99 タラララーンターラータッタラーン
「これからどうしようか?」
皆が皆、天然のプラネタリウムを眺めるため、仰向けになっている。
「明日の夕方にはまた潮は引く。くるぶしくらいまでつかるかもしれないけど、出られないことはないはずだ。ここまで水はくることないだろうし」
岩佐が絆創膏だらけの顔で言う。この程度の傷ですんだのは、比較的トラブル慣れしているものたちしかいなかったからだ。
「明日まで……」
かな美が頭をおさえながら目をしぱしぱさせている。
(何か見たのかな?)
彼女が未来視を見るときによくやる仕草である。眉間にしわを寄せていることから、まだはっきり見えていないのだろうか。
なにかあれば言ってくれるだろう。
(明日までってことは)
由紀子はぐるぐると鳴るお腹をおさえる。持ってきたチョコレートはすべて消化した。丸一日空腹に耐えられるだろうか。
だが、それ以上に緊迫した問題があった。
「ねえ、明日ってことは、トイレはどうするの?」
由紀子は額をおさえながら言った。
かな美が真っ青な顔をする。何かを見ようとしていた集中力はその一言できれてしまったらしい。
伝染するように、犬山も顔色を悪くした。
『はあ?』
野郎どもはデリカシーのない顔で疑問符を浮かべた。
「んなもん、そこらへんで……」
織部にあるまじき失態である。かな美の平手が舞う。いつのまに青かった顔は真っ赤になっていた。
椛の模様を頬につけた織部は眉間にしわを寄せながら熱を持った部分を撫でる。
わかっていない、ものすごくわかっていない。女の子にとってそれは重要な問題だ。しかも周りは遮蔽物のない洞窟である。
(森の中でも抵抗がありまくったのに)
小学生の夏休み、長かったサバイバル生活を思い出す。でもあの時は、正直、今よりずっと危機感が強い状況であったし、用を足すにも隠れる場所はいっぱいあった。
(水飲まなきゃよかったかも)
そんなことを考える。
「ここって他に出口ないの?」
山田少年が珍しく建設的な考えを述べる。
「うーん、あるとしたら、あそこくらいじゃねえのか?」
あそこ、と岩佐が指さす先は、崩れ落ちた天井である。
「のぼるの無理だろうけど」
「なら言うな」
織部が胡坐をかいていう。
高さは五メートル以上あるだろうか。
「崖なら登れるけど、ドーム状になっているとさすがに無理だよな」
さすがヤギさんである、崖なら登れるらしい。アルプスの岩壁にたたずむ織部を想像すると思わずにやけてしまう。
「じゃあ、織部くんをあそこまで投げて引っ張ってもらうとか」
「なあ、山田。おまえ、本当は俺の事嫌いだろ?」
山田少年の無茶な提案に織部が突っ込む。
「いや、織部くんが一番小っちゃいから、投げやすいと思ったんだよ。せっかくヒーローになれるチャンスだっていうのに」
山田が心外だ、という顔をする。
「その前に死ぬ! 大体、そういう危ないことはお前やれよ」
「僕は重いから無理だよ。それに一番力があるのは僕だと思うし」
言われてみればそうである。
皆の視線が織部に集まる。
「織部、みんなのために犠牲になって頂戴」
「いいなあ、かっこいいぞ、織部」
「……織部くん」
由紀子は、さすがにそれはないだろう、と思い、他になにかあるだろうかと考える。
「!」
意外と考えつくものであったが、それはそれでないない、と頭を振る。
それを見ていた織部は、由紀子に助けの目を向ける。
「ひ、日高。おまえ、なんか思いついたんだろ? ちゃんと意見を言えよ。黙っていちゃわかんないだろ」
「いや、でも……」
由紀子がためらっていると、かな美が由紀子の前に立ち、真摯な目を向ける。
「由紀子ちゃん、こういうときは何でもいいの。とりあえず意見を述べて」
かな美のなぜかいつも以上に迫力のある態度に負けて、由紀子はおそるおそる口を開く。
「山田くんばらばらにして、パーツごとなら上に投げれるかな、って」
周りの皆は想像以上の言葉に半歩、引き下がる。山田はぽかん、と口を開け、
「ひどいよ、由紀ちゃん」
と、いじけだす。
(だからためらったのに)
織部を投げるよりも確実な話だが、人道的面が欠如した意見であった。こういう考えが思い浮かぶ自分を「病んでるなあ」と思う由紀子だった。
(遭難すると心が病むのかな)
まあ、その他の要因も強いがそういうことにしておこう。
それにしても、よく遭難するものである。
(遭難……)
由紀子はふとバッグの中をごそごそとあさりだしていると、今度は山田少年にかな美が詰め寄っていた。
「山田、あんたせっかくヒーローになれるチャンスよ。大人しくバラバラになりなさい」
大変猟奇的な言葉を当たり前のように言っている。
「ええー、あれ疲れるんだよね。すごくお腹すくしさ」
「んなもん、ご飯くらいここから出られたらいくらでも食べさせてあげるわよ。ちょっと、手足と首、あと胴体を二等分にさせてくれればいいだけだから」
かな美のあまりにさらっとした残酷な言葉に、岩佐は引いている。織部と犬山は山田がまだ注意力散漫なころに同じクラスだったため免疫ができていた。
それでも、かな美の必死の形相が度を過ぎている気がした。
ふと、かな美の足が内股になっていることに気が付く。それでもって、ぷるぷるとしていた。
(あっ、そういうことか)
乙女としての矜持を守るためにかな美も必死らしい。
由紀子は鞄から、濡れないように奥にしまっていた携帯電話をとりだす。
以前、遭難したときもそうだったが、ちゃんと確認してみるものだ。洞窟の中は圏外だったが天井がないここならどうだろうか、ということを。
アンテナは二本立っていた。
(ええ、お約束だよね)
それを伝えようと、由紀子がかな美たちに手をふろうとしたとき、ぬるいべとべとした汗が急激に身体から噴出してきた。
背後から、ぎちぎちがちがち、という音が響いてくる。
かな美たちの視線はその音の正体に気が付いたらしく、口をパクパクさせて指をさしている。
山田だけはのん気な顔をしている。
振り向きたくない、でも振り向かなくてはならない。
由紀子は大きく息を吐くと、後ろに振り返った。
(ええ、お約束だよね)
兄のやっていたロールプレイングゲームでいえば、戦闘場面の音楽が緊迫したものになる敵だろうか。大きな大きなクモのお母さんが、ディナーを前に目を輝かせていた。
(そういえば、かな美ちゃん、何か見えてそうだったもんな)
そんなこと今更気づいても遅いのである。
倒したらレベルアップは必須だろうな、と由紀子は乾いた笑みを浮かべた。
助けに来てもらったのは、パーティの平均レベルが二ほど上がった後だった。途中、山田が三回くらい食われたが、まあそれ以外はたいした被害はなかった。兄のいう『壁役』というものを見事果たしていたようだ。
由紀子は最初触るのも嫌だったが、空腹からだんだんクモがカニに見えてから、率先してクモの関節を外すようになった。足をすべて外し終えて動けなくなった巨大グモを見てよだれを垂らしているところを、かな美と織部に二人がかりで止められた。
よくよく考えるとバランスのとれたメンバーだったようだ。
前衛の由紀子と山田、後衛は未来視ができるかな美、獣人タイプは中衛。唯一、普通のヒトである岩佐は無自覚フラグ体質である。適当に逃げていたら、なんだかんだで化け物のほうが自爆してくれるのだ。
もちろん、二度と組むことはないパーティだが。
こうして、助けを呼び脱出することができた由紀子たちだったが、言うまでもなく大人たちに心配され怒られ、平田たちにも泣きつかれた。遭難した挙句、化け物の体液だらけで帰ってきたら心配しないわけにはいかない。
「ガキがいきがっているんじゃねえ」
マスターはご丁寧に由紀子たち全員に拳骨をくれた。マスターといったほとんど他人に怒られるのは妙に新鮮だった。でも、正直由紀子と山田の頭は丈夫なので痛かったのは、マスターの拳のほうだと思うと悪い気がした。
どうして、あの場所は立ち入り禁止にしないのか、という疑問を持っていたが、やはり立ち入り禁止だったらしい。入口の一番狭い部分に、岩を置いて入れなくしていたらしいがそれがどけられていたという。
なるほど、山田と岩佐はこの下準備をしていたらしい。
なんという迷惑な二人である。
「昔は立て看板だけだったんだけど、数十年前だったか、変な生き物が生息しはじめてから入れなくしたんだよ」
とは、マスターの談である。
「ちょうど、おまえと初めて会った頃だったかな? おまえの愉快な父ちゃん元気か?」
「まあな、相変わらずだよ」
家族ぐるみの付き合いなのか、マスターは恭太郎にそんなことを言う。
さらに、聞き捨てならない言葉を続ける。
「おまえの親父もあの洞窟の中で遭難したよな。助けにいったら血まみれの中におまえの親父が昼寝しててびっくりしたぞ。虫もたくさんいて、ありゃあ見ていて気持ち悪かったなあ」
(……)
由紀子の中に、謎のモンスターが洞窟の中にいた理由がわかった気がした。遺伝子すら組み替える、さすが不死王の血である。
山田父の存在、山田少年の鞄、織部の靴の構造、由紀子の三大ミステリーだ。
由紀子の保護者たちはあいかわらず放任主義のため、迎えにきたのは兄の颯太だった。初心者マークでよくがんばってきたと思う。
しかし、いつもなら親の代わりに来るということはありえないのだが、目的は誰であるかは何も言わないでおこう。
岩佐の服の裾をちょっぴりつかんでいる犬山を見て、颯太の顔に青筋が入り、さらに尻尾がぱたぱたと揺れているところを見て、『ガーン』という効果音が可視状態になる。真っ白になった兄は、カウンターでマスターにホットミルクを出してもらっていた。
「おにいさん、失恋だね」
山田が由紀子の隣に座って言った。ぼろぼろの服はもう着替えて、ゆったりとしたシャツを着ている。
「山田くんも気づいてたんだ?」
「由紀ちゃんにもわかるくらいだからね」
山田の言葉に由紀子はむすっとなる。なんだか心外である。
由紀子は、マスターが特別に作ってくれたナポリタンをもぐもぐと食べる。山盛りでウインナーが多めなのは、山田家の保護者として山田姉が来たためだろう。露出の多いゴージャスな格好をした山田姉に、眼尻がとけ鼻の下を伸ばしている。さっきまで悪がきをしかりつけていたかっこいいおっさんはどこへ行ったのだろう。
「私はまだ子どもだけど、山田くんほどじゃないと思う」
由紀子はそういうと、山田がはねのけて皿の端にのせたピーマンを見る。未だピーマンが食べられないらしい。
由紀子はスプーンを取ってピーマンをすくうと山田の口につっこんだ。
「ひどいよ、由紀ちゃん」
「ピーマンに謝れ」
山田はピーマンを噛まずに飲み込んだ。苦かったのか、ちょっぴり眉をしかめているが、なぜかそこはかとなく嬉しそうである。
「僕はまだ、子どもでいいんだよ」
山田は口直しにウインナーをもぐもぐ食べながら言った。
「私もまだ子どもでいいよ」
由紀子もフォークにスパゲティをくるくるからめて口に入れる。
高校二年生、年齢は十七歳。義務教育は終わり、働くことも結婚することもできる年齢である。
山田に至っては、精神年齢はともかく肉体は、ここにいる誰よりも長く生きている存在である。
(これがモラトリアムってやつなのかな)
ずっとこのままでいたいけど、そうではいけない。少しずつ大人へと移行していかねばならない。
こうやって今日みたいにとんでもない馬鹿なことがやれるのは一体いくつまでだろうか。
(考えてもしょうがないのに)
由紀子はナポリタンの皿を空にすると、ごくごくと水を飲む。
山田の皿に緑色の野菜だけ残っていたので、またスプーンですくって無理やり食べさせる。
山田もまた、由紀子とは違う理由で大人になりたくないのだろうか、と思う。
大人になるイコール『彼』になることなのかもしれないのだから。
(ずっとこのままでいればいいのに)
由紀子は皿を重ねるとコップとともに、カウンターへと持って行った。
(でも、あんな風になるのはやだな)
定職につかずふらふらとしている恭太郎は、山田姉とマスターの監視のもと、皿洗いをさせられていた。
背中には『私はバイトをさぼり、ナンパしていました』と張り紙が張られていた。




