93 遺言はお早めに
「由紀ちゃん、何してるの?」
お昼休み、山田が由紀子の元にやってきた。由紀子たちの周りでは、食事を終えたクラスメイトが駄弁りもほどほどに、机にかじりついて参考書を読んでいる。全員とは言わないまでも、半分以上がそうではないだろうか。
「お勉強だけど」
由紀子は面倒くさそうに答えながら、冊子を開きながら携帯電話をいじる。去年から多機能携帯にかえてもらい、指先で画面をいじる。
パックのバナナ豆乳で糖分を補給しながら、新しい知識を詰め込んでいく。
「それが勉強?」
机に目線を合わせて首を傾げる。幼子がすれば可愛い仕草だが、高校生男子がするとちょっとうざい。
「うん、そうだよ」
由紀子は、携帯画面に並んだグラフに目を凝らす。開いた冊子は、一昔前に流行った株取引の本で、用語集程度に利用している。
「先物?」
「責任とれないものはやんないから。やっても現物」
「ふーん」
由紀子は真剣に、山田はつまらなそうに携帯画面を見ていると、ため息をつく声が上から聞こえた。
「ぜってー、普通じゃねえし。どこに昼休み、証券会社のホームページ見る高校生がいるんだよ」
「ここにいる」
「ええ、ここにいる」
織部は由紀子たちの前の席に座る。先ほどまで、委員会の仕事をしていた織部は、遅い昼食をもしゃもしゃ食べ始める。山田少年が織部のグリーンサンドに手を伸ばそうとするので、由紀子はぱちんと叩いてやる。
「なんでいきなりそんなの始めたんだよ」
「いやあ、欲しいものがあって。おこづかいじゃあ足りないから」
すると、祖父が「頭金貸してやるからちょっと勉強してみろ」と言ったのだ。
「まあFXっていう手もあったけど、なんかお金を取引って嫌なんだよね。実体がない感じとか。まあ、どっちもそうだけど、それなら、こっちのほうがいいかなって」
「普通にバイトしろよ」
織部がつっこむ。推奨はしないが、学校側に許可をとればバイトは可能なのだ。
「由紀ちゃんがバイトするなら、僕もするよ」
山田がやけにきりりとした顔でいう。山田のこういう顔は不安しか浮かばない。
「これでできる?」
由紀子は、山田のほっぺたをつついて見せる。山田はなぜか嬉しそうににこにこしている。
「できねえな」
織部はサンドイッチをコーヒー牛乳で流し込むと納得した顔で言った。
「なにが欲しいんだ? それで」
「何が欲しいの?」
織部と山田が由紀子を見る。
由紀子は携帯画面を切り替えて、欲しいものの写真を見せる。
そこには、タイヤのついた物置のようなものがうつっている。
「なにこれ?」
山田が首を傾げる。
「トレーラーハウスだよ。おうちみたいだけど、固定資産税かからないし移動は比較的楽なの」
「……なんでまたこんなもん欲しがんだ? キャンプでもすんのか? ってか、固定資産税ってなんだよ」
そう言われると由紀子としては返答に困ってしまうかもしれない。
(衣裳部屋が欲しいとか)
由紀子にも悪い癖があり、お気に入りの服はどんなにサイズが合わなくなっても捨てられないのである。ここ数年、チャレンジメニューで荒稼ぎしたり、お隣のおにいさんが何かにつけて可愛い服をくれるので、由紀子の部屋ではおさまりきらなくなっていた。勝手に家の物置を利用して置いていたのだが、先日、母にばれて捨てなさいと言われたのである。
泣く泣く段ボールに詰めて納屋に置いているが、ぼろぼろの納屋ではすぐ衣服が傷んでしまう。
なので、祖父に相談すると親戚がいらないトレーラーハウスを持っているから、安く買ったらどうだ、それでもってその資金稼ぎには勉強も兼ねて株で稼ぎ出せ、と。
(もしかして)
薄々感じていたが、これは少し変な話なのではないか、と思った。
それを織部に話すと、織部は、
「おまえんち、なんか質素そうに見えておさえるとこおさえてる家だよ。きっと、宝くじで億当ててものほほんとした顔で、生活して誰にもばれないタイプだよな」
(そういえば)
けっこう前、祖母が、臨時収入があったとか言って、業務用オーブンを買っていたことを思い出した。由紀子は「まさかね」と首を振り、バナナ豆乳を飲む。
「由紀ちゃん、もう一本ない?」
「はい」
山田が言うので、由紀子は鞄からもう一本バナナ豆乳をとりだして山田に渡す。
「やっぱ、それって大きくなるのか?」
織部が真剣な目で見る。その指は豆乳をさしている。
「うーん。大きくなってんじゃないのかな」
由紀子の身長は現在百六十六センチである。クラスの女子の中で一番高い。母や祖父母が標準だし、兄は由紀子よりかろうじて高い程度の身長だ。遺伝的には平均的な身長になるはずだが。
食生活によって身長の伸びが変わるなら、豆乳よりもヒトの十倍近く食べるほうが影響がありそうなものであるが、織部にとってはいかに楽に身長が伸ばせるかが課題なのだろう。
由紀子とて「百六十五センチ欲しいな」とは思っていたが、それを最近こしてしまったら今度は「伸びすぎては嫌だな」にかわってしまう。贅沢な悩みだろうか。
でも、豆乳はまだ飲み続けている。
「日高もこれ以上伸びる必要ないから、飲むのやめたらどうだ?」
その言葉には、「おい、これ以上身長のびんじゃねえ、その成長ホルモン俺に渡せ!」というありありとした感情がこめられていた。
(やめようと思えばやめれるんだけど)
身長は伸びなくていい、でも成長は止まってほしくなかった。
(私の身体は、何歳で成長が止まるんだろう)
携帯画面をいじりながら、ため息を豆乳とともに飲み干す。
不死者になってもう五年が経った。自分ではまだまだ子どものつもりだけれど、身体はほぼ大人になっている。
以前、山田兄から聞いた説明を思い出す。
不死者は、肉体もしくは精神のピーク時に成長が止まる。それには個体差があり、十代後半から三十代前半まで広がりがある。
その言葉を信じれば由紀子の成長はいつ止まってもおかしくない。そして、それは一つのカウントダウンの始まりでもある。
(不死者として生きるために、ヒトとしての日高由紀子の死亡か)
五年、または十年、由紀子が不老であることに周りが気づく前に、ヒトである日高由紀子は死亡しなければならない。
ヒトであった戸籍に代わり、不死者としての戸籍を与えられる。
それは、家族や友人との別れを示す。不死者となったものはその特異性から身柄が危険にさらされることが多く、それに一般人を巻き込ませないためだ。
まあ、その点に関しては重々承知だし、むしろ隠していても巻き込まれまくっている由紀子だ。
そういう星の元に生まれたか、それとも天然死亡フラグに懐かれたのが運のつきとでも考えるべきか。
最初、説明を受けたときは十年、二十年後の話だからぴんとこないと思っていた。でも、成長するにつれてわかるのは、小学校の頃に感じていた時間と、今感じる時間の長さが違うことである。
遠い未来の出来事だと思っていたことは着実に由紀子に近づいており、同時にそれまでに残された時間は以前よりもずっと早く過ぎ去るのである。
由紀子は豆乳を飲み干してパックを潰すと、教室にげんなりとした顔のかな美が帰ってきた。
かな美はごく自然に由紀子の隣に座る山田を蹴飛ばして席を奪うと、くしゃくしゃになった模試の結果を机の上に置く。
さきほどまで、担任に進路相談していたようだ。
「かな美ちゃん、おつかれ」
由紀子はだるそうなかな美にねぎらいの言葉をかける。
「由紀子ちゃーん」
かな美はうるんだ目で由紀子に抱き着いてくる。
それを山田はなんだか複雑な表情で見ている。
「先生ったらありえない。まだ、二年の夏休み前だっていうのにF判定はやめとけ、とか言うのよ。普段ならD判定だし、これから盛り返す予定なのに」
「そうだね。今回のテスト難しかったもんね」
由紀子はよしよしと、かな美の肩を叩く。その様子を山田はじっと見ている。
かな美は由紀子になだめられ落ち着くと、山田たちの方を向き、
「あんたたちのせいよ!」
と、指をさした。
「俺も入るのか?」
織部が不満そうに言う。
模試の前の勉強会は、かな美曰く、男子が邪魔したのが悪いらしい。
由紀子は、あの場では確かに岩佐がずっと邪魔していたが、山田と織部は大人しかったほうだと思っている。でも、面倒なのでフォローは入れない。
山田はもうかな美に何を言われても慣れているので、飲み干した豆乳のパックを潰している。そして、思い出したかのように由紀子のほうを向く。
かな美と織部はそのまま、何か話している。
「由紀ちゃん、まだまだ豆乳は必要だよ。たしかに、由紀ちゃんは高校二年生平均よりも大きくなったけど、それは国内での話だよ。国外ではもっと大きなヒトがたくさんいるんだ。別に大きければいいってことはないけど、もう少し大きくても問題ないと思う」
山田は突拍子もないことで真面目な顔をする。
「もう少しってどれくらい?」
「あと五センチくらいかな?」
あと五センチ伸びれば、山田の身長に追いついてしまう。
「五センチって、けっこう大きいよ。合うサイズ探すの大変じゃない」
「いや、大丈夫だよ。なにかあれば姉さんに聞けばいいよ。そういう店くわしいから」
「うーん。どう見てもタイプ違うから、私に合うやつないと思うよ」
山田姉はたしかそのくらいの身長だ。でも、ゴージャスな山田姉と由紀子とではどう見てもタイプが違うのだ。
「そんなことないよ。たまには違う自分を演出するのもありだと思うよ」
「なんか、化粧品勧誘しているおねえさんみたいなこと言うね」
「兄さんがうつったかも」
「そうかもね」
そんな感じで昼休みを過ごしていると、予鈴が鳴った。
由紀子は本を閉じ、携帯を片付けると、次の授業の準備をはじめた。
「私はあと何年くらい、このままの生活でいられますか?」
由紀子は検査衣を着て、ベッドに横になると、そのまま筒状の機械へと通された。ガラスの向こう側にあるモニターには、人体の輪切りが映し出されていることだろう。
輪切りを眺めているのは、山田兄だ。
場違いな質問だったろうか、と由紀子は思ったが、山田兄はマイク越しに回答してくれた。
「難しい質問ですね」
由紀子の問に山田兄は落ち着いた声で答える。
「もし、今成長が止まったとして、早くて五年としか言いようがありません。学校や就職といったライフサイクルの変化もありますし、それを考慮して一番無難なときを選ぶしかないですし」
山田兄は、由紀子の質問が、ヒトとしての生活の終わりのことを示しているのだと理解していた。
由紀子が山田兄からこの手の話を具体的に聞くのは小学校以来だろう。おそらく、一番言いにくい話題に違いない。時折、口に出そうとして止まってしまう話題がこれだった。
「生活については心配ありません。今までと同様、こうして検査を受けていただければ、ある程度の生活は約束されますし、新しい戸籍を得てもそれまでにとった資格等はひきつげるよう手配します」
(働かずに生活するつもりはないけど)
新生活に周りに誰も知っているヒトがいないというのはどうだろうか。
(よく孤独死とか、寂しさに耐えかねて自殺とかあるけど)
どちらも由紀子には当てはまりそうにない。
(知っているのは山田家関係くらいか)
ある意味、一緒にいて寂しがる暇を与えることはないだろう。
だけど、それは由紀子側から見た話で。
(お母さんやおじいちゃん、おばあちゃん、おにいちゃんにかな美ちゃん、彩香ちゃん、織部くん、あとできれば犬山さん)
皆は由紀子が死んだことになったら、どうなるのか。
本当は生きているのに死んだことにして、皆悲しむだろうか。親が子どもに先立たれるというのは、やはりドラマみたいに悲しいものだろうか。
(笑ってとは言わないけど)
できるだけ、皆に穏やかに由紀子の死を受け入れてもらいたいと思うのは贅沢だろうか。
由紀子は、そんなことを思いながら、ゆっくり目を瞑った。




