表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪夢  作者: 冴木凜子
2/3

翌朝

 私はすきを見て、ろう下をかけて行った。お風呂場のガラス戸を開けようとする。古くてかたくて、開けづらい。中の様子を見ようとガラスをすかし見る。


 横から衝撃がぶつかってきた。私は台所のじゅうたんに飛ばされて、頭を戸棚に打っていた。女にけられたってことが後からわかった。お兄ちゃんにけられたときと、力がまったく違った。


「お風呂場は入っちゃだめだからね。いい? 近付いてもだめだから」

「お祖母ちゃんは?」

「早く寝なさい。明日、学校でしょう?」

「おばさん、誰?」

「お姉さんと呼びなさい」


 女は、こっちを見ない。


 私は痛い腰をさする。


 どんなに向かっていこうが、この女には勝てない。殺されてしまいかねない。痛いって言ってもムダ。そのことを直感で理解した。


 私は大人しく立って、女から離れたところを通って、階段を静かに上がった。お兄ちゃんの部屋をちらっと見て、布団のふくらみから無事なのがわかって、ほっとする。ふすまを入って、閉めて、自分の布団に入った。お祖母ちゃんの布団があった。心臓を抱きしめるように体を丸めて、目をつむる。血が全身をかけ巡っている。


 あの女は私のお姉さんで、お祖母ちゃんは元からいなくて、一晩で、現実が違ってしまったのか。

 親せきのお姉ちゃん? 私が幼稚園の頃にお祖父ちゃんが死んで、お祖母ちゃんとお兄ちゃんと暮らしてきた。もしかして、お母さんだったりして。


 あの女が訪ねて来て、お祖母ちゃんともめて、お祖母ちゃんは外に出て行っちゃったか、怪我したから病院に行ったのかもしれない。


 カーテンが明るくなってきた。寝たような、寝ていないような、ずっとそんな感覚だった。


 お祖母ちゃんがいつもの朝のように、味噌汁とご飯の朝食を作ってくれていないかな。


 階段の下から、音はしない。


 下に行ったら、悪夢が現実になってしまいそうだ。起き出す勇気が出ない。薄いかけ布団にくるまる。隣の布団に、お祖母ちゃんはいない。お兄ちゃんは起きていないかな。お兄ちゃんが先に下りてくれたら、いいのに。


 おしっこしたい。


 音を立てないように階段を下りて、トイレに行って、外に出ようか。そして学校に行って、担任の先生に話して、一緒に下校してもらえばいい。

 学校まで、走ったら十分で行ける。朝礼の十五分前だから、ぎりぎりだ。お兄ちゃんをどうしよう。 

 起こしたらうるさい。もし女がまだいたら、二人ともつかまってしまう。お兄ちゃんは柔道をやっていて、かなり力が強い。仕方がない、お兄ちゃんの無事を祈って、置いていこう。


 私はのっそりと起き出して、服を着替えた。ランドセルを手に持って、ふすまを抜け出た。息を殺して、階段を一段ずつ、横向きで下りていった。おしっこは学校でしよう。名案がひらめく。最後の段を下りた瞬間、玄関に向かって走った。


 女がいるかいないか、気になったが、気にしている場合じゃない。スニーカーに、足先を突っ込んだ。


 扉にチェーンがかかっている。


 奥の方から、女がいる音がする。女がまだ台所にいる。早く外さないと。チェーンの先につくボタンを押しながら外すのが、うまくいかない。早く。


 金具からチェーンが抜けて、ほっとするもすぐに、扉を開けて飛び出た。扉も門扉も開け放して、駆ける。


 ランドセルを背負った同じ学校に通う子達を見かけているうち、ほんの少しほっとしてくる。振り返る。女が追いかけて来ていない。


 教室の前で、靴を履き替えて、トイレに行った。


 パンツを下ろして便座に座ろうとして、私は、固まった。


 昨日の夜、女に脇腹をけり飛ばされたからだ。


 女の子はお腹を大事にしないといけないと、学校の先生に習った。いつか大事な赤ちゃんを授かるから、男子に向けて乱暴してはいけないと、女の先生が説いた言葉が蘇る。破裂しちゃって、お腹から血が出ているんだ。


 病院に連れて行ってもらわないといけない。


 私は、半べそで、保健室に行った。

 扉を入るなり、白衣を着て頭の後ろで団子を結った女の先生に、抱き付いた。


「昨日の夜、変な女が家にいて、いきなりお腹をけられたんです。そしたら、さっき、トイレに行ったら、お腹から血が出ていて」


 先生は、全然、動じていない。またも、大変な事態なのに通じていないんだ。


「初潮を迎えたのよ。ナプキンは持っている?」


 しょちょう? たしか保健の授業で聞いた。おめでたいことだったはずだ。


 手術をしないといけなくて、赤ちゃんが産めなくなると恐れていたのが勘違いだとわかって、ほっとする。


「保健室にあるのをあげるから、トイレでつけなさい」


 先生が四角い小袋をくれた。

 ポケットティッシュみたい。私は表や裏にして、見る。


「使い方はわかる? わからなかったら、ここに来なさい」


 私は先生に背中を押されて、保健室を出た。


 ニュースになるような事件なはずなのに、どうして、先生は驚いて慌ててくれないの? 先生は私の話を聞いていたのかな。

 変な女に、お腹をけられたと言ったのを、聞いていなかったんじゃないかな。


 とりあえずこれをつけてから、また保健室に行って言おう。

 トイレにもう一度、向かいながら、そわそわしていた。


 個室に入ってテープを剥がして、折り畳まれたものを広げて、血で赤茶色いパンツの上に張り付けた。


 女の人はみんなこうしているのか。


 私は個室を出て、手を洗った。

 私は女について、先生に訴える決意を固めて、ろう下を戻った。


「つけられた? 何個かあげるから、二時間毎とかに取り替えなさいね。ハンカチは持っている?」


 私がポケットからさっき手を拭いて湿ったハンカチを取り出した。先生はハンカチで包んで、白いビニール袋に入れてくれた。


「先生、昨日の夜、家に変な女がいたんです。お祖母ちゃんを押さえつけていて、私もけられたんです。先生、うちに来て、助けてください」

「その女の人は誰なの?」

「知らないんです。見たことない人です」

「お祖母ちゃんはどうしているの?」

「わかりません。大怪我しているはずです」

「そう。家族の人から、学校には連絡があったのかしらね。怪我はしたの?」

「ちょっと、痛みます」


 私は、スカートから服のすそを出して、お腹をめくって見せた。


 脇腹は赤くなっていた。あざになっている。これが証拠になる。


 私は嬉しくなって、すそを高くめくった。


「湿布を貼りましょうか」


 それだけ……?

 警察に通報してくれるとか、どこかに避難させてくれるとかしてくれないの?


 先生は、白くて四角い湿布と、その上に大きなテープを貼ってくれた。ひんやりとする。でも、背筋の方がひやりとしている。


「また、怪我をしたら、保健室にいらっしゃい。おうちの人に、初潮のことを話して、ナプキンを買ってもらいなさいね。さあ、教室に戻りなさい」


 私は保健室を出て扉を閉める最後まで、デスクに座る先生の横顔を見つめていた。


 ろう下を遅い歩みで戻りながら、絶望していた。


 先生に言っても、なんとかならない。

 どうすればいいだろう。


 昨晩の、光景を、頭に、思い描く。

 事件だ。どう考えても、恐ろしい事件だ。

 どうして伝わらないのだろう。おまわりさんも、先生も、どうしてあんな態度なんだろう。

 最後の、頼みは担任の先生だ。


 すっかり自信がない。

 助けてもらいたい。授業の間中、祈るようなつもりで、先生を見続けていた。

 授業の内容は入ってこなかった。お兄ちゃんは無事に中学校に行っただろうか。お兄ちゃんが女と格闘して、女を追い出したか、警察を呼んでいる可能性がある。家に帰ったら、解決しているかもしれない。


 休み時間に、友達とおしゃべりすることや、遊ぶことが出来なかった。給食も、食べられなかった。


 どうしたの? 具合が悪いの? 


 クラスの女子が代わる代わる聞いてくる。


 もし、言ったら怖がらせてしまう。


「初めて、女の子のあれになったの」


 私はばつが悪そうに言って、ごまかした。


 終礼が終わると、教壇に立つ担任の元に行った。

 先生は毎日ジャージを着ている。子供が二人いて、先生の奥さんも教師だから、助けてくれると思いたい。


「先生、今日、一緒に帰ってもらえませんか? おうちに、変な女の人がいて、怖いんです。怖くて、帰りたくないんです」

「宮本は、お祖母ちゃんと暮らしていたよな?」

「お祖母ちゃんが、いないんです」

「具合でも悪いのかな。わかった。もう少し待ってろ。送ってやるから」

「お願いします」


 あんまり変なことを言っては、先生に嘘だと思われかねない。お祖母ちゃんが押さえつけられていたことは言わなかった。

 いつも一緒に下校するペンギンちゃんには、今日は帰れないから先に帰ってと告げた。ペンギンちゃんはなんにも聞いてこなくって、いつも私が言うことをわかったと聞き入れてくれる。家族がお祖母ちゃんとお兄ちゃんしかいないことを恥ずかしいと思っているので、そんな風に色々探ってこないのが、楽だった。


 先生と並んで校門を出た。緊張していたし、変なことを言ったら、先生の気が変わってしまいかねないと思って、私はしゃべらないでいた。先生は怖い先生でないけれど、生徒一人一人のことがわかっていなくて、話がわかる大人でないから。


 外から見ると、お祖母ちゃんの家は何にも変わっていない。

 門扉を入って、壁のインターフォンを鳴らした。

 女の声がして、私は恐怖心を息と一緒にのんだ。こわごわ、名乗る。


「宮本彩花です」

「こんにちは、担任の東條です。宮本さんを送ってきました」


 先生が、私の後ろから、名乗る。女が明るい声で返事した。

 女は、玄関扉から先生の立つ門扉のところまで出て来て、頭を下げる。


「どうも、初めまして。お世話になっております。この子の身内です。最近、戻ってきましてね。この子はびっくりしているんでしょう。わざわざ、先生、お忙しい中、送って下さいまして、ありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」

「そうでしたか。急に来て、すいません」


 身内なの? 


 私は女の後ろに立って、先生とのやりとりを見つめていた。


 こうして見ると、ちゃんとした女の人だ。お祖母ちゃんを浴そうに沈めていたような、恐ろしくて、やばい人じゃない。


「それでは、また何かありましたら、ご連絡ください。また、明日、学校でな」


 先生が頭を下げて、私に手を振って、去って行く。


「お祖母ちゃんは?」


 ふるえる声でたずねた。


 女は答えない。


 玄関を女が先に入って、私も続いて、玄関扉が閉まって、女と二人きりになった瞬間、空気が変わった。


 女の背中が、恐ろしい。


 また、けられるかもしれないと、思った。


あんたね。生理がきただけなのを、大怪我したって、大袈裟に騒ぎ立てたんだって?

私のこと、警察や先生に言うなんて、どうしようもない子だね。

私に酷いと思わないわけ?

初潮が早いわよ。いやらしい子なのね。

 

 私は立ち尽くしていた。言われたことのない言葉の数々に、理解が追い付かない。


 おおげさ? いやらしい? 私はひどくて、どうしようもない子……


 初潮のことを女が知っているのは、保健の先生が家に電話したんだろう。

 初めての生理がきたら、赤飯を炊いてもらうと聞いたことがある。親に喜ばれることのはず。女の言い方から、大したことなくて、悪いことのようだ。


 女は勝手にお祖母ちゃんの服を着ている。太ったお祖母ちゃんの服はぶかぶかで、年寄りの着る千鳥格子柄が似合っていない。


 どうして、この女はこの家に、居座っているのだろう。


追い出してやろうか。面倒をかける、嫌な子。

おしゃべりなガキね。ぺらぺらと家のことを話すなんて恥ずかしい子。

 

 怒っている女の後をついて台所に行く。


 どうやら私は、とんでもないことをしたようだ。この女は血がつながっていて、これからこの家で、私とお兄ちゃんの面倒をみる大人なんだ。だとしたら、私は、そんな人を凶暴な犯罪者で、逮捕されてしまうのに警察に訴えようとして、お祖母ちゃんを殺したとも思い込んだ。


 この女に追い出されたら、行くとこがない。


 とたんに、私は胸に不安が、たちこめた。


読んでくださり、ありがとうございます。


ブックマーク、評価をよろしくお願いします。

励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ