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18※

ライネリオ視点です。


 三日月が夜空に姿を見せている頃。

 ライネリオは一人で、セレスの部屋の前で待機している。

 彼にも一階には部屋が用意されていたが、そこをあまり使わなかった。

 アベイユに着いてからいつも大切な彼女の部屋の前を守り、警戒を解かずに浅い仮眠を取る日々を過ごした。

 しかし、今夜の彼は仮眠すら取れる心情ではない。


(セレス)


 今朝の出来事はあまりにも異質だった。

 汗を流しながら顔を歪ませ、傷がついた手を頑なに見せないセレス。

 あんな彼女を初めて見たせいか、ライネリオの頭から色が薄まらない。


 扉の向こう側にいる彼女の姿を思い浮かべる。

 あの残酷な夜から王女の演技がより板についた、不器用な少女。

 それでもなお、その仮面は彼女のお人好しさを隠しきれていない。

 彼女をそうさせてしまったのは弱い自分であると思えば、尚更胸が傷む。

 だが、「セレス」を見つける度に心が温まるのも否定できない事実だ。

 心底、この静かな時間が永遠に続くようにと願ってしまったことも。


 ライネリオの胸の奥に居座る罪悪感は重くなる一方だ。


「……いやっ。じぇ、らるどさま……やめ、て」


 突然、薄い扉の向こう側から声が聞こえる。

 途切れ途切れなうめき声に、ライネリオの胸が縛り付けられたかのように傷む。


(今日も、か)


 これは旅の途中で気付いたことだ。

 セレスは幾度の夜に悪夢に襲われている。

 すすり泣く日もあれば、こうして言葉が紡がれる日もある。


 数えきれない謝罪。

 「奥様」、「旦那様」、「お母さん」。

 そして、自分の名も。


 それらは彼女の七年間を雄弁に語る。

 秘密の天体観測の時に、隣で安らかな寝息を立てる少女の成れの果てはこれである。


 初めてそれを耳にした時に、ライネリオは絶望した。

 彼女を信用できず、身勝手なほどで一方的に彼女を憎む。

 それを糧にして、今でもまだ生き延びている。


 自分の浅はかさが真正面から突きつけられた。

 手を伸ばしたくても、二人は扉で遮られている。

 扉がなくても、ライネリオにはその資格がない。


 そんな想いを込めて、彼の手は扉に触れ、すぐそれをぎゅっと握りしめる。

 そしてすぐ、近づいている気配の方向に視線を送る。


 暗闇の中からアコニタが無言で現れた。

 想定した人が現れ、ライネリオは警戒を解いた。


 旅の中でも、二人の間には最低限の会話しかない。

 それはいつものことであり、お互いもそれでいいと思っている。


 一つの条件を除けば。


 アコニタはライネリオの隣にまで近づき、扉を見つめる。

 そこから漏れた声に、彼女の眉間に皺ができた。


「今日も、ですか」

「ああ」


 ライネリオは漏れ出しそうなため息を堪え、小さく頷いた。

 彼女の言葉でセレスの声は現実であると証明され、自分に対する情けなさが深まるばかりだ。


「ライネリオ様、今日はもう休んでください」


 アコニタは顔を歪ませるライネリオにそう言った。


「いや、俺は……」

「顔色、とても酷いです」


 そんなの分かっている。

 だが、それは彼女の側から離れる理由にはならない。

 ライネリオは内心そう口答えした。


「だが、今日貴方は用事があるのでは?」

「それはもう大丈夫です」


 それでも、ライネリオは微塵も動かない。

 それが答えだと受け取ったアコニタは、小さくため息を漏らす。


「それを、あの方に見せるのですか?」


 その言葉は一瞬、ライネリオの息を止めた。


 セレスから離れるなど、ライネリオは素直にそんな提案を受け入れるような男ではない。

 おそらく、アコニタはそれを充分理解している。

 何せ、セレスも彼も、分かりやすい二人を短くない期間で一番近くから見ていたのはアコニタである。


 だからこそ、彼女はライネリオの頑固な所を崩す方法を充分熟知している。


「私はあの方の悲しむ顔、何故かわかりませんが見たくはありません」


 ライネリオだってそうだ。

 だが、そう思ったとしても、それを口にしてはいけない。

 音にしてしまうと、彼女が築こうとしているものが崩れてしまうかもしれない。


 ライネリオの表情が更に歪む。

 アコニタはそれを気にせず、自分の提案を最後まで言い切る。


「ここを私に任せてください。だから、休んでください」


 真っすぐな瞳、そして強い意志を感じさせる声色。

 そこからは揺るぎのない自信が読み取れる。

 ライネリオに彼女ならできると知っている。


 アコニタの足運びや隙のなさ、絶え間なく目立たずに周辺を観察する身振り。

 程よく「一般人」を装うことから、彼女は己の力量を隠すつもりでいるのだろう。

 彼女にはその能力がある。

 しかも、いつの間にか冷淡な彼女はセレスに対してなんらかの感情を抱いているようだ。


(いや、あの子だからこそ、なのかもしれない)


 どんなに上手く演技しようと、今日のように彼女の甘さが滲み出てしまう。

 例えセレス自身がそれを望んでいなくても、嫌でも人は彼女に魅了される。

 本人が意図しないことで余計に事柄をややこしくさせ、人を振り回している。


 今のライネリオ自身もまさしく振り回されている最中である。


 彼に休むための条件が全部揃った。

 だが、心がこの場所から離れたくないと弱く叫んでいる。


(ああ、憎い)


 それが真実であればどれほど楽になれるのか。

 そして、その強い感情は何から生まれたかをライネリオも知っている。


 その感情は今さら何の意味を成さないことも。


「ライネリオ様、はっきり言います。今の貴方の顔は、あの方に見せてはいけません」


 アコニタの硬い声はライネリオを思考の海から掬い上げた。

 同時に、あの悪夢のような夜の記憶が蘇る。

 セレスにもう二度と見せてはいけない表情。

 彼女に余計な感情を起こさせ、より鋭い茨の道に歩ませてしまうから。


「……わかった」


 それを誰よりも見たくないライネリオは頷く以外の選択肢は残されなかった。




 しかし、どんなに心地よいベッドでも、ライネリオの睡魔を招くことはできなかった。

 このままでは時間を無駄にするだけと思うライネリオはそのまま気配を消しながら外に出た。

 まだ冬ではないとはいえ、晩秋の夜はそこそこ寒いのだ。

 長年骨にまで沁みる寒冷劣悪な環境で人生を送ったライネリオにとっては大したことではないが、今夜はいつもよりも寒く感じる。

 見上げれば、昔と変わらない三日月とそれを囲む星々が静かに輝いている。

 その美しい光景を目の当たりにしたライネリオの胸は重くなるばかりだ。


 自分の本心が何かを言いたげている。

 それらが言葉に羅列になる前に、ライネリオは静かに白い息を吐いた。


(周りの様子を見よう)


 今日はギズラー夫人が訪れるため、警備が強化されたから、必要のない行動かもしれない。

 しかし、今のライネリオにはそれが無関係である。

 意識を別の方向に向け、足音を殺しながら歩みを始める。

 穏やかな村とは言え、最近周辺には魔獣の被害が続出しているのも事実である。

 村人たちにも夜中に家からでないようにと念押しされていたと覚えているが、今夜だけはそれが守られない。

 だからせめて、セレスだけではなく、世話になった教会の警備を兼ねてと自分を正当化する。

 教会の裏を通る時、前だけを見て歩き、見回りを続ける。


 しかし、それはあっという間に終わった。


 歩みを進めようとしたその時、空を切るような音が何回も何回も耳に入った。

 ライネリオはすぐ剣を触れ、壁に背中を付けて、ゆっくりと向う側を覗く。


 そうすると、一心不乱に素振りをしている少年の姿が見える。


(あれは確か、彼の名前はトーマか。何故子供がこんな夜中に……)


 トーマはその動作をひたすら繰り返す。

 それは何を意味するのか、似たようなことを体験したライネリオにはわかる。

 どういう意図でやったのか分からないが、目撃したことを見ないふりはできない。

 剣から手を離し、そのまま直接彼に注意したいが、ライネリオは思い止まった。

 何にせよ、二人の出会いはあまりにも最悪だからだ。


 セレスが心配で思わず殺気を放ってしまった。

 しかも、子供にもだ。

 あまりにも大人げない態度に、ライネリオは内心頭を抱えている。


 このまま出ると、少年を警戒させてしまうだけ。

 正面から行くのが得策ではないと判断し、ライネリオは来た方向に向かってぐるっと一周した。

 鍛錬に夢中なトーマを背後から近づき、右手で木の枝の動きを止め、左手で彼の口を塞いだ。


「……っ!!」

「大声を出すな」


 ライネリオはすんなりとトーマの手から木の枝を芝生の上に優しく落とす。

 これからこの少年をどう宥めればいいのかと思ったその時、違和感を覚えた。

 予想に反して無抵抗なトーマを見下ろせば、少年はぐったりと力なくライネリオにもたれかかっている。


(また、やってしまった……)


 今度は、ライネリオは本当に片手で頭を抱える。




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