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9※

引き続き、ライネリオ視点です。


 ライネリオはよろよろと身を屈ませる。

 震える手を伸ばし、床の上から手のひらの上にそのペンダントを転がした。

 何回も瞬きをして、何回も見直した。

 それはやはり、彼がよく知っているものである。


「そんな、馬鹿な」


 母の形見を悲しそうに眺める少女の顔が頭の中によぎった。

 星に願っている横顔が暗闇に溶けてしまいそうで、どうしても彼女を繋ぎ止めたくて送ったもの。

 手を伸ばして、伸ばしてはいけない存在だと分かっていながらも、唯一自分の本心に従ってしまった証。


『ライネ様』


 今でも、時折耳の中に響く、少女の声。

 今の声よりも僅かに高くて、心地よい音色。

 憎くて、もう一度聞きたくて、愛おしくて。


 その声の持ち主が持っているはずものだった。


(そんなの、ありえない)


 ライネリオはもう一度手のひらの上に目を向ける。


 何回確認しても、それは自分が知る代物であるという事実は揺るがない。

 むしろ、確証になりつつある。


(彼女は、今の彼女はこれを持っているはずがない)


 華やかで豪華な装いに不釣り合いなアクセサリー。

 煌びやかさを愛する王女であれば、これを身に着けるどころか、所持することすらありえないのだ。


 だが、その地味な装飾品は今、ここにある。

 それは否定できない現実である。


 認識と事実が矛盾している。

 その間に挟まれた男は動けなくなってしまった。


「何してるの?」


 突然聞こえたセレスメリアの声に、ライネリオは肩を揺らした。

 振り向けば、あそこには三冊の本を抱えている彼女がいる。

 何故か、手に持っている物を彼女に見せたくはなくて、ライネリオはこっそりとペンダントを服の中に忍ばせた。


「いいえ、なんでもありません」


 はぐらかしたライネリオにセレスメリアは首をかしげる。

 彼はそれ以上明かすつもりはないと察したからなのか、彼女は「あ、そう」と話題を短い言葉で終わらせた。


「はい、これ」


 セレスメリアは抱えた本をライネリオに渡した。

 素直にそれを受け取れば、彼女はそのまま書庫の扉を目指す。


「戻るわよ」


 ライネリオは、彼女の言葉に従う以外の選択肢はなかった。


 二人は『塔』を目指している。

 ゆらゆらと揺らぐ亜麻色の髪を睨みながら、ライネリオは内心頭を抱えている。

 国民を苦しめている悪女であるはずなのに。

 ライネリオが殺したい王女であるはずなのに。

 なのに、ポケットの中に眠るペンダントはそれらの反証となった。

 そのペンダントをまさに今、彼女に見せるべきか、見せないべきか。


(俺は、どっちを期待しているんだ?)


 素知らぬ顔をしている彼女なのか。

 それとも、驚く彼女なのか。


 そう悩んでいるうちに、セレスメリアは何も言わず後ろに振り向いた。

 突然合わされた視線に驚いたライネリオ。

 一方、セレスメリアは満足気に微笑む。


「どう? 満足した?」


 脈略のない質問にライネリオは目を丸くした。

 彼の表情を見て、王女はクスクスと無邪気に笑う。


「あんなに熱心に見つめられると、わたくし、応えたくなっちゃうじゃない」


 一瞬だけ、ライネリオは言葉の意味が飲み込めなかった。

 だが、その意味を理解した瞬間、彼の頬が熱くなった。


 逃げられない立場にあるライネリオは、せめてのこと顔を逸らした。

 だから、彼は見逃してしまった。


 王女はどんな表情で、顔を赤らめた彼を見つめているのかを。


 ライネリオは混乱している。

 今まで、彼女にそう指摘されても何とも感じなかったのに。

 何故自分が今さら狼狽えるのだろうか。


 それを否定したくて、言葉にしようとしたが、セレスメリアはそれを許さなかった。


「何? ようやくわたくしと遊びたいわけ?」


 王女は顔をしかめながら、苛立ちが含まれている言葉を吐き出した。

 初めて見た表情に、ライネリオの喉元まででかかった言葉がどこかに消えてしまった。


「でも、残念ね。わたくしはもう、そんな気がないわ」


 セレスメリアは顔を俯かせる。

 彼女はどんな表情をしているのか、ライネリオには知る術がない。

 だが、彼女の左下を見つめる姿()は彼の心に何かを物語っている。


 あれは、彼女が隠し事をしている時の癖。

 それとも、我慢している時の癖。


 それが起因となった。

 振り返って、走りだしそうな彼女の手を反射的に捕まえてしまった。


「何よ! 離して!」

「貴女は」


 いや、違う。

 ライネリオはそう思った。

 「彼女」を呼ぶ時は、こんな言葉を使わなかった。


「君は」


 そう、これだ。

 こちらの方が、ライネリオの胸にしっくりくる。


 だからこそ。


「誰?」


 彼は、この質問を投げざるを得なかった。

 胸の中に降り積もった疑問を吐き出せた解放感。

 同時に、もう後戻りがないという恐怖。


 二つの感情はライネリオを苛ませている。


 震える声で発せられた問いに、セレスメリアはゆっくりと顔を上げる。

 露わになった表情はライネリオを絶望の淵に落とした。


 寄せられた眉間。

 涙で輝く瞳。

 彼女はすぐ視線を左下に移し、それを隠す。


 それらは全部、答え合わせに変わらなかった。

 そして、そこから弾きだされた答えは、ライネリオの心を明確なものにした。


(そうか、俺は――)


「あ、貴方は、何を……」


 消えそうになるほどか細い声だった。

 それが空間に溶け込んで、静寂が訪れる。

 彼女が続きを口にしようとしたその瞬間――。


「何をしてるんだ!!」


 突然、遠くから男の叫び声が鳴り響く。

 ライネリオは声が聞こえる方向に目を向けると、信じられないものが見えた。


 何人かの衛兵に取り押さえられた赤毛の男。

 そこから蟻のように散らばる男たち。

 宙に浮かんでいる魔法陣。


 ライネリオは経験から察した。

 戦場で何回も唱えたもので、何回も唱えられたものだ。

 簡素でありながら、上手く制御できれば殺傷力の高い、基礎的な攻撃魔法。

 それはまさに今、ライネリオとセレスメリアに向かって展開されている。


 状況を飲み込んだライネリオはすぐに身体を動かした。

 防御魔法を展開してももう間に合わなくて、身体で防ぐしかない。

 瞬時に本を捨て、王女を抱きしめようとしたが、彼の手は空中を掠める。

 目を丸くして視線を動かすと、ぴったりと、二人の目が合った。

 いつの間にか、手を掴んだはずのセレスメリアは彼の真正面に移動した。

 王女は今、ライネリオと魔法陣の間に立っている。

 それだけではなく、今も彼女はまた一歩、そしてまた一歩後ろに距離を開ける。

 その光景は、彼の心臓を痛くなる程締め付けられる。


 一方、セレスメリアは青い瞳を少しだけ丸くしながら、何回かゆっくりと瞬いた。

 そして、ゆっくりと微笑む。


 ライネリオは、その慈愛に満ちた寂しい、同時にどこかでぎこちない微笑みを知っている。

 他でもない、過去に守ると誓った、慣れ親しんだ「彼女」の微笑みだ。


 その瞬間、ライネリオの頭が真っ白になった。

 悪女とか、生きる理由とか、復讐とか。

 全部、綺麗な白で塗りつぶされた。


 今までライネリオは、確証が欲しかった。

 あの日から、全部を失くした日からずっと心の中に重く居座った疑問の確証を求めている。


 ライネリオは身勝手な程に信じたかった。

 あの子はあの日、本当に彼らを裏切った。

 あの子は本当に変わってしまった。


 大切なあの子はもう、どこにもいなかった。


 だから、ジェラルドとあの女も心底から恨んでもいいんだ。

 彼には彼女を恨んで、復讐する権利がある。

 当たり前なことで、許されるべき罪深い行い。

 ライネリオはそのために、そのためだけに生きて、生きようとした。


 彼女は悪女であることをライネリオは強く信じたかった。

 だが、彼女はそんな人ではなかったことを同じくらいに知っている。


 七年、たったの七年。

 二人が共有した時間を表す数字。

 短くもなく、長くもなく、とても中途半端な数字。

 同時に、その分の厚みで彼は彼女を知っている。


 彼が知る彼女は真っすぐで、強がりで、責任感が強くて、嘘を吐くことと甘えるのは同じくらいに苦手で。

 そんな「彼女」の名は――。


「セレス!!」


 魔法が発動された鋭い音がする。

 同時に、正午を告げる鐘の音が青空の下に荘厳に響いている。




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