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第2話 選択

 由美子が仕事を終え、帰宅したのはいつもより少し早めの午後5時過ぎだった。

 数年前に夫を亡くし、それ以来、女手一つで一人息子の翔を育ててきた。


 これから、夕食の準備をしなくては―――。


「ただいま…」


 憂鬱な気分で玄関を開けると、ふわっとと温かい料理の匂いが鼻をくすぐる。

 鶏肉と玉ねぎを煮込んだ甘辛いカレーの香りだ。


 靴を脱ぎ、廊下を進むとキッチンからカレーをかき混ぜる音が聞こえる。


「ママ、おかえり!」


 リビングから、元気な声が響いた。


 テーブルの上には教科書やノートが広げられており、どうやら宿題の真っ最…中らし……い。


「た、ただい…ま…って、え?」


 由美子は足を止めた。

 

 リビングの翔を見た後、視線をキッチンへと向ける。そこには、鍋をかき混ぜながら何か口ずさんでいる——もう一人の翔…?


「え…? 誰…?」


 混乱した頭でリビングとキッチンを交互に見た。

 机の上には確かに翔がいる。そしてキッチンにも、同じ顔、同じ声、同じ仕草の翔がいる。


「ママ、何言ってるの?ぼくはここにいるよ!」


 リビングの翔が宿題の手を止めて言った。


「違うよ、ぼくが翔だよ!」


 キッチンの翔が振り返り、鍋をかき混ぜる手を止める。


「ちょっと待って…このカレー、誰が作ったの?」


 翔も男の子にしては料理が好きで、一緒に何度も作っていたので、それ自体はそこまで驚かなかったが―――。


 由美子が混乱した声で問いかけると、リビングの翔とキッチンの翔が同時に答えた。


「ぼくたち2人で作ったんだよ!」

「ぼくが野菜を切って、あいつが鍋をかき混ぜただけだ!」

「違う、ぼくがほとんどやったんだ!」

「そうじゃない、ぼくのアイデアで作ったんだ!」


 言い争いを始めた2人を見て、由美子はさらに混乱した。だが、確かにカレーは目の前にあり、湯気を立てていた。


「ママ、ぼくを信じて!こいつは偽物だよ!」


 リビングの翔——翔Aが声を張り上げる。


「違うよ、ぼくが本物だ!ママ、あいつに騙されちゃダメ!」


 キッチンの翔——翔Bも負けじと反論する。


 由美子は目の前の2人を交互に見た。

 どちらも翔だ。表情も、声も、話し方もまったく同じ。


 いや、だが、何かが違う気がする。

 どちらにせよ、確実にどちらかは息子ではない。自分が狂っていなければ———。


「どうして…こんなことに…」


 混乱しながらも、由美子は2人に質問を投げかけた。


「翔が一番好きなテレビは?」


「「はなてんぐ!」」


 2人は同時に答える。


「誕生日のプレゼント、去年は何だった?」


「「アーチャーのベルト!」」


 答えはどちらも完璧だ。


「ママ!早く決めてよ!」


 翔Aが叫ぶ。翔Bも必死の形相で由美子を見つめる。


「ママ…ぼくを信じてよ…」


 その声に、由美子の胸が締め付けられる。


 由美子はキッチンの椅子に腰を下ろした。彼女の目の前には、2人の息子がいる。


(どちらも…私の翔だって思える。でも、どうして…こんなことが起きたの?)


 部屋の中は静まり返り、時計の秒針の音だけが響いている。由美子は頭を抱え、目を閉じた。彼女の脳裏には、翔と過ごしたこれまでの思い出が次々と浮かんでは消える。


 初めて歩いた日のこと。

 熱を出して看病したこと。

 誕生日に手作りのプレゼントをもらったこと。


「翔…お願い、ケンカしないで」


「でも…!」


 翔Aが一歩前に出る。

 翔Bもそれを見て動きかけるが、由美子が手を挙げて制止した。


「やめて、お願い!!」


 2人の翔が由美子を見つめる。翔Aの目には涙が浮かび、翔Bは唇を噛み締めていた。


 しばらくの沈黙の後、由美子は顔を上げた。


「どちらも…私の翔だわ…」

「え?」

「私は…どちらかを選ぶことなんてできない。だって、2人とも私の大切な息子なんだもの。」


 翔Aと翔Bは驚いた表情を浮かべた。


「ママ、でも…」

「いいの。私が決めたの。2人ともここにいていい。家族なんだから…」


 由美子は涙を流しながら、2人を抱きしめた。翔Aも翔Bも、しばらく黙ったままだったが、やがてその手に力を込めた。




 それから数日が経った。


 戸籍は?

 学校は?

 名前は?


 そんな心配をよそに、周囲の誰もが疑問を抱く様子はなかった。


 世界そのものが、初めから2人がいたように作り変えられている——そんな気がしてならなかった。


 由美子は少しずつ2人の翔との奇妙な日常に慣れ始めていた。玄関には2人分のランドセルが並び、朝食の席も賑やかになった。


 まるで生まれた時から一緒にいた双子だったように、当然のように遊び、ケンカをし、泣いている。

 

 しかし、由美子の胸には、いまだに不安が残っていた。


 もしかして、私が『選択』したから、2人とも残ったのか?


 1人に『選択』したら、どちらかが消えたのか?


 そして、その消えるのは『本当の翔』だったのではないか——そう思うと、由美子の胸が再び痛みを覚えた。


「本当に…これで良かったのかしら」


 深夜、ベッドで目を閉じながら、由美子はそう呟いた。

 時計の秒針が、静かに時を刻む音だけが部屋に響いている。


 答えは、由美子にも分からなかった。

仮〇ライダーのベルトにしたかったのですが、固有名詞はどうかなと思い、ライダー→アーチャーへ変えました。

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