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 精神的な拷問の果て、セレスメリアは自室に辿り着いた。

 もちろん、ライネリオに横抱きされたまま。

 自分の空間に戻ったおかげで、煩く騒いでいる胸がようやく僅かに落ち着いてくれた。


 一方、ライネリオはそのまま彼女をベッドの上に下ろして、そのまま無言で彼女を見下ろす。


 月明りに照らされたライネリオの顔はあまりにも儚い。

 同時に、不気味でもある。

 意図が読めない彼の視線にセレスメリアの首筋から寒気が広がる。


「何?」


 内心が探られないように吐いた強がり。

 前はあんなに無理して演じた「セレスメリア」。

 今はそれが殺しそこない自分自身を隠すための藪になることは、セレスメリアにとってはただの皮肉にすぎない。


「失礼します」


 棘のある問いを無視し、ライネリオは膝を折り、王女の足首に手を伸ばす。

 彼がやろうとしたことを察して、セレスメリアはさりげなく、自分の足を彼の手から遠ざける。

 それが気に食わないなのか、彼は眉間に皺を寄せながら顔を上げる。


「さっきもうそうだけど、わたくしに触れる許可なんて、出した覚えがないのだけれど?」

「では、確認してもいいですか?」

「いやよ」


 セレスメリアはシーツの中に潜り込み、彼に背中を向けながら話し続ける。


「もう眠いから、出てって」

「……」

「出てって」


 王女は意志を変えるつもりはないと感じ取り、護衛騎士は小さくため息を吐いた。


「分かりました。では、失礼します」


 ライネリオはそのまま部屋から出ようとしたが、突然振り返った。


「おやすみなさいませ」


 その言葉は、セレスメリアの息を奪った。

 一方、ライネリオはそれだけ言い残し、今度こそ退室した。

 鍵の音にセレスメリアがハッとなった。

 しばらくの間が経っても、他の音が響かなかった。


(戻ってない、よね?)


 セレスメリアはゆっくりと身体を起こす。

 今でも、嫌になるほど自分の顔が赤くなったと彼女は気付いている。


(落ち着いて、だから、落ち着いて)


 セレスメリアは先ほど、自分の部屋の前に待機している衛兵と目があったことを思い出した。

 ライネリオに横抱きされている事実が他人に目撃されたということを再実感したら、熱の温度が高まるばかりだ。

 それを失くしたくないかのように、セレスは強く自分の身体を抱きしめる。


 行き場のない気持をどう処理すればいいのか。

 温もりも、森林のような香りもまだ彼女の体に沁みている。

 それらを昇華できず、積み重ね続ける相反する感情に彼女の胸が圧迫されている。

 そこから逃げたいあまりに、セレスメリアはひたすら深呼吸を繰り返す。


「あれ?」


 胸元に手を当てたら、違和感が湧き出る。

 考えるよりも先に、彼女は服の隙間から胸元を覗き込んだ。


「うそ」


 ざっと、あんなに熱かったセレスメリアの顔から温度が抜け落ちた。

 頭によぎる可能性を信じたくなくて、今度はベッドの隣にある引き出しの中身を確認した。


「ない」


 その事実が現実であると受け入れられなくて、セレスメリアは再び服の中、ショール、そしてベッドの上を乱暴にまさぐった。

 だが、欲しいものはどこにもなかった。


「ないっ」


 セレスメリアは混乱している。

 ひたすら「どこ」と呟き、この日の出来事を振り返る。


「もしかして」


 一つの可能性に気付いた瞬間、セレスメリアは勢いよくベッドから降りる。

 靴を履かず、足に走る痛みを無視して、彼女は扉の前まで身体を引きずった。

 震える手で扉を開けようとしたが、ガチャガチャという音だけが響く。


「なんでっ」


 そう言いながら、彼女の手つきがより乱暴になった。


『姫殿下?』


 外に待機している一人の衛兵の声はセレスメリアを正気に戻した。

 扉はいつも外から鍵かけられたことをようやく思い出し、彼女の手から力が抜けた。


『いかがなさいますか?』

「……いいえ。なんでもないわ」

『部屋の中に何かあったんですか? あ、それとも必要なものがあるんですか? でしたら、アコニタさんかライネリオさんを――』

「ううん、本当に、なんでもないの。……もう寝るわ」

『あ、はい、おやすみなさいませ』


 音すら発せない足取りでセレスメリアはベッドの前に戻った。

 そして、糸が切られたあやつり人形のように、その上にぽすんと座った。

 心のどこかで無駄と理解しながらも、セレスメリアはもう一度服と引き出しの中を覗く。


 だがやはり、なかったんだ。

 母の形見と、紫色の夜光石が。


 いつもなら、昼間にだけ身に着け、アコニタが寝る支度を手伝う前にそれを外した。

 だが、セレスメリアは今日、小さな過ちを犯した。

 宝物を宝箱に戻さず、外に出てしまった。


 途中で彼女はそれに気付いた。

 それに気付きながら、ライネリオに監視される状態でそれを外せなかった。

 そう思いつつ、それを言い訳にして、只々一秒も長く宝物を身に着けたかった。


 心細くて、悲しくて、辛くて。

 支えが欲しい。


 それがセレスメリアの胸の奥に眠っている真実。

 ただ、それだけだった。


(その結果は、これね)


 大切なものが全部、自分の手から落ちた。

 全て、自分自身の存在、そして甘さに集束する。


「ふ、ふふ」


 因果応報。

 自業自得。

 そんな言葉がセレスメリアの頭によぎった瞬間、乾いた笑いだけが浮かぶ。


 強い風を受け、窓がガタガタと音を立てる。

 無機質な音に誘われて、セレスメリアが顔を上げると、そこに白く輝いている月がある。


 その月はあまりにも、皮肉な程に美しかった。

 だからなのか、セレスメリアはこれ以上、涙を堪えられなかった。


 あの尊い月と、下賤な自分を比較してしまった。

 滑稽さが涙に変わる。


 泣いて、泣いて、声を殺しながらひたすらに泣いて。

 喉の痒さに、詰まりに抵抗する余裕がない程に咽ながらも泣き続ける。


 今まで我慢した涙を全部流すほどの勢いで、セレスメリアは泣いている。




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