15
教会の重い扉を開いた後、二人の女性はセレス達を出迎える。
一人は灰色の修道服を、もう一人は真っ黒なドレスを身に着けている。
修道女と思わしき女性は礼を取り、その隣に立っている気品のある女性は大袈裟に微笑む。
「遠方はるばるからこの教会に来てくださって、心から感謝するわ」
歓迎する言葉の裏腹に、声色が硬いそれはセレスの首当たりを居心地悪くさせる。
だが、その感覚に負けてはいけなく、彼女はそのまま興味なく周りを見渡す。
「皆さんの到着をとても待ちきれなくて、思わず私とエマの足が震えたのよ?」
「ギズラー夫人、申し訳ございません」
ライネリオとアコニタは深々と頭を下げる。
どうしようもないことだ。
何故なら、セレスは予定よりも一週間遅れて到着したからだ。
そして、その理由は他でもない、セレスの我が儘な振る舞いだった。
宿のある拠点にたどり着くと出発を遅らせたり、馬車の揺れに文句を言ったり、速度を落としたりなどなど。
彼女は思いついたことのほとんどをできるだけ実行した。
だから、ギズラー夫人の反応はセレスが望んでいるものである。
「ゆっくりと安全第一優先だから、時間がかかるのは仕方ないから、いいのよ」
夫人は無反応なセレスに一瞥し、その後再び笑顔を作る。
「無事でここまで辿り着いたのが一番だから」
それでも、セレスは痒くなった喉を我慢しながら、知らないふりをし続けた。
その後、王女が逃亡せず到着したと確認が取れたギズラー夫人は早急に教会から離れ、夫が住む城に戻った。
取り残された三人は教会の管理者でもある修道女エマに軽く教会を案内されたが、セレスが「疲れた」と言ったから中断された。
その苦言にエマは王女がこれから過ごす部屋に案内しようとしたが、セレスの足が階段の前で止まった。
「姫、あ、いいえ、セレス様? 何かが――」
「ねえ」
エマの言葉を遮り、セレスは視線を右上に移す。
そして、優雅に右手を差し出した。
彼女の仕草に応じ、王女の右後ろに控えている男は動き出した。
音一つも立てない、優しい動きだった。
セレスも素直に彼の首に腕を巻き、全てを彼に委ねた。
あっという間にふわりとした浮遊城が彼女の体を包み込む。
顔を上げれば、ライネリオの顔はすぐそこにあった。
「ふふ、前よりは成長したじゃない」
熱くなりそうな頬を誤魔化すために、セレスは彼の黒髪に指を通し、余裕そうな言葉を口にした。
「お利口さんね」
一方、好き勝手にされたライネリオは彼女に一瞥だけし、その後再び顔の向きを直した。
「エマ様、案内の続きをお願いします」
「え、あ、はい!」
セレスよりも頬を紅色に染めたエマは狼狽えながらも階段を登り始めた。
ライネリオは無言で無表情な顔で彼女を追う。
その事実は、セレスの胸を締め付ける。
他人の目がある限り、いやなくても最後までやり通すと決めたセレスが自ら進んで始めたことだと分かるが、大胆な行為であることは変わりはない。
だから、と言うべきだろう。
セレスはいつも通りの彼の表情と、自分の心の振動を比べてしまった。
そんなことを感じる場合ではないのに関わらず、勝手に比較して、勝手に傷ついた。
理性が分かっていても、感情は聞き分けのいい子ではなかった。
(でも、昔よりはまだいい方、だよね。これだけが救いだよ)
成長したと、自分をそう慰めながら、セレスは腕に力を入れた。
逃げ場のないライネリオの腕の中で表情を隠すには、そうするしかなかったのだ。
だが、己で手一杯なセレスは気付かなかった。
彼女が力を入れたと同時に、ライネリオの手にも力が入ったことを。
胸の中に葛藤を隠しながら、セレス達は二階にある部屋に辿り着いた。
城の『塔』のような殺風景なものではなく、生活感が残っているような、そんな温もりのある部屋だった。
真っ白いシーツに覆われたベッドに、窓を額縁にしたレースのカーテンがとても愛らしい。
調度品が違えど、テルン家の部屋の雰囲気に似ていて、セレスは思わずその空間に見惚れてしまった。
「こちらはセレス様の部屋となります」
エマの言葉にセレスは小さく肩を震わせたが、運がいいことに、ライネリオは同時に彼女を降ろした。
刺激のおかげで、役目を思い出したセレスはぐるぐると部屋の周りを観察し始める。
「ふーん、悪くないね」
「ありがとうございます。その言葉に、準備を整ってくださったジュリア様は喜んでくださるでしょう」
セレスは予想外の名前に耳を疑った。
ジュリア。
それは、セレスメリア王女を心の底から嫌うギズラー夫人の名前だからだ。
「へぇ、いつも真っ黒な服を着ているのに、意外といい感性しているわね」
「それは……」
エマは言い淀んだ後、首を小さく振った。
「ジュリア様にお伝えします」
そう言い残し、エマは部屋から退室した。
戻る気配がないと分かった後、もう鉛のように重くなった足に無理を強いることができなくなり、セレスはそのまま身体をベッドの上に投げた。
「アコニタ」
「はい」
「あれ、もういらないから下に行って処理して。それと着替えて」
「かしこまりました」
「怒りん坊さんは」
枕に顔を隠したまま、セレスは弱々しく手をひらひらと振る。
「好きにして」
「……わかりました」
同行者二人は王女の命令に大人しく従い、エマと同様に静かに部屋から出た。
ようやく一人の時間を手に入れたセレス。
心を縛りつくような緊迫感と肩に圧し掛かる重みが僅かに軽くなった。
枕で先ほどから我慢した咳の音を殺し、何分か経った後ようやくそれが落ち着いた。
乱れた息を宥めるために何回か深呼吸をすれば、自然と先ほどの再会のことが頭の中によぎった。
ギズラー辺境伯の気高い妻、ジュリア・クリフラント。
社交界でも堅物と知られている彼女だが、別の理由で有名になった。
『黒づくめの貴婦人』。
息子を亡くして二年前から、どんな時でも黒しか纏わないギズラー夫人はそう呼ばれるようになった。
彼女の噂は宮殿の奥に閉じ込められたセレスの耳にまで届くほど広がったが、同時にもう一つの噂が密かに浸透した。
「ギズラー辺境伯の長男とその親友は決闘で死んだ。そして、その決闘はセレスメリア王女を賭けたものである」。
当時、見覚えのないことにセレスは混乱した。
噂好きな侍女からどうやら二人の令息の間にそのようなやり取りが記された手紙がその噂の源となった。
セレスは混乱し、心のどこかでそれが単なる噂にすぎないと願った。
だが、その年の社交シーズンで、ギズラー夫人の鋭い視線は彼女の願望を粉々にした。
そんな彼女が、嫌悪するセレスメリアのためにこんな心地よい空間を用意してくれた。
義務でやったとはいえ、ジュリアはどんな心境なのかを想像すると、セレスの胸の波が更に荒くなった。
(私……)
再び襲いかかる咳と複雑な感情が相まって、一滴の涙が彼女の瞳から零れ落ちた。
それらを全部、おそらく外に待機しているライネリオに聞こえないように、枕で覆い隠した。




