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「叔父様!」

「陛下」


 駆け寄る姪とすぐさま礼をする己の近衛騎士にハロルドは微笑む。


「楽しそうにしているな、二人共」

「いいえ、ちっとも! この怒りん坊さんのせいでわたくしは退屈で退屈で死にそうだわ!」


 ライネリオに指をさしながらセレスメリアは答えた。

 彼女の姿にハロルドは僅かに目開き、その直後、深いため息を吐いた。

 そして、右手をあげ、部屋の中にいる者たちに合図を送る。


「陛下、それはいけません!」


 後ろに控えてる赤毛の騎士は難色を示したが、ハロルドは視線で諌める。

 そうすると、彼は苦い顔をして、王女を一睨みをした後退室した。

 それに引き続き、アコニタとライネリオも扉を潜ったが、最後尾にいるライネリオは、セレスメリアをなんとも表現しがたい視線で見つめる。

 その目に気づかないふりをして、彼女は左下に顔を俯かせる。


 がたんと、扉が閉められた音が響く。

 ほんの一瞬だけ、静寂が続く。


「さあ、叔父様! こちらに座ってて! お願いしたいことが沢山あるの!」

「セレスメリア」


 静寂を破るためにわざと大袈裟に言ったセリフは一言で止められた。

 彼の声から、呆れが感じ取られる。

 弱い気持ちに流されないように、セレスメリアは胸元の、その下に隠し持ったお守りをぐっと確かめる。


「なぁに?」

「ここには、私たちしかいない」


 ハロルドの意思を察して、セレスメリアの喉が締め付けられる。


(わかっている。でも、それでも)


 セレスメリアは唾を飲み込む。


「そうだね。叔父様はわたくしだけで不満?」


 短い問いでハロルドの気遣いを拒絶する。

 彼はそれ以上何も言わずに、勧められた椅子の上に座る。


「変な叔父様」


 そう言いながら、セレスメリアはハロルドの向かい側に腰をかけようとしたが、できなかった。

 王の、胸の内側まで見通すような視線に、全身の鳥肌が立った。

 先ほどの言葉といい、この目線といい。

 隅々まで暴かれそうで、死ぬ瞬間まで嘘で己を固めると決心した彼女には耐えられない。


「あ、お茶とかの用意はまだだったわ。ちょっと、アコニタを呼びに行くね」


 そう言い訳を吐いて、逃げようとしたが――。


「お前の処遇はまだ決まっていない」


 固い口調で、説明が始まる。


「色んな意見があった。腐っても、セレスメリアは王女だ。開き直って道具として他国に嫁がせることも、生涯幽閉にすると提案する貴族もいる。まあ、それぞれにそれぞれの思惑があるようだが」


 嘲笑を浮かべながら、ハロルドは一息を入れてから続きを口にする。


「だが、重圧に苦しんだ貴族や領主たちもそうだが、辺境伯たちは信頼と引き換えに王女の死を条件にしている」


 当然なことだと、セレスメリアは思った。

 ジェラルドの悪政で、王族に対する信頼度が地に落ちたも同然である。

 新しい王となったハロルドは貴族たち、特に防衛に貢献する辺境伯たちからの信頼を回復することは、最初の使命と言っても過言ではない。


 恩人であるハロルドのため、滅茶苦茶にした国のため。

 そのためであれば、命を捧げてもいい。

 この命が役に立てれば、自分にも他人に不幸を与える以外の生まれた理由があるのだろう。


 これも、セレスメリアの本心である。


「そこで、問題視されるのは後継者だ。長い間、例の流行り病で私の息子は病床で伏せていたが、無事峠を超えた。だが、まだ気を抜いてはいけない。だから保険として、しばらくの間王女を生かすようにと、私と宰相は彼らを説得した」


 遠目からしか会ったことはなかった、ハロルドの一人息子。

 元気溌剌な男の子だった彼は、三年前流行り病に掛かってしまった。

 そんな彼が、順調に回復していると知ったセレスメリアはほっと安堵を覚える。


「じゃあ、早く元気になってもらわないとね」


 素直によかったと言いたかった。

 本音を口にできないもどかしさがセレスメリアの胸を重くさせる。

 だが、彼女にとって、吐いたセリフには二つの意味を持っている。


 純粋に、彼の健康を祈る側面。

 もう一つは――。


「何故だ」

「え?」

「何故、あの時頷かなかった。こうなるのが、分かってるだろう?」


 ハロルドの問い詰めに、セレスメリアは小さく息を呑んだ。


 あれは、ジェラルドがまだ生きている日のこと。

 あの日、ジェラルドは珍しく視察のためにエトリアを離れた。


『大丈夫か?』


 木陰に隠れているセレスメリアに、一人の男が声をかけた。

 予想外の声に、彼女の咳が止まった。


 ゆっくりと振り返れば、そこには父と似ている男性がいる。


 この宮殿の中に閉じ込められてから、セレスメリアをただの『セレス』として扱ってくれた存在。

 唯一心を開き、ただの孤児だった自分としての最後の願いを託した人物。


『ハロルド様』

『一人だけか? 侍女は?』

『ハロルド様こそ、何故、どうやってここに?』


 三年前まで、ハロルドは月に一、二回程度の数でセレスメリアと会っていた。

 だが、独占欲を膨らませるジェラルドが弟から宮殿の奥を訪れる権利を略奪した。

 そこに止まらず、ハロルドは辺鄙な所にまで左遷された。

 そんな彼が、急に王都に戻り、王の目を盗んでまでセレスメリアに接触する理由は不明だ。


 そのような意図が含まれた質問に、ハロルドは重い口を開いた。


『遠くない未来、ここは戦場となるだろう』


 予想もしなかった宣言に、セレスメリアは目を見開く。


『その時、お前はエトリアから離れろ。伝手は、私が用意する』


 彼の言葉は、セレスメリアの目の奥を熱くさせた。

 胸も、喉も、赤く燃える鉄に押しつぶされたように苦しい。

 ハロルドの意図を察した上の、彼が示した気遣いにセレスメリアの感情は複雑に絡み合う。


『隣国になるかもしれないが、今度こそ静かな――』

『裏庭の、三番目大きいな木の近く』


 不敬であると分かりながら、セレスメリアはハロルドの優しさを切り捨てた。

 俯いていることに安堵をしながら、セレスメリアは震える声で続きを口にする。


『そこに、王妃の間に繋がる隠し通路があります。普段は隠されていますが、殿下の、王族の血があれば入口が現れるでしょう。その中は迷路になっていますが、殿下なら大丈夫です』

『何故、お前がそれを……』


 短い絶句の後、ハロルドは大きく目を開いた。

 仕方のないことだ。

 何故なら、この情報はしきたりによって王と王妃にしか伝わっていないはずだ。


『まさか、兄上が、あの方はお前に何をした!?』


 その情報を知っている意味を察した彼は感情任せにセレスメリアの両肩を掴んだ。

 唐突なことに、セレスメリアの体が強張る。

 顔が青ざめた女性を見て、ハロルドは冷静を取り戻し、ゆっくりと手を下げた。


 眉間に深い皺を寄せた彼の顔を見て、震えながらもセレスメリアはこう思わずにいられなかった。


(ああ、もしかすると、お父さんって、こんな感じなのかな)


 怖がらないように、適切な距離を保ってくれた。

 心配もしてくれた。


(お父さんがハロルド様だったら――)


 今までのように、その想いが完成する前に彼女は唇を強く噛んだ。


『通路の先にある扉を三回叩いてください。その時、扉を開けます』

『セレスメリアっ』

『私はこのまま、宮殿に残ります』

『……それは、何の意味をするのか、お前は分かってるか?』


 その問いに、セレスメリアの唇が更に痛み出す。

 直後に、首をかしげる。


 国にとって、ハロルドにとって、みんなにとって。

 これからの未来にとって。


 どんな結末になると理解した上で、セレスメリアは最後まで宮殿の奥に止まると決心した。


 セレスメリアの決心は、一番綺麗な笑顔と共に作った。

 その形はまさに今、彼女がハロルドに見せる笑みと同じくらいに、綺麗な物だった。


 そして、あの時と同じ、別れる前に言った言葉をそのまま、もう一度口にする。


「わたくし、難しいことはあまり理解できないわ」

「そうか。そう来たか」


 深いため息を吐き、ハロルドは小さな声で呟く。


「お前もか」


 彼女の変わらない意思に気付き、ハロルドは強く拳を握りながらゆっくりと扉に向かう。

 扉が開かれた瞬間、セレスメリアは大きな声を上げる。


「ねえ、叔父様! わたくし、散歩したいわ! それくらいはいいよね?」

「好きにしろ。ライネリオ」

「はっ」

「え、あ、ありがとう、叔父様!」


 許可を得たことに驚きつつ、貼りついた笑顔でセレスメリアはハロルドを見送った。

 バタンと扉が閉じられれば、彼女は完全に一人になった。

 ようやく、彼女の肩から硬さが抜け落ちる。


「ハロルド様」


 ライネリオを見つけてくれた。

 ジェラルドを止めてくれた。

 そして、自分自身を罰してくれる。


「本当に……本当に、ありがとうございます」


 昔から今までセレスメリアはハロルドから、沢山のものを貰った。


(でも、ごめんなさい。私には貴方に助けられるほど、価値がないの)


 そんな彼に、素直に感謝できなかったことに、彼女の後悔がまた一つ多く積み重ねた。




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