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悪夢  作者: 冴木凜子
1/3

ある夜中

 下の階で、すんごい音がした。

 目を覚まして、隣の布団を見たら、薄いかけ布がめくれていて、お祖母ちゃんがいなかった。

 体を起こして、耳をすました。


ガタン。ドンッ。ガッガッガーン。


 今までに、聞いたことがない音。雷が落ちたときも、地震で家が揺れたときも、こんな音はしなかった。

 畳をはって行って、ふすま扉に耳を寄せた。


 家具がたおれる音? 人が壁にぶつかった音?


 泣きそうになるのをこらえて、ふすまをそうっと開けた。すき間に首を入れて、階段下の様子を探った。


 お兄ちゃんが階段から落ちた?

 泥棒に、お祖母ちゃんが襲われているのかもしれない。


 お祖母ちゃんが付けてくれた金属製の扇風機から、弱い風が吹いている。

 怖くて、息がよくできなくて、手の先がふるえていた。

 黒い大きな人影が、背中を向けて、立っている。足元に、おなじく大きな塊が丸まっている。私は息をのんだ。誰、あの人……。お兄ちゃんじゃない。床の塊を、人影がひきずっていくのが見えた。


 やばい。事件だ。

 お祖母ちゃんが、何者かにやられた!


 私はふすまの中に戻って、布団に入った。頭をもぐりこませる。


 助けなきゃ。早く……!

 でも、怖くて、まともに考えられない。息ができない。


 お祖母ちゃんが今頃、どうなっているかを思い浮かべる。大変だ。なんとかしなきゃ。


 私は息を深く吸って整えて、自分に言い聞かせて、自分を励まして、布団から起き上がった。畳に手をついて、ふすまに行く。すき間が空く度に、息をとめて、耳を集中して、少しずつずらしていった。がくがくする膝に頑張って力を入れて、立つと、ふすまから出た。階段の手すりをつかみ、一段、一段、下りていった。一段ずつ、目をつむり、一段ずつ、息とつばをのんだ。心臓が腰から上全体で鳴っているかのようだった。


 階段下から目だけを出してのぞく。窓から外の明かりが入っているけれど、暗い。


 壁に背中をつけて、ろう下をそうっと、音がする方へ近付いていく。いつでも逃げられるように、注意を玄関の方にも向けていた。

 壁のきわから、片目だけで見た。


 女がいる。


 すぐに私は壁に隠れる。


 もう一回、見る。大きな女が浴そうの中に立っていた。


 大きなガラス窓からの明かりで、女の暗い顔がなんとかわかる。女が腰をかがめて、両腕で抑え込んでいる。浴そうの縁に、つかむ手がある。


 あれは、枯れた枝のような、お祖母ちゃんの指だ。


 女が、お祖母ちゃんを沈めている。


 私はかけ出した。廊下を戻って、階段を、段を飛ばしてかけ上がった。

 木の扉を開けて、飛びこんだ勢いで、お兄ちゃんの布団にしがみついた。


「おばあちゃんが、だれかに、知らない人に、やられている」

「うるさいな」

「ほら。音がするでしょう? 見てきたんだって。女がいたんだって」


 必死に、お兄ちゃんを揺する。

 お兄ちゃんは目を開けて、動きを止める。聞いているようだ。しかしお兄ちゃんは私の腕を払って、寝返りを打って背中を向けた。


「夢だよ。早く寝ろ」


 お兄ちゃんが聞こえなかったはずがない。お兄ちゃんが人よりバカなのは、小学五年生の私でも、気付いている。


 さっき見た光景が、頭に浮かぶ。

 お祖母ちゃんが、知らない女に、浴そうに沈められていた。

 お祖母ちゃんは声も出せないでいた。


 お祖母ちゃんが殺されてしまう。死んでしまう。年寄りだから、きっとすぐに、死んじゃう。


 交番だ。こういうとき、交番に行って、おまわりさんに言えばいいんだ。


 交差点の角にある。入ったことも、話したこともないけれど、なんとかしてくれるはず。


 お兄ちゃんの部屋を出て、両壁に手を付いてバランスをとって、階段をかけ下りた。交番に行くのをやめようか、女に捕まるんじゃないか、お兄ちゃんを逃がさないといけないんじゃないか、そんな考えが頭を巡っている。けどそんなひまはない。階段下に女が待ちかまえていないか、それだけが恐ろしかった。台所とお風呂場がある方にちらっと視線をやって、玄関に走りこんだ。スニーカーに足を入れて、扉のノブにつくカギを回して飛び出た。


 スニーカーがはけていなくて、数段のアプローチをこけそうになる。


 やわらかい夜風を感じて、一瞬、外に出られたことに喜びを感じる。そんな自分に腹が立つ。お祖母ちゃんを助けなくては、やばいんだから。


 パジャマだけど、しょうがない。


 女が追いかけて来ていないか、何度も、後ろを振り返って走った。うまくたどり着けるはずがない、そんな不安が背後から迫ってくるようだ。人っ子一人いない。家々の電気は消えている。誰も起きていないだろう。よく遊ぶ公園が、昼だとおいでと招くようなのに、来るなと拒むようにひっそりとしている。見たことのない別の公園のようで、怖くて目をそらして過ぎる。


 息がつまりそうだけど、それでも手足をがむしゃらに動かす。走るのが遅い気がする。遅い気がする分だけ焦る。背中のシャツが肌に張り付く。


 全力でかけているせいの汗でない、恐怖心から来る汗が、額からたれている。


 夢かもしれない。逃げていて、足が思うように動かせなくて、うなされて目を覚ます、あの何回か見た事のある夢なんじゃないか。さっき見た恐ろしい出来事は、悪い夢。そうであってほしい。


 良かった。交番に明かりが点いている。赤信号なんか待っていらない。車道の向こうの方を見る。車のライトが遠い。ごめんなさいと心で謝りながら、白線の縞々をかけ抜けた。


 小さい二階建ての交番。ガラス戸を叩いて、引いて開けようとする。


 机に向かう、おじさんが顔を上げてくれた。

 扉の中に飛びこんだ。息が苦しいのを押して、声をはき出す。


「助けて。知らないおばさんが、お祖母ちゃんを殺そうとしているの。すぐにうちに来て。早く」


 おまわりさんの手をつかんで、引っ張った。おじさんがのろのろ椅子から立つものだから、いらいらした。

 私は急がせるつもりでその場でかけ足をしてみせた。太っているから、動きが遅いのかな?


「お嬢ちゃん、お母さんは?」

「いない。家、こっち」


 青い服からのびる腕をつかんで、ガラス戸を指差す。


「お名前は?」いいから、早く。

「宮本」

「下のお名前は?」


 そんなことに答えている場合じゃない。


 このおまわりさんは、頭がどうかしているの? 


「お祖母ちゃんがお風呂場で、怖い女におそわれているの」

「お母さんとお祖母ちゃんが喧嘩をしているのかな」

「違う。お母さんはいない。お祖母ちゃんだけ。あと、お兄ちゃんもいる」

「ここに座って、お話、聞かせてくれるかな」


 早くしないと、お兄ちゃんも、殺されてしまう。


 あっ、もしかして、あの女の仲間なの?


「住所と電話番号は言える?」


 言うことを聞かないと、言うことを聞いてくれないのかな。家に電話して、あの女に私がここに来て、人を殺したと言っていると教えるんじゃないか。二人は仲間で、女がつかまえに来て、私をどうにかする気じゃないんだろうか。


「警察を呼んで。ひゃくとうばんして」


 机を両手でばんばん叩いた。

 ここがけーさつなんじゃなかったっけ。おまわりさんは誰でも助けてくれるんじゃなかったっけ。頭がこんがらがって、どうしていいか、わからなくなる。


「早く来て。ついて来てってば。死んじゃう」


 おじさんは面倒くさそうな顔。どうして、そんな顔が出来るの? 家でお祖母ちゃんが殺されそうになっていて、こんな子供の私が、必死に助けてと言っているのに。おじさんは私の言うことを信じていないって顔。どうしたらいいの?


 やっぱり、夢だったのかな。あんなこと、あるわけないもんな。


「家を出て来ちゃったの? 帰れなくなったのかな。親御さんを呼んであげるから、電話番号と名前を教えて」


 お祖母ちゃんは、電話に出られない。そんな状態じゃない。

 このおじさんが家に電話をかけたら、女が逃げていくかもしれない。


 お祖母ちゃんを、病院に連れていかないといけない。


「救急車、呼んで」

「怪我しているの?」

「お祖母ちゃんが、怪我をしているの。女が、こうやって、こうしていたの」


 私は危険なのをなんとか伝えようと、女の動きを真似て、両手をそろえて、押し込めてみせる。

 おじさんは、「へぇっ」と言って、半笑いをしている。


 信じていない。バカにしている。

 もういいや。


 でも、このまま、大人しく帰ったら、私が殺されちゃう。このおじさんを家に連れて帰って、お風呂場を見せれば、なんとかしてくれるはず。


「すぐだから、来て」


 おじさんは狭い交番内をうろうろし出す。首をひねったり、腰から上をうねうね動かしたりしている。何をしているのよ? おじさんは机の引き出しを引いて、中を指ではじきながらなにかを探している。用事があるっていうの?


「いいよ、送るよ」


 おじさんはカギを手につかんでいる。

 

 ああ、戸じまりね。良かった。家に来てくれる。


 ペースを合わせて、私はガラス戸をおじさんと一緒に出て、カギをしめるのをそばで待っていた。

 話が通じなくて、えばっている、大人ってほとんど、こんな感じだから仕方がない。急かしたり、言う事をきかそうとしたりするとすぐ怒り出しそうだ。私はおじさんの気を悪くさせないように、素直な子供のふりをすることにする。


「こっち、こっち」


 交差点を指差して、飛び跳ねる。


 あぁあ、赤信号をちゃんと待たないといけない。ちょっとでも、早くしてほしいのに。


 先を小走りで行って急いでほしいことを伝える。おじさんを走らせないスピードで、こっち、こっちと小声で言う。

 とうとう、やっと家に着いた。

 わざと大きな音が立てて、門扉を開けて、扉を開けた。


「おまわりさん、こっちです」


 私は、家の奥に向かって、大声を上げた。


「どうされました?」


 玄関の照明が、ぱちぱちまたたいて点いた。

 女が、腰を屈めて現れた。同級生のお母さんぐらいの歳だろう、玉虫のように光った半袖の服に、ロングスカートを着ている。お祖母ちゃんの服だ。

 急に、おじさんは態度を引きしめた。


「この子が、交番にやってきたので、送り届けました」

「この子ったら、寝ぼけていたの。ご迷惑をおかけして、すいません」


 女は、きれいな声を出す。


 私は女の顔をよくよく見上げた。パーマがかかる肩くらいの髪。太っていない。

 お祖母ちゃんを襲っていた女と、同じ人なのか。

 背の大きさや体格は同じようだけれど、雰囲気が違う。

 でも、知らない、人が家にいて、お客を迎えているなんて、おかしい。


「おまわりさん、私、この女の人、知らないの。でも、お祖母ちゃんが、この人に、お風呂場で沈められているのを見たの」


 女の目が、一瞬、光ったように見えた。


「お風呂場に来てよ。ねぇ、おまわりさん」

「祖母とは暮らしていません。すいませんね。この子、物語が好きだから。寝る前に、そんな童話を読み聞かせたんです。山姥っていう」


 私は、おじさんの手を引っ張って、家に上がらせようとした。


 玄関に、お祖母ちゃんの履き物がない。私は急に涙が込み上げた。お祖母ちゃんがどうにかされちゃったんだ。悲しくて、怖くて、大声で泣きたくなった。


「おばあちゃん」


 私は大声で呼びかけた。


「何時だと思っているの? こんな夜中に」


 女はまるで、私の母親のようなしゃべり方だ。


「おにいちゃん」


 二階に向かって、声を張り上げる。お兄ちゃんも、殺されてしまったかもしれない。女は私の腕をつかんで、家の中に引っ張り上げようとする。


 いやだ、いやだ、こわい。


「おまわりさん、いや、こわい」


 私は泣きながら、助けてとおじさんに手をのばす。


「お母さんの言うことをよく聞くんだよ」


 女とおじさんは、おんなじ困ったような表情をして、うなずき合う。


 やっぱり、仲間だったのか。


 おまわりさんは帰ってしまいそう。なんで女をつかまえてくれないの?「え?」の連続が頭にぐるぐる回って、ぱんぱんになって破れつしそうだった。


「お世話になりました。ご迷惑、おかけしました」


 女は言葉を短く切って、おまわりさんを見送ろうとする。


読んでくださり、ありがとうございます。


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