王弟エドワードの計略
深夜、王宮の一角にある私室。
暖炉の爆ぜる音だけが響く静寂の中で、私は兄である国王リチャードと、気心の知れた側近らとともに、琥珀色の酒を酌み交わしていた。
「エドワード、そろそろどうなんだ? お前の隣が空位のままでは、社交界の連中が騒がしくてかなわんぞ」
兄が酒杯を揺らしながら、からかうように言ってくる。それは暗に王家の安定のため「婚姻」を促す言葉だ。
側近たちもここぞとばかりに、絵姿や身上書を差し出してくる。
「閣下、私の従妹はいかがです? 花のように可憐で、淑女の鑑のような娘です」
「いや、我が親類の公爵令嬢こそおすすめだ。彼女なら閣下の知性にもついていけましょう」
私は差し出された身上書を一瞥もせず、窓の外から訓練場のある方向を見つめる。
脳裏には昼間の光景が浮かぶ。鋭い眼差しで挑むカトリーナ。
彼女は泥にまみれ、男たちに囲まれながら、獣のように鋭く木剣を振るっていた。
同僚たちと肩を組み、豪快に笑い飛ばす姿は、一見すれば「騎士そのもの」だ。
しかし私は気づいていた。
ふとした瞬間に見せる、柔らかな女性らしい眼差しを。
周りの嘲笑に耐え、己の性を飼い殺す。
鋼の殻の中に閉じ籠り隠れている。
「気になる女性なら、……一人いる」
私の言葉に室内は凍りつき静まり返った。
兄が興味深そうに身を乗り出す。
「ほう。どこの令嬢だ? どこの国の王女だ?」
お節介な気質リチャードは、何としても縁を結ぼうと問いただす。
「令嬢でも王女でもない。……我が国でも指折りの剣の使い手で、己の価値に気づかない。そんな無自覚で不器用な騎士だ」
リチャードは呆けた顔をし、側近らも顔を見合わせ絶句する。
「カトリーナ卿のことですか? しかし彼女は……失礼ながら、あまりに無骨で社交界の花とは程遠いでしょう?」
「だからこそだ」
私はニヤリと笑い、手元の酒を一気に煽った。
彼女が仲間の中で「兄弟」と言われるたびに、私の内面ではどす黒い感情が蠢いた。
彼らが無遠慮に叩くその肩が、どれほど美しく素晴らしいのか。
その騎士服の下に、どれほど滑らかでみずみずしい肌が隠されているか。
誰も気づいていない。
彼女自身でさえ気づいていない。
あるべき美しさを、不要なモノと切り捨てる。
「彼女には特別な魔法が必要だ。……自分という存在に平伏する。そんな残酷で明確な魔法」
私は既に手配済みのドレスを思い浮かべ、艶やかでしなやかな後ろ姿を想像する。
強さと脆さが同居するその背中が、私をこれほどまでに昂ぶらせるのだ。
騎士だからこそ手に入れた、あの至高の曲線を衆目に晒す。
男たちが同性と思い込む者が、実は手の届かない高潔な美である事を思い知るだろう。
そして、……その美しさを唯一理解し、膝を屈させる権利を許されているのが、この世で私一人だけだという事を、彼女自身の肌に直接刻み込む。
「エドワード……、あのな?お前の目は……、恋というより、獲物をつけ狙う獰猛な鷹だな」
困惑気味な兄の苦笑いも、私には届かない。
私はただ、あの純白のレースに包まれる彼女が、戸惑いながら私の手を取る瞬間を想像し、独り口角を上げた。
「……楽しみだよ、カトリーナ。君が……、自分の美しさに降伏する夜が」
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〖ある日の出来事〗
始まりは、欠伸が出るほど退屈で平和な昼下がりだった。
幼馴染の侍医が昼食のために「少し留守を頼む。どうせ誰も来ないさ」と、私に診察室を預けた。私は言われるがまま、奥の長椅子で横になり、のんびりと本を広げていた。
そこへ、慌ただしい足音が飛び込んできた。
「先生、失礼します……っ」
現れたのは、騎士団のカトリーナだった。
彼女が私の存在に気づくと、弾かれたように直立不動の姿勢をとる。
顔を青ざめひどく狼狽していた。
「……エドワード閣下! 申し訳ございません。侍医殿がいらっしゃるとばかり……失礼いたしました!」
立ち去ろうとする彼女の動きにキレがない。
一瞬、苦痛に歪んだ顔が視界に映る。
よく見れば、騎士服の背中に汚れと木剣の剃り跡があった。訓練の立ち会いで、背後から強打されたのだろう。
「待て!負傷しているな」
私は立ち上がり、診察台へ座るよう命じた。
彼女は顔を真っ赤にし、「滅相もございません」「上着を脱ぐなど、閣下の前で不敬になります」と激しく固辞する。
だが私はあえて冷徹な王族の顔で、それを「命令」として封じ込め、……渋々、仕方なく上着を脱ぎ背を向けた。
「……っ!」
その背を見た瞬間、私の心はこれまで感じたことのない衝撃に襲われる。
そこにあったのは、戦場を駆け巡る歴戦の騎士の背中ではなかった。
健康的に陽に焼け、みずみずしく滑らかな光沢を放つ、一人の女の美しい素肌。
(……これが、男たちに混じって剣を振るう者の背中なのか……)
ソッと指先で打撲箇所を確認しようと触れれば、彼女の肌はビクッと可愛らしく震えた。
指先に伝わる熱が、私の鼓動早め脳を焼く。
縮こまり、恥じらいに肩をすくめる彼女。
普段の凛々しい姿のあまりの落差に、私の中に眠っていた獰猛な男の欲が、鎌首をもたげるのを感じた。
湿らせた布と薬油を手に取る。
「……痛むか」
「い、いえ……ただ、その、閣下の手があまりに温かくて……」
彼女のうなじと耳の裏が、みるみるうちに林檎のように赤く染まっていく。
いつもは軍規や訓練の話しかしない彼女が、今は自分の指先一つに翻弄されている。
指で薬を塗り広げるたび、吸い付くような肌の弾力に理性を削り取っていく。
(……このままこの滑らかな肌を、私のものにしてしまいたい)
激しい衝動を押し殺し、私は努めて冷静に治療を施した。手際の良さに驚く彼女に「自分も剣術でよく負傷したから、この程度は慣れている」と笑ってみせると、彼女の瞳に尊敬の念が宿るのが分かった。
その無垢で純粋な敬意が、さらに私の独占欲を加速させる。
治療を終え、服を着直すカトリーナを見守りながら考える。
この女を他の誰にも渡したくない。
「エドワード閣下ありがとうございました」
「……礼には及ばない。またいつでも来るといい。侍医が留守の時を狙ってな」
冗談めかして片目を瞑り微笑む。
牙を隠した微笑みの裏で、私の中の獣がゆっくりと目を覚まし、暗く獰猛な衝動に突き動かされていた。
それからというもの、私の世界はカトリーナを中心に回り始めた。
するといろんな事が見え、知ることになる。
貴族の男どもが、「男勝りの地味な女」と呼び、女たちも、彼女の背の高さや肩幅を蔑み、「鉄の女」と嘲笑う。
彼女の視点で見渡せば、王宮はあまりに醜悪でくだらない。
(――誰も気づかない。この美しいカトリーヌの真価を、私だけが知っている)
始まりはとてつもない優越感だった。
だが知るようになると、煮え滾るような怒りへと変わっていった。
(彼女の美しさを知らず、嘲笑う者たちに鉄槌を下してやろう)
彼女自身が捨てる「女性としての誇り」を、最高級の宝石で磨き上げ、奴らの目の前に突きつけたい。
あの日私がみつけた、なだらかで魅惑的な背中の曲線にひれ伏すがいい。
……誰にも見せたくはない。
だがカトリーヌの美しい後ろ姿を芸術へと完成させる。
……その瞬間を想像すると、心の奥底から悦びが溢れ出てくる。
男共は己の愚かさを知り、絶望するだろう。
「あんなに美しい女が隣にいたのか」と、「手が届く距離にいたはずなのに、今はもう手が届かない」……思い知るがいい。
彼女の美しさを知ったところで遅いのだ。
彼女の背に触れ、この肌が私の掌でどう変わるのか、知ることができるのは世界でただ私一人。
診察室での彼女の温もりと震えを思い出す。
片手で顔を覆いながら、低く愉悦に満ちた笑みを漏れる。
その歪んだ想いに浸り、静かに狂気を孕んでいった。
あの夜会で彼女の背中を菱形に開いたのは、全ての男共を屈服させ、私自身の歪んだ愉悦に他ならない。
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そこに軍務や政務で見せる峻烈さを忘れた、一人の「恋する男」の姿があった。
密かにカトリーナを追うエドワードの視線は、王妃エレノアにはバレバレだ。
エレノアと7歳の王女イザベラを、護衛によくカトリーヌは任されていた。
女性ならではの細やかな気遣いと、凛とした立ち姿のカッコ良い、素晴らしい女性だ。
そんな彼女をエドワードは、目で追い静かに見詰めていた。
「エドワード、そのうち射殺しそうよ?」
エレノアがからかうように言うと、エドワードは澄まし顔で紅茶を飲む。
「どういう事かしら?彼女は私たちの加工前の原石よ」
「……周囲の心無い言葉を真に受け、彼女は自分を大切にしない。騎士という殻に閉じこもる姿が、私には余りにも耐えがたいのです」
エレノアはエドワードの瞳に宿る静かな熱情に気づきほくそ笑む。
以前からカトリーヌの現状には腹が立ち、見返しやるとプロデュース計画を立てた事かある。
それに彼女が持つ「強さと繊細さ」を誰よりも理解しているつもりだ。エレノアは思考を巡らす。
(上手くいけば、エドワードの想いも叶い、カトリーヌの現状も覆す。……愉しいわね)
「……それなら彼女に素敵な魔法をかけましょうよ。次の夜会で貴方が、彼女に魅力的なドレスを贈ればいいのよ」
エレノアはニヤリと笑い、エドワードを唆す。
そこからは、連日国家予算の審議よりも白熱したデザイン会議が始まる。
「色は深紅がいい。彼女の秘める情熱を、誰の目にも明らかな姿で示したい」
「違うわ、エドワード。彼女に必要なのは、誰も汚せない高潔な心よ」
兄嫁と弟があーでもないこーでもないと、生地のサンプルを広げて言い合う姿を、イザベラは楽しげに眺めている。
イザベラはカトリーナが大好きだった。
「……おじ様、カトリーヌにどうやってドレスを着せるの?」
「あぁ、以前彼女の怪我を治療したからね。貸しを返してもらうよ」
「ちゃんとロマンチックに誘いなさいよ!」
「……彼女着てくれますか?」
「「……」」
とにかく……、彼女の力強い暖かな腕は安心するから、早く王宮へ来てくれないかな♪
「……ねえ、おじ様。それなら、もう白でレースいっぱいのドレスにしたら? カトリーヌがそれを着ておじ様の隣に並んだら、まるで結婚式みたいで素敵じゃない?」
その瞬間、……部屋が静まり返った。
エドワードとエレノアは静かに顔を見合わせ熟考し、同時にはじかれたように叫んだ。
「「それだ!!」」
「よくやった、我が姪よ!」
エドワードはイザベラを高く抱き上げた。
「未来を予言したわね♪」
エレノアが拍手喝采し頭を撫で回し、褒められて満面の笑みを浮かべる、イザベラ。
白は潔白と高貴の証。
そしてエドワードの隣に立つ、唯一の色だ。
夜会当日に出席できない王女イザベラは、代わりにご褒美をおねだりする。
「カトリーヌの変身を一番に見たい!」
困惑して落ち着かないカトリーナは、通されたフィッティングルームで途方に暮れる。
腕利きの侍女たちは待ち構え、全員がニンマリと「狩人の笑み」を浮かべていた。
王妃の指示を受けた侍女たちは、技術の粋を集めて「高潔な美」を作り上げる。
彼女たちは叔父の想いを知り尽くしていた。その中には小さなメイド服を着たイザベラの姿もあった。
大好きなカトリーヌのため、ちょこまかと一生懸命働く。
カトリーナの唯一女性らしい艶やかな黒髪は、顔周りをスッキリとタイトにまとめ、騎士らしい凛々しさを活かす。
トップの部分を複雑に編み込みハーフアップに仕上げ、残りの黒髪はコテで丁寧に巻く。
さらに訓練で焼けた肌を活かし、パールの入ったパウダーで質感を出し、露出した背中を触れたくなるような滑らかさを演出する。
アイメイクは、目尻に向いスモーキーなアイラインを引き、まぶたに淡いシャンパンゴールドのシャドウを乗せ、女の艶を感じさせる。
最後に深く落ち着いたクラシック・ルージュ。
唇の輪郭をはっきりと描き、艶やかさに毒を加えれば、たぶん王弟殿下もご満足するだろう。
「カトリーヌ、動いちゃダメよ! まつ毛が曲がってしまうわ」
「この香水、おじ様が好きな香りよ♪」
カトリーナは困惑し、イザベラと侍女たちの熱量に翻弄される。
あの日、診察室で触れられた背中。
大胆に菱形に開いた額縁のような白と、黒髪の隙間から滑らかな素肌がチラリと覗く。
無意識の誘惑は、最高の仕掛けになるだろう。
イザベラが完成に手を叩いて喜んだ。
「カトリーヌ素敵よ! 後ろの立ち姿がかっこいいわ。とっても綺麗でキラキラしてる!やっぱりカトリーヌは最高よ♪」
鏡の中には魅力的な女性が映ていた。
イザベラが大ぶりな真珠のイヤリングを侍女に渡し、最後の仕上げを施す。
「カトリーヌ、完成したわ!仕上げのアクセサリーは、おじ様からなの」
エドワードは密かに見ていた。
隙間から見えるカトリーナの姿に、一瞬呼吸が止まりそうになる。
姪の言った通り、それはまるで婚礼の日のような神々しさだ。
(やはり……、この背中を知るのは私だけがよかった。だがこの後ろ姿に、会場中が跪く世界を見てみたい)
エドワードとエレノアがこだわり、侍女たちの執念が詰まった美の化身。
驚くほど洗練された姿に、震える欲望を必死に理性で抑え込む。
その白は、彼だけが許した色。
カトリーナは知らないうちに、王家の計略に巻き込まれていた。
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かつてカトリーナを「男勝りの鉄女」と笑っていた令嬢たちが、今や扇の陰で顔を青ざめ唇を噛んでいた。エドワードはそれを最高級の葡萄酒のように愉しむ。
(――ああ、いい気味だ。君たちが磨き上げる「型にハマった淑女像」など、彼女に比べれば退屈で面白みもない。脆い虚飾の価値など無意味だ)
会場を埋め尽くす貴族男性らの姿は、滑稽で面白いように私の手の中で踊っていた。
昨日までカトリーナに浴びせた無遠慮な言葉が、今では卑屈なまでに熱狂し、向ける無遠慮な視線は外れない。その劇的な変化こそ私が仕掛けた復讐の醍醐味だった。
前回までの彼女は、王妃の背後で直立していた。
令嬢たちは彼女を、透明な壁のように扱っていた。
「あら?あの騎士……。今日も無骨な衣装を纏って、あんな風に肩をいからせては、結婚なんて一生無縁でしょうね」
「お可哀想に、女の幸せを捨ててまで剣を振るうなんて、よほど他に能がありませんのね」
ヒソヒソと交わされる陰口の毒。
彼女を「女ではない何か」と定義することで、自分たちの優位性を保とうとする浅ましさ。
だが今はどうだ?
白レースに包まれる彼女の美しさと気品に、彼女たちは顔を隠し、声にならない悲鳴を上げている。
「……あの方、本当にあのカトリーナ卿ですの? あの美しい背中のラインを見て……」
「嘘よ!あんな高貴な純白を私たちが着るより、優雅に纏うなんて信じないわ!」
信じたくないという絶望と、真似の出来ない絶対的な敗北。
彼女を蔑む言葉の全てを奪い、さらに突きつけてやる。
男たちは、彼女を「便利な道具」か「笑いもの」としてしか見ていなかった。
「カトリーナ、お前のその肩幅なら、盾を持たなくても矢が防げそうだな! ハハハ!」
「おい、男女!視界の邪魔だ。そこをどけ」
性的な対象どころか、一人の人間としての敬意すら払わない。人の尊厳と女の価値を徹底的に無視し貶める。
それが今回はどうだ?だらしなく開いた口と、下卑た欲情を孕む視線が悍まして嗤える。
「……なんという美貌だ。あの肌の艶かしさと蠱惑的な曲線。今までなぜ彼女の価値に気づけなかったんだ!」
「あんな極上の女が騎士団にいたとは!ぜひ一度手合わせ……いや、ダンスをお願いしたいものだ」
昨日まで彼女を「女」と認めていなかった。
それが今では、貪るように見つめ熱狂している。
私はカトリーナの腰をあえて強く引き寄せ、彼女に囚われ惹き付けられ男たちに、冷徹な一瞥で薙ぎ払う。
(――馬鹿め!昨日まで貶めていたその口で、今さら称賛しても遅すぎる。彼女の滑らか張りのある背中と瑞々しさ肌も、……秘めた女の部分も全て、最初に気づいた私のモノだ)
「……カトリーナ、見てごらん」
私は彼女の耳元で甘く囁いた。
「君を笑っていた男たちが、君に欲情している。君を『不憫だ』と見下していた女たちも、足元に広がるトレーンにさえ勝てないと震えている。どうだ、……快感だろう?」
彼女が戸惑い、わずかに身を竦める。
後ろを振り返る姿は、菱形に開いた背中の曲線を艶やかにしならせ、獲物を誘うような残酷なまでの魅力を放っていた。
その無自覚な誘惑に、エドワードの瞳の奥で燻っていた独占欲が、制御不能の炎となって静かに燃え上がっていた。




