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「ライネ、様」


 逸る鼓動と共に、彼女は周りを見渡したが、そこには彼女しかいなかった。

 これは、彼女の奥深くに眠っている感情が呼び起こした幻聴なのか、妄想なのか。

だが、幻にしてはあまりにも明瞭なものだった。


 あ、これは拷問に違いない、と。

 彼女はそう思わずにいられない。

 自分は重罪を抱えながら死んだ人間だ。

 これまでの穏やかさは彼女を絶望の底に落とし込むための前座にすぎないだろう。

 人に安寧や希望、幸福を与えてそれを奪う。

 絶望は、幸福との落差で生まれたものなんだから。


 そう思い、彼女はぐっと胸の前で両手でペンダントを握りしめる。

 この後何が待ち構えているのかを想像しながら、じっと変化を待っている。

 そうすると、彼女の右手から、時折感じた温もりが再び訪れた。


『なあ、セレス。俺の声が聞こえてるのか? ……いや、違うな。おそらくもう今しかないから、聞かなくても聞いてくれ』


 彼は、一体何を言ってるのだろうか。

 彼女は首を傾げながら大人しく、彼の言葉に耳を傾ける。

 彼の語りは、ため息から始まった。


『どこから話せばいいのだろう。こうして、二年間も君の見舞いをしても、碌に話さなかったんだ。……独り言のようになって、あまりにも辛かったんだ』

「二年って……もしかすると、私は――」


 彼女は喉からでかかった言葉を呑み込んだ。

 一つの可能性として、今まで彼女が思ったことをひっくり返した可能性が目の前に提示された。


『全ては君の望み通りになったんだ。王女の死で、貴族と民の王族への信頼が少しずつ回復したんだ。そのおかげで、国全体も昔の姿に戻りつつあるんだ』

「どういう、こと? でも、二年間、私は、生きている、よね? 王女の死って、どうやって……」


 矛盾している情報に悩んでいても、彼女の言葉はライネリオに届かなかった。

 だから、彼はそのまま、彼の胸にある言葉を語り続ける。

 一つずつ、一つずつ丁寧に。

 ライネリオは王女の死以降のカシュエラ国の変化を語る。

 その近況報告は彼女の耳には夢物語のように聞こえる。

 流行り病の対策、隣国との関係改善、減税措置。

 そしてその物語は、壮大()のものから徐々に、小さくなる。

 それに連れて、彼女もライネリオの言葉に返事するようになった。


『アベイユもそうさ。陛下が炭鉱の汚染に取り組んでくださったおかげで、花々の芽が顔を出し始めた。まだ何年かかかるみたいだが、養蜂業を再会できるように皆が頑張っているんだ』

「アベイユも!」

『教会は前よりも賑やかになったよ。そして、エマ様はいつも通り元気だ。彼女は君に悪いことをしたと思って、ものすごく謝りたいみたい』

「そんな、エマ様には、とてもお世話になりましたのに……気にしないで欲しいですね」

『トーマもミリアムも、前よりも生き生きとしている』

「ふふ、あの二人は、兄妹仲良く過ごしてるのかな」

『アコニタは、エマ様の下で薬の勉強をし始めたんだ。飲み込みが早いみたい』

「まあ、アコニタもアベイユに?」


 等々。

 彼の言葉は彼女に届いても、彼女の言葉は彼に届かない。

 そして、彼女の言葉も彼に届いたりはしない。

互いにとっては、単に一方的なやり取りに過ぎない。

 それでも、歪な形であったとしても、再び彼とこうして言葉を交わせるなんて全く思わなかった。

 その事実は彼女の心を満たす。

 硬くなった身体から徐々に力が抜けて、今度は眠気が彼女を襲い始めた。


 その時に――。


『そして、俺は――』


 ものすごく気になった所で、彼は言葉を止めた。

 同時に、彼女の手を包み込む温もりが一段と強くなった。

 まるで眠るな、と彼女を制する彼のように、手が熱くなった。


『君の勝ちだよ』


 彼女は彼の脈略のない言葉に首を傾げる。

 互いの間に、勝ち負けなんて何もないはずなのに。

 彼は一体何について話しているのか分からないまま、彼女は続きの言葉を待っている。


『俺は、今まで勘違いしてたんだ。君のことをよく知っていると思っていたが、どうやらそうではないみたい』

「そんな、ことは……」


 否定したいが、否定しきれなかった。

 どう反応すればいいのかが分からず、彼女は黙り込む。


『まさか、ここまで頑固とはな。七年前は全く想像できなかったよ。……いや、その片鱗はもう見せたのか?』

「頑固、だなんて」

『……この二年間、これが君が選んだ道のであれば、と思って、それを受け入れようとしたんだ』


 しばらく、静寂が続く。

 そして、彼女の右手の全てが人の体温に包まれている。

 彼女はこの体温をよく知っている。

 温かくて、一番彼女に安堵を与える、この温もりは――。


『だけど、やっぱり俺には無理だ』

「ライネ、様……」

『なあ、セレス、覚えてる? 君は俺に『セレスメリア』を殺す権利をくれたのだろう?』


 忘れるわけがない。

 危うく揺れる彼に楔を打ちたくて、彼の足に残酷な重石を置いたことを。

 最後までそれが正しい選択かどうかを分からないまま、結果論に胸を撫で下ろした自分に幾度も嫌気を感じた。


『君が最期まで意地を張るのなら、俺も最後まで張らせてもらう。これくらいは、許してくれるよな?』


 熱が、更に温度をあげる。

 手を握り込んだペンダントから痛みが走る。

 だが、彼女にはそれに構う余裕なんてない。


 彼の希う声は彼女の全てを奪った。


セレスメ(セレスにお)リアを殺させてくれ(はようを言わせてくれ)


 「おはよう」。

 それが何を意味するのか、彼女にはわかる。

 「おはよう」は再会を象徴する挨拶。

 彼とそれを交わすたびに、自分の頬が熱くなるのは今でもまだ覚えている。

 そして、「おはよう」があれば、「おやすみ」もある。

 彼女にとって、いや、二人にとってその二つは対となるものなんだから。


 その「おやすみ」の意味は――。


『そして、たとえ次のおはようがもう二度と訪れなくても俺に――君にも、君自身に別れ(おやすみ)を言うくらいは、許してくれないか?』


 彼女は息を呑んだ。

 「君自身にも」、なんて。

 何故彼はこんなにも優しいのだ。

 優しく、残酷な人だ。

 意地を張ると言いながら、結局彼は彼女のことを考えているのだ。


(最期を、私自身(セレス)として――)


 彼女の心は揺らぎだした。

 そんなの、自分にはそんな資格なんてない。

 そう、許されるべきではないのだ。


 だから。


『頼む』


 胸を切り刻む程の、切ない声色は――。


『許してくれ』


 赦しを求めている。

 それは、彼女への懺悔なのだろうか。

 それとも、彼女が自分自身を赦すように放たれた言葉なのか。


 彼女はそれを――。


(私は――)


 彼女は、ぎゅっとペンダントを握りしめる。


(精霊様、ごめんなさい。私って、やっぱり傲慢で、我が儘みたい)


 そして、祈るように、合わせた手を唇を覆わせる。


(精霊様、お母さん。……――ライネ様)


 彼女は、願う。

 ようやく、セレスは願った。




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