13
葉っぱの色が緑から黄色に染まりつつある季節。
城の寂れた裏門から二人の女性と男性が三人、その色を潜り抜ける。
会話こそないが、黒髪の男性は隣に歩いている亜麻色髪の女性に気を遣っている。
女性は自然にそれを甘受して、後ろに控えている白髪の女性はそんな二人を静かに見守っている。
舗装されていない小さな道路の終わりに、一台の古い馬車が三人を待っている。
「わたくしにこれに乗れ、と? しかも、アコニタと一緒に?」
「はい」
「まさか見送りもなくて? 叔父様も?」
「そのための裏門からの出発です」
「まあ、なんて薄情な叔父様」
女性、セレスメリアは不満げな声をあげた。
彼女はそれ以上何も言わないまま馬車に向かうと、男性、ライネリオは一足早く馬車の扉を開ける。
二人の視線はほんの一瞬だけ絡み合ったが、セレスメリアは直ぐに瞳を閉じる。
「仕方ないわ、我慢してあげる」
セレスメリアはライネリオの手を取り、もう一度彼に視線を送る。
無表情な彼を見て、彼女は妖艶に微笑む。
「もっと寛大なわたくしを褒め称えてもいいのよ?」
ライネリオは返事をせず、顔を小さく下げるだけだった。
あの事件、城内で禁止されたはずの魔法が発動された事件。
取り調べが行われた後、犯人である赤毛の騎士は王女に対して歪な感情を抱いていると発覚した。
ハロルドが王となった直後、最初に行われたのは人員の整理だった。
ジェラルドに肩入れする貴族たちやセレスメリアを慕う侍女達。
新しい王政に不適当な人たちを何人も王都から遠ざけ、ハロルドの反乱に肩入れする者たちと入れ替えられた。
もちろん、その中には多くの騎士も含まれている。
しかし、あまりにも膨大な動きだったため、見落としは避けられなかった。
赤毛の騎士もその一人だった。
辺鄙な生まれの彼は家族、そして国を守るために努力し、魔法と剣の才能を活かして騎士になった。
能力が見込まれ、彼は王都の騎士団に所属され、順風満帆な経歴を積み重ねていた。
ある日彼は勤務中にセレスメリアを遠くから見かけ、呆気なく彼女の儚い姿に恋に落ちた。
その気持ちを国を守るための燃料にした彼だが、久しぶりの帰省がそれを全部反転させた。
親の病気を理由に奇跡的に帰省が許可された彼が見たものは、地獄だった。
悲惨な姿となった故郷を目の当たりにした彼は、村人から耳にした。
全部、王族がかけた重圧のせいだと。
最初こそ信じられなかったが、目に見えるジェラルドの動きと照らし合わせれば、現実味が増した。
終いに、周りの人にはエトリアに戻る場合、今ここに見たことを知らないふりをするようにと念押しされた。
何故なら、国王に敵意を向ける人々の末路は、死のみである。
その結果、恋慕が憎悪に転じた。
だが、物語はそこで終わったわけではない。
異動を免れた彼だが、幽閉されたセレスメリアの護衛騎士になることを強く志願した。
しかし、最初からその役目はライネリオが担うと決められたため、彼の望みは儚く潰えた。
幾度も上司である騎士団長に抗議をしていたが、それが悪手だった。
結果として、彼は切り捨てられた。
もう、村に帰りなさいと言い渡された日。
それは、あの事件の日だった。
『お前のせいだ! お前らのせいだ! 全部、全部! 俺の人生を台無しにして!』
あの日、取り押さえられた時の男の言葉はまだ、セレスの耳に残っている。
当時はあまりにも衝撃的な赤に囚われたせいで聞き逃した呪いの言葉は、冷静になれば頭の中に響き始める。
だが、今のセレスは少しだけ違う。
確かに、その後どうなったかわからないあの騎士に罪悪感を抱いている。
しかし、今は――。
「ねえ、アコニタ。退屈だわ」
「申し訳ございません」
「もう、貴女がすぐそうやって謝るから、余計につまらなくなったの」
「……申し訳ございません」
王女はわざとらしい大きなため息を吐いた。
侍女に用は済んだかのように、そのまま頬杖しながら窓の外に目を向ける。
セレスはそこからライネリオの横顔を見つめる。
あの日の夜、彼が見せた暗い瞳は今姿を隠している。
安堵を覚える一方、真実はセレスの心に消えないわだかまりを残した。
それもまた、彼女の決意を固める。
セレス自身、今でも現状に対して疑問を抱いている。
何故、ハロルドがここまで彼女を生かそうとしているのか。
現在、王命により、王女セレスメリアは辺境伯の領地であるリヴィバルトにある教会に移送されている。
近い将来処刑される人に対する待遇ではないと、数々の重鎮に反対された中、ハロルドは意を貫いた。
例の事件を切っ掛けに、影に王女を心酔している存在がまだまだ沢山潜んでいると発覚した。
もちろん、その中には権力を持つ人も数多く存在する。
そして、密かに王女を担ごうとしている存在も、あの赤髪の騎士が示唆した。
このような状況で彼女を処刑すれば、余計に彼らを刺激してしまう可能性がまだまだ捨てきれない。
腐敗の原因を根絶やしするための行為があえて新たな混乱の種になってしまう。
だから、環境が整っていない状況で処刑を行うべきではないという理由を掲げて、王命が下された。
そもそも、今でも多くのエトリアの民は彼女の解放を望んでいる。
処刑するであれば、今ではないと、ハロルドはそう言った。
表だっての事実はそうだったが、今までのハロルドの態度や言動を振り返ればそれだけではないと、嫌でもセレスは勘ぐってしまう。
事件の詳細が知らされず、一方的な王命を聞いた時から、彼女の予感が強まるばかりだ。
過去のセレスであれば、その謎に尻込みし、身動きが取れなくなってしまうのだろう。
だが、今の彼女はただただ、心からハロルドに感謝している。
ライネリオを救ってくれた彼に。
セレスに時間をくれた彼に。
(ライネ様のために時間稼ぎ以外、何ができるかどうかなんてわからないけど)
道を一つ選んだ。
そして、現在歩んでいる道は最善の分岐であると、彼女は信じることにした。
自分自身ですら自覚できるほど強くなった事実にセレスは内心嘲笑を浮かべる。
(民のための時にあんなに簡単で揺らいだのに、ライネ様一人のためにこんなにも力が湧くだなんて。……私にはやっぱり、王女の役割は重すぎるよ)
上に立つ人間は、その下にいる人たちを守るために存在している。
幼い頃そのような精神で生きているテルン夫妻やライネリオを見て育ったセレスの心にそれが刻まれた。
その事実は嫌になるほど、彼女に証明されている。
(でも、私にできる最大限のことをする。もう、そうするしかない)
彼女なりの努力をこなせば、最善の結果に繋がる。
メリアが幼いセレスにそうやって教えてくれた。
だから母はどんなに過酷な環境でも明るく、折れずにたち迎えられたとセレスは納得した。
一度思い出せば、響き合うかのように母の教えが蘇った。
それを道標にして、これから訪れる未来に立ち向かうと、セレスは再び心を強くする。
「殿下」
「ん?」
セレスは視線を窓からアコニタに移した後、僅かに目を丸くした。
何故ならば、あまり表情を変えない侍女は眉を下げながら白い封筒をセレスに差し出しているからだ。
無言でそれを受け取り、そのまま裏返せば、彼女にアコニタの変化に察しがついた。
「申し訳ございません」
「ふーん」
セレスは何か言いたげなアコニタに気付かないふりをして、封筒から紙を取り出した。
書き出しに目を通すと、見覚えのある筆跡に彼女は目を見開いた。
(先生)
その手紙の送り主は王家の医師だった。
セレスが流行り病におかされた時にとても世話になった年を老いた男性。
ジェラルドもハロルドも彼のことを親しく「爺」と呼んでいたほど世話になっていた方だ。
完治した後でも定期的検診のために彼と会ったが、『塔』に入ってからそれは途絶えた。
懐かしさを感じながら、セレスは手紙の続きを読み始める。
『小さなお嬢さんへ、
ご無沙汰しております。貴女と最後に会ってからもう何ヵ月も経ちましたが、あれから体調はいかがでしょうか。時世が動き、私は諸事情により貴女の下に赴くことができず、真に申し訳ございませんでした。その事情がようやく解消され、職場に行くことが許されました。その直後、私は貴女の叔父に貴女のことについて相談するために参りましたが、まさか貴女とはそう簡単に会えなくなったとは。しかも、近いうちに遠い地に足を運ぶことになったと聞き、畏れながらこうして手紙を書かせていただきました。
貴女に伝えたいことが沢山ありますが、一番念を押したいのは、無理だけはしないようにということです。それ以外は血を流すような傷がある場合はいつも通りの処置をすること。そして、もし可能であれば、到着した村の方にも相談してください。貴女は望んでいないかもしれませんが、貴女を小さい頃から見守った一人として、諦めないで欲しいと願っております。これは私の我が儘であると理解しておりますが、最後まで希望だけを捨てないでください。
私と妻にできることは都から貴女の無事と健康を祈る以外はございません。その事実は職柄のこともあり、一人の人間としてもとても無力と感じております。これ以上貴女のためにやれることがなく、本当に申し訳ございませんでした。
どこに居ても、神のご加護が貴女と共にあらんことを』
(先生)
少し乱れた字で書かれた暖かい言葉。
セレスは過去の我が儘を守るために曖昧な表現で書かれた手紙をぎゅっと抱きしめる代わりに、紙を握る手に力が入った。
医師と王都に来てから定期的に会っていたが、共有する時間はそこまで長くはなかった。
だが、その一瞬一瞬から確かに彼の気遣いが感じ取れた。
それが彼の医師としての義務かもしれないが、セレスはそれに多く支えられた。
「出発する準備している時に、突然一人の老人からそれを渡されました」
アコニタの単調な声はセレスを感傷から呼び覚ました。
セレスは指から力を抜け、顔を少しだけ逸らす。
「そう」
できるだけ素っ気なく答えた後、セレスは皺が出来た手紙を封筒に戻し、そしてそれをアコニタの膝にぞんざいに投げた。
それを見て、侍女は視線だけで王女の意図を問う。
足を組み、背もたれに肘を置きながら、セレスは興味なさそうな表情を作る。
「あれ、処分して」
「いい、ですか?」
「わたくしの手は恋文でいっぱいだもの」
セレスは少し震えた声で言い切ったセリフで自分自身を傷つける。
だが、それも承知の上だ。
(先生、ごめんなさい。そして、ありがとう)
「これで夜が少し暖かくなるでしょう?」
「……かしこまりました」
アコニタが丁寧にその手紙を仕舞う姿を確認し、セレスは再び視線を窓の外に向ける。
そこからは移り変わる景色と、変わらず無表情なライネリオが映っている。
セレスはようやく、自分が王都から離れるという事実を実感する。
「教会、か」
辺境の地、リヴィバルト。
隣国と接近する、非常に重要で危険な場所。
その地を統べる者は王女を憎むギズラー夫人の夫である。
セレスの胸の鼓動が早く、そして重くなった。
それは緊張、それとも罪悪感によるものなのか。
「楽しくなりそうだわ」
だが、業を背負って生きると決めた彼女は、それを「期待」がもたらすものであると思うことにした。




