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セレスメリアが『塔』に幽閉されてからしばらく。
驚く程に、彼女の生活は今までとそう変わらなかった。
意図的に変化をもたらさない限り。
「ねえ、今日も冷めたご飯を食べないといけないの?」
「申し訳ございません、殿下」
「最初は面白いから黙ったけど、何日も続くとさすがに飽きるわ」
行儀悪くベッドの上に寝転がりながら、セレスメリアは怠惰にそのセリフを口にした。
目の前にいる白髪の侍女、アコニタに迷惑をかけたことに罪悪感を覚えながら、演技を続ける。
「食べないわ」
「殿下」
「暖かいものじゃないといらない」
我が儘な子供が言うような言葉選び。
セレスメリア自身もそれを自覚している。
だが、彼女が参考にできるのは、記憶の中に残っている反抗期に入った子供たちの言動だけだ。
意志の固さを表現するために、セレスメリアはアコニタに背中を向ける。
そんな王女に、アコニタは小さなため息を吐く。
「わかりました。少々お待ちください」
厨房に向かう侍女の背中が扉に遮断されるのを見て、セレスメリアは態勢を整えた。
朝食に限らず、冷めた食事を口にするのは当たり前なことだ。
毒殺されかけたことのあるセレスメリアだからこそ、その重要性を自覚している。
アコニタにいらないことをさせてしまった。
彼女に対する謝罪が言葉になりそうだが、首を小さく振って掻き消された。
セレスメリアという女性は、我が儘で人を振り回すような悪女だ。
そんな存在は、そう思ってはいけない。
だから、音にならない、心の中でもそう感じてはいけない。
それでも、セレスメリアの顔が曇る。
しばらく待つと、アコニタは湯気が漂っている朝食を持ちながら部屋に戻った。
それらを全部セレスメリアの前に並べた後、彼女は銀製のスプーンを使い、一品ずつから少量を口にする。
その行動は、何年経ってもセレスメリアの良心を痛める。
「ねえ、それをやって怖くないの?」
「いいえ」
「死ぬかもしれないのに?」
「こういうものに慣れておりますから」
新しい侍女が毒見をする姿を見る度に、セレスメリアはいつも同じ質問をした。
そして、彼女たちはいつもアコニタと似たような答えをした。
仕事ですのでだの、慣れていますだの、姫様のためであれば死ねますだの。
「そう」
それは、セレスメリアにとってどこかで虚しくて、やるせなかった。
朝食の後、身だしなみを整える。
それらの責務を全部終わらせたアコニタは部屋の隅に移動し、礼儀正しく立っている。
アコニタは今までの侍女と違う。
必要以上の言葉を言わず、淡々と仕事をこなすだけ。
辺境伯が送った侍女だからなのか、セレスメリアに加担せず、適切な距離を保つ。
おそらく、それが彼女が抜擢された理由なのだろう。
そんなアコニタに背中を向けて、セレスメリアは窓の側に置かれた椅子の上に座り、栞が挟まれた本を開けようとしたが。
――コンコン。
その音は扉だけではなく、セレスメリアの心臓も叩いた。
返事しようとしたが、彼女は思い止まった。
そのまま、本を開き、そこに視線を落とす。
二回目、三回目。
ノックの音は回数だけを重ねる。
それでも、背中に冷汗を流しながらセレスメリアは開かれたページを眺める。
そうすると、四回目のノックが訪れなかった。
その代わりに、扉が開かれた。
「入っていいと許可した覚えはないけど?」
ページが捲れた音がする。
「申し訳ございません。ですが、姫殿下の護衛と監視は私の役目です。それは主である国王の命であり、私の使命です」
鎧が鳴る音がする。
「そう。じゃあ次はノックせずに入れば?」
「それはいけません」
「面倒な人ね」
会話はそこで終わったと察し、セレスメリアは顔を上げる。
彼女の視線はライネリオと合ったが、すぐにそれを逸らした。
ライネリオ・フレメンツ。
二年前、ハロルドが最北にいた頃に拾った奴隷だった男。
剣と魔法の腕前で王弟の信頼を勝ち取り、近衛騎士という位にまでのし上がった。
時折、ハロルドの護衛として宮殿で見かけられたが、寡黙であるため、噂程度の情報しかないとアコニタは説明した。
だが、セレスメリアにとって彼はそれ以上の意味を持つ存在である。
(ライネ様、今日も顔色が悪いわ)
彼女の生活が『塔』に移ってから毎日。
ライネリオはいつもセレスメリアを監視している。
最初はとても居心地悪かった。
だが、人間という生き物はとても不思議な生き物だ。
まだ何日かしか経っていないのに、セレスメリアは彼の温度が含まれない瞳に慣れてしまった。
そのおかげというべきなのか、代わりに、彼を観察するための余裕が生まれた。
想像もしなかった再会の時に見落とした覇気のない青白い顔。
その色は余計に彼の目の下に刻まれている濃いクマを強調している。
記憶の中にいる好青年な彼の成れの果てを見て、セレスメリアは泣きそうになる。
(思えば、ライネ様は入浴と寝る時以外はいつもあそこに立っている。いつ、休んでいるのかな)
見れば見る程、心配の言葉が喉から飛び出そうになる。
だから、できるだけ彼を視野に入れたくない。
まだ完璧に固まっていない覚悟にいらない刺激を与えないために。
そう思いながら、彼女は膝の上にある本のページをもう一枚捲る。
「殿下」
彼の短い呼び掛けにセレスメリアは僅かに肩を揺らした。
それが悟られないように、何事もなかったかのように彼女はゆっくりと再びページを捲る。
「なぁに、怒りん坊さん?」
「その本。おそらく逆さまです」
ライネリオの指摘に、セレスメリアはようやくその事実に気付いた。
瞬時に、彼女の頬が紅に染まる。
熱を感じながら、セレスメリアの冷汗が流れ始める。
その事実を隠すために、王女は護衛騎士に背中を向ける。
「ま、まあ、あんな遠くにいるのに? 見えるの? それはすごいね。だけど、残念。そんなことないわ。貴方の見違いよ」
「失礼しました」
部屋に気まずい沈黙が訪れた。
後ろに控えている彼の表情を確認するには、あまりにも怖いものである。
慣れていない行為とはいえ、早くも犯した失敗はセレスメリアを焦らせる。
すっかりと当たり前になった鋭い視線から探りを感じる。
暴かれたくないという一思いに、セレスメリアは大袈裟に音を立てながら本を閉じる。
「本を読む気が失せたわ。貴方のせいよ」
震えている声に気付かれないようにと祈りながら吐かれた理不尽な非難。
「申し訳ございません」
全ての感情を隠した謝罪。
ズキズキと痛む胸を抱きながら、セレスメリアはライネリオに近付く。
下から覗けるまで距離を縮め、首を小さく傾ける。
「ねえ、責任とってよ」
「殿下は何を仰りたいのでしょうか?」
「そう、ね」
王女は人差し指で、ライネリオの顎下を優しくなぞる。
そして、できるだけ妖艶に微笑む。
「わたくしと、遊ぼうよ」
自分の喉から響く甘い声に、セレスメリアの背中に鳥肌が走る。
「やめてください」
言葉遣いそのものが丁寧だが、その声は地を這うようなものだ。
ライネリオは強くセレスメリアの手首を握り、熱を感じさせない瞳が更に鋭く、冷たくなった。
「立場をわきまえてください」
胸の圧迫感を感じながら、案の定の反応にセレスメリアはほっとした。
この強烈な拒絶は成功した証。
これで先程のしくじりが塗りつぶされたのだろう、と彼女は思う。
「あ、そう。それは残念ね」
目的を果たしたのであれば、一刻も早く彼の視野から消えたい。
左下に視線を逸らしながら、捕まれた手を解こうとしたが――ライネリオはそれを許さなかった。
内心焦りが積もり、セレスメリアが慌てて抵抗すれば、彼はようやくそれを解いた。
「な、なぁに? 口では拒絶するけど、内心はわたくしと遊びたいの? 素直にそういえばいいのに」
「そんなことはありません」
「ふーん。じゃあ、もういいわ。代わりにわたくしを外に連れてくれる?」
「それはいけません」
「どうして? ここもわたくしの家よ? 散歩は駄目なの?」
答えが明確な質問にライネリオは口を閉ざす。
静かに見下ろす彼からこれ以上構う意思がないと感じて、セレスメリアは口を尖らせる。
「何? 叔父様からの許可が必要なの? じゃあ、叔父様を呼んでよ」
ライネリオの瞳は更に鋭くなった。
それに負けずに、セレスメリアは下から彼を睨む。
部屋の空気が重くなったその時。
――コンコン。
セレスメリアの返事を待たずに、ノックの音のすぐ後、扉が開かれる。
「まあ」
口では余裕のある反応をしたが、セレスメリアの胸が鷲掴みにされた。
だって、そこから現れた人物は――。
「何だ、取り込み中か?」
即位したばかりの、ハロルドである。




