の言葉を聞いた男性人外は一瞬目を見開き、なるほどと言わんばかりに頷いて帰って行った。
由紀子はほっと息を吐くと同時に、
「なんて言ったんですか?」
と、山田母に聞いた。
「うふふ、由紀子ちゃんの立ち位置を簡単に説明してあげたのよ」
山田母はにっこり笑うと、また駄弁りに夢中になった。
(息子の同級生とでも答えたわけ?)
しかし、それだけであんなにあっさり納得するものであろうか。由紀子が首をひねっていると、女中が大きなお頭つきの鯛を持ってきた。考えても時間の無駄なので、そちらに集中することにした。
からくり時計の針が九時を回ろうとした頃、会場のみなさんは本当にいい感じに出来上がっていた。お座敷で舞妓、芸妓に酒をすすめられたら断れないものらしく、酔いの勢いも前の宴より早いように思えた。
時間的に未成年である舞妓は先に帰らせたのであろうか、口紅を唇の上下両方つけた女性しか残っていない。
(今日は近くのホテルに泊まるって言ってたな)
由紀子は外を眺める。せっかくきれいな庭園なのに、透かし窓から見える光景が酔っぱらった人外のおっさんどもが大の字になって寝ている姿をみると残念に思える。どこの種族も酔っ払いの姿とはこういうものらしい。
由紀子は上座に座っている宴のホストがいないことに気づく。
着物が崩れないように椅子からゆっくり立ち上がると、
「どこかへ行くのかね?」
袖を一姫に引っ張られた。
由紀子はごくりと唾をのみ込みそうになったが、
「水分取り過ぎたみたいです。お手洗い行ってきます」
と、言った。
「そうか」
と、伊勢海老の姿焼きに手を伸ばした。不自然には思われなかったらしい。
「着物着崩れたらすみませんが、あとで直すの手伝ってください」
「了解」
と、一姫は箸を止めることもなく、左手だけをあげた。
由紀子は、ゆっくり襖を開けて閉めると、ふうっと大きく息を吐いた。
「お待ちしておりました」
いかついおにいさんが由紀子に向かって話しかけてくる。由紀子は一瞬びっくりしたが、顔を引き締めると、案内されるほうへとついて行った。
長い長い回廊を抜け、いくつかの棟を通り過ぎたところにあったのは小さな離れだった。由紀子は差し出される草履をはいて離れへと向かう。
(なんだろう、ここ?)
由紀子は入るなり、そこに漂う空気に酔った。見た目は古い時代の農民の家といった雰囲気だろうか、土間があり、竈があり、畳の部屋があるだけの簡素なものだ。飾りといったら、床の間に飾ってある大きな掛け軸くらいか。でも、そこは微かながら獣のような匂いがした。土の匂いとは違う、汗と脂の混じった汚臭であり腐臭だった。
囲炉裏の前に座っていたのは茨木で、由紀子を見て笑っている。
「いらっしゃい、どうぞあがってちょうだい」
いかにもとってつけたような台詞に従い、由紀子は土間の石段に草履を揃えて上がる。茨木とは囲炉裏を挟んで向かい合って座った。
(よくよく考えると、この人外と話したことないんだよな)
正直、気まずくどうやって話しかけようかというのもわからない。そんな由紀子に、茨木は柄杓で鍋から煮えた湯をすくうと急須にそそいだ。
茶葉は香でよいものを使っているのがわかったが、由紀子はさっきから漂う腐臭が気になってしかたなかった。
差し出される茶碗を一応手にとったが、口にすることはできなかった。以前、茶にいろいろ異物を入れられることがあったため、どうしても躊躇してしまう。
「毒は入ってないわよ」
由紀子の心情を読み取るように茨木が言った。
「猫舌なんです」
由紀子は、持っていても熱い茶碗を下ろす。茶を入れるには少々熱すぎる湯でないかと由紀子は思った。まだ、季節は夏でそうそう茶は冷えることはない。
茨木は口を弧に歪めて由紀子を見ている。だが、笑っているのは口の形のみだと由紀子にはわかった。目障りな小娘とでも思っているのだろうか。
髪の中から白い角が見えている。半開きの口からは尖った犬歯が見えた。
彼女の本性は鬼だ、正直怖くて仕方がない。
(こわい、こわいけど)
由紀子は背筋をぴんと正し、茨木のほうを見る。
「あの手紙の内容は本当ですか?」
由紀子は勇気を振り絞って茨木に言った。
茨木は呆れたように目を見開いた。
「あら? やっぱり、あいつらあなたに本当のこと伝えてなかったのね。かわいそう」
「かわいそう」という言葉をつけておきながら、茨木の顔は笑っている。どこか見たことのある残酷な表情だ。いじめっ子がいじめられっ子に向ける表情みたいだ、と由紀子は思った。
「あいつらは、私のことをエゴイストだって言うわ。でも、それはあいつらも同じだってわからないのかしらね」
茨木は遊ぶように急須を揺らし、適度に冷えた茶を自分の茶碗にそそぐ。
「このまま、あなたはあいつらに利用されたまま歪んでしまったままのお義父さまとお義母さまの面倒を見るつもり?」
「歪んでしまった?」
「ええ、そうよ。歪になってしまったの。最愛の息子を原型すら留めぬ姿にされ、狂わざるをえなかった。何もかも壊してしまう、それだけ不死王は怒っていた。あえて狂った人格を主人格にすることで、それをおしとどめたのよ。じゃなきゃ、あんな天然ボケが人外で幅を利かせる不死者の王のはずないじゃない?」
茨木の言葉を鵜呑みにするわけにはいかないが、それは由紀子が今まで違和感として残っていたことを説明するにはぴったり当てはまった。山田家で見た昔のアルバム、冷たい表情を持った山田父と大人しそうな山田母。別人のようであるのは、違う人格だからということか。
「酒呑、つまりあなたたちでいうフジオが本来あの姿じゃないことは知っていた?」
「なんとなく」
山田少年はなんらかの出来事で血肉を奪われた。そして、今の姿になった。山田青年でなく山田少年に。
今まで会ったうち二匹の食人鬼は、山田の血肉を奪ったものたちだった。
あと一匹か二匹、山田少年が血肉を取り戻せたら元の姿に戻ることだろう。
「あと一匹、酒呑の血肉を奪った汚らわしい化け物を始末すれば、きっと彼は元に戻るわ。でも、それだけではいけないの。彼は優しすぎるから、あんな化け物にでもきっと同情する。あの化け物にはそれは勿体ないことだけど、呪いを解く必要がある。最後の一匹が、酒呑が望まない形で始末されるのは、酒呑が可哀そうよ。わからない?」
彼女のいうことはもっともだ。山田青年なら、食人鬼であろうとかばう、そういう輩だ。そして、由紀子自身もそのほうがいいと思っている。
また、山田の望まない形で食人鬼が解放されたら、以前のように目が覚めないことがあるのかもしれない。あのときは、夢魔にきてもらったが次も同じようにうまくいくものだろうか。
だが、それよりも由紀子はもっと不安になることがあった。
(もし、山田少年が完全に元に戻ったら)
山田少年は少年のままでいられるのか。
由紀子はそのことに気が付いた。
茨木の物言いでは、完全な姿に戻れば山田少年でなく山田青年になるものだと思い込んでいる。実際、それが正しい本来の姿であると由紀子も思う。
でも、それでは山田少年はどうなるのだ。
由紀子は頭の中がぐるぐるするのを、首を振ってかき消す。今はそんなことを考えているときではない、でも、考えてしまう。頭がくらくらするまで振ったところで、茨木を見た。
「それと私がヒトに戻れることと何が関係しているんですか?」
無理やり本題に戻す。
茨木は冷えた茶を口にすすると唇と舐めた。
「ええ、関係しているわ。呪いも祝福も本来は表裏一体。食人鬼の呪いが解けるなら、不死者の祝福も解くことができる。ただ、それには肉体の負担が伴い過ぎるから祝福を解くことは死を意味していることでもある」
「それじゃあ」
やはりヒトには戻れないものかと思っていると、
「条件をいくつかクリアすれば戻れるわよ。祝福を解く相手が不死王であること、本来の寿命をこえるほど生きていないこと、肉体が元の身体に戻る負担に耐えられる健康体であること、そして、不死王の血肉が安定していないこと」
「あんてい……」
最近、耳にした言葉だ。由紀子の体調の変化に山田姉が言った。本来くるべき当たり前のことに対して、山田姉が異常に慌てていたのを思い出す。
(そういうことだったのか)
由紀子は山田姉と兄が黙っていたことにもだが、それに気がつけなかった自分に腹が立ってきた。あの慌てぶりなら、由紀子がなにか言えば大人しく白状したかもしれない。
「今の不死王は狂っている。おそらく、祝福をうまく解くことはできないでしょうね」
だから、黙っていたのだろうかと由紀子は思ったが、それが焼石に水の言い訳だった。子ども扱いせず、知っていることはすべて教えてもらいたかったと言ったら、由紀子の言葉は傲慢なのだろうか。
「不死王が狂った原因は、汚らわしい食人鬼たちのせい。そいつらがいなくなり、最愛の息子が元の姿に戻れば、元の人格に戻れる、そう思わない?」
「元の人格……」
茨木の確かめるような言葉はもう一つの不安も秘めていた。
山田少年が山田青年に戻ることと同時に、山田父も山田父でなくなる、それならば、山田母も山田母でなくなるのではなかろうか。
三人が三人とも本当に迷惑な人外だ。由紀子は何度ろくでもない目にあったかわからない。でも、それでも、五年もお隣さんとして付き合ってきて、いいところもあるんだってわかってきた。
由紀子の顔に浮かんだ不安を増強させるように茨木はにやりと笑う。
「ねえ、この部屋、なんだか臭いと思わない? せっかくのお茶の香りも台無しになるくらいに」
由紀子が遠慮して言えなかったことを茨木は言った。そして、座布団からゆっくり腰を上げると、床の間の掛け軸をずらした。そこにはまるで忍者屋敷のごとく抜け道が作られていた。
「ついてきてくれる」
目を細めて茨木が笑った。
汚臭はその抜け穴から漂っていた。