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 告げられた罪状に聞き覚えがない。


 実はそれは少し違う。

 正確にいうと、半分は虚妄だ。

 つまり、残り半分は紛れもない真実である。


 そして、セレスメリアはちゃんとそれを自覚している。


 例えば、テルン男爵夫妻の虐殺。


 彼らは幼いセレスメリアを引き取ってくれた貴族。

 優しい夫妻にセレスメリアは一生返しても返せないくらいの恩を抱いている。

 そんな彼らに危害を加えるなど、天地がひっくり返ってもありえないことだ。

 だが、とある日、その夫妻が殺害され、彼らが住んでいる屋敷が多くの使用人と共に灰と化した。

 ガラクタから彼らの一人息子の遺体が見つからず、消息不明となった。


 それは、セレスメリアが十三歳の時に起きた惨劇。


 例えば、自国の貴族令息たちの死。


 ギズラー辺境伯の長男を含め、令息達に甘い言葉で振り回しただなんて事実無根。

 唯一参加したことのある夜会でセレスメリアはジェラルドの後ろに隠れるばかりだ。

 そんな中、ギズラー辺境伯の長男とセレスメリアは一度しか、それもほんの数秒しか言葉を交わしたことはなかった。

 だが、ある日突然、城に彼らの訃報が発表された。

 彼らは王都の郊外にある森の中に死闘を繰り広げ、身体の弱い辺境伯の長男はそこで命を落とした。

 二人の間にはセレスメリアの存在をほのめかす手紙が発見されたのは、事件が落ち着いたしばらくがたった後だった。

 そこからあらぬ噂が止めどなく広がった。


 それは、セレスメリアが十八歳の時に起きた悲劇。


 例えば、国民に課せられた重い税。


 セレスメリアは全く無知である。

 何故であれば、ジェラルドはそんな情報をセレスメリアから遠ざけていたからだ。

 始まりは、徐々に豪華になる自分の物に対する違和感。

 次は積み重なる宮殿の必要のない改装。悪い予感をしたセレスメリアは城から抜け出し、真実に気付いてしまった。

 それを知った時にすぐジェラルドに税を下げて欲しいと頼み込んだ。


 だが、それが「これはお前のためだ。わかってくれ」と却下された。


 平民の母を持つセレスメリアには後ろ盾がいない。

 援助するにしても、彼女の手が短すぎる。

 エトリアはまだしも、他領にまで伸ばすことは不可能だ。


 結局、宮殿が栄える一方、国が搾り取られるばかりだ。

 結果として貴族達の権力が弱まり、抑止力のない国王の暴君っぷりに拍車がかかった。


 そうやって、セレスメリアの評価が二分された。

 エトリアでは卑しい民にも躊躇なく手を差し伸べる「聖女」。

 それ以外の地域では私利私欲を満たすために国王を誑かした「悪女」。


 それを知る人々は彼女をこう呼ぶ。

 「聖なる悪女」。

 それは、多くのエトリアの民を除き、国民が皮肉を込めた、セレスメリアに贈った呼び名だ。


 現実を知るセレスメリアは、世界が瓦解するような感覚に襲われた。

 真実に目を向けず、何年ものうのうと生きている自分。

 今まで助けになると信じたあの金は、国民の汗に涙、それから血から吸い取ったものと気づいた瞬間。


(彼らの力になりたいのに。結局、彼らを苦しめているのは、私なんだ)


 セレスメリアが十九になったその年。

 彼女の心は粉々なった。


 今まで崖の端まで耐えに耐えた数々の罪悪感と重圧に押しつぶされないために、彼女は考えることをやめた。


 その時から、セレスメリアは夜光石でキラキラと光る宮殿の奥で、微笑するだけの人形となった。


 もう、城下町に行く勇気がない。

 彼らと相まみえる資格なんて、セレスメリアにはない。

 そもそも、最初からないと等しいのだ。

 今まであると都合よく勘違いをしただけ。


 真実に押しつぶされた彼女の表情は、儚くなる一方。

 同時に、この頃合い彼女は当時蔓延していた感染症に掛かってしまった。

 生死を何回か行き来し、何とかそれを乗り越えた。

 その果てに、虚弱な身体が後遺症として残ってしまった。


 セレスメリアは文字通り、肉体的も精神的も弱くなった。

 代わりに、ジェラルドの溺愛だけが重くなっている。溺愛といえば聞こえがいいが、その正体は狂愛で、愛玩である。

 セレスメリアの意思、セレスメリアの人格を必要としない、一方的で自己中心的な執着。

 希望を失ったセレスメリアこそは、彼が理想の中に描く、愛でるためだけの存在だ。


 この時から、ジェラルドはセレスメリアを「メリア」と呼び始めた。


 メリア。

 それは、セレスメリアの母の名前だ。


 そこから、ジェラルドが宮殿を改装するためにより力を注いだ。

 より優雅に、より豪華に、より厳重に。

 「メリアがもう二度と私から奪われないように」と呟きながら。


 そして、彼の行動がさらに暴走した。

 いよいよ、彼はセレスメリアを女王にしようとした。

 伝統に反するその決断に多くの貴族が異議を唱えた。

 継承権の第一は王弟であるハロルド、その二位はハロルドの息子。

 その次にようやくセレスメリアである。そんな秩序を乱すような決断に、誰もが反対する。


 だが、ジェラルドは我を通そうとした。


『もう少しだけ待ってくれ。これが上手くいけば、私たちの邪魔をする者がいなくなる』


 それは、王妃の間がセレスメリアに与えられた日のこと。

 ジェラルドは狂気に満ちた目をしながらそう語った。

 彼の暗い瞳の奥に潜んでいる感情に、セレスメリアは覗き込んでしまった。


 決して、父が娘に向けてはいけない感情(恋慕)。


 薄々と感じたそれが、確信に変わった瞬間。

 信心深い母に育てられたセレスメリアは後ろ頭が強い打撃のような衝撃を受けた。

 背筋を凍らせるほどの拒絶と、心臓を握りつぶせるほどの恐怖。

 これ以上、ジェラルドを好きにさせてはいけないという天啓。

 今はまだ指一本も触れられていないとはいえ、ジェラルドは明らかに機会を伺っている。


 狂っている。

 こんな人を野放ししてはいけない。


――止めなければ。たとえ、私の命と引き替えになったとしても。


 そんな静かで悲しい覚悟が、セレスメリアを人形から人間に戻してくれた。


 その日からセレスメリアは、機会を伺った。

 彼の命を奪う以外の機会を。


 信心深いセレスメリアはそのような選択肢を取らざるを得ないくらいに追い詰められている。

 そして焦ってもいる。自暴自棄で、侍医から聞いた確証のない方法を実行しようとした頃、運命が動き出した。


 幸か不幸か、それを実行する前にジェラルドは誰かの手によって命を落とした。

 結果として、こうして秩序を乱す悪女であるセレスメリアは『塔』に送られる。


「殿下、こちらになります」


 これから生活する空間に辿り着くと、彼女の回想が途切れた。


 それは、城の一角に建てられた寂れた一棟。その最上階に、部屋が一つだけある。

 簡素なベッドに最低限の家具。

 そして白いカーテンに隠された小さな窓が一つ。

 この部屋の中で、セレスメリアはそんな遠くない最期の日まで幽閉される。


 衛兵たちが去り、ようやく一人になれたセレスメリア。

 平民から見ると立派に映るそれが、貴族からするととても平素なものだ。

 皮肉なことに、六年間過ごした華やかすぎる空間よりも、この質素な部屋の方が彼女の肌に馴染む。

 この場所の方が、彼女にとって空気が軽やかで、吸いやすく、吐きやすいのだ。

 久々の静穏と呼吸に、セレスメリアの胸が軽くなった。


 ベッドの上に座り、呼吸を整えれば、コンコンと扉が叩かれた音がする。

 外した仮面を被り直さないといけないと思い、セレスメリアは深いため息を吐いた。


「誰かしら?」


 しばらく、静寂が続く。

 この状況に違和感を抱くセレスメリアの鼓動が徐々に大きくなる。

 座っていられなくなり、警戒しながら立ち上がったその瞬間、扉が開かれた。


 同時に、セレスメリアの呼吸が絞められた。

 言葉も、奪われた。


 扉から潜り入ったのは、一人の、長身の騎士だった。

 派手な装飾品で彩られるジェラルドの近衛騎士と違って、実用的な鎧を身に着けている黒髪の青年だった。

 その左腕に掲げられている鶴とダンデライオンの紋章は彼の所属を語っている。


「うそ」


 セレスメリアは思わず、そう小さく呟いた。

 その小さな声が男の耳に届かなかったのは、運のいいことか悪いことか。


「ハロルド陛下の近衛騎士、ライネリオと申します。本日からセレスメリア王女殿下の護衛を任命されました」


 記憶の中にあるものよりも低かった声で紡がれた、単調で、感情の一つも籠もっていないセリフ。

 彼はゆっくりと上半身と目蓋を上げる。

 そうすると、向こう側に隠されたアメジスト色の瞳が露わになった。


 その声、その珍しい瞳の色。それらが全部、セレスメリアの予想を確信に変えた。


 彼自身は家名を口にしないが、セレスメリアはその音を誰よりも知っている。


『セレス』


 蘇る、あの頃の記憶。

 優しい声でセレスメリアの本来の名前で呼んでくれた、手からこぼれ落ちた大切なもの。


『ライネ様!』


 幼いながらも彼の隣には入れらないと理解しながらも、まだ無邪気に彼の名を呼べるあの頃の自分。

 もう、二度と取り戻せない宝物。


 ライネリオ・フレメンツ。

 テルン男爵の長男。


 セレスメリアの恩人。

 寂しい時に、いつもセレスメリアの隣にいてくれる人。

 隣り合いの幸せを教えてくれた人。


 そして、彼女のせいで、全てを失くした男。




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