100 便宜上トマトとピーマンは緑黄色野菜
(あっちー)
まだ、日も出始めたばかりの時刻だがずっと動いていると、やっぱり暑いものだ。由紀子は見慣れた畑の真ん中で大きく息を吐く。
由紀子は額の汗をタオルで拭いながら、両手に籠を抱える。中には真っ赤に熟れたトマトが入っている。本来、緑色が残ったまま収穫しないといけないものだが、近所の直売所で販売するため問題ない。朝どりのトマトは一つの目玉商品なので、午前中には大体売り切ってしまう。
由紀子は滴のついたトマトを一つつまむ。実は大きいが雨に当たったためか、割れて傷物になっていた。タオルで表面を磨くとかぶりつく。
(おいしーわ)
少しぬるいが、よく熟したそれは程よい酸味に濃厚な甘みがあってものすごく美味しい。よくテレビでお取り寄せなどで、信じられないくらい高い野菜が出回っているが、正直、地場産のとれたてが一番おいしいのだと由紀子は思う。
トマトのヘタを地面にかえし、二個目をもごうとすると、
「由紀子、さぼってんじゃないよ」
と、祖母の声が聞こえた。軽トラにトマトの他にキュウリとナスを積んでいる。
二個目のトマトにかぶりつきながら由紀子は籠をトラックの荷台に乗せる。
祖母は籠のトマトをつかむと眉間にしわを寄せる。
「やっぱ雨ふるとすぐ割れちゃうねえ。値段下げとかないとね」
野菜にも格つけがあり、日高家の場合、秀、優、良、キズとつけている。優秀という言葉があるが実は優よりも秀のほうが上なのである。
直売所の場合、作物に名前が表示されるため目ざとい消費者は、それを見て野菜の良しあしを決めることもある。傷物には傷物なりの値段をつけておかないと、目の肥えた消費者には売れないし、あとあと悪い評判になるかもしれない。
野菜を全部荷台に乗せると、祖母と由紀子はトラックの荷台に乗る。運転するのは祖父で、タオルを巻いた後頭部が見える。
この後、家の納屋でトマトの品定めをし、袋に詰める。値段のついたシールを張って母と由紀子は直売所に持っていく。
祖父はそれとは別に昨日とっていた野菜を市場へと持っていく。
そのあいだに祖母は朝食の準備である。
正直、直売所のほうが割のいいのだが、収穫物を全部持って行ったところで全部売れるわけではないのだ。
野菜は多く売れば売るほどもうかるものではなく、逆に値崩れを起こすものである。豊作で野菜あまりがすすめば、箱代も稼げない場合もある。
「需要と供給は大切だからねえ」
母の口癖である。日高家がこまごまといろんな作物を作っているのもリスクヘッジのためである。同じ作物を大量につくったほうが手間は省けるのだが、豊作で値崩れをおこしたり逆に病気や虫にやられることを考えるとこちらのほうがよいというのが母の選択である。
(農家って大変だ)
そんなことを思いつつ、由紀子は数年前までなんとなく自分がこの家のあとを継ぐのだと思っていた。兄は農業には興味ないし、農業用地を他の目的で使うには由紀子の家の付近は不便だ。割と地価の高い駅前の土地は現在賃貸住宅と駐車場になっている。農業で食えなくてもなんとかなるし、祖父母が元気なうちは兼業でもやっていけそうだったからだ。
由紀子は顎を両手で支えながら、がたがたと荷台で揺られる。
(どうしようかな? 進路)
夏休みが終われば、進路調査がまたおこなわれる。前回は、適当に自分の偏差値にあった大学を書いていたが今度はどうだろうか。
(行っても無駄なんだろうな)
どうせ大学を卒業して数年後、下手すれば在学中に由紀子のヒトとしての人生は終わる。そして、人外として生活をリセットさせられるのだ。
ならば、私立だろうが国公立だろうが大学には行かずに家の手伝いをしたほうがいいのではないのか。少なくとも授業料は無駄にならずに済む。
そんなことを考えながら、また一つ傷物のトマトにかぶりついた。
(まーた、なんかやってるな)
由紀子は両手に野菜を入れた段ボールを持ったまま、お隣さんの門を見る。へんてこな着物を着た集団が「おぼえていろー」と月並みな捨て台詞を吐きながら逃げていく。服はみんな赤黒く変色していたが、おそらく彼らにけがはないだろう。
(陰陽師かなにかかな?)
山田家では時折、エクソシストやら除霊師やらモンスターハンターといったファンタジーな職業のかたがたが現れる。血みどろに迷惑な点をのぞけば平和な山田家であるが、一応伝説級のモンスターなので仕方ない。
怪しげな集団が全員、車に乗って逃げ去っていくところを見送り、由紀子は門をくぐる。陰陽師とやらはもうかるのか、乗っていたのは海外メーカーの車であった。
「こんにちはー」
由紀子はいつもどおり山田家を訪問すると、中では山田母がモップでエントランスのおそうじをしていた。働き者の山田母であるが、モップの端にまだうごめく内臓が引っ掛かっていることを教えてやるべきだろうか。誰のモツなのかは言わずもがな。
「由紀子ちゃん、いつもありがとうね。ごめんなさいね、今汚いおうちで。外でオリガちゃんたちがお茶しているから、一緒にケーキ食べていってちょうだい」
とてもさわやかないい笑顔で、モツの引っ掛かったモップをバケツの中でぐりぐりする。モツは持ち主に似たのか、なかなか感情表現豊かで、ぴくぴくと震えるように由紀子に手(?)を振っていた。
由紀子は外から庭のほうに向かう。バラの緑が濃いアーチを抜けると、山田姉が優雅にお茶を飲んでいた。その背景には、疲れた顔で変な文字が書かれたお札や刀の折れた刃のようなものを片付ける山田兄と、なんだか身体のバランスが悪い山田父がいた。そして、そのさらに向こうには、真っ赤な実をつけた木を世話する山田少年がいた。
「あら、由紀子ちゃん、いらっしゃい。ケーキ食べる?」
「いただきます」
テラスの開いている椅子に座る。本当にセレブな奥様がアフタヌーンティをするのにぴったりなお庭だ、一部背景をのぞいて。
早速、ケーキをホールで出してくれる物わかりのよい山田姉である。生クリームたっぷりにフルーツがふんだんに盛られておいしそうだ。しかし、紅茶の代わりにほとんどとかしバターとしか言いようがないバター茶を出そうとしたので、それは断ってただの麦茶をいただく。
「夏は麦茶に限りますから」
そう言ったものの本当はアイスティーが欲しかったりする。視界の端っこによく冷やしたオリーブオイルをソムリエばりに用意した山田兄が見えた気がするが無視しておこう。
「由紀ちゃーん」
山田少年が木の上から手を振っている。由紀子は「はいはい」と手だけ振り返したが、山田少年がぶんぶん振る手と呼ぶ声をやめないので仕方なく木の近くにくる。
(あれ?)
由紀子は首を傾げる。
(そういえば山田くんの家ってリンゴの木あったっけ?)
バラはあったが、果物の木はなかったはずだ。
よくよく見ると、その木は由紀子の見慣れたものであった。
「すごいでしょ、由紀ちゃん。毎日ちゃんと世話したら愛情は植物にも届くんだね」
「……すごいね、このトマト」
木のように見えたが、青臭い匂いがする。赤い実は、由紀子の家でたくさんとれる野菜と同じものだった。
「うん、今年からこちらに植え替えたらすごく大きくなったんだよ。やっぱり日当たりって大事だね」
きりっとした顔を見せる山田。
(うん、トマトって多年草だったね)
山田の物言いから、数年前から育てているのだろう。どうやって越冬したかについては、
(きっと肥料が良すぎるんだよな)
と、身体のバランスが悪い山田父を見て思った。山田父は、モップバケツからようやく帰ってきたモツと感動の再会を果たしていた。あまり食欲がわかない光景を繰り広げながら、内臓は山田父に戻っていく。
「はい、どうぞ」
山田少年が上のほうの日当たりのよい部分のトマトをもいで渡す。ぬるいが形、大きさともによく、野菜には目の肥えた由紀子も「ほお」と息を吐いた。
うじゅるうじゅるな光景が隣で繰り広げられる中、山田が「早く食べて」と目を輝かせている。以前なら食欲がわかず断っていただろうが、生き物とは成長するものである。
「ケーキ食べたあとだから、あんまりおいしく感じないよ」
と、断りを入れて口に含む。
(こ、これは!)
由紀子はあまり期待せずに口に含んだトマトが、期待を裏切りまくっていることにおどろいた。ほどよい酸味と爆発するような果汁、そしてメロンにも負けない甘さ。デパートの高級青果店で化粧箱入りで一万円で売られていてもおかしくないレベルだった。
「お、おいしい」
思わず口にしてしまう。ぬるいうえ、口に残ったケーキの甘さがあってなおこの美味しさだ。
「でしょ」
山田は誇らしげに胸をはる。生産者の血筋はここにも流れているらしい。
由紀子はおいしいものを愛する少女であるが、同時に生産側にたずさわるものでもある。朝、食べた家のトマトよりも山田少年のトマトのほうが美味しいという事実に思わず眉間にしわを寄せてしまう。
由紀子の母がこれを食べたら、土壌改良からはじまりはては品種改良まですすめてしまうほど悔しがるだろう。
(恐るべし、山田家の生産者魂)
山田少年は、トマトの実ひとつひとつ目をこらしてみながら、完熟したものだけを採取していく。時折、アブラムシがたかっている部分があれば、牛乳をといたスプレーを吹きかけたり、筆でぱたぱたと落としている。
生産者というより職人に近いものを感じる。
由紀子はまた、ケーキの続きを食べ始めていると、門の影に隠れてびくびくしているヒトを見つけた。黒っぽい服に帽子をかぶっている。どうやら郵便屋さんみたいだ。
由紀子が郵便屋さんに近づくと、郵便屋さんはびくっと奇妙な動きをして手を合わせる。その手には封筒がはさんであった。
「すみませーん。なんか、書留みたいですよ」
由紀子が山田家の面々に向かって言うと、山田姉が顎で山田兄に指図をする。山田兄は、腕まくりした袖を戻すと、リビングから筆記用具を持ってやってきた。
「すみません、どうぞ、お茶の続きをしてください」
山田兄がそういうので由紀子は戻ろうとする。
しかし、山田兄が郵便屋さんから書留を受け取るとき、一瞬眼鏡の奥が険しくなったのを見逃さなかった。人外になれていないだろう郵便屋さんは「ひいっ」と声を上げた。
(どうかしたのかな?)
聞いたところで、よそのうちのプライベートに首を突っ込む真似となるだろう。
由紀子はとりあえずまたケーキを貪ることにした。
ホールケーキを三つ食べ終えて由紀子が家に帰ると、玄関先に封筒が置いてあった。書留の紙がついたそれは、どこかで見たことがあるものだった。
首を傾げながら封筒を手に取って裏返すと、差出人の名前が目につく。
(なんで住所知ってるのかな)
由紀子は『茨木』と書かれたそれを見て思うのだった。