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(生きて、いるんだ。ちゃんと、生きている!)


 セレスメリアの瞳の奥が熱くなった。

 じわじわと広がるそれを冷ますために、何回も瞬きをする。


 仕方のないことだ。

 彼の行方はこの七年の間ずっと、彼女の心に刺さる棘の一つだ。

 言葉を奪うほどの喜び。


(もしかすると、ハロルド様がちゃんと、約束を覚えてくださって!)


 幾度も神様とハロルドに感謝を述べる以外、セレスメリアの喜びを表現する術がない。


 だが、そんな些細な喜びなんて、針一突きで弾ける泡沫のようだ。


 喜びの色に染まったセレスメリアの頬を目にして、ライネリオは瞳を細める。

 その様は、吹雪の如く。

 蔑むような冷たい視線はセレスメリアの体温を奪うと同時に、彼女に現実を思い出させた。


(私、なんて馬鹿なことを)


 ライネリオに憎まれるのは必然である。

 何故なら、親、居場所、未来、全部。

 彼の輝かしい人生を壊した存在は、他でもないセレスメリアだ。


 そんな忘れてはいけない現実が一瞬だけでも頭から抜け落ちたのが、彼女の体を芯から凍らせる。


(喜ぶ資格すら、私にはないよ。あるはずがない)


 ライネリオ・フレメンツ。

 テルン男爵の長男。


 セレスメリアの幼馴染み。


 そして、この世の中に、彼女を一番憎む男。

 それは、殺したいほどに。


「殿下?」


 ライネリオの声にセレスメリアは短く息を呑む。

 いつから自分の視線が床に向けられたのか。

 その失態にセレスメリアは密かに拳を握る。


(いい、セレスメリア。ここは、貴女が感傷に溺れる時ではない。貴女には、貴女のやるべきことがまだ残っている。最期までちゃんと、ちゃんとやり遂げるのよ。じゃないと)


 もう一度、唇を強く噛む。

 すぐにそれが解けて、顔を上げると同時に笑みを咲かす。


「あら、見たことのない、綺麗な人」


 セレスメリアは甘えるような、猫なで声でその言葉を発した。

 彼女付きの侍女達がそれを目にすれば、零れる程に目を大きく開くだろう。

 何故ならば、今までの彼女ととてもかけ離れている言動だからだ。


 そんなセレスメリアは声も、瞳も、指一本の先まで。

 意識を全部、体を動かせるために使う。

 他者から耳にした「セレスメリア」の幻影を、自分に投影するために。


 嫌われものの「悪女セレスメリア」を演じること。

 それは、セレスメリアの最後の、やるべきことである。

 嫌う人達により一層深く嫌うように。

 信じている人たちを裏切り、その感情が反転するように。


 「悪女セレスメリア」が裁かれる瞬間に、涙ではなく、誰もが歓声を上げる未来を作るために。


 そんな決心を胸の奥に隠しながら、セレスメリアは震えている足でライネリオに近づく。


(なんで、ハロルド様はご自身の近衛騎士を、よりによって彼を私の護衛にしたのか分からない。でも、どんな理由であれ、徹底的にやらないと。それに、私は彼に嫌われた方が、いいの)


 緊張で大きくなる鼓動が察せられないように、大袈裟にヒールの音を鳴らす。


(これが、今の私にできること)


 伸ばせば手が届く距離まで辿りつき、セレスメリアは上目遣いをする。


「アメジスト色の瞳。それって、ここでは珍しい色だわ」


 それは、他国出身であるテルン男爵夫人の瞳の色。

 今でもセレスメリアは時折その優しい色を思い出し、泣きたくなる日々を過ごす瞬間がある。


「わたくしのものにしたくなっちゃう」


 花を折るような手付きで、セレスメリアはライネリオに手を伸ばす。

 だが、それが届くよりも早く、彼は一歩後ろに下がる。


「まあ、つれない人」


 まるで、もう二度と昔のように戻れないと証明されたかのような一瞬。

 当然なことだと分かっていながらも、セレスメリアの胸がちくちくと痛む。

 そんな、矛盾している自分の心に嫌気がさし、彼女は視線を左下に逸らした。


 それを見たライネリオは、ひゅっと喉を鳴らした。


「何を企んでいる?」

「何も? 本当のことを言っただけよ?」


 少しずつ気持ちを固めて、横目で彼の顔を盗み見る。


「怖い顔」


 そんな彼女の目に映るのは、目を鋭くして、警戒しているライネリオの姿だった。

 胸に食い込む棘が、更に深く刺さる。

 痛みと共に、瞳に何かが滲みでている。

 限界が近づいていると察し、セレスメリアは身を翻した。


「いくら綺麗な人でも、わたくしは睨まれる趣味なんてないわ。こんなのいたら休めないから、他のに代わって――」


 首からぞわっと鳥肌が全身に広がった感覚は震えている声で発せられたセリフを中断した。

 確認せずとも分かる。

 今、セレスメリアの首のすぐ傍に、ライネリオの剣先がある。


「勘違いをするな」


 冷たくて、低い声色。

 その怒りで満ちている音の方が、剣よりも何倍も鋭くて、痛い。


「護衛と言ったが、監視も兼ねている。貴女が被害を拡大しないように、陛下は俺を指名した」


 ライネリオはそこで言葉を区切り、剣を握り直す。


「その理由は、貴女が誰よりも知っているはずだ。自分の父すら誘惑した貴女が」


 一瞬、セレスメリアの呼吸が止まった。


(後ろに振り向いて、本当によかった)


 彼が放った一撃は見事に彼女の仮面を投げ飛ばした。

 今さら、彼に仮面の向こう側の自分を見せるわけにはいかない。

 僅かに目を瞑り、再び思い描いた「王女」になったセレスメリアは首だけ動かした。


「物騒な人ね」


 そう言いながら、首の側に添えられた剣を退かそうとした。

 だが。


「っ!」


 先に動いたのは、ライネリオだった。

 セレスメリアの素手が剣に触れる前に、それを彼女から遠ざけた。

 急なことにセレスメリアは反射的に体の向きを直した。


 そして、彼女は固まった。


 眉間に皺を寄せ、口を小さく開いたまま。

 揺れる瞳で、セレスメリアを見つめている。


 再会してから初めて、ライネリオに相好が見られる。

 よりによって、それは焦りと狼狽と、怖れで彩られている。


 決して、仇に見せるべきではない表情だ。


(なんで)


 思わず、疑問がセレスメリアの口からでかかったその時、ライネリオは動き出した。

 顔を俯かせながら剣を再び鞘に収め、早くも一礼をする。


「ご無礼、申し訳ございません。ご要件があるのであれば、外で待機している私に伝えてください」


 突風の如く、彼はセレスメリアの前から姿を消した。


 部屋の中に、セレスメリアは一人残された。

 おぼつかない足の支えをなくした体は、床の上に崩れ落ちる。

 足よりも激しく震えを刻む両手で、服の下に隠されたネックレスを取り出した。


 そこにはペンダントになった宝物が、二つ。


 一つ目は、シンプルなサクラソウのペンダント。

 これは彼女の母、メリアの形見である。

 セレスメリアの六歳の誕生日に貰ったものである。

 娘の手に渡るまで、メリアが肌から離さず身に着けたものでもある。


 二つ目は、丸くて、少し歪な紫色の石。

 暗闇の中に星のように優しく光る夜光石。


 その贈り主は他でもない――。


「ライネ、様」


 それは、あどけなくて、星のように淡く輝いている記憶。

 セレスメリアはまだ、ただの『セレス』に過ぎない頃の想い出。


 一番、幸せだった頃の話。


『セレスは、あの星を見るのが好きだね』

『もちろん見るのも好きですが、どちらかというと願い事をするのが好き、ですね』

『ふーん。そういうこと? ちょっと意外だな』

『そういうことです』


 冬空の下の、二人きりの天体観測、二人で見た黄色く輝いている星。

 肌を刺激するほどの寒さのはずなのに、隣に彼がいるだけで、頬に熱が集まる。


『なあ、セレス。手を出して』


 首を傾げながら、セレスは素直に手を出した。

 そうすれば、彼女の小さな手のひらの上にころんと青く光る石が転がる。


『ライネ様、これは?』

『夜光石だよ。この間、父上と一緒に採鉱所の視察を同行した時に拾ったんだ。セレスの目と似ている色に光ってるからつい、拾っちゃった』


 ライネリオは優しく微笑む。


『願い事が大好きなセレスが、星が見えない場所にいてもいつでも願えるようにと思って。こんなの作るのが初めてだから、あまり綺麗じゃなかったけど』


 彼が生きているという事実と、ジェラルドの死によりようやく再び身に着けられる宝物。

 この二つは、セレスメリアに贈られた美しくて残酷な願いを呼び起こした。


『セレスの願い事が、叶えますように』


 過去の綺麗な想い出、暖かい温もり。

 それらは今の絶望を際立たせた。


「私に見える星なんて、もう、どこにもないよ」


 願える立場ではない。

 こんなにも多くの人を不幸にさせる自分になんて、そんな資格なんてない。


 セレスメリアは光を発しない、ただの石で出来たペンダントを握りしめる。

 爪が肌に食い込むほどに強く。

 喉の奥にでかかった願い(言葉)を涙と一緒に封じ込めるために。

 扉の向こう側に待機しているライネリオに気付かれないように、全部唾液と共に飲み込む。


 だが、咳こんでいるセレスメリアは知らなかった。

 外に佇んでいる彼は彼女よりも強く、拳を握っていることを。




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