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「のどかだわ」


 外から聞こえる讃美歌に耳を傾け、セレスは頬杖で窓辺にもたれかかる。

 心地よい朝陽の光を味わいながら、今日も彼女は大袈裟に振る舞う。


「貴方たちもそう思わない?」


 答えづらい質問で投げかけられたライネリオとアコニタは口を開けずにいる。

 二人の返事を見て、セレスはため息を吐いた。


「真面目な人たちね」


 そして、もう一度。

 セレスは大きなため息を吐く。


「本当に、のどかだわ」


 彼女の小さな声は青空と正午の鐘の音に溶け込むだけだった。


 教会に住むようになってから数日後。

 言葉通り、幽閉中のセレスにはやることは全くなかった。

 それは『塔』で閉じ込められた時と同じことである。

 決められた範囲での生活や行動、自由のない時間なのだ。

 だが、セレスは空気の詰まっている『塔』よりはこの開放的な空間の方が好ましく感じる。

 実際、疲労感が抜けてから、セレスの喉は一度も痒くならなかった。

 あの咳を我慢する日々が夢かと思えるほど、この村の空気が澄み渡り、彼女にとってとても吸いやすいものである。


 そんな穏やかな時間の中、セレスはちらっと横目でライネリオを盗み見する。


(どうしよう)


 当たり前だが、セレスは教会から出てはいけないのだ。

 逃げないようにという意味合いも含まれているが、それ以外の理由もある。

 何故なら、アベイユの人たちは王族を嫌うからだ。

 ジェラルドが付近にある鉱山の採掘を必要以上に強いるせいで、環境が汚染された。

 被害を受けたアベイユは支援ももらえず、放置されただけだった。


 ジェラルドはもちろんだが、彼を狂わせたと噂されたセレスメリアも同じくらいに嫌われている。

 首都から遠いため、顔が知られていないとはいえ、人と会うのはあまり得策ではないとされている。


 だが、王女が部屋から出られないのであれば、彼女を監視するものたちも微動ともしない。

 セレスはこの状況はあまりよろしくないと思っている。


 それはどれ程かけがえのないものなのか、彼女はとても理解している。

 だが、それは刺激がないのと同意義である。

 変わるには、内面を震わす程の刺激が必要なのだ。


(このままだと、ライネ様が……)


 あの夜の、復讐相手を失くしたライネリオの姿がセレスの頭によぎる。


(それは、駄目だ)


 彼の苦しむ姿をもう二度と見たくない。

 だから、この数日間もセレスは色々試した。

 エマや村の人に接触するようにと頼めば、彼は命令だけこなし、その後再びセレスの側に戻った。

 彼を自分から遠ざけようとしても無駄だった。

 だって、ライネリオは今、王女の護衛騎士だからだ。


(そんなの、仕方ないと分かっている。でも――)


「セレス様?」

「……いいえ、何も」


 セレスはライネリオから視線を外し、再び青空を眺め始める。

 美しく広がる青い空はどこかで、皮肉のように感じた。


(まだ、数日しかたってないから。落ち込むにはまだ早すぎるよ、セレス。こういう時は、焦る気持ちは分かるけど、それが一番禁物だから)


 そう自分を落ち着かせていれば、外から音が聞こえた。

 無機的なものではなく、有機的なものだった。

 讃美歌のような秩序のある旋律ではなく、もっと自由なものである。

 部屋を見渡せば、ライネリオやアコニタは口を閉ざしながら、こちらを見ている。

 もしかするとと思い、セレスは緻密なレースで出来たカーテンを少し捲り、ガラスの向う側を覗く。


(あれは、子供?)


 部屋の窓を覗けば、教会の裏側が展望できる。

 エマが育てた色彩豊かな薬草やハーブなどが沢山植えられている小さな庭。

 緑の真ん中に年季の入ったジョウロを持っている少女が立っている。

 その光景に、セレスは眉間に皺を寄せる。


(教会の裏で、女の子が一人……)


 そう思うと、セレスはあの少女から目を離せなくなった。

 しばらくの間見守った後、エマが現れ、二人で植物の手入れを始めた。

 控えめに微笑む少女と彼女を優しく見守るエマ。

 心配する理由がなくなり、今度こそセレスは素直にレースの幕を降ろす。


「セレス様」


 驚きのあまりにセレスは声を上げる所だったが、何とかそれを喉の先まで押し止めた。

 そして、彼女のすぐ隣に立っている原因となる男を普段よりも少し開いた目で見上げる。


「何かしら?」

「外に、何かがあったんですか?」

「いいえ、何も」

「本当ですか?」

「本当よ」


 セレスはライネリオから目を逸らさず言い切った。

 その返答に彼は目を伏せ、一歩下がる。


「では、言動を慎んでください。ここに我々しかいなくても、貴女に身分があることを、どうかお忘れなきように」

「あぁ~はい、はい。ほんっとうに、毎回余計なお世話を焼くわね」


 今まで通りのやり取り。

 何かをする度に、ライネリオはいつもこうして「セレスメリア」に厭味ったらしいことを言うのだ。

 それを軽くあしらい、刺々しい雰囲気を残したまま会話が終わる、はずだった。


 それが当然のはずなんだ。

 だって、セレスは彼が心底憎んでいる「セレスメリア」になっているからだ。

 だが、今回はどこかが違った。

 言葉も、態度も同じはずなのに。


 なのに、彼の紫色の瞳だけは違う。

 形や色が変わらなくても、セレスにはその奥に潜むものに見覚えがある。

 長年ジェラルドの顔色を見て育った結果鍛えられた感覚はそう大きな警鐘を鳴らす。


 旅の道中、それを読み取っても、セレスは気付かないふりをしていた。

 ライネリオもそれ以上言葉にしなかった。

 幼い頃から時折姿を見せたが、すぐ隠された「あれ」の正体。


 気付いてはいけないもの。

 勘違いしてはいけないもの。

 明確にすれば、ぬるま湯のような心地よい関係にヒビが入ってしまう。

 手に入れるかもしれない星の代わりに多くの犠牲を伴う。

 それを察した幼いセレスには手を伸ばす勇気なんて微塵もなかった。


 そしてまさに、今だからこそ明かされてはいけない真実。


(だって、だって……)


――そんなの、残酷すぎる。


 誰に?

 セレスに?

 それともライネリオに?


「ミリアム!」


 セレスの不毛な自問自答は鋭い声色に途絶えた。

 同時に、顔をその発生源と思われる方向に向ける。


「なんで勝手に家から出るんだ!?」


 異常なことだと思い、セレスはそのまま大きくカーテンを開ける。

 見覚えのある少年が険しい表情をしながら少女の後ろに立っているエマを睨んでいる。


「ミリアムは黙って!」


 ミリアムと呼ばれる少女は必死に何か言おうとしたが、少年はそれを許さなかった。

 一方、エマは困ったように眉を落とす。

 エマが何かを言った後、少年は舌打ちして、少女の手を引っ張り始める。


 だが、ミリアムは動こうとしなかった。

 彼女は顔を俯かせ、横に振った。

 少年は再び眉間に皺を寄せ、少女を見下ろす。


「いや! わたし、ここがいい!」


 ガラスに遮られても聞こえたその弱々しい主張に、少年は顔を赤くする。

 それを見て、セレスは我慢を手放し、すぐさま椅子から立ち上がる。


「ミリ――」

「ごきげんよう」


 少女の名前が最後まで紡がれる前に、セレスの声はそれを被せた。

 そして、開けられた木製の窓の間からゆっくりと姿を現した。


「ここって、のどかすぎると思ったけど……そうではないみたいね」


 焦る内心を隠しながら下にいる人たちの様子を確認した。

 少女とエマは口を丸くしながら見上げている。


 一方、少年の方を見れば――。


「あら!」


 セレスは先ほど感じた既視感の正体に気付いた。


「まあ、まあ!」

「っ! な、なんだ?」

「ふふ」


 自分自身に見惚れた少年に王女は柔らかな笑みを送る。

 余裕と優雅さを意識しながら身体を少し屈ませ、窓の縁に指を組み、その上に顎を乗せる。


「あの林檎、どんな味がしたの?」


 少年はセレスが発した言葉の意味が分からなく、小さく首を傾げた。


「それとあの袋、上手に使ったのかしら? ちょっとしか入ってなかったけど、坊やの役には立つのでしょう?」

「っ!」


 意味ありげな強調に、少年はようやく問いの意味を理解できた。

 彼は素早くミリアムに視線を送ったが、すぐ顔を俯かせた。


「おにい、ちゃん?」


 ミリアムの呼び掛けられた瞬間、少年は拳を震える程強く握りながらその場から逃げた。

 その場に取り残された人は一言も発せず、重苦しい雰囲気が漂い始める。

 誰も動こうとしなかった。

 原因となる人物以外は。


「ああ、残念」


 セレスは隣にいるライネリオにしか聞こえないくらい、そう呟いた。

 下にいる二人に視線を送らずに、そのまま窓から離れ、ライネリオに窓を閉じるように命じた。

 カーテンが閉じられた窓の側に再び座り、セレスは大きなため息を吐いた。


(私、なんてことを……)


 頭を抱えたい衝動を押さえ、先ほどの出来事を顧みる。


 何の策もなく首を突っ込んでしまったことは愚かな行為であると自覚している。

 それだけではなく、状況の全貌を把握せず介入してしまうのもあまりにも無責任なことなのだ。

 それに、「セレスメリア」なら無邪気にあの少年の羞恥心を逆撫でする発言をすると思い、そのまま口にした。

 結果はよかったかもしれないが、そこから少年が暴れ、少女をより乱暴に扱う可能性だってあるはずなのに。


 どう考えても、静観が一番賢い選択だ。

 だが、途中からセレスは感情に流されてしまった。


『いや! わたし、ここがいい!』


 少女の悲痛な叫びは今でも耳の中に響いている。

 セレスが過去に言いたくて、死んでも吐き出せなかった言葉。


(支配される息苦しさなんて、そんなの……いや、でも、こうやって自分の過ちを正当化してはいけないわ)


 顎を乗せている手に力を入れ、自分を甘やかそうとした感情を何とか飲み込んだ。

 レースの間から見える青を眺め、セレスは再び大きなため息を吐く。


「つまらないわ」


 それでも、喉に引っかかる違和感が消えてくれなかった。




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