19※
ライネリオ視点です。
近くにある大きな樹木の下で、夜風を感じながら反省しているライネリオ。
しばらくすると、隣に眠っている少年のくぐもった声が聞こえる。
「う、ん……」
「起きたか?」
「ん……? えっ!!」
「静かに」
ライネリオはしーっと唇の前に人差し指を当てる。
その意図を拾い、少年はすぐさま両手で自分の口を塞ぐ。
冷静を取り戻したトーマは今度は警戒の色で満ちた目でライネリオを睨む。
今までのことを考えると、当たり前の反応だ。
少年が大声を出さないだけでとてもありがたい。
しかし、それと別に、ライネリオの心に別の感情が刺激された。
「すまない」
予想もしなかった言葉にトーマは茶色の瞳を大きく見開いた。
「先ほどのことも、市場の時のことも……いや、盗みは褒められることではないが……それでも、あんな態度を取っていい理由にならない」
ライネリオは目を逸らさず、真剣にトーマを見つめる。
「怖がらせて、すまなかった」
「い、いいよ、別に」
トーマは少し居心地悪く、顔を背ける。
これ以上彼に言葉をかけるには単なる自己満足であると自覚し、ライネリオは夜空を見上げることにした。
静かな夜とコオロギの声。
それだけで、失くした故郷の記憶が頭に蘇る。
緑の中で町の子供達と遊んだ記憶。
隣には大切な子が共にいて、共に笑った。
思い出すだけで、胸が痛くなった。
どんなに深呼吸しても一向に和らぐ気配がないこの痛み。
まだまだこれを抱えて生きなければいけないと思うと、呼吸まで苦しくなる。
これ以上この心地よい空間の中には居られない、居てはいけない。
そう思い、ライネリオはゆっくりと立ち上がる。
トーマに家まで送ると提案しようとしたその時。
「聞かないの?」
少年はか細い声で聞いた。
それを見て、不思議そうに瞬く少年の前に屈み、目線を合わせる。
「聞かないさ」
誰にでも、秘めたいものがある。
それは年齢と関係なく、だ。
そして、それを尊重するべきなのだ。
ライネリオは優しく微笑み、トーマの頭を撫でる。
「君が話したくないなら聞かないさ」
ぽんぽんと軽く撫でた後、ライネリオは再び立ち上がる。
「夜はもう遅い。最近の噂を考えると、君を送った方がいいだろう」
そして、そっと、トーマに手を差し伸べる。
「案内してくれるか?」
ライネリオの言葉と行動に少年の瞳が涙で満ちていく。
少年はそれを隠すように顔を俯かせたが、ライネリオの手にちゃんと応えてれた。
二人は静かな村を横断し、トーマの家を目指す。
そこまで広くない村をしばらく横断すると、暗闇の中から小さな家が見えた。
トーマはライネリオの手を離し、そのまま扉に向かって走り出した。
だが、途中で足が止まり、ライネリオに振り返る。
「なあ、お兄ちゃん」
「ん?」
「次は、俺を見逃してくれる?」
「それは……」
彼の意思を尊重したいが、状況は状況である。
魔獣の存在はまだ噂に過ぎなかった。
いいことではあるが、それは辺境伯に援助を頼めないのと同じ意味をしている。
現状を考慮し、断ろうと口を開けようとしたが――。
「お願い」
ライネリオの答えを見かねたかトーマの言葉に強い意志がこもっている。
少年は真っ直ぐな瞳で騎士を見つめる。
眩しい。
汚くて、泥を啜る人生を送ったライネリオが直視できないほどに。
昔、この少年と同じ綺麗な覚悟を胸の中に秘めていた。
その覚悟は努力となり、その努力は確かに実った。
剣の腕、知識、心構え。
全て、大切な存在を守るために身につけた。
だが、結局全ては無意味に終わった。
心構えなんて、奴隷になった瞬間ゴミになった。
知識なんて、生き延びるために意地汚く使った。
剣の腕なんて、復讐のために研ぎ続けた。
その虚しさを誰よりも味わったライネリオ。
だから、思わず本音が漏れ出した。
「そんなの、意味がない。意味なんてない」
か細い声は確かにトーマに届いた。
否定の言葉に少年は傷つき、震えるほど拳を強く握りしめる。
「わかってる。そんなの、わかってる。……でも、俺は、ミリアムを守りたい! だから、意味がないかもしれないけど……全てやってみないとわかんないじゃない!」
トーマの悲痛で純粋な叫びはライネリオの心を震わせる。
その言葉はライネリオの中で弾けた。
『できないかもしれないけど、できるところまでやってみたいです』
昔の、懐かしい記憶が頭によぎる。
失敗したせいで屋敷の裏で密かに泣いている少女の背中。
心配したあまりに見に行った途端、すぐそれを隠した強がりな子の言葉。
いつから彼女に惹かれたのかは正直覚えていない。
だが、確かにあの言葉こそがライネリオの気持ちを明確なものにした。
できるところまでやる。
今の彼女もそうだ。
何かを成し遂げようとしている。
自分には無理だと知りながらも、できるところまでやろうとしている。
一方、ライネリオは?
勝手に作った理由を失くし、ただただ現状を嘆き、抗えようともせず溺れている。
唯一残っている宝物の壊れてゆく姿を隣で静かに眺めてるだけ。
そして密かに、その瞬間を己の終着点にしようとしている。
「もう疲れた」、「もういいんだよな」。
そうやってそれらを諦めや罪悪感と称して、これ以上傷つくことから逃げるばかりだ。
その結果はこれだ。
がんじがらめになり、何もできなくなった。
(今の俺に、出来ること)
セレスの表情が鮮明に浮かんだ。
嬉しそうにミリアムを眺めている彼女の横顔。
知らないものを怖がる顔。
夜な夜な聞く彼女の泣き声。
――このままでいいのか?
(言い訳がない)
だって、昔も今も、ライネリオは彼女の笑顔が見たいのだ。
例え、自分の気持ちを一生隠さないといけなくなっても。
彼女の笑顔こそが、ライネリオの陽だまりなんだから。
(彼女のために、俺に出来ることはなんだろうか)
そんなの、まだ分からないのだ。
ぐちゃぐちゃに渦巻く胸の中に答えなんて存在しない。
できることがあるかどうかすら分からない。
だが――。
(俺は泣いている彼女を、もう見たくない)
これはまごうことなき、ライネリオの本心である。
だから、ライネリオは決心をした。
そのために、前に踏み出さなければいけないのだ。
そして、この重要な気づきを与えてくれた小さな男のために、ライネリオにできることは確かにある。
「トーマ」
名前に反応し、少年は素早く顔を上げる。
そのあどけない表情にライネリオは硬い声で問う。
「剣を、ちゃんと学びたいか?」
 




