94 家族でテレビ見ていると気まずくなる話題
「今日、由紀ちゃんおやすみだった」
「はあ? ズル休みか?」
弟の言葉に、恭太郎は面倒くさそうに答えた。夕食前のおやつとして、駅前で買ってきたジャンクフードを貪る。もちろん、恭太郎にそんな金はなく、兄のアヒムが趣味でやっている株の優待券を利用した。兄は現物には興味がないので、勝手に使っても文句は言わない。
「何味?」
不死男がじっと見るので、恭太郎は照り焼きとチキンカツとエビカツを見比べて照り焼きを投げてよこす。不死男は包装をめくるともぐもぐと三口で食べ終えた。まだ食べたそうだが、伸ばした手をぱしりと叩く。
「けち」
「俺が買ってきた」
「兄さんの優待券ででしょ? 恭太郎兄さん、お金ないから」
「……うん、そうだけどさ」
ちょっぴり肩身の狭い思いをしている恭太郎である。ニートではない、フリーターだ。ただ、今はちょっとバイトしてないだけだ。
「ズル休みはしないと思う。内申点下がる真似はしないよ」
「親戚の法事ってわけでもないだろ」
「先生は、体調不良だって言ってた」
「んな馬鹿な」
不死者にとって体調不良などというナイーブなものは関係ない。身体の中に不死王の血肉が残っている限り、身体は最善の状態に戻されるのであるから。
だが、例外というものもある。野郎である恭太郎にはまったく関係ない話だが。
「どうしたんだろう? お見舞いいったほうがいいかな」
「やめとけ」
恭太郎がなんとなく気まずそうに首の裏をかいていると、外でブレーキ音がした。几帳面な兄は、ブレーキ音が響く止め方はしない。父母は免許など持っていない、持たせようとも思わない。ということで、帰ってきたのは姉のほうだ。
「おかえりなさい、姉さん。今日は帰りが早いんだね」
不死男が玄関から慌てた様子で入ってくるオリガに言った。
姉は少々息を切らしながら、リビングにくると、恭太郎の買ってきた炭酸飲料をごくごくと飲む。勢いよく飲み干すものだから、炭酸が器官に入ったらしく、げほげほとむせ、不死男は姉の背中を撫でる。
「どうしたんだ? 今日は接待で遅くなるとか言ってなかったか?」
接待なるものはウン十年前のバブルな時代の頃に滅びたと思われるが、今もなお続いている行為である。姉が勤めるのは、大手警備会社なのだが、接待相手はどんな人物かは聞いてはいけないようだ。
オリガは炭酸飲料をテーブルの上に置くと、少々乱れた頭をゆっくりとあげる。
「アヒムは?」
「部屋でネット中」
たぶん、ネットショッピング中だ、嫌になる。また変なものを買ってなければよいが。
「お父様たちは?」
「おやじはお隣さんの店行ってる。牡丹餅買いに行くってさ。ポチがついてるから大丈夫だろ。おふくろは洗濯中だな」
「すぐ呼んでちょうだい」
姉は真顔で言うと、携帯電話を握りしめる。
「山田家家族会議をするわよ」
恭太郎は眉をしかめると、隣にいる弟を見た。ここ最近の議題は、父をこえて不死男が原因の場合が多い。
「お前、また、なんかしたのか?」
「まだ、やってない」
なぜか誇らしげにきりりとした顔で不死男は言った。ものすごく怪しいが、優しい兄貴は一応信じてやることにした。
「……それはゆゆしき事態ですね」
アヒムは顎を撫でながらうつむいている。
「先日の検査では、特に問題はなかったのですが」
姉のオリガ、兄のアヒムはシリアス顔で、ボケども三人はもぐもぐとおはぎやパウンドケーキを食べながら黙っている。
恭太郎といえば、頬杖をつきながらソファに座っていた。
優しい兄である恭太郎は弟の無実を信じてやったが、本当に無実だったので驚いた。
オリガが家族会議を始めた理由は一つのメールである。メールはお隣のお嬢ちゃんこと由紀子からだ。
内容は、今日、学校を休んだ理由に関係していた。
数少ない不死者が体調不良に陥る原因であり、それはあることを示していた。バイオリズムが安定してきていることを示しており、肉体の安定も示していた。
「思ったより早かったわね。安定するのが」
安定というのは、不死者としての状態が安定することを示している。不死王の血肉が完全に肉体に融合し、完全な不死者になることを示している。普通は、外見年齢が止まってから、安定する場合が多いのだが。
「まあ、普段あれだけ父肉食べてたら、早くなるかもしれないわね。成長期と重なってるのも原因かしら」
オリガは前髪をかき上げながらため息をついた。
熱心な生産者たちはことあるごとに「何の肉?」と言いたくなるものをご近所に振舞おうとする。責任感の強いお嬢さんは、バイオハザードが広がらないように、自分の胃袋におさめることで処理するのだった。
毎度、涙を浮かべながら肉を噛みしめる姿は涙を誘う。だが、手伝わない、それが恭太郎である。
「安定ですか。それは困りましたね」
アヒムがつぶやくように言う。
安定というのは、別にこれといった肉体の変化はない。ただ一つを残して。
「完全な不死者になるということは」
ヒトに戻れなくなることを示す。
不死王の血肉はよくわからないが食べたものの細胞を違う何かへ変質させることで不死身化させるという。なので、不死身化させる不死王の血肉がある限りよみがえるが、何度も怪我や死亡が続くと変質させる血肉がどんどん減っていき死んでしまうという。
なので、血肉を完全になくすことで、ヒトに近い状態に戻ることは可能である。
これは、不死者の呪いにも同じことが言える。呪いのもととなる血肉を『赦す』ことで消してしまうのだ。
だが、今までそこにあったものがなくなるといろんな副作用があるものである。
齢を重ねた不死者がヒトに戻れば、一度に重ねた齢が降りかかり灰になって消えてしまう。たとえ生きていたとしても長く持たない、あの夜会で捕まえた食人鬼のように。
血肉の力が強いものほど、その副作用は強い。もし相手が人狼や吸血鬼といった他の種族に比べて生命力が高いものであれば耐えきれるだろうが、ただのヒトであれば少しずつ血肉を消し去っていかなければならない。そんなデリケートな作業は、不死王くらいにしかできず、今のぼけた状態では不可能に近い。
また、安定するということは、より血肉が肉体に浸透しているので、その危険性は安定する前よりも格段に高い。適切な手段をとったとしてもだ。
ヒトに戻る、すなわち死につながるということだ。
「猶予としては、一、二年以内でしょうか」
完全に安定するまでの期間だ。
「ええ、そういうこと」
信じられないことに、姉たちは不死者からヒトに戻れることをいまだお隣のお嬢ちゃんに言ってないらしい。おそらく最初は、父が正気に戻らずヒトに戻るのに危険性が伴うことを配慮して、ぬか喜びをさせないために言わなかったようだが。
思いがけず、不死男どころか父や母の扱いが上手い由紀子が気に入ったこともあるだろう。
また、不死者にある孤独を癒すためにというのもあるのかもしれない。ヒトとは違う時間の流れを生きる者は、同じ時の流れを生きるものを欲する場合があるのだ。
いつかは言わなくては、と思いつつずるずると今に至ったのだろう。
身勝手なことだが、考えはわからなくもない。
「前は学ランのにいちゃんだったのにな」
口をぱくぱくと動かすだけの小さな声で恭太郎は言った。誰の事かといえば、お隣のじいさん、つまり由紀子の祖父のことを言っている。
半世紀以上前、山田家はこの家に住んでいた。その当時の地主の息子だから、本人なのだろう。
同年代が老いていく姿を見るのはけっこう堪えるものがある。まだ、還暦を過ぎただけの恭太郎はマシなほうで、アヒムは人外の知り合いしか同年代がおらず、姉など人外でも古参扱い、母の年齢ともなれば長老クラスでも少ないくらいだ。父など、二千歳というがそれより前の記録がないだけで、確実にそれ以上生きているだろう。
恭太郎がちょっぴり感慨にふけっていると、ずっと黙っていた母が挙手をした。
「はい。お母様」
あんまり期待していない目で、オリガが母の発言をゆるす。
「ママ、お赤飯炊くの幕末ぶりなのよね。維新からパンにはまっちゃって作ってないし、竈しかご飯炊けないの。だから、小豆入りの抹茶米粉ロールケーキでいいかしら?」
ひどく頓珍漢なことを言われてみんな唖然となる。不死男だけは、きらんと目を光らせて手をあげる。
「はい、不死男」
やる気なさそうにオリガが言う。
「母さん、やっぱりこういう場合、鉄分が大切だと思うよ。由紀ちゃん、けっこう重いほうみたいだし。そうなるとホウレンソウとセットかな?」
いや、何を言っているのだろう。
今度は、父が目を輝かせる。
「それならパパの出番だろう。パパはいっぱいホウレンソウ食べてるから鉄分たっぷりだぞ。ごま油と岩塩で美味しい季節だぞ」
季節とか関係あるかは知らないが、生産者にとっては季節らしい。
でも、そういうのは保健所に認可をとってから言ってもらいたい。
「そうねえ、でも生はどうかしら? 最近、規制が多いし。たしかお馬さんならまだOKよね。なにが基準なのか、ママよくわからないんだけど」
「寄生虫とかの問題じゃなかったっけ? ウマだと体温高いからいいんじゃなかった?」
不死男が言う。
母は「なるほど」と言いながら、棚の引き出しから救急箱を取り出す。我が家には関係ないはずなのに、救急箱があるのは不思議だが、あるので仕方ない。
「はい、パパ、あーんして」
母が水銀のやたら長い体温、いや温度計を父の口に突っ込もうとするので、すかさずアヒムが取り上げる。
「もう、アヒムちゃん、ちゃんと体温はからないと、パパに寄生虫いるかわかんないじゃない」
ぷんすか怒る母であるが、隣でショックを受けるのは父である。「パパ、寄生虫なんていないもん」とつぶやいている。実にうざい。
「これは温度計です。体温計はこっちですよ」
こちらはデジタル体温計なので壊れてもまだ処理が簡単である。
どうにも兄がつっこむ場所もずれている気がしてならない。
「ああ、もう話が進まない!」
オリガが髪をかきむしる。
「大体、恭太郎、あんたずっと黙っているけど、なんか意見の一つでも言ったらどうなの!」
いらいらしたらとりあえず恭太郎に当たる、それが姉である。
一言も議題に参加していない恭太郎は一つだけ発言することにした。
「そのメールってさ、姉貴だから相談したんだろ? 普段、検査している兄貴じゃなくて。なのに、こうもべらべら話してもいいもんかな?」
恭太郎の言葉に、皆の動きがぴたりと止まる。
「俺にはよくわからんけど、あの年頃の女の子ってそういうの嫌うんじゃないのか?」
青臭いドラマを見ていてそういう場面があったような気がする。実際はわからないが。
『……』
皆が黙っている、父だけは耳に体温計を突っ込まれたまま部屋の隅でいじけている。
そうだ、不死者の安定化を示し、不死者を体調不良にする数少ない原因は、野郎どもには関係のない話だった。
詳しくは言及しない、まあそういう話題である。