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不死王の息子  作者: 日向夏
中学生編 後半
101/141

90 魔女の宴 その参


「じゃあ、貴重品、預かっておくわね」

「すみません」


 由紀子は財布と携帯電話二つを籠にのせる。

 桜はそれをいつものようにロッカーに入れると、札のついた鍵を由紀子に渡す。


 もう何度来ただろうか、そのたびに同じように荷物を預けてマッサージを受ける。そのたびに、なんだか気が引けるような気分を味わっていた。


(こんなに良くしてくれるのに)


 そう思いながら、由紀子は椅子に座るとゆっくり背もたれにもたれる。


(あれ?)


 いつもより強いにおいだな、と棚の香炉を見た。まだマッサージを受ける前なのに気が付けばあくびをしていた。

 リラックス効果があるようだが、効用がいつもより強い気がする。


(そういえば)


 ハーブティも普段と少し味が違った。


(ああ、そうか)


 由紀子は、その理由について心当たりがあった。


(信じたかったのにな)


 心の底で思っていた希望は潰えたようである。ちくちくとさっきまで感じていた気持ちが消え、一方で静かな怒りがわいてきた。


 由紀子は目蓋を閉じると、素直に睡魔の誘いにまねかれることにした。






 目が覚めたのは、ごつんと頭がなにかに当たったからだった。

 痛みはあまり感じないが、脳が揺らされると気持ち悪くなるものである。


(なんなの?)


 由紀子が目を開けるとそこは真っ暗でなんだか息苦しかった。全身がぎしぎしして狭苦しい。


(あれ?)


 口になにかを噛ませられている。手足も上手く動かないところを見ると、縛られているようである。目の上にも何かかぶせられているような気がする、これはアイマスクだろうか。

 そして、身体自体は、大きな箱のようなものに詰められているようだ。


「なに落としてんだよ」


 箱の外から聞き覚えのない男の声が聞こえる。


「わりい、なんか異常に重くねえか? これ? 前と同じモン入ってんだろ?」

「知るか。俺たちは言うこと素直に聞いてればいいんだよ」


 由紀子は眠る前のことと今の状況を照らし合わせて考えてみる。


(これはもしかして)


 自分のトラブルを呼び込む性質にため息がでてしまう。

 一方で、それに対して落ちついている自分がいる。


(まさか本当にこうなるなんて)


 ある意味、それを望んでいたというか、なんというか。本当におこるとなるとなんともいえない気分になる。


 そうだ、由紀子はそれを望んでいた。真実を確かめるために。

 山田兄に頼まれていたことは、このことだった。


 由紀子は男たちに運ばれてきてなにやらざわついた場所に連れてこられた。音だけでもかなりの人数が周りにいる気がする。少し声が遠いので、まだ同じ部屋にいないのだろうか。


(あれ?)


 身体がいろいろ拘束されて気づくのが遅れたが、服もかわっているようだ。たしか長袖を着ていたのに肩がむき出しになっているようである。レギンスをはいているはずが、足もスースーする。

 その上、


(誰だよ! 着替えさせたの!)


 胸のあたりに解放感がある。下着まではがされていたようだ。恥ずかしさと居心地の悪さでばたばたと騒ぎたくなったが、それだと目が覚めたことに気づかれてしまう。大人しく唇を噛む。


 おそらくハーブティに睡眠薬が混じっており、香にも同じようなものが入っていたのだと思われる。いや、睡眠薬程度ならいいが、以前、山田兄より指摘を受けたのはもっと危ないものだった。

 いわゆる薬物というもので、白い粉だとか、痩せるお薬だとか、末端価格がいくらだとか言われるものの類である。


 生憎、由紀子には依存性も毒性もなく、睡眠誘導の作用しか起きなかった。それも、一般人に比べて浅いもので、今、由紀子が目を覚ましているのもそのせいだろう。


(信じたくなかった)


 由紀子の思いも虚しく、現実はさらに予想の上を行くものである。


 由紀子の詰められていた箱の蓋が開けられる。がやがやという音が大きくなり、周りに独特の甘いような苦いようなタバコのようなお酒のような不思議な匂いが漂う。

由紀子はなすがままに引っ張られる。気絶していることになっているので、だらりと力を抜いたままなすがままにされる。男二人で持ち上げられているが、かなり重そうだ。あきらかにおかしい、と思いつつ男たちは由紀子を何かにはり付ける。


(なんなの? これ?)


 由紀子はうっすら目を開ける。アイマスクをされていたと思っていたら違ったようだ。アイマスクではなく、仮面舞踏会や地中海方面のお祭りに使われるような派手な仮面をつけているようである。それがわかったのは、周りの客を見たからだった。


 蝶々のような半仮面、ピエロのような全仮面、皆、同じようにつけている。なので、どんな顔をしているのか深く読み取れない、ただ、由紀子のほうを注目している。

 薄暗く間接照明だけで照らされたその光景は明らかに現実離れした異様な光景であり、皆が燻るパイプから会場内の匂いの元が発せられていた。


 大勢の人々が集うバーともホールともいえない場所のステージの上に由紀子はいる。段差がある分、部屋全体を眺めることができた。


 あまりにアングラな光景は、女性週刊誌でたまに取り上げられる薬物パーティというやつではなかろうか。


(ちょっと待ってよ)


 それなら、怪しげな仮面をつけていることも納得がいく。そんな場所で顔をおおっぴらにできるわけもない。しかも、場所といい、来ている客の服装といい、顧客単価は高そうだ。つまり、経済力が高そうなヒトたちが集まっている。


 司会らしき仮面をつけた女性がステージに上がっていく。観客は拍手をし、スポットライトは司会を追う。

 ゆるやかな髪に肩をむき出しにしたセクシーなドレスを着た女性は、きらびやかな仮面をつけてなお、かなりの美女であることがわかった。

 そして、その声に由紀子は聞き覚えがあった。


 由紀子は声の主が誰であるかわかると、あらためて肩を落とした。

 

(女の人って怖い)


 自分の性別がメスであることも忘れてそんなことを思った。


 司会の女性はステージの上でこれから始まるショーを説明しはじめる。どうやらマジックショーが始まるらしく、助手らしき屈強の男性が司会に派手な作りの剣や槍といった物騒なものを一本ずつ与える。


(これから始まるのはマジックショーですか)


 そうだ、少なくとも客から見たら。


 女性は剣を抱えたまま、由紀子の前に立つ。真っ赤なルージュが柔らかい弧を描き、妖艶な笑みを作っている。とてもとてもきれいな女性、それは言うまでもなく『桜』、いや『朔良』だった。


 優しく由紀子の頬を撫でながら、離す瞬間に爪を由紀子の顎にかけた。見えないがきっと赤い筋ができていることだろう。


(ずっと嫌われてたんだろうな)


 彼女は若い女性ばかりを集めていた。この宴の贄にするために。


 今まで起きていた『食人鬼事件』、それは彼女の所業だった。


 今までも由紀子と同じように誰もいないサロンに誘いよせ、少しずつ懐柔しながらこうやって贄にしていたのだろう。


(なにがあったのだろうか)


 その答えが、以前聞いた彼女の言葉にあった気がしたが思い出せない。もっとしっかり聞いていればよかったと思った。


 ずん、と腹のあたりに衝撃が走った。生ぬるい液体が流れていく感覚とともに、その源泉が熱を帯びている。


(刺されたんだ)


 華奢そうな朔良の身体から想像できないくらいの力で、由紀子の肉体は串刺しにされ、剣は後ろの柱に貫通している。

 見た目は舞台劇に使われるような派手なつくりだが、刀身はしっかりした本物だった。


 肺にもかすっていたのだろうか、口からごふっと血があふれる。鉄臭く生ぬるい血液は、たとえ自分のものとはいえ、すごくまずかった。

 

 会場はざわめくが、皆、仮面の下に好奇の目があることがわかる。これは手品だ、会場を盛り上げるための余興だと思っているのか。鼻につくさび臭いにおいも、燻る煙の匂いにかき消され、判断能力もそぎ落とされているのだろう、気が付くものはいない。もし、この余興がただの殺戮に気が付いたものがいたとしても、こんなパーティにくるヒトである、わかっていても口には出せるはずもない。


(楽しんでいる? それとも)


 仮面の下の朔良の目は、恍惚の色を示していた。もう一本の槍も容赦なく由紀子に突き刺そうとしたときだった。


 会場からどよめきが聞こえた。

 朔良もまた驚きに表情をかえている。


(どうしたの?)


 由紀子は視線を自分の腹に向ける。ずずずっと、由紀子を柱につないでいる楔が動いて床にからんっと落ちた。そのささったあとには、服の破れと赤いしみは残っているものの傷痕はみるみる消えていく。腹から大腿、ふくらはぎ、踵を伝って床に流れた血液は逆流し、元の位置におさまっている。


 不死身の由紀子の肉体は、常人には奇跡といえる所業を当たり前に行うのだった。


(これはやばいかも)


 こんなに大勢の前で不死身なことがばれたら大変である。だが、普通のヒトなら出血多量で死んでいるところなので結果としてはいいのだろうか。

 腹部にかなりの熱を持ち、倦怠感と空腹感はやばいが、冷静にそんなことを考える自分も狂っているな、と思う。


「あなた、もしかして不死者なの?」


 朔良は驚きを隠しきれない顔で由紀子に語りかけた。

 ここで否定したところで無意味だろう。ただ、彼女の意図を確かめるためにじっと見つめた。


「そういうことなのね」


 それを肯定ととらえた朔良は由紀子にぐっと近づいた。口から流れる赤い血液のあとを優しくついばんだ。

 その行為にぞくりと背筋に悪寒が走った。彼女の仮面の奥にはさきほどよりもさらに複雑な色の目がある。由紀子をじっと見つめている。


「ずるいわ。ずるい。可愛くてこれからどんどん綺麗になっていくだけじゃなく、ずっと老いることがないなんて」


 それを私にもわけてちょうだい、と朔良はもう一本の槍を由紀子に突き立てようとした。


 しかし、それは叶わず、ガタンという音とともにやってきた客人に目をやる。


「あら? ここは会員制よ」


 折角の余興を邪魔されたとして朔良は、やや険のある言い方をした。


「由紀ちゃん」


 招いていない客人こと山田少年は、その手に屈強な男を持っていた。襟首をつかまれ気絶した男は、そのまま山田に引きずられてきたらしい。


 とても、山田らしくない行動だ。


(山田青年?)


 目は瞳孔が細い、いつもなら山田青年なのだがかなり様子が違う気がする。


 山田は持っていた男を、朔良に向かって投げる。朔良はそれによって由紀子から離れる。


 観客は余興の続きだと思っているらしく、楽しそうな声をあげている。


 山田は、由紀子に近づくと拘束した手足を解放する。革製のベルトは一つずつ外していくのも面倒だと思ったのか、指先で紙のようにちぎっていく。


「由紀ちゃん、ごめん、遅くなった」


(どうして場所がわかったんだろう?)


 そんなことを聞いて、「匂いをかいだ」とか返事されたら怖いのでやめておいた。


 それだけ、山田は山田にあるまじき顔をしていた。

 

「ど、どうしたの? 山田くん、ねえ、ねえってば」


 由紀子は、山田の表情がとても恐ろしく歪んでいることに気が付いた。その目は、ネコ科の獣のように細い瞳孔になっている。片側の頬の筋肉がぴくぴくと動いている。全身の筋肉が強張っており、なにかを必死に抑えようとしているが、我慢しきれないように見えた。


(山田青年? えっ、でも)


 いつもなら山田青年だろうが、今日はなんだか違って見えた。本当にどっちかわからない。

 

 山田は左腕でぎゅっと由紀子の身体を寄せる。その力がやたら強くてびっくりする。半径一メートルルールなんて言っている場合ではなかった。


「内臓潰れちゃうって」


 先ほどまで串刺しにされていた由紀子が言うのも変な台詞だった。でも、目の吊り上った山田の顔が怖くて、少しでも気を紛らわせようと口からでた。


「この餓鬼!」


 山田に向かっていかつい男が先ほど由紀子を突き刺そうとした槍を持ってくる。山田はそれを片手で受け止めるとそのまま力を入れて持っていた男の身体を浮かす。あまりに軽々浮かぶ男は何が起きたのかわからず、がっしりと槍はつかんだままだった。


 山田はそれを軽々と振り上げて持っていた男の身体を投げ飛ばす。

 男の身体はふっとばされて、観客の群れへと落ちる。


 騒がしい声が響く。これは余興でなかったのか、とようやく今の状況を把握しはじめている。


(手品じゃないんだよ)


今まで行われてきたショーはすべて本物だった、それを知らないだなんて言葉ですませていいものではない。


 山田の行動に、さっきまでこれもまた催しだと勘違いしていた客たちが大騒ぎし始める。


 わめくもの、逃げ出そうとするもの、何をしていいのかわからないもの、近くのボーイに「話が違う」とクレームをつけるもの。


 山田の行動はそれだけではおさまらない。続けて椅子で殴りかかってきたものの腕を掴み、そのままぎゅっと力を入れる。

 みしりみしりと嫌な音をたて、それに男の叫び声が混ざり、耳触りな不協和音ができる。


 山田が腕をはなすと、男の腕はあらぬ方向にぐにゃりと曲がる。折れたのではなく砕けたのだと、見るだけで分かった。男はまともな形状をしていない腕をおさえながら、絨毯の上にのた打ち回る。


「や、山田くん……」


 先に危害を加えてきた相手とはいえ、山田がここまで反撃することなど思いもしなかった。何があっても、基本はナマケモノ並みに無抵抗、それが山田のはずなのに。


「化け物だー!」


 今更なにをいうのか、という台詞を誰かが吐いたことで、動けずに止まっていた観客たちが出口に向かって走っていく。


 山田はその様子を、眉をひそめたまま見つめると、由紀子をぎゅっとつかんでいた腕をゆるめる。由紀子は絨毯の上に座り込む。


 山田は由紀子を置いてずんずんと前に進んでいく。その先にいるのは、逃げ惑う観客たちをつまらなさそうに眺める泣きボクロの美女だった。仮面を外し、その素顔をさらしている。

 朔良は、怒りに満ちた山田の視線に気づくと、にやりと笑う。赤い唇は艶めかしく、まるで誘っているようにさえ見えた。


 山田は乱暴に朔良の襟を掴み、つま先立ちにさせる。

 朔良は山田の行動に抵抗しないまま、「ああん」と色っぽい声をあげる。むしろ、その行為を楽しんでいるようだった。


『何がおかしい』


 山田の声帯から発せられる声は、山田少年にしては低く、山田青年にしては落ち着きのない声だった。


「あら? おばさん、若い男の子に迫られたらうれしいにきまってるでしょ」


 うふふ、と笑いながら甘い息を吐く。

 山田の手の力が強くなる。襟が締め付けられ、朔良の首がしまっていく。青くなっていく顔はなおも笑みを絶やさない。


『なにがおかしいんだ。なんでこんなことをする!』


 由紀子の位置では山田の後ろ姿しか見えない。それでも彼が今、どんな顔をしているのか容易に想像できた。

 だが、彼の異常な怒りについては理解できなかった。


 食人鬼でさえ、可哀そうだとのたまうのは山田少年も山田青年も一緒である。それなのに今の山田はただのヒトである朔良を苦しめている。


「だって、うれしい、じゃない? ようやく、長年望んで、いたものに出会えたのよ。老いることのない、肉体を持つ生き物に」


 首が絞めつけられているせいかたどたどしい物言いであるが、そこには目の前の人物に対する恐れはまったくない。


 朔良は青白い顔のまま笑みを浮かべてさらに言葉を続ける。


「本当に、本当に、うらやましい。なぜ、私は年老いて、死んでいくのに、貴方たちはずっと、若いまま、生き続けるの? 少しくらいわけてくれてもいいじゃない!」


 目を見開き、つま先立ちになったまま朔良は言った。付け爪をつけた手をゆっくり伸ばし、山田の首にかける。震えながらも力の込められた手は、山田の首筋に赤いラインを残していく。


『おまえにやる血肉はない』


 山田少年とも山田青年ともわからない声は聞いたことがないほど冷たかった。

 

 朔良の身体がぐいぐいとあげられていく。床にかろうじてついていたつま先が浮かんでいく。


(だ、だめ!)


 由紀子はようやく自分がどう行動すべきが理解した。

 足がもつれながらも二人の元へと走る。


「やめて、死んじゃう!」


 由紀子は山田が朔良の首を絞めようとしているのを止めようとするが、彼のほうが身長が高く手が届かない。山田の胴体をつかみ、放すように促す。


 しかし、山田はその手をはなすことはなく、視線だけを由紀子に向けた。


『どうして? 由紀ちゃん?』


 その口調は山田少年のもので戸惑うように由紀子を見ている。

 目はトラのような瞳孔の狭まったもので、その瞳の奥には山田青年もいるような気がした。


 どちらかわからない、だけどどちらの山田にも見られなかった感情が、彼の中で蠢いている気がした。


『こいつらはこうして何人も屠ってきた。ただ、自分たちの満足のために。こいつらにとって僕らはきっと隙あらば奪いたい対象にすぎないんだ。そうだよ、前もそうだった』


(前って)


 山田の目は由紀子に向けられているが、本当に由紀子を見ているのかわからない。まるで、自分に言い聞かせるように山田は話しているように思えた。


 前とは一体なんのことだろうか。

 山田が小さくなっていたことと関係があるのだろうか。

 以前にも同じような状況があり、それを思い出しているのだろうか。


 由紀子はそう思いながらも、一つだけはっきりとわかることがあった。


(こんなの山田らしくない)


 相手に悪意を持って接する山田を見て、由紀子はそう思う。

 山田は馬鹿じゃないといけない。ふざけてないといけない。いつも由紀子を怒らせることはあっても、山田自身が怒ってはいけない。

 それは、由紀子が勝手に思っていることかもしれないが、それでもいいと思う。今の山田はなんだか怖くて、ものすごく嫌だった。


 このままでは朔良が死んでしまう。それだけ悪いことをしてきたヒトで自業自得と言えば自業自得なのだが、それだと困る。たとえどんな場合であろうと、山田の手を汚れさせてはいけないと思った。彼は不死者で、朔良はヒトでそれだけ立場が違う。たとえ人権というものを与えられているからとはいえ、ヒトの人権と不死者の人権は別物なのだ。


 由紀子は朔良のためではなく、山田のためにそれを止めたかった。


 由紀子は山田から半歩下がると、彼の背中に向けて思い切り膝蹴りをくらわす。さすがの山田でも身体が揺らされ、思わず朔良をつかんでいた手を緩める。


 朔良はげほげほと咳こみながら床に倒れ込む。


 由紀子は山田がひるんだ隙に、山田の襟を掴んで視線を下げさせる。両手で山田の頭を固定すると、


「悪い子にはおしおきするよ」


 と、ごすっと音をたてる頭突きした。


(うわ、くらってなる)


 不死者といえど、脳を揺らされればダメージが大きいようで、山田もくらくらした顔をしている。

 目をぱちぱちしながら、何をするんだ、という顔をしている。


「あんたは山田なの。山田はこんなことしちゃいけないの」


 由紀子は山田の頭をおさえたまま言った。間近にある琥珀色の目は複雑な感情の色が混じっているようだった。


「だって、由紀ちゃんが、由紀ちゃんがあいつらに。きっと、あいつらは前みたいに……。どうせ僕らのことを薬としか考えてないんだ。僕らも生きているなんて思わないんだ」


 山田の言葉はどこかちぐはぐで、混乱しているように思えた。

 彼の目は片方だけ猫のような目のままで、もう片方はいつもの目に戻っていた。戻ったほうの目は、少し潤んでおり、今にも涙が零れ落ちそうだった。


 そんな顔は似合わないからやめてくれ、と由紀子は思う。親指で山田の下まぶたをなぞり、落ちそうな滴をぬぐってやる。


「話ならあとでいくらでも聞いてあげる。でも、これ以上なにかしちゃだめ。このヒトに何もしないで」


 『朔良さん』と名前で呼ぶ気はおこらなかった。山田がもう何もしないように、彼の手をしっかりつかんで彼女の前に立つ。


 外にはパトカーのサイレンの音が鳴り始めた。

 おそらく山田兄が手配していただろう覆面パトカーだろう。


(ようやく来たか)


 そういう手筈だった。貴重品は取り上げられて、服も着替えさせられてどうなることかと思っていたが。

 前もって、由紀子の服には発信器がつけられていた。


 さきほど逃げていった客たちは出口で足止めされているだろうか。


「なんだか落ち着いてると思ったら、そういうことだったわけね」

「ええ、そういうことです」


 サスペンスドラマではこういう場合、動機を聞いたりするものだろうが、由紀子はそれを無駄だと思っている。


 すでに調べていたことで大体の話は予想がついた。

 つまり、近いうちに朔良がなにかしでかすのでは、ということがわかっており、それを誘い出すために由紀子は朔良のサロンに通っていた。


 まさか、こんな魔女の宴のごときアングラパーティが行われているとは思わなかったが。


「ますます好きよ、由紀子ちゃん。私もあなたのようになりたかったわ」


 甲高い笑い声をたてながら、朔良は床に座り込んだままだった。

 逃げようともせず、ただ、笑っていた。


(どうしてそんなことをするの?)


 そんなのは本人の問題であり、赤の他人である由紀子にはきっとわからないものだろう。

 ただ、ひたすら若さと美しさに対して、羨望と憎悪が入り混じった感情を持っていたということだけは理解できた。


 由紀子は一つだけ、どうしても知りたいことを聞いてみた。


「お父さんのことを殺したのはあなたですか?」


 その言葉に、朔良は笑いながら答える。


「お父さん? おじさんを相手にしても面白くないわよ」


 それは真実だと思った。


 由紀子はそれに対し、怒りも憎悪もなく、ただただ哀れだと思った。


 まだ、落ち着かない様子の山田をおさえながら、その場にとどまり、場の収束を待った。


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