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不死王の息子  作者: 日向夏
高校生編
112/141

98 岩佐くんと犬山さん 後編


(なんで、こんなとこ立ち入り禁止にしないわけ?)


 由紀子はいかにもといった海蝕洞を前にして思った。普段は水が完全に引く場所ではないのだが、月と地球の距離が近づくとこうして中に入れるようになるらしい。よりによって夏休みの課外授業がないときにタイミングが合わなくていいのにと思う。

 

 鼻息を荒くした岩佐は目を輝かせており、山田も目をきらきらさせている。


「よし、行くぞ!」


(早く帰りてー)


 由紀子は入る前から思うのだが、もじもじと岩佐を見る犬山を見ていると何も言えなくなる。

 もう何と言ったら、由紀子が男だったらそのまま抱き着いてしまいそうな愛くるしさである。


(思いっきりハグして耳の匂いでも嗅ぎたい)


 思わず声に出てしまったらしい。


「日高……」


 冷たい視線で織部が見ていた。由紀子はびくりと身構える。


「別にそれやっても相手が嫌がらなければいいぞ、嫌がらなければ。でも、自分がやられてうれしいかどうか考えてから、やれよ」


 織部の言葉に、由紀子は急劇に顔が真っ赤になるのを感じた。犬山にしたいと思ったことを実際やられてみたらと想像したのだ。

 以前は当たり前のようにやられていたことだが、今は無理だ、絶対無理だ。ありえない、ありえなさすぎる。


「……」

 

 頭をくしゃくしゃにして首を振る。

 織部はその様子を見ながら呆れ顔で言う。


「わかったか?」

「わかりました」


 由紀子は素直にうなずくと湿った洞穴の中に入っていくのだった。


 まだ、日は沈んでいないが、空は赤くなりはじめていた。中は薄暗く、目があまり良くないかな美は、目を細めながら歩いている。


「かな美ちゃん、大丈夫?」

「うん」


 由紀子は、かな美がこけないように手を貸す。バッグの中には懐中電灯が入っているので、もう少し暗くなったらだそうと思う。


 かな美は由紀子にがっしりしがみつく。普段、気が強すぎるかな美だが、こういうところは可愛いなあと思う。今日もお昼に話しかけてきた男の人たちをばっさり切っていた彼女とは思えない。今思うと、あれがナンパというものなのかな、と由紀子は気づいた。身長は伸びたけれど、まだ自分が大人だと思えない由紀子には、なんだか変な感じである。


「ただの洞穴じゃない。奥に面白いものあるんでしょうね?」


 ぴちょん、ぴちょんと水音が響くのに、たまに驚くかな美だが、男どもに話しかける口調は強気なままである。


「まあ、黙ってついてこいや、ぜってー面白いもん見れるから」

 

 にかっと悪戯小僧の笑顔を見せる岩佐の手は、怪しげな汚れた紙をつかんでいた。由紀子が目をこらすと、それは古い紙に墨で書かれた地図のようなものだった。


(……)


 なにも言うまい、聞いたところで徳川埋蔵金話と変わらない内容を聞かされるだけだろう。それだけ怪しげな代物だ。


 岩佐はずんずんと前に進んでいき、織部もその後ろに続く。由紀子の前に犬山が歩いており、由紀子の後ろに山田がいる。


「ちょっと、岩佐! あんた、どんどん進んでるんじゃないわよ。女の子いるってことわかって歩いてよね。デリカシーないわね」


 と、犬山の背中を押す。犬山はびっくりして耳と尻尾をだしながら、こけないようになんとか踏みとどまった。


「エスコートするくらい気を使いなさい! ほら」

「へいへい、ほれ、行くぞ、犬山」


 特に反発もせず、岩佐は振り返ると、犬山と手をつなぐ。何気に犬山の手は肉球に変化しており、岩佐はあろうことか手をつなぎながら親指でその肉球をぷにぷにと押していた。

 犬山はびくりと尻尾を震わせたが、その後、メトロノームのような動きで尻尾が揺れていた。


「由紀子ちゃん、我慢よ。血の涙でも流しそうな顔してるけど、我慢よ」


 かな美は由紀子に説得するように言った。

 由紀子が岩佐に成り代わりたい感情を必死に抑えようとしていると、しんがりをつとめていた山田が前にでて両手を広げる。


「ええっと、何?」

「エスコートいかがかと」


 エスコートなら両手を広げる必要はないと思う。


「いや、かな美ちゃんいるし間に合ってる」


 由紀子が正直に答えると、山田少年はがっかりした顔をする。


「そうよ、織部が余ってるからそっちいって」


 かな美がおとぎ話の継母ならこんな笑いかたをするだろうという笑みを浮かべて言った。


 山田と織部は二人、顔を見合わせると互いに嫌な顔をした。






 どれくらい歩いただろうか。思ったよりずっと広い洞穴だ。それとも、先が見えないことで心理的に長く感じているのだろうか。ときおり分かれ道があるが、岩佐は一番大きい穴を選んで進んでいく。

 たまに上に登ったり下に降りたりする。方向感覚が狂ってきた。


もう外の光は届かなくなっていて、由紀子と岩佐がそれぞれ持ってきた懐中電灯で足元を照らしながら歩く。

 時折、がさがさとした虫の音が響くが、気にしたら負けだろう。


 由紀子はたまに壁に制汗スプレーをかけながら進む。由紀子の鼻なら、匂いをたどって帰れるためである。


「ねえ、まだつかないの?」


 かな美が岩佐に言うと岩佐は「もう少し、もう少しだ」と答えるばかりだ。


  由紀子は周りに目を凝らしながら、


(杞憂だったかな?)

 

 と、肩にかけたバッグを撫でた。

 よくよく考えてみれば、ここのところ山田は手がかからないし、ずいぶんしっかりしてきているし、ここまで準備することはない……。


(とか、思っていたこともありました)


 耳元で鼓膜が破れるような叫び声が響く。かな美が由紀子を絞め殺さん勢いで抱き着いている。

 由紀子は目にうつるものに冷や汗を感じながら、「やっぱり」と肩を落とした。


 そこにいるのは長い脚をもつ巨大な生き物だった。一番大きいもので大体一メートルくらいだろうか。クモに似ている気がするがなんとなく雰囲気が違う。それらはがさがさと大量に蠢いていた。これ以上の描写はするまい、生理的にくる光景なのだ。


「ウミグモかな? それにしても普通は一センチくらいの大きさなんだけど、すごく大きいね。あっ、複眼があるね。なんか図鑑で見たのとけっこう違うね。てっきり海中にいる生き物だと思ってたんだけど」


 山田少年が至極のん気に言ってくれる。


「な、なんなのよ。岩佐、あんたどうにかしなさいよ」

 

 かな美は、由紀子の影に隠れながらも言った。げじげじ系は嫌いのようで、嫌悪感が顔の全面に現れている。


「い、いきなり俺に振るなよ」


 と、言いつつ岩佐は下に落ちていた石を拾って、追い払うようにウミグモの群れの中に投げる。しかし、不幸なことにその石はまだ小さなウミグモに当たる。


「ぷちっていった」


 山田がこれまたのん気に実況してくれる。

 山田は幼いウミグモ(仮)が天に召されたことに眉をひそめ、そっと手を合わせる。


 ただでさえじっとりとした空気の中、さらに嫌な空気が流れる。


「ねえ、山田くん。もしかしてこいつら仲間を殺されたら怒るような情にあつい生き物なのかな?」


 岩佐がやけに丁寧な口調で山田に聞く。


「どうだろうかな。ウミグモなのかもわかんないし。でも、こういう生き物だとフェロモンとかで何か警告するかもしれない」


 ウミグモの複眼がなぜか赤く光りはじめる。潰れた子ウミグモの周りからどんどん派生するように赤くなる。

 対して、皆の顔がどんどん青くなっていく。山田だけが涼しい顔をしている。

 

「なあ。俺、こういう光景、昔、テレビで見たことある気がするんだ、なんだっけ? あのアニメ」


 織部が蹄あんよをちょっとぷるぷるさせながら言った。


「奇遇だな、俺もだ」

「……私も」


 岩佐と犬山も同意する。


 由紀子も同じくだ、なんだっただろうか、大きな虫が攻撃性を持つと赤くなる習性があったとかいう話だった気がする。すごくファンタジーな話だった気がするが、世の中、けっこうファンタジーな生き物っているものでいるものだから困る。


 気がつけば周りは真っ赤な眼球でいっぱいになっており、がちがちかさかさと嫌な音をたてている。


 まあ、そうなるとお約束である。


『逃げろーー!』


 皆の意見が一致する。


 由紀子は足元が危なっかしいかな美を横抱きにし、岩佐はびっくりして尻尾を出しっぱなしにしている犬山の手をひっぱりながら走る。


(やっぱりこうなる)


 由紀子がかな美を思わず潰してしまわないように走っていると、先頭を走っていた山田が由紀子の隣まで速度を落としてやってくる。


「ねえ、由紀ちゃん、知っている?」

「なに! 手短に」


 そんな場合ではない由紀子はいらいらしながら言った。


「ウミグモってたしか口吻を突き刺して体液をすするんだよ。あれだけいっぱいいたらミイラになっちゃうね」

 

 にこにこ笑いながら不吉なことを言う。

 山田の無駄知識、どうしてこんなにも無駄知識であろうか。聞いていたかな美は気絶して倒れそうになっている。


「んなこと、今言うなー!」


 由紀子が山田に入れるつっこみの声はおそらく洞穴中に響いたであろう。

 反響音がこだまする中、ただただ逃げるのみだった。






 必死に走って行った先は元の出口ではなく、いつのまにか横道に入って行ったらしい。明らかに覚えのない大きな広間にたどり着いた。


 全員、ごつごつした岩に仰向けになっている。息を切らしているのは岩佐、織部、犬山で、かな美はもう口から魂が抜けきってしまったらしい。

 由紀子と山田だけは、まだ体力に余裕があるのだが、代わりに燃料が切れかかっている。ぎゅるぎゅるとお行儀の悪い音が響いている。


 毎度毎度のことだけど、本当にトラブルに巻き込まれないことはないのだ。


 由紀子は天井を眺める。いつのまにか、太陽はしっかり落ち、そこには、満天の空があった。そこだけは洞窟の天井が落ちていて、天然のプラネタリウムができている。

 こんな素敵なところが近場の海水浴場にあるなんて信じられない。


「綺麗だね」


 由紀子は思わずつぶやいた。


「うん、きれい」


 抜けきった魂が戻ってきたのか、かな美が同意する。


「天の川、デネブ、ベガ、アルタイル……」


 犬山が明るい星々を指でさしながら言った。もしかして、星に詳しいのだろうか。


「なんか変だと思ったら、やっぱ道間違えてたんだな」


 岩佐がさっきの古臭い地図のようなものを見ながら言った。


「じいちゃんの言った通りだ、すげーきれいだ」


 少年のわくわくとした瞳をした岩佐が言った。


「もしかして、これが目的か?」


 織部が上半身だけ起き上がり、岩佐を見た。


「うん、まあな。ここらへん、海以外あんまり見どころないから、星とかきれいなんだよ」


 屈託なく笑う。岩佐は馬鹿でえろいが、悪い奴じゃない。まあ悪気なく悪いことをしてしまう点、性質が悪いが。


「なあ、犬山。オオカミ座って、夏の星座だろ? どこらへんにある?」


 岩佐の言葉に、犬山は首を振る。


「見えないよ。あんまり目立つ星座じゃないし、ここからじゃ隠れているし……、さそり座ならぎりぎり見えるんだけど」


 すまなそうに犬山が言う。オオカミ座ということもあって、責任でも感じているのだろうか。


「そっか、残念だよな。せっかくきれいなのにな」


 『きれい』という言葉に反応して、犬山の髪からぴょこんと耳が飛びだす。いや、犬山とてわかっているのだ、それはオオカミ座のことを言っているのであって、オオカミを褒めているわけでないのだと。


「……きれいじゃないよ、一等星もない地味な星座だし」


 自信なさそうに答える犬山に、岩佐は首を振る。落ちていた石ころを拾うとかりかりと地面になにかをかき始める。

 丸をいくつも描いて、それを線でつないでいく。


「星座って、わけわかんねえ取ってつけた形が多いのに、これはちゃんとオオカミに見える。偶然でも星がそんな風に配置されてんのってやっぱきれいじゃねえのか?」


 岩佐の言う通り、図を見るとたしかにイヌのような形に見える。同意を求められると由紀子も他の皆もうなずいてしまった。


「おまえ、やたら詳しいな。星座好きなのか?」


 織部の言葉に岩佐が首を振る。


「オオカミ座だけだよ。昔、オオカミのことたくさん調べていたことがあったんだ」


 何気なく言った岩佐の言葉に、犬山はうつむいて耳をぴこぴこさせる。尻尾がゆらりゆらりと動いている。


(もしかして)


 岩佐は人狼である犬山のことを知るためにオオカミを調べていたのではないだろうか。そして、人見知りの犬山が岩佐に対しては好意を抱いているのは少なからずそういう面があるからでないだろうか。


 比較的、ポピュラーな種族である人狼でもやはりヒトよりも圧倒的に少ない。たしか、岩佐も犬山も中学からの進学組である。小学校時代は、今ほど人外に理解があった環境でなかったはずだ。

 その中で少しでも理解しようとするヒトがいたら、それは嬉しいものだろう。


 たとえ、それが相手の好奇心の産物であろうとも。


「まあ、とりあえずオオカミ座はきれいだってことだ。わかったか、犬山!」


 犬山はいきなり肩をぼんぼん叩かれて、耳をぴこぴこ、尻尾をぴーんとさせてしまう。


(なるほど)


 犬山が好きな蓼は、どんな蓼だといえばこういう蓼だったらしい。


(無自覚フラグ野郎)


 山田とは違った方向のフラグ乱立者らしい。これはこれで迷惑な奴だ。


 かな美も同意見らしく、デリカシーなく犬山の肩をつかんだままでいる岩佐を「この馬鹿野郎」と言わんばかりに睨んでいる。


 由紀子はお腹の音で、空腹を思い出すと、バッグから用意しておいたチョコレートとペットボトルを二本とりだす。


「回し飲みで悪いけど」


 よかったら飲んで、とミネラルウォーターの一本を男子に渡す。チョコレートとの相性は正直微妙だけど、ないよりましだった。


 みんな、空を見上げながらチョコレートとミネラルウォーターを飲む。


(時間の流れが気持ちいい)

 

 そんなことが頭に浮かび、由紀子はハッとなる。

 仰向けの身体をばね仕掛けの人形のように動かし、岩佐を見る。


「ねえ、岩佐くん。干潮の時間ってどれくらいだっけ?」

「あっ」


 間抜けにもれた声が返事であった。


 由紀子は慌てて入ってきた入口のほうを見る。由紀子の鋭い聴覚にはちゃぷんちゃぷんという水音が聞こえていた。


「いーわーさーくん」


 由紀子がすわった目で振り返ったのが合図だった。


 同じく目をすわらせたかな美と織部が背景に炎と阿修羅像と浮かべながら、ぼきぼきと関節を鳴らしている。


「はーい」


 冷や汗をたらしながら岩佐は作り笑いを浮かべる。


 犬山はその様子をはらはらしながら眺め、山田に至っては、


「あーあ。僕の役割とられちゃったなあ」


 と、のん気にチョコレートを食べている。


 まあ、その後どうなったかは言うまでもない。とりあえず、由紀子の用意した包帯等の救急セットは役に立ったのであった。



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