101 ラブコメのちダークサイドフラグ
「てっきり去年あったものだと思っていました」
由紀子は昨日届いた封筒を山田姉に見せる。同じものが山田家にも届いているところを由紀子は知っている。見たことがあると思ったら、山田兄が受け取っていた書留と同じものだった。和紙でできた透かしの入った上品な封筒だった。
「……あのババア」
蚊の鳴くような小さな、でもはっきりとした声が由紀子の耳に届く。正直、山田姉もかなりの年齢だが、それ以上にあの怖いおねえさんは年上だ。いうまでもなく鬼人の茨木のことだ。
由紀子がすでに「あった」と思っていたものとは、人外たちの夜会のことである。オリンピックばりに行われるそれは、由紀子の記憶では四年に一度だったはずだ。由紀子が小学校の頃にあったものなので、計算すると去年あっていたはずだった。
「ええ、まあ、普通はそうなんだけど、皆長生きだから一年二年の誤差はでちゃうのよ。やる側によっては十年くらいしないこともあるし」
「アバウトですね」
おおざっぱにもほどがあると由紀子は思う。
「ええ、アバウトなの。まあ、ホストはもてなすためにいろいろ準備が大変だし、やりたくてやっているわけじゃないところもあるし。あれ、一応諸経費は出るけど、結局持ち出しになる場合も多いのよね」
「参勤交代みたいなものですか?」
「そんなとこ」
たしかに、小学校の頃にあった宴はたいそう立派なものであった。それに見劣りしないものをやるとなれば、費用も労力も必要になる。いろんな種族が集まる場でもあるので、見栄の張り合いもでてくるのだろう。
山田姉はテーブルの上に置かれた夜会の招待状を手に取ると、「見ていい?」と由紀子に確認した。由紀子はこくりと首を縦に振る。今、中にあるのはどうせ山田姉も見たことがあるものだから。
ネイルの施された指が封筒を開き、中から金箔、銀箔の散りばめられた美しい和紙が出てくる。同封されているのは、そのほかに参加の有無を知らせる用紙と返信用封筒だった。
「信じられない、わざわざ調べて送るなんて」
山田姉が赤い爪を噛む。
「ええ、祖父が受け取ったようですけど、あんまり干渉しない家族で助かりました」
もし、中身を見ていればなぜ人外の宴の招待状がなぜ孫に届くのか首を傾げるに違いない。目ざとい兄ならば勝手に開けていたかもしれないが、現在、合コンに入り浸っている。某犬耳娘への淡い気持ちを何もしないまま破れてしまってからだ。まあ、やぶれかぶれのようにも思えるが、二次元に入り浸らないだけましだろうか。
山田姉は参加の是非を書く用紙を広げると、由紀子に筆記用具を渡す。
「別に強要じゃないから、はっきり断っちゃえばいいわよ」
山田姉はにっこりと笑う。だが、その笑顔はすぐ怪訝なものにかわる。
由紀子が是非の是に丸をつけたためだ。参加の意思を表明した。
「修正液使う?」
「間違えてませんよ」
由紀子は首を振って、筆記用具をテーブルの上に置く。
「由紀子ちゃん、いいの? 正直、あの女は危なっかしいわよ。何しでかすかわからないから」
山田姉は少し体をのりだしてきた。
「でも、そんな人外でも宴のホストを任されるくらいの権力はあるんですよね。そういうかたのお誘いを断るのは、あとあと問題が残るんじゃないですか? それに、山田家のみなさんは全員行くでしょうし、私一人残っているのも不安だし……。あと……」
由紀子は視線をずらして、ソファの上に体操座りをする山田少年を見る。まさに真っ白に燃え尽きたという顔でその場にいる。双頭犬のハチが慰めるようにほっぺたを舐めていた。
夜会の招待を受けてからずっとあの調子だという。
山田はいまだ、あの茨木が苦手なようである。
「あんな山田くん、放置していて大丈夫ですか?」
「……」
山田姉は、きれいに整った眉を歪めるとまた爪を噛む。せっかくネイルしているのに、先が歪にかわっている。
山田姉は深く息を吐く。いつもなら綺麗に巻かれた髪がばらけている。
「正直助かるわ。いつもごめんなさい」
「大丈夫です、慣れましたから」
山田姉が目を潤ませながら由紀子を見る。由紀子はなんとなく居心地が悪くなって目をそらす。
「ねえ、由紀子ちゃん。本当にうちの子にならない? アヒムか恭太郎、好きな方あげるから」
前にも言われたことをもう一回言われた。また、選択肢に山田少年は入っていない。前ならその理由はわからなかったが、今なら理解できる。
「うち婿養子派なので」
目をそらして答えると、視界の端に挙手する山田少年が見えた。とりあえず無視する。
山田姉は残念そうに「そう」とつぶやくと、時計を見て慌てた。時刻は八時前、朝早い時間の訪問は迷惑だと思いつつ、由紀子は来ていたのだった。昨日、招待状が届いた時点で行くべきだったかもしれないが、いろいろ思うことがあって翌朝となった。
「ちょっとお仕事行ってくるわ。不死男、留守番頼むわね」
ブランド物のバッグを引っさげるとさっさと出かけてしまった。
山田家には、山田母も父もおらず山田兄と一緒にでかけているらしい。おそらく夜会のことで話し合いでもしているのだろうと、由紀子には想像がついた。
山田兄も姉も仕事持ちなので、大変だなあ、と由紀子は他人事のように思うと、ソファで丸まってごろごろしている山田少年の元に向かう。
ハチはいつのまにか外にでて、チョウチョを楽しそうに追いかけていた。もう大きくなったというのにハチはまだ子ども気分が抜け切れていない。
「行きたくなきゃ、行かなきゃいいじゃない?」
由紀子は山田少年に言った。
「それができたらいいんだけどさ」
山田らしくない反応である。
由紀子はソファの空いた部分に座ると膝に両肘をのせて頬杖をつく。
「怖いから? なんか殴られると痛そうだもんね」
由紀子は自分で言っておきながらそれはないな、と首を振る。山田少年には物理的な攻撃はほとんどやるだけ無駄なものである。
案の定、山田少年も首を振る。
「違うよ。息苦しいんだ。あの人は、僕を僕じゃないものとして見ている。違う型に押し込めようとする」
言われている意味がわからなくもない。以前なら、「何を言っているんだ?」ということも、今の由紀子には理解できる。そこまで、由紀子は山田家の事情に踏み込んでいた。きっと、山田家の面々が思っている以上に。
「そのうち、僕は僕じゃなくなって、その型に当てはまった生き物にかわっちゃうんだ。たぶん、そのほうがずっといい子の僕なんだって思う。姉さんも兄さんも、たぶん父さんも母さんも喜ぶんだ、きっと。ずっと待ってたから」
山田少年はぼんやりした目を天井に向ける。そこには、一般家庭ではお目にかかれない素敵なシャンデリアがぶら下がっており、照明自体と外からの光でガラス飾りがサンキャッチャーとなり光をちりばめて輝いていた。
「そんなこと、ないと、思うよ」
由紀子は自分が偽善を口にしていると思った。正直、山田姉や兄たちがどのように思っているのか知らない。でも、無言のままだと肯定しているようで気が引けた。だから、月並みな慰めの言葉をかけた。
山田少年はむくりと起き上がると、肘おきに背中を向けて由紀子の方を見る。
「由紀ちゃん、抱擁していい?」
お決まりの言葉には、いつものように両手を広げたポーズは付随していない。体操座りをしてうかがうように由紀子を見ている。いつものように馬鹿みたいな行動にでてくれればいいのに。
(わかってやっているのだろうか?)
由紀子は思わず「仕方ない」と言おうとして、口をおさえる。わかっている、わかっているのだ、これで何度騙されたのかわかっているのだ。
「……だめ」
目をそらしながら言うが、山田少年は由紀子から目をそらさない。
「どうして?」
前はしてくれたのに、と山田は小さく言った。
「大きくなってほいほいするもんじゃないからだよ。それに、恥ずかしいから……」
どくんどくんと、自分の心臓の音が聞こえてしまいそうで怖かった。絶対、変だ。最近は少なくなったとはいえ、こんなスプラッタ少年にどきどきさせられるなんて絶対おかしい。思わず、心臓の上をぎゅっとおさえてしまう。
「いや、むしろ大きくなってからのほうが……」
山田の顔がいつのまにか、きりりとなっている。「大きく」という部分がやたら強調されているように聞こえるのは気のせいだろうか。
「じゃかあしい!」
思わず叫び、そばにあったクッションを投げつけた。なにかわからないが、とてつもなく腹立つ顔だ。
やっぱり危なかった。いつもどおりの山田少年だ。うん、踏みとどまってよかった。
「ずるいよ、山田くんは。私ばっかり、いつも恥ずかしいんだよ」
由紀子がほんのり顔を赤くして、腕を組む。すると、山田は足を投げ出して自分の胸の上に手を置いて、首を横に振る。
「そんなことないよ。僕もすごく恥ずかしいよ。心拍数も上がってるし」
山田は自分の心音を数えるように、とんとんと自分の胸を叩く。その速度は、ヒトの心拍数と変わらない速度だろうか。不死者の心拍数は、ヒトのそれよりもずっとゆっくりしている。つまり、とても速く心臓が打っていることである。
「僕がすごくどきどきしているの、由紀ちゃんにはわからない?」
「わかんない」
「わかってよ」
由紀子がそっぽを向いて言うと、いきなり山田少年に手を掴まれた。
「な、なに?」
「これでもわかんない?」
由紀子の手のひらは山田少年の胸に当てられていた。先ほど少年が拍子をとっていた速さよりもずっと早く心臓が鐘を打っていた。
びっくりして由紀子の心臓もどんどん心拍数をあげていく。
「どきどきしてるでしょ」
「してるね」
「僕だからどきどきしてるんだよ」
『僕だから』、それは『山田少年』だからということだろうか。『山田青年』であれば、どうなるのだろうか。
(平然と、誰に何をされても穏やかなままでいる)
そんな気がした。ゾウみたいな、クジラみたいな、大空みたいな、大海みたいな穏やかで残酷な人外。その型に当てはめようとするからこそ、山田少年は茨木が怖いのだろう。茨木が山田を『山田青年』と認識することで、山田は『山田青年』になってしまう。
だから、山田少年が由紀子に触れたがる。
(私にとって『山田』とは『山田少年』のことだから)
由紀子が山田少年を認識することで、『山田少年』となる。
なんだったろうか、哲学の勉強であった気がする。そこにあるものと認識することで、ようやくそこにある存在となる、そんな考え方が。
山田少年の手はいつのまに由紀子から離れていたが、由紀子の手は山田の胸から離れていなかった。波打つ心臓は速度をそれ以上速めることはなかったが、減速もしなかった。
今、こうして由紀子が触れていることが、『山田少年』を定義づけているのだろう。
「山田くんの心臓の音だね」
当たり前であって、当たり前でないことを由紀子は言う。
「うん、そうだよ。僕の音だよ」
山田はゆっくりと身体を起こすと、由紀子に近づいてくる。
しかし、由紀子は手を伸ばしたまま、山田少年に触れているのでずるずると押される。そのままソファの反対側までいった。
(……これはもしかして)
かな実や織部によく言われる「迂闊」という言葉を思い出す。普段、しっかりしているがどこかつめが甘いのだと。
山田家のみんなは出かけている。
ハチはお外で遊ぶのに夢中で、空気の読めるポチは間違ってもやってこないだろう。
「由紀ちゃんはずるくないかな?」
「な、なにが?」
「僕は恥ずかしいどきどきをずっと聞かれているのに、由紀ちゃんは全然聞かせようとしない。それはフェアじゃないと思う」
山田の目はわんこのそれになっている。おやつをねだるわんこでも、遊んでもらいたいわんこでもない。ニワトリとかウサギとか見たらつい追いかけたくなるわんこの目だ。
「別にフェアっていうか、山田くんからしてきたんじゃない?」
由紀子は目をそらしながら言った。その手はまだ山田に触れたままだが、離すと一定に保たれた距離が縮んでしまいそうで怖い。
「うん、そうだけど、ちょっとずるい。ならなんで、今もずっと離さないの? ってか、足も入ってるし」
「それは……」
山田がこれ以上近づかないためにも、足癖は悪いが山田の腹に足をいれている。ぐいぐい押し返すがびくともしない。いつのまに山田は由紀子に覆いかぶさるような体勢になっていた。さすがに由紀子でも、これはやばいと思ってしまう。
「由紀ちゃんが嫌なら何もしないよ。でも、結構ずるいよ、アンフェアだよ。そこのところはわかってる?」
山田は首をかしげながら悲しそうに眉をひそめるが、どうにも今の体勢を見ると胡散臭い顔に見えてしかたない。
「いや、それっておかしいよ。じゃあ、早く離れてよ」
由紀子が抗議すると、
「その前に由紀ちゃんが手と足をどけてくれたら、離れるよ」
と、山田が言い返す。
山田が言っていることが本当なら由紀子はすぐに手足をどけただろうが、どうにも胡散臭い。散々、かな実が言っていた言葉が今頃になって身に染みてわかった。いや、わかっていたはずだ。わかっていたけど、なんだかんだで忘れてしまう、本当に自分は学習能力のない迂闊な生き物だと由紀子は思う。
(もしかしたら本当かもしれないし)
そんなことを考えて距離を縮めたらどうなるだろうか。
(何もしないって言ってるし)
そんなもの嘘だったらどうするだろうか。
頭がぐるぐるとなる。
「由紀ちゃん、つらくない? その体勢?」
山田少年がちょっぴり楽しそうに笑う。こんな意地悪な性格を持っていたんだな、と思いつつこれは山田少年でしかないと感じる。そうだ、あの現人神のような山田青年であれば絶対しないことだろう。
「うるさい!」
ぷるぷると手足がしびれて限界に近づいてきたとき、山田少年の手が動いた。
そのときだった。
「たらいまー」
陽気なニートの声が玄関のほうから聞こえてきた。ご機嫌らしく廊下をステップ踏むように歩いてリビングに近づいてくる。
「お帰り、恭太郎兄さん。朝帰りだね。ナンパでも成功した? アドレスはちゃんと聞いた?」
山田少年が笑顔で迎える。しかし、その声は単調な棒読みだった。
「まあな。そんなの基本だろ。でなきゃ、こんな時間に帰らねえから」
恭太郎はにやりと笑う。
あまり現役女子高生の前でそんな話はしないでほしい。
「……おじゃましてます」
由紀子はソファの肘おきにおでこをつけるように俯いたまま言った。恭太郎は首をかしげたが、由紀子が恭太郎に興味がないように、恭太郎も由紀子に興味がないのでそのままスルーしてくれた。本当にありがたかった。
「あれ? おふくろたちは?」
「アヒム兄さんと出かけてる。姉さんは仕事」
ふーん、と恭太郎は冷蔵庫を開けると、牛乳パックに直接口をつけて飲み干す。
山田少年は恭太郎の前に近づくと、
「兄さん、携帯貸して」
と、手を伸ばした。
「おまえ、自分のがあるだろ?」
「充電切れてるんだよ」
「あんまり使うなよ」
「兄さんは払ってないけどね」
「うん、そうだね」
しぶしぶと恭太郎は携帯電話を渡す。
山田は携帯を開けると、
「兄さん、今の彼女の誕生日っていつ?」
と、わけのわからないことを聞いた。
「今はまだ、もうすぐできるけど」
「じゃあ、前のは?」
「忘れた」
遠い目をして恭太郎が言う。なにか辛い別れだったのだろうか。
「じゃあ、元彼女の胸囲は?」
「トップは八十九センチだ」
即答する。
本当に駄目な人外だな、と由紀子は思いつつなぜ山田がそんな質問をするのだろうと思った。
「ええっと、ぜろぜろはちきゅうだね」
山田が何かを打ち込むと、何か機械音が響いた。
「はい、兄さん返すね」
山田が大変いい笑顔で携帯を返すと、恭太郎は不思議そうに携帯を受け取る。
(早く帰ろう)
由紀子はまだまだおさまりそうにない心臓をおさえながら山田家を後にすることにした。
山田家を出てうちにつくまで半分の距離で「俺の携帯がーーー!」と、恭太郎の叫び声が聞こえてきた。
なんとなく想像していたが、ご臨終としか言いようがない。
(おかげで助かりました)
由紀子は山田家に向かって合掌する。
外はだいぶ日差しが強くなっていて、由紀子の火照った顔をなかなか冷やしてはくれなかった。
ふと、由紀子は足を止めると、ジーンズのポケットから一枚の紙を取り出す。
金箔銀箔の散りばめられた豪華な便箋は、山田姉に見せた招待状の封筒の中に入っていたものだった。山田姉に見せる前に抜いておいたものだった。
二つ折りにしたそれを由紀子は開く。そこには、筆文字でこう書かれていた。
『ヒトに戻る方法を知りたくない?』
先ほどの山田以上に胡散臭い言葉だが、それに興味をひかれないわけにはいかなかった。
自分に言い聞かせるように、不死者としての道を進むことを考えてきたが、それを完全に受け入れられるほど由紀子は大人ではない。
嘘なら嘘で仕方ないと諦めがつくが、もしそれが本当だったらと考えてしまう。
ならば、なぜ山田家の面々はそれを由紀子に教えてくれなかったのだろうか、と。
だから、由紀子は山田姉にはそれを知らせず、夜会への参加を決めたのだ。自分で確かめないと気が済まなかった。
その結果次第では、山田家への態度も変えなければならないと思いながら。
(私ってずるい生き物なのかな)
そんなことを考えているうちに、赤く染まっていた頬は元の色に戻っていた。
冷静に物事を考えるようになった自分は、本当にとうにヒトでなくなったものかもしれないと思いつつもそれを諦めきれないのだ。
由紀子は、便箋を指で細かくちぎった。原型をとどめなくなった紙片は入道雲の背景に飲み込まれるように吹き飛んでいった。




